些事雑談 うどんを打ちたい

 使っても使っても粉がなくならない。

 スサーナは寄宿舎の自室に持ち込んだ粉を眺めながらそう考えている。


 昨日スサーナは全力でマドレーヌを焼き続け、100個以上のマドレーヌをこの世に発生させた。

 これは半分ぐらい小麦粉を使ったに違いない、と袋の中を確認してみたところ、なんと不思議な事に……いや、思えば当然なのだが、粉は大体九割残っているようだったのだ。


「……明らかにあんまり日持ちしないですよねえ、これ。」


 小麦粉の包装は普通の布袋で、窒素封入がされている、という気配はない。

 魔術師さんの謎の技術で密閉容器になってやしないか、とも思ったが、どうもそうではないらしい。人の目に触れても大丈夫なように常民の使う容れ物で届けてくれたのだろう。

 季節は夏に入りかけたぐらい。内陸のこの街はそれなりに春の終わりの雨がある諸島と違って気候は実に乾燥しているものの、日中はもう結構気温が上がる。


 そして、寄宿舎にはねずみも出るし、何か魔術師さん達の至れり尽くせりな技術で不快害虫が湧きづらい島とは違ってうっかり保存を誤ると粉には虫が湧く。

 適宜環境がマシな場所に持ち運び続けるのが一番いい手ではあるが、重量を軽くする術式らしいものは一日で切れた。


 無ければ無いで困るが、あればあるで困る。贅沢な悩みだ。スサーナは思う。

 なんとなく、「頂いた粉を使い切ったので一袋分売って頂けませんか」とお手紙をすると喜ばれるような気もするし、夏の時期はどんどん粉を浪費しておきたい。


 曲がりなりにも島の外に出ると買うことすら困難な高級品、精製小麦粉なので、ジョアンあたりに知られたらひっくり返るような気がするが、スサーナは今小麦粉を沢山使うにはどうしたらいいか悩んでいた。


「できるだけ小麦粉メインのもの……やっぱり主食ですよねえ。」


 小麦粉を沢山使う、となるととりあえずパンだろうか。スサーナは考える。


 ――しかし、私が焼けるとなると種無しの平焼きパンかあ。

 島でもそうだったが、この本土でも発酵パンを焼けるのは神殿と認可を受けた窯がある場所だけだ。一応貴族寮は認可を受けたパン焼き窯を持っているが、まず窯の中で薪を燃やして出してしまい、その予熱だけで焼くというもので、結構使うのに手間がかかるので借りるのは忍びない。


 というわけで焼けるのは行きがかり上種無しパンになる。

 ……世のご家庭では脱法パンというのもなくもなく、神殿から貰えるパン種で作り許可のある窯で焼く認可パンではなく、練る水分に濾していない自家製林檎酒を使ってうっかりあったかいところで半日忘れたりしたものをもったいないからとおうちのオーブンで焼くことでふっくらしたパンを食べられるというノウハウなのだが、なんとなく後ろめたいのでそれは選択肢に入れない。


 ――ええと、一番小麦粉を使うんだったら、小麦粉と塩のやつ。


 小麦粉と塩と水のシンプルなパン。平焼きにしてもいいし、なぜか重曹で膨らませるのは脱法ではないのでまあそうしてもいい。(スサーナはたまに不思議になるのだが、宗教上の問題というやつなのだろう。)


 ただこれにも少し問題があり、今回もらった粉は薄力粉に近い。

 これはケーキを焼くにはとても良く、スサーナが島で好んで買う精製小麦粉もその類だし、スサーナから唆されて、多分焼き菓子用に粉を注文した料理長さんもきっとわざわざそう注文したのだろう。

 本土で穫れるのは硬質小麦がメインで、小麦粉というと強力粉に近いものがほとんどのはずなので、それを含めてこの精製小麦粉は稀有なのだ。

 しかし。シンプルな素材のパンを求めるならもっちりして焼けた生地を引っ張るとにっと伸びるような強力粉のほうが美味しい、という大問題が今スサーナの前にそびえ立っている。

 ――これ、失敗するとファイヤーケーキみたいなのになっちゃいますかね……

 小麦粉を消費したいには消費したいが、不味いものや飽きやすいものを作りたいわけではない。


 ――うーん、どうしたものですかねえ。塩と粉、塩と粉、塩と粉……

 スサーナはうーんと唸りながらぐるぐると部屋の中を歩き回り、はた、と動きを止めた。


「塩と粉!」


 ――別にパンである必要はないんですよね!!

 塩と粉というフレーズにふと前世の記憶が引っかかった、というやつだ。

 彼女は塩と粉というフレーズというかキャッチコピーと言うか、そういうブログに記憶がある。もともと紗綾は釣行料理ブログとして読んでいたものだが、あるときからうどんに凝りだしたというパターンのブログであった。


 スサーナは知っている。記憶している。うどんは薄力粉でも打てないことはないのだ。




 数時間後。放課後にやってきたあとで小間使いの仕事をすると貴族寮に戻っていったはずの同級生の少女が夕食の片付けの済んだ台所でなにやら粉まみれになっているのを見かけてジョアンは半眼になった。


「お前……なにやってんの?」

「あ、ジョアンさん」


 何やらのし棒を振り回していた少女はジョアンに気づくとにっこりと笑った。


 見ればかまどに大鍋が掛けてあり、覗き込んでみたら中にはただの湯がぐらぐらとたっぷり煮えている。

 横でやっぱり煮えたぎっているのは干し魚のスープらしい気配。


「ええと……小麦粉料理の試作? でしょうか。」

「パン? いや、それだとパイ焼くのか?」

「いえ、麺です」


 ここでもセモリナ小麦の麺は食べないこともない。

 食べないこともないものの、ラザニアと言うべきか、薄くした小麦粉生地をソースに挟んで焼くタイプのパスタは比較的一般的だが、麺のパスタはそこまで食べるという感じではない。しかも多くの場合、食べるときは親指ぐらいの太さ短さに整形してしまうので、ちょっとすいとんを連想しないこともない感じになるのだ。そして、あまり汁っぽい仕立てにはせず、ソースを絡める系統が多い。


「なんで急にそんな珍しいもん作り出したの?」


 よって、聞いたジョアンが首を傾げたのは無理からぬ事である。


「作れるとわかったら食べたくなった……みたいな感じですかね……? あと、小麦粉を早めに使ってしまわないといけなくて。」

「菓子焼けばいいんじゃないの……?」

「それはそれで焼きますけどね」


 ふうん、と言ったジョアンの声がなんだか安心したような嬉しそうな感じだったのでスサーナは、ああ、これは甘い物のほうが食べたいと思っているのだな、と察した。


 それはそれとして、受けが良くないにせようどんだ。


 貴族寮に戻る前に小麦粉とやや濃い目の塩水と合わせてまとめ、体重をかけて練り、木箱に入れて濡れ布巾を掛けて置いてあった。

 それを先ほど戻ってきてから軽く練り直したところだ。その後もうひと寝かせの間に干し鱈と干し鱒――島でなら買える干しボニート、干しカバジャはここでは手に入らないので代用だ――を島から持ってきた貴重な干し昆布と一緒にひと煮立ち、ついでに捌いた残りだけど使うかいと寮母さんがくれた鶏ガラと鶏皮と一緒に生姜と葱と塩を足してぐつぐつ煮こんでおく。

 捏ね台を綺麗にして、大鍋たっぷりに湯を沸かし、さて伸すか、というところにジョアンがやってきた、という次第である。


 なにやら興味がなさ気な態度のくせに台所から去っていかないので、スサーナは調理場に立っているものは同級生男子でも使えの心でジョアンに声を掛けた。


「ジョアンさん、ジョアンさんや」

「なんだよ」

「今度……ええと明々後日の採取実習が終わったあとですかね。ケーキは焼いて差し上げますので、今ちょっと手伝って頂けませんか。」

「別に、いいけど。なにすんの?」


 ぱっと輝きかけた表情を面倒臭そうな顔の下に押し込んでジョアンが肩をすくめてみせる。そこにスサーナはでん、と延べ棒を突きつけた。


「容赦なくこの生地を広げて伸ばしてください!」



「ん……おい、これなんか伸ばした先から縮んで戻るんだけど。」

「戻らないようにしっかりお願いします。出来たら同じぐらいの厚みで。」

「んん、ん? なんか……デコボコに……あっやべ、穴空いた」

「あっ……ま、まあ食べられないこともないですから!」

「くそっ、こっちを……こう……」


 声を掛けつつスサーナはつゆの方の面倒を見る。

 しばらくして捏ね台のほうに戻ってきた所、なんだかブツブツ言いながら生地を伸ばしていたジョアンがなんだかきまりが悪いような慌てたような顔をした。

 なにやら彼が苦戦してあっちを抑えそっちを引っ張りながら伸ばしたものは、なぜか丸く纏めた生地を広げたものだと言うのにどこか見知らぬ島の地図と言ったら納得がいくような形に自由に広がっている。


