12歳からの「厄介事」入門
貴族と侍従と恋物語
第47話 小手毬館のお茶会 1
「ねえ、スイ」
講の帰り支度をしていたスサーナは、ぱたぱたとやって来たアンジェを見て手を振った。
「アンジェ。どