第49話 小手毬館のお茶会 3
春と夏の合間、一番気候のいい時期のよく晴れた昼、戸外のあずまや。
梁に絡むオールドローズは今や満開に花を咲かせ、まるで甘い香りの飛沫を立てる白い清楚な花の滝のようだった。
木製のベンチに厚くクッションと絨毯を敷いて、白い石の丸テーブルを囲んで上品に座った少女たちが五人。
彼女らの前にはそれぞれ茶がサーブされ、繊細な白い皿の上にはそれぞれ薄く上品な形にこしらえた、生ハムと塩気のある硬いクリームを挟んだ薄切りの発酵パン。
彼女らの後ろに控えた木の角テーブルには、干し果物を混ぜて焼いた一口サイズの焼き菓子やら、小さなボール状にかたくまとめたバターミルクに浸したケーキやら、触れるだけでほろほろ崩れそうなナッツたっぷりの蜜飴やら、よく煮たりんごを冷やし固めてプルプルのゼリーにしたものやらが順番を待っていて、もちろんそれらを美味しくいただくためのお茶のおかわりのための湯沸かしもあり、なかなかに豪勢な準備があとに続けと整っている。
最高のロケーションのはずなのに、スサーナは胃袋が重くてたまらなかった。
席順ごとに呼び上げられ、とりあえずはその場にいるのが招待主の貴族の少女と、別の家の貴族の少女が一人、面識のない商人のうちの子が一人、アンジェと自分だ、と把握して、なるべく優雅に見えるようにお招きのお礼を言って、挨拶して、席について。
気づかないほうが幸せだったなー、と思うことに気づいてしまったのだ。
元々知り合いらしい貴族の少女たちは上座、今日はじめて呼ばれたと思われる、商家の少女たちは下座――いや、円卓であり、上座も下座もないと言えばそうであるし、あずまやの入り口に対面だから、とか、入口側だから、ということで上座下座を決める文化でもないのだが――というところからふと、スサーナは連想してしまったのだ。
あれ、これ、なんだか、面接みたい。 と。
そう思ってみれば、貴族の少女たちの目は完全に観察するものであるし、その上で、庶民に対してのあら捜しをしようとしているというものではない、本当に試験官めいた目であるように思えるのだ。
――これ、なんのブラインドテストだっていうんでしょう。
よくわからないけどできるだけ不合格になっておきたい。不合格でありつつ、機嫌を損ねたりしない程度でお家に帰りたい。スサーナはそう念じながら、ホストの少女たちのすすめに従ってお茶のカップを持ち上げた。
「楽にしてね、わたくし、島のみんなと仲良くしたいと思っていますの。」
招待主の、レティシアという名の貴族の少女からおっとりとかかった声にほんとかなあ!と内心そっとツッコミを入れる。
お茶を一口頂いて、それからホストのあとに続いてサンドイッチを一口。
「うわあ、おいしい!」
面識のない商家の子、たしかカリナという名前だとさっき聞いた娘が無邪気に声を上げる。
――ぜんっぜん細かい味がわかりません!
むしゃむしゃと美味しそうにサンドイッチを頬張るカリナをなんだか羨ましく感じながら、スサーナは指先三本でつまみ上げたサンドイッチの小さな切れを口に滑り込ませる。
神殿で焼くふかふかの酵母入のパンなので、普通のときに口にするなら自分だってとても美味しく食べたろうに。そう思いながら幾度か噛んで、音がしないように上品に飲み込む。緊張で唾液が出ない。口の中を綺麗にしてからお茶を一口。
「どう、お口にあって?」
マリアネラという名前のもうひとりの少女が優雅に言う。
うん、この子やっぱりホスト側なんだ。とスサーナは認識を確定させ、それから、このタイミングでそれに返事ができそうな、口に物が入っていないのが自分だけということに気づき、誰にもわからないようにぴいっと身をすくめた。
「はい、とっても美味しいです。すごく味の深いハムですね。これはオルモ村のハムですか?」
「あら、ご存知だったかしら。」
「はい、オルモは素晴らしいハムを作るので有名ですから」
マリアネラの笑顔がにっこりと深くなる。
せ、正解!!! スサーナは内心の冷や汗を拭った。
マリアネラという少女の姓はアレナス。招待主と同格の貴族なのは確かで、後はこの穴開き問題的に領地がどこか、ということをスサーナは頑張って昨夜の一夜漬けから引っ張り出していた。
こちらも確か村が2つぐらい、どっちも農村なのでハムは作っているが、とくに交易品としてハムを作っているのはオルモ村のほうのはず、という判断は正解だった。
――こわい、こわいよ!
間違えた途端にドボンと椅子が下に落ちるのではないか、と言う錯覚にすら駆られるスサーナである。
「オルモのハムって確か燻製とハーブの効いたのが特産だったかしら。確かにすうっとした風味があって美味しいわ」
口の中のサンドイッチを飲み込んで物珍しげに言うアンジェにマリアネラが頷いてみせる。
「本土でも珍しい製法ですの。島でも素晴らしいものを作っていること。」
「美味しいわけね!ねぇスサーナさんまだお皿に残ってるの貰うね」
一切れだけ食べたスサーナの皿の残りをひょいとカリナがさらっていく。
――ちょっとーー!!
