第48話 小手毬館のお茶会 2

 そして数日後、八弦琴の試験だのダンスの補講だのの積みタスクを消化しきったスサーナは、無事アンジェと一緒に貴族の別邸にお招きされることとあいなった。


 貴族貴族とはいうが、スサーナは実は母国の貴族制度にはそんなに詳しくはない。

 とはいえ、島の人間は皆スサーナと似たようなものだ。これまで島には税収を集める代官所が置かれていたぐらいで、貴族たちはやって来はするものの定住はしていなかった。領主の別邸も基本的には訪れはなく、なんというかたまに来るお客様という感じであったのだ。


 だから、官位を持つ島の外の商人や、本土と取引のある貿易商人たちでもなければ貴族の地位などには特に縁がなく、とりあえず貴族は貴族で偉い人達として認識してさえいればよかったため、そのあたりに詳しい人も、子どもたちに教えてくれる人もこれまではろくにいやしなかった。


「ええっと、建国王と仲がいいご先祖の大封土の人が公で、普通に領地をもらった人が候、で、その下で分割統治をする人が大体伯……? 更にこれに例外が……?」


 前日の夜、スサーナは教養の教師に貰ったメモを見ながらぶつぶつと付け焼き刃の復習をしていた。

 貴族と会うにあたって、よくわからなくて失礼をしてはいけない。

 調べた感じ、くらいで挨拶が違うみたいなことはなさそうだが、声を掛ける順番は高位の順とか、座る席順とか、こまごました決まり……――とスサーナは感じるが、きっと間違えるとシャレにならない決まり――が、いろいろあるようだ。

 お茶会は非公式の催しだし、席順は招待状に書いてあるのでそんなに気にしなくてもいいのよ、とアンジェが言っていたし、相手が貴族ではなくて貴族のお家の女の子、であるのだけれど。それであっても出来るだけ失礼がないようにしよう、とスサーナは無駄なあがきを行っていた。

 スサーナは貴族というだけでちょっと警戒する癖が二年経っても取り切れていない。


 それから、貴族にほとんど触れたことのない島の人達とは違って、前世で培ったヨーロッパ貴族のイメージが何となく残留しているのもあった。

 なんだかよくわからないけど、貴族の女性もお茶会で陰謀をしたり社会戦をしたりして、家格とか人脈とかで密かに火花を飛ばしたり、スパイ顔負けの情報収集をしたりしており、礼を失すると社交界から追い出されてしまったりするのだ。



「えーっとお茶の道具には基本は触っちゃいけなくて……従僕が全部してくれるけど、うちうちの集まりとか下位貴族のお家だといないこともあって……? そういう時は注ぎ合う……そ、注ぎあうぅ!? えっ、どう判断するんですかこれ……絶対これも上位下位とか関係してくるやつですよね……? まだ各自注ぐのほうが心安らかなのになんなんですか注ぎ合うって……これってホストに注いでもらうってことを指してたりするんですか? それとも招待客同士で注ぐ? その際は席順? それとも建前上は自由とか? ああっ指示語が分かりづらい……っ!」


 頭を抱えたスサーナは、メモをした紙をクシャクシャに丸めながらきいっと叫んだ。

 教養の教師は長いこと本土の貴族のおうちにいただけあって、そういう貴族間の慣習みたいなものをわかっているものとしてちょくちょく説明を抜かすことがあるのだ。

 貴族の位についてもあやふやだ、などということは何回も問いただした挙げ句にようやく理解してもらったぐらい、何もかもが「前提」「自明の理」として省かれるのだから困ってしまう。


 ところで、この世界の、と言うよりこの国の貴族制度は、やっぱりなんのことであってもそうだったけれど、調べた感じではヨーロッパ貴族と似ている面と全然似ていない面があってスサーナには少しややこしい。


 教養の教師に聞いたことで初めて知って驚いたことには、貴族の身分を保証するのが神殿だということだ。王家が定めたのを神殿が承認しなければ貴族ではないという。それなのにあんなに神殿の人に偉そうに振る舞っていたのか、とスサーナは驚いたけれど、本土では神殿の権威がずいぶんと形骸化しているらしいと知り、とりあえず納得した。


 この話がこの件にどう関わるのかと言うと、つまり、現世ラインと神殿ラインの2つの評価軸が出来てきてしまうので、礼儀とかがよけいにややこしくなる、ということなのだ。

 商業に手を出していて、その利益でとても潤っているけれど貴族としての格が低いお家、というのが存在してしまうらしい。いわゆる実業貴族というやつだ。

 格として貴族位なりに扱わないと国家と神殿に対して失礼だけれど、権力はあるので機嫌を損ねてもいけない、みたいなエクストリーム礼儀が求められるのがこのあたりだという。

 なんてめんどくさい。ぜったいそういうお家は島にはこないで欲しい。スサーナは心から願った。


 しかし、本当に神様がいるらしい世界だけあって神殿が偉いし、それなのに権威が形骸化するし、わからないことばかりだ。大人に聞いてみもしたけれど、なんだか曖昧にふんわりされてしまったので大人もよく理解っていないのかも知れなかった。


 スサーナが招かれる貴族はいわゆる下級貴族、――というか、島にいるのはほとんどがそのはずだ――で、村2つぶんを統治する、えー、名目上はセルカ伯と呼ばれるはずの家柄の貴族である。前世でいうなら男爵とか子爵相当の地位なのだろうか。ちなみにセルカとは本土の地名で、そちらも村2つばかりを含む領地らしく、じゃあ島の中の支配地は飛び地あつかいなのか、とか、どうも当主が来ているっぽいんだけど転封というやつなのそれとも本土には代行とか居るの、とか、いろいろとややこしくスサーナにはなんだかよくわからない。これが社会のテストなら0点を取る自信がある。


 ともあれ、どっちにせよ平民から見ればすごく偉い人達、という点では前世の貴族と同じだ。

 とりあえず同年代の女子ということで、鉛を入れた杖なんかは持っていないと思うけれど、機嫌はできるだけ損ねないようにしたい。スサーナはそう思った。

 もっと陰湿な目に合うかも知れないし。例えばトゥシューズに画鋲を入れるとか。

 ……なんだかちょっとそれは違うような気もしたが、まあうむ、西洋貴族の女子と言われるとだいたいそういうイメージなのだ。



 ため息をついて、さっきクシャクシャに丸めた紙を丁寧に広げて、もう一度、一通り貴族についての知識とか、お茶会の時の礼儀について暗唱した後に、明日必要なものを確かめる。


 着ていく服は一通りおばあちゃんが用意してくれた。たった一週間程度で服が揃えられるものか心底不安だったが、正式なお招きではないということで、既存の服に手を加えて格好をつけたらしい。


 お貴族様の面目を潰さないように縁刺繍だけで、形はスタンダード、色はワンシーズン前の流行。

 スサーナにはどうするのが正解なのかもよくわからなかったが、まあおばあちゃんの見立てだし悪いことにはならなかろう。何より、貴族から衣装の注文を受けているのはとうのおばあちゃんたちなのだし、程よいところの判断が一番可能な人だろう、と思って、心配はしていない。


 お茶会なのだし御水屋見舞がいるのか、と気をもみもしたが、どうやら格下の招待客がなにか持っていくのは失礼に当たる様子で、終わったあとにお礼状とちょっとした付け届けをするとか。うん、異文化だ、と聞いた時スサーナは感心した。


「えーと、服……持っていくもの……えーとハンカチ……ブローチと髪飾り……えーとえーと、うう、これでいいんでしょうか……」


 三度も四度も確認したが、やっぱりそれでも何か抜けがある気がして落ち着かない。

 こんな気ばかり揉むもの、何が楽しいっていうんだろう! スサーナは嘆息して、あまりそればかりでは明日寝不足になる、と、とっぷり夜も更けてからようよう眠ることにした。


「うう、神様、えーと、運命を司るヤァタ・キシュ様、どうか是非に是非に何事も起こりませんように!」


 例えば、なにか失礼をして招待主をとても怒らせてしまう、というようなこととか。


 せめてもの気持ちでスサーナは眠る前に切々と祈った。

 かつて先祖が殺したらしいという神様に祈っても、特に加護はもらえない気はしたのだけれど、万が一ちょっとぐらい同情してもらえるかもしれないではないか。


 ところで、糸織の神のヤアタ・キシュは、鳥の神であり、ことのほかきらきらしい物に目がなかった、と言う。織る布も、めくるめく変化に富む大模様の織物を好んだそうだ。つまり、華やかで波乱万丈な運命を。


 お祈りの途中でそれを思い出したスサーナは、やっぱり思い直して、平穏を司るレマネーにも追加でたっぷりお祈りを捧げることにした。

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