第380話 スサーナ、プランB′に悩む。

 ――間に合って!

 絹を裂くような少女の悲鳴が響くのを聞きながら、スサーナは割り込んだ先に落ちてきた六角形のなにかが振り下ろす前肢に、肩に掛けていたタオルを叩きつけ、前足を絡めた。


「スっ――……!」


 喉を限りに叫ぶ娘の悲鳴に、すぐ後ろから聞き慣れた声がなにか叫びかけて押し殺したような音が混ざる。


 その瞬時、握った指のほんの少し先。布地とかぶるように、電弧放電じみた、と言うべきか、線香花火のような、と言うべきか。夜闇にうっすらと薄青の光が浮かび、スサーナは思惑が通ったことにホッとする。

 ほんの少し、魔術師が手掛けたと思われる施設の道具からの攻撃には護符が働かないのではないか、と懸念していたのだ。


 護符で生まれる障壁に掛かる重量は、スサーナには掛からない。

 経験則だが、たとえ相手が全体重やら、すごい運動エネルギーやらを障壁に掛けたとしても、スサーナに重圧がかかったり、吹き飛ばされたり、ということはないと思われる。

 とはいえ前に魔獣に飲み込まれたときには飲まれた形で移動したので、魔術の塩梅でなんだか色々変わりそうな気はするが、とりあえず、今は障壁の一点に力がかかっているのが重要だ。

 飛び込んだ勢いのまま、しっかりと絡み、爪の切っ先が貫通したタオルを力のかぎり引いて、前足のベクトルをずらす。

 ずるり、と重たいものが滑る感覚の後、勢いのままに重みが消える。

 ――うまく、いった!

 六角形は大型の亀程度の大きさで、重量は多分そこまででもない。あってせいぜい成人男性1人分から2人分というところだろう。だから、スサーナの体重と膂力でも、一点に――そして多分滑る一点にだ――体重が掛かった今なら、強く引いてひっくりこかすことは不可能ではない。

 カリカ先生に教わった、スカートや領巾などを利用した戦闘方法のひとつの応用だ。

 正面切って戦うよりずっと時間稼ぎにはなりそうだし、障壁がある程度タオルでごまかされ、更に戦闘技能として地味なので、素人の愚かな咄嗟の動きが稀な幸運を招いた、という見え方をするかもしれないのもいい手段だと、そっと自分の判断にスサーナは自画自賛する。


 結果、最前の六角形は見事にひっくり返り、機械脚の基部を晒してがしゃがしゃと足を鳴らし、即座に跳ね起きる手段はどうも無いように見えた。

 ――はとこよ、スネアを制するものが世界を制するのだ、と言う格言もありますしね……っ!


 移動してきたのは三体。転んだ娘とレオくんが避け得られなさそうな射程の一体は余裕を作った。

 残りの二体は障壁でなんとかしつつ下がってもらうとして、と一呼吸の隙に考える間に、残りの二体が戸惑ったように、もしくは目標を見失ったかのように前足を上げ下げしだしたのに、スサーナは一瞬首を傾げる。

 ――おや……?

 その刹那。黒い泥めいたものが横手から奔流をなしてひっくり返った一体を飲み込み、残りの二体に触手じみた泥を絡めていく。


「っ……」


 めきめきと硬質の何かが歪んで砕ける音。その軌道を追うようにして、片腕の老爺が術式付与具の剣を手に駆け寄り、新たに近づいた一体の六角形を薙ぎ斬りにした。


 ――さて、プランB′。

 全く何の展望もないのに飛び出したのは本当にどうしようもない。

 魔獣か悪霊か、ともかく尋常ではない二体の何かと、謀反人たち。

 護符が効くのか効かないのか。効くにせよ、他に襲ってくる総数不明な六角形が存在する時点で、両方に対応しつつレオくんを筆頭とした捕虜を庇いながら逃げ切るのはちょっと荷が重い。

 とはいえ、あの一体を看過していたら、串刺しになっていたのはレオくんか、あの乙女であったはずだ。間に合ったろうと思うにはあの泥は少し遅かったし、老爺だってそう。少なくとも無傷だったと言い切れるタイミングではない。そのまま潜んでいるわけにはどうしてもいかなかった。

 ――この場で取れる手段を全部底を叩いても取る、という手もありますけど……

 スサーナはこちらに駆け寄る老人のぎらぎらした目を認め、ごくりと息を呑んだ。


 ――何処まで行き当たりばったりが通用するんでしょうね! したらいいな!!


 老爺は、器用に剣を掴んだままで、ふらふらと立ち上がってスサーナとの間に割って入ろうとしたレオくんの腕を取った。


「戻り、走られよ。ここで我らに刃向かったとて、後ろから食いちぎられて終わることはおわかりでしょう」


 レオくんは一瞬逡巡したものの、ぱっと彼から腕を離した老爺が近づいてきた六角形に剣を振るい跳ね飛ばしたのを見て、その言葉が真であると受け取ったようだった。

 やや後ろでは滑るように移動する女の影がきちきちと寄り集まる六角形に集られながらもその進行を遅らせている。


「早く。……そちらの者もだ。逆らっても得はないぞ」

「っ……仕方ない。s……、こちらに」


 レオくんが差し伸ばしてきた手を見て、スサーナは一旦心を決める。

 ここは一旦どさくさに紛れて同行し、隙を見てレオくんを連れて脱出するタイミングを探ることにしよう。

 少なくとも、この前門の虎後門の狼状態は脱してからのほうが良さそうだ。

 正直、相手がこちらを認識し切る前にヒットアンドアウェイ式に離脱して隙を狙う、というのも少し考えたけれど、あの六角形が自分に対してどう動くかわからないという問題はあったし、何処かで追えなくなっては意味がない。


 ――猫ちゃんは……

 スサーナは猫を連れて行ってくれと主張すべきか悩み、猫をリリースした物陰に目をやったが、そこに猫がいる様子はなく、六角形達もこちら以外のなにかに反応しているという気配はないため、普通の挙動の猫ならまだしも、明らかな意志のもとにあの謎空間からここに移動できる超自然と思われる猫なら大丈夫だろうか、と一旦判断することにする。

 ――この判断が正しいのか、すごく怖いですけど……、でも、挙動を思うと、多分、少なくとも、謀反人の人たちとは相容れない何かである可能性も高いし……ここで探してくれと頼むとか、そういうことはやぶ蛇になる可能性がある……


 泥がまた数体の六角形を食い散らす短い間。スサーナはレオくんに駆け寄り、彼が座り込んだ少女を助けて立たせ、元の一群に戻るのに従った。



「殿下……心配いたしておりました」


 色々と可能性を鑑みて、レオくんの横を走りながらそう声を掛ける。側にはまだ老爺がおり、十分聞こえる距離だ。

 どちらも湯上がりじみた格好で、全く関係ない人間としてしらばっくれるのは無理そうだったが、どういう立場の者と理解されるかは幅があるかもしれなかったし、レオくんが名を呼ぶのを堪えたようなので、どこの誰かバレないように振る舞ったほうがいい――レオくんから見ても身分その他がバレない可能性がある――のかもしれない、とスサーナは思う。

 ――単純に私の顔だけを見てミランド公の娘と判断は出来ない……可能性はまず高いんですよね。

 謀反人達の中に普段から側近く顔を合わせていた相手は流石にいなかったし――ビセンタ婦人が居ないのはその点スサーナに分がある――、こんな時に鳥の民の権能というやつは便利だ。スサーナ自身がそう望むか、相手が意識してこちらの容貌を覚えようとしていたのでない限り……、もしかしたらそうしていてすらもいくらかは、普段からの身なりや振る舞い、分かり易い特徴を抜きとれば、パッと顔かたちだけを見てどこの誰と見分ける難易度は普通の貴族の娘よりずっと高い、らしいのだから。


 癪だが、ギリギリお付きの小姓の少年ぐらいまでいける可能性はある。

 その小細工はどうやらレオくんにも通じたらしい。


「ええ……っ。そちらも、大事ありませんでしたか」


 いくらか息を切らすその合間に、ほんのすこし他人行儀な、王子様らしい返答が戻ってくる。


「はい……。一体どうして、このようなことに……」

「……彼らは父への謀反を望む者たちです。まさかあんなものが現れるとは……そちらまで巻き込んでしまっていたなんて」


 謀反人達がこちらの会話に強権を振るう余裕のなさそうな現状に乗じて行った何もわからない小姓の演技プラススサーナの心の底からの疑問には、女の影じみたものへの視線とともに、悔しげな一言があったため、それに関係した何かがあったのだろうと判断がついた。

 黙って走れと横手から掛かった声と苛立ち紛れに向けられた――とはいえ、それを向けてきた下級貴族の一人は老爺ほどの技量を感じはしなかったし、そこそこ離れているのでそこまで恐ろしくはない――剣先に口をつぐみ、スサーナは今レオくんが視線を向けた達に意識を向ける。

 最後方に戻ったそれらは、六角形の攻勢で欠けたり削れたりしながら、少しずつ一同から六角形達を後方に引き離す助けになっている。

 最初に見た瞬間よりもだいぶそれらがもろけているように見えるのに、超自然のものも目に見えて損傷がわかるものかとすこし場違いな感想を抱きながらもスサーナは、このまま削りきられてしまえば良い、とそっと念じる。

 じわりじわりと距離が離れていく六角形たちと丁度相打ちになってくれるととてもありがたい。


 それから、いくらか。

 スサーナの感覚では一キロを少し超える程度走り、六角形たちを一旦は引き離しきって、石垣と木立に挟まれた一角で一同は喘ぎながら足を緩める。


「ふっ、は、アレはもう追ってこないな……!?」

「ええい忌々しい、コルネリオ卿、あのようなものが居るとは仰っておられなかったではありませんか」

「皆の者、落ち着かれよ。父の時とは状況が違う、そうだろうコルネリオ。魔術師共が碌に役立たなかったのは予定外だったが、却って面倒の種が減った、そうは思わないか。 あの化け物たちも振り切れた。残りの行程は僅かに過ぎぬのだぞ!」

「殿下の仰るとおり。悲願を果たすのはもうすぐのことでございます」


 がやがやと喋りだす謀反人達に、脱力して座り込む娘たち。

 スサーナがさっと目をやった泥じみた魔獣と女の影は、素人目からしてもだいぶ減衰していると思えるような状態で、謀反人達の中にはだいぶ息が上がっている者もおり、傷の手当をしている者も居た。暴れるなら今のタイミングか、と言う気はする。


 ――とはいえ……

 娘たちも十分以上に疲弊しきっているし、レオくんの息も乱れている。それに、だ。


「捕虜たちを纏まらせよ、早くせんか!」


 ある程度軍務にあった事がある、と思われる下級貴族らしい一人がせっついたのは立場としては乙女の一人であったはずの娘だ。彼女の息もだいぶ上がっていたが、他の娘たちと一線を画しているのはその立ち位置と、手に持った剣である。

――ううん、なんとなくそういう立ち位置かな、と察しては居ましたけど……。


「……ごめんなさい、レオカディオ殿下、どうぞおかしなお考えは起こさずいてくださいませ」


 よろよろと娘たちの前に立ちふさがったレオくんに向かい合い、悲しげに眉を下げながらも剣の先を向けたサラに、レオくんがぐいっと遮った影から目を向け、スサーナは眉を寄せる。

 ――ううむ……これは、どう判断すれば……?


 プランBは行き当たりばったりの別名で、しかもダッシュともなると心底の行き当たりばったりということであり、こういう時にどうすればいいのか、という判断基準などそうそうありはしない。途中から突入した身である以上、状況は曖昧模糊としており、もしかしたらもう少し様子を見て、現状を把握したほうが良いのだろうか。

 ――多分これは明らかに脅されているとかなんですけど……

 スサーナは、どうして超自然というのは現状をスムーズに把握させてくれないのかとそっと無い物ねだりをしながら、ぐぬぬと呻くのだった。

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