第6話 日常とお友達 3
スサーナはフローリカの手を引いて中庭まで歩く。
らんたたん らんたたん らんたたん たん
ちょっと鼻歌まででてしまいそうなご機嫌である。
フローリカが天使のように愛らしいのが大きな理由だが、生前から小さな女の子は好きだった。別に怪しい意味ではない。高校三年の進路決定の際、大学で幼児教育コースを専攻しようかどうしようか、ちょっと悩む程度には好きだった、ということだ。
決定的に身体を悪くする前でも十分以上に身体は弱く、子供のスタミナにはついていけそうにないと判断したのと偏差値が高かったのが国語だったので結局選択はしなかったが。
その思いの根源は幼い頃に妹が欲しくてほしくてたまらなかった、という記憶だ。地方旧家で一人っ子、家にこもってばかりいた紗綾は親類のきょうだいがやって来るたびに羨ましくてたまらなかった。妹がいれば、どれほど一緒に遊ぶのに。あんな遊びを教えて、こうかわいがってやって……と、一時期架空の妹を想定して、幼い紗綾は妹がいるごっこまで行っていたほどである。
……結構現実的なところのある子どもだった紗綾はその手の遊びにハマりきれず、精々一月程度ですっかり飽きたのだが。
――あれ?あまり意識したことはなかったけど、ちょっと今の状況にそういえば似ている?
まあ、大人にだけ囲まれている現状になんの違和感もなかったですもんね。
手を引きながら思い当たったスサーナは、ちょっとほろりとした後で力強く意気込む。
コレはあれだ。やりなおすしかないですよね。ちょうどいい事に6歳!同い年!中身は22歳ですけど、結局6歳には6歳なわけだし。
フローリカちゃんとまるで姉妹みたいに仲良くなってみせる。ちょっと目標を見失ってる気もしないでもないけれど、当初の目的ともそんなにはズレてはいないはず。クオリティ・オブ・ライフのためにはそれは仲の良いお友達は必要ですとも。ええ、姉妹みたいな仲良しともなればとてもとても人生が楽しいことでしょう。
なんて素晴らしいんでしょう、異世界転生、万歳。
中庭につくと、とりあえずスサーナはたわわに檸檬の実る木陰にある大理石のベンチをフローリカに勧める。
「えっと、フローリカちゃん、のどは渇いてますか?」
「……」
「はちみつがあるので! 井戸のところに水差しが用意してあるので、レモネードが作れるんですよ」
「……」
「あっ、それとも、アーモンドのクッキー食べますか? 台所においてあるので、いま急いでとってきましょうか」
「……の…」
「あっ、それともえーとえーとあやとりしますか! あやとり知ってます?毛糸が一本あると遊べて――」
「あのねえ!」
「は、はい!」
ぐうっと眉間にシワを寄せたフローリカは、ワンピースの前をクシャッと握りしめる。
「わたしねぇ!あなたとおともだちになるためにひっこしてきたりなんかしないから!!!!」
「……はい?」
かくん、と首を傾げたスサーナにフローリカはうーっと不満そうに唸る。
「だってだってパパもママもひっこしてきたら仕立てやさんの子となかよくしなさいって言うんだもん!わたしひっこすなんて言ってないから!あなたとなかよくなんかしないから!」
「ああ、ええーと。もしかしてフローリカちゃんは引っ越してくるのがイヤなんですね?」
「きまってるもん! なんであなたのためにおひっこししなきゃいけないの! あなたなんかねえ、あなたなんかねえ! えーっとえーっと、うーっ、カラスみたいなかみして!わるい子なんでしょ! きらいよ! きらい!」
言ってやった!という悲壮感に溢れた顔。スサーナがショックを受けて泣きじゃくるか、叩いたりしてくるだろう、というのに備えたように体の前に腕を構える。
「はあ。」
のほほんとした返事。スサーナが本当に6歳の情緒の子供ならば、理不尽に投げかけられる怒りとわるくちに混乱して泣くぐらいはしたろうか。しかし、中身はしっかり22まで育った精神である。むしろ
――かわいい……
ほのぼのとしてすらいた。