「畜生、こ、こんなのはさあ、出来なくっても、別に……勉学には影響ないっていうか……」

「まあ、十分食べられますから! ありがとうございます」

「お前なあ、くそっ、次作るときはもっとマシにやってみせるから言えよ!絶対言えよ!」


 なにやら憤り遣る方無いという顔をしたジョアンを他所にスサーナは生地に打ち粉を足し、ベロベロの生地を破らないようにして生地を折りたたんだ。

 そのまま包丁で押し切っていく。


「よし、こんなもんですかね。……あ、ジョアンさんや。」

「なんだよ」


 むすっとぶすくれた顔のジョアンが返答する。

 スサーナはとりあえず大体一人分かな、と目算を付けた量を持ち上げ、それを示しながら問いかけた。


「お手伝いをしてくださった人の特権ということで、良かったらジョアンさんのぶんも茹でますけど、食べてみます? 口慣れない食べ物かもしれませんけど。」

「食う。」


 なにやら一転機嫌が良くなったような雰囲気のジョアンが眺める前でスサーナは沸き立つ湯の中に麺を投げ込んだ。


 沸騰したあとでしばし、透明感が出てきたところで鍋用の大きな木製スプーンと二股のフォークを箸の代わりにして編みざるに上げ、水筒からガンガン水をかけて洗う。


「よし、ちょっと表面は荒れてますけど十分___うどんに見える……!」


 スサーナはぐっと拳を握り、スープ皿にうどんを取り分けた。

 取り分けられたうどんを一本つまみ上げ、しげしげと眺めて口の中に下ろしたジョアンはもぐもぐと噛んでから不可解そうな顔をする。


「味……無い? いや、うっすら塩っぱいけど。あとなんか、生じゃないか、まだ?」

「え、そうでした?」


 スサーナも麺を一本つまんで啜る。

 厚さはぼこぼこで表面も荒れているし、薄力粉ゆえの腰の弱さはあるものの、十分もちもちしこしことした歯ごたえはある。


「こんなものじゃないですか?」


 言ってからスサーナはああ、と納得した。

 そういえばこの手の食感の主食はこちらではほとんど無い。

 ――知らずに食べたら半生のように感じるのは仕方ないんですねえ。


「お苦手な味だったら無理に食べていただくものでもありませんからねー。」


 スサーナはそう言いながら首を傾げているジョアンの表情を伺い、スープ鍋をどかした後にフライパンを掛けた。


 つゆにくぐらせてすぐ食べたかったが仕方あるまい。


 フライパンにバターを落とし、そこにジョアンの分のうどんを入れる。

 ざっとほぐして、それからスサーナはチーズの塊を手に取りガリガリ下ろして溶かし、茹で汁で乳化させ、さらにレモンも同じグレーダーで皮をすりおろして混ぜる。炒めながらハーブ塩を絡め、そして夕食の残りのグレービー肉汁ソースをざっと掛け回して皿に戻した。鶏塩出汁もどきのスープは付け合わせにしてやる。


「はいどうぞジョアンさん」

「ん、ああ。なんだ、作りかけだったのか」


 ――そういうわけじゃないんですけどね!!

 思いつつ、フォーク二股楊枝を手に取り逃げるうどんをぎこちなく口に運んだジョアンが、今度は解せない顔ではなく満足そうな顔をしたのを見て、スサーナはとりあえずまあいいか、ということにした。


「うまい。」

「それはそれはよかったー」


 ――お出汁の効いたつゆにくぐらせて三つ葉かなんかを吸口にしたほうが飽きずに食べられると思うんですけどねえー。


 久しぶりに文化差! を感じつつ、スサーナは自分の分のスープ皿に置いた、少し時間が経ってしまったうどんを眺め、遠い目をした。

 この味を分かってもらうならどこだろう。ジョアンも島っ子なので比較的淡泊慣れしているはずなのにこの反応であるからして、なんだかこの分だと料理長さんも解せぬ顔をしそうだし。だしに浸したうどんは啜れないと美味しさが下がるかもしれない。明らかにジョアンは啜れていない、というより啜る発想がなさそうだ。さらに思えば淡泊なぷにむちモチ食感はもしかし……なくても、このあたりの食べ物では珍しい。そのあたりに忌避感がなさそうな場所はあるのだろうか。まずやっぱり淡泊な味というと……スサーナはそう思案し――


「明らかにうまいものを作っている匂いがする!!!」


 台所の戸口で叫んだ数人の先輩たちの声に思考をかっ飛ばされたのだった。


「ずるいぞジョアン! うまいものは分け合ってこそうまいとおもわないのか!」

「あれ先輩方。独占しても美味いですけど。」


 ジョアンがスープ皿を抱え込み、口いっぱいにうどんを頬張って先輩たちの手から逃げる。


 スサーナは諦めると残りのうどんをパスタ風焼きうどんに仕立て上げ、先輩方に振る舞うことにした。



 深夜、なにやら異国風の麺の作り方とシンプルなブロード出汁のマリアージュについて無念がにじむ筆致で妙に熱心に書き連ねた伝文術式がどこぞの塔に届き、その主を比較的解せぬ顔にしたのは、まあ、別の話。




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