スサーナは反射的に上がりかけた悲鳴をなんとか飲み込んだ。
これが試験に見えているのはスサーナだけなのだからこれはまあ仕方がない。
――すごく美味しそうで心の底から羨ましいですよ!!
満面の笑顔でスサーナのサンドイッチをぱくつくカリナをこわばった笑顔をできるだけ自然にして眺めながら、スサーナは真面目に羨ましかった。
ご飯はいつだって美味しく味わえたほうがいいに決まっているのだ。
「あら、マリばかり褒められて羨ましいわ。お茶もどうぞもっと飲んでね。これはベニト村の木なの」
すっとやって来た侍従が硝子の厚手のカップに薄緑のお茶を注いで、新しく渡してくれた。
――うっ、結構なお手前でって言うわけにもいきませんし、お茶褒めの定型文って聞いてない!
今度はカリナかアンジェがなにか言ってくれないかなと期待するスサーナだったが、特に二人からのリアクションはなさそうだった。
返す返すもこれが試験に見えているのはスサーナだけなので、なにか答えなければと頭を空回りさせるのは気の回し過ぎである可能性もあるのはスサーナ自身わかっている。
しかし流れた沈黙の感じは返答を伺われている気配がして、やっぱり何か言わなければならない、と判断した。
「ベニトのお茶の木ですか」
お茶を口に運びながらからからと頭を働かせる。
――えーと、紅茶じゃない。どっちかと言うと緑茶みたいな感じ。毛茸がスーッと出てて、若い葉の良いお茶なのはわかるけど毛茸の概念がここにあるのかわからない!
すうっとお茶を飲み込んで、ほうっと息を吐く。
良いお茶だった。緑茶として美味しい。それだけに褒めに悩む。日本人語彙で褒めて通じるものなんだろうか、とスサーナは戸惑った。
――甘くておいしい。飲み込んだ後にマスカットみたいな後味がして、すうっと消える感じだし、こっくり旨味もあるし。良いお茶だなあ。日本でだってお客様に出せるやつだ。正式な煎茶席で出てくるのにも劣らないかも知れない。
はーっと一瞬とろけたスサーナを面白そうにレティシアが眺める。
「すみません、あんまり美味しくて、つい。 口が爽やかになるお茶ですね。甘みも香りもしっかりして……青葡萄か何か入っているのかと思ったぐらいです。すごく手をかけた茶葉を使っておられるんでしょうね」
一瞬日本人の和み本能に負けかけたスサーナだったが、頑張って緊張感を立て直して感想を言った。内心、帰ったらベニトのお茶を買ってもらおう、と極太マジックで心のメモにしっかり書き込んでおく。
スサーナが褒めたのを見たアンジェたちも興味を持った様子でお茶を口に運ぶ。
「甘い…?」
苦いけど、と呟くカリナに少し悪い気がするスサーナである。煎茶は基本苦味渋みがあるものなので、そのあたりの形容はすっかり頭から抜けていた。
「あ、でもハーブティみたい。スッキリする。でもお茶なのね。私、こんなお茶を見たの初めてだわ、なんて不思議」
そうでしょう、と、自慢げにレティシアが言う。
「うふふ、珍しいでしょう?これはネーゲ様式でしてよ。」
あっ珍しいものなんだ! と、明らかな失点を感じ取るスサーナである。珍しいものならそれをいちばんに褒めるべきだったのだ。
「ネーゲの!」
「母の実家が亡命してきたネーゲの茶商の支援をしていたの。こちらでよいお茶の木を見つけたから試させたのですわ。うまくしたら特産に出来るってお母様が言っておられましたの」
カリナがへえっと実に感心したような声を上げたので、スサーナもまあ、というような顔を合わせてしておいた。周辺国史はとおりいっぺんやったので、一応、自分たちが生まれる前に滅んだという大国のことだということはわかった。
ネーゲで秘せられた素晴らしい技術の再現を茶商が行った、とやらの話にしばしうなずく。
頷きつつもスサーナは
――とはいえ、このへんで
と、要らないツッコミをそおっと内心入れるのだった。
つまり、すごいのはベニトの土壌と気候に合わせて品質改良したお茶を大量に植樹した、たぶん昔の物好きな魔術師の誰かと、手をかけた農家の皆さんなのである。
ともあれこの場の対応としては一通り正解だったらしい。なんとなく軟化した雰囲気で、次のお菓子がサーブされ、貴族の少女たちの話題は相槌以上のものを求めていないと思われる気軽なものにとりあえず変わる。
――あー、これ、もしかしたら、重んじるか?的なこと? を見てたんですかね。
貴族社会では相手の身分や支配地を把握するのが社交にとって大切なことなのだという。
島でその慣習を大事にされても多分食い違いが出ることが多いと思うのだが、これが貴族の社交のやり方という認識でよさそうだ。
――12前後の子供と、村2つでこれだもん、めんどくさいなあ、貴族って。
これが大封土をもつなんとか公なんていう人達になってしまったら、どれほどややこしい問答があることか。
スサーナは想像しただけでげっそりした。
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