かわいい。ものすごくかわいい。決然とした表情も、それでいて悪口を言うつもりで喋りだしただろうに、当の悪口が全然出てこなかったりするところなんか、めちゃくちゃ可愛い。頬ずりしたら怒られるだろうか。駄目だな、絶対怒る。こういうのには真摯に向き合わなくてはいけないのだ。茶化したような態度だと火に油を注いでしまう。とてもよくない、残念。
フローリカは完全に予想を外された、という顔でふくれっ面になる。とても悪い言葉だと聞いた言葉を言ったのだ。言った瞬間にものすごい後悔と言うんじゃなかったという心が胸に生まれたけれど、相手がまったくショックを受けた様子がないのもなんだかそれはそれで微妙な気持ちであった。
「おこらないの? カラスだなんて言われたのに! カラスよ!」
「いえ、ええ。えーと、カラスってそんなに悪い意味ですか?」
「ママがぜったい言っちゃいけないって言ってたもの、きっとわるいんだわ」
「カラスってちょっとかっこいい鳥だと思うんですよね、頭がいいし。よく懐くんですよ」
「とりなの? あなたが黒いかみだから言ったらいけないってママが」
「あー、よくわからないですけどなんかそういう……」
「黒いかみのひとはわるいひとなのよ、わるくちなの。あなたはちがうってママが言ってたけど、だから……」
「ははあ。なーるほどー。」
得心したようにうなずくスサーナにフローリカはどうしていいのかなんだかわからなくなった。相手が怒るか泣くかして、その後それを耳にしてとても怒るだろう両親に対する開き直りの文句のことしか考えていなかったのだ。
「ううーっ……」
「あ、あ、ごめんなさい、泣かないで?ね?」
よくわからないもやもやが胸を突き上げてきて、勝手に目から涙がポロポロとこぼれる。
食いしばった歯の間から音を漏らすように泣き出しながら、慌てた仕立て屋の女の子が自分の背中を撫でるのを感じて、フローリカはこれじゃあ逆じゃないか、と思った。
わあわあがひっくひっくになり、ひっくひっくがスンスンになった頃。
フローリカは自分が仕立て屋の女の子の胸元に半ば抱きかかえられて、ぽん、ぽん、と背をゆるく打たれていることに気づいた。
なんだかとても落ち着くけれど、これはよくない。だってどう考えたって逆じゃないか。今頃自分はいじわるな顔をして泣いている仕立て屋の子を見ているはずなのだ。そういう覚悟をしていたはずなのだ。それになんといったって相手は自分よりほんのちょっと背だって小さい。きっと自分のほうがちょっとぐらいはお姉さんのはずなのに。
そんな思い半分、泣いているところを見られていた照れ半分でぐいっと胸を押しやる。
「あ、落ち着きましたか」
何か憎まれ口を叩こうとして、とりあえずやっぱりカラスしか思いつかずに口をモゴモゴさせたフローリカは
「はい」
口元に甘い香りのするものを差し出される。
「なに、これ」
「泣くと喉が渇きますもんね。のど痛くもなるし。飴ですよ」
たしかにそのとおりだと思ったフローリカは、差し出されたものを口に含む。
それは薬草の香りとベリーの香りが混ざった甘い塊だった。のどがジンジンしているのがふわっとすこし薄らぐ。
「……おいしい」
「よかった!わたしもよく泣くので、持たされてるんです」
にこにこ笑う相手と、自分の涙でぐちゃぐちゃになったよそ行きに見える相手の服をジト目で見ながら、口の中で甘い飴を転がす。
「……へんな子」
「そうなものはどうしようも無いですねー。」
アテが外れたうえに泣き疲れたフローリカは、とてもひどい悪口を言ったはずの相手に頭を撫でられるに至ってもうなんだか色々どうでもよくなってしまった。
初夏の光に満ちた中庭のベンチの上に丸まった女の子が二人。
6歳児が一人と、6歳児のボディの22歳が一人。
スサーナはひとしきり泣いて落ち着いたらしいフローリカに身の上話をされている。
「それでね、お店をするならおうちでお店をしたらいいのに、こっちにくるってパパが言うの。こっちに来たら仕立てやの子となかよくするんだぞーって。びょうきとかでおともだちがいないから、フローリカがなかよくしてあげないとだめだっていうの」
「うんうん、いや、仲良くしてもらったら確かに嬉しかったですけど、ええ。」
「だからなかよくするためにおひっこしするんだって……思って……おともだちもいるのに、中庭のさくらんぼの木におみずをあげてるのもわたしなのに、おじいちゃまのおじいちゃまのときからのおうちなのに、わたしのこともおうちのこともどうでもいいんだって思って……」
すん、と鼻を鳴らしたフローリカの頭をスサーナがよしよしと撫でる。
「そんな事ないですよ。フローリカちゃんはそのお話をちゃんとされました?」
「してないけど、わたしのことはわかるわ、パパとママだもの」
「フローリカちゃんのパパとママは、あっちの島にしかないものをこっちの島にもってきてくれるんだそうです。こっちの島のみんなが待ってるから頑張っちゃってるんですよ。フローリカちゃんもだれかに大事なお願いをされたら大事なお願いのことだけ考えちゃうことありませんか?」
「うぅぅ~~~~っ。ある……けど……」
育ちのいい子だなあ。スサーナはほのぼのする。
反発したいだろう都合の悪い他人の言葉を素直に受け取ってちゃんと考え込むのは稀有な資質だ。それがさっきまで敵意を燃やしていた相手だと言うならなおさらである。ちゃんと両親にたっぷり愛されて育ったに違いない。
「だったら、パパとママにちゃんといっぺん言ってみたらどうでしょう。」
「だって……」
「お引越しは決まったことでも、フローリカちゃんが思っていることをちゃんと言ったら、パパもママもフローリカちゃんが悲しくない方法を考えやすくなりますよ」
「ほんと?」
「事情によっては難しいかもしれませんけど、言わないより言ったほうがいいはずです」
フローリカのおうち、ブリダの従姉妹の実家は結構裕福で有力な商家であるというのは確かだ。特に商売に陰りが見える、とか、一族内での確執があるとか、そんな様子はないらしい。
つまり、若夫婦とその子供が本島にやって来るのは家屋敷を売り払った、とか、同じ家にいられない事情がある、とか、そういうことではない。元の屋敷には一族が残っており、通商規模の大きいブルーオーシャンに若社長が意気揚々と乗り込んできた、というようなことだろう。そういえばこの間聞きかじった話で、島同士の通商においてその島に住んでいる商人の通商税は無税という制度があるとも聞いた。
そして大切なことだが、コラッリアと本島は帆船ではなく艪を使う船で移動するものすら存在するらしい。つまり、大人の感覚ならばそう離れていないのだ。
大人にとっては些細なことでも、6歳児には一大事情だ。生まれてからずっと住んだ家から離れる、なんてことは特に。周辺事情や先を予想できない子供にはとても大きなショックだろう。そしてそのショックを大人はなかなか想像できない。22年生きて、数年以上しっかり大人の感性をやった後で、前提知識の圧倒的に足りない異世界で6歳児をやっているスサーナはしみじみと思う。
そして、子供にとってものすごく重大な問題であっても、大人ならひょいっと解決できることもあるのだ。たとえば、引っ越しはしてしまうけれど、週に数日、大人の感覚ならそう離れてはいない元の家に泊まりに戻れる、とか。
もしかしたら大人は最初からそのつもりかもしれないが、そんなことは経験の浅い子供にはわからない。そうやって軽く考えているうちに、こどもはこうして鬱屈して爆発するのだ。
親子でもほう・れん・そうは大事だよね。スサーナは思う。親子といえども以心伝心は出来ないのだから。伝えるべき相手がちゃんと存在するのだから、伝えられるうちに要求は正確に伝えるに越したことはない。
いや、もしかしたらそういう事ができる異世界がどこかにあるかもしれないけれど、ここはどうも違いそうだから。
「わたし、パパに言ってみる」
「そうそう、その意気です。どんな事が悲しいのかとか、どうしたいのかをちゃんとお話して、一緒に考えてもらえるようにお願いしたらいいですよ」
「それで、えっと、その、えっと……ごめんね」
「いいーええーー、いいんですよー。」
スサーナは満面の笑顔になる。一時はちょっとどうなることかとも思ったが、結果オーライというやつだ。
なんと言ったって、フローリカとは最初のお友達になるつもりなのだから。
そして、素敵なお洋服をいっぱい着てもらうのだ。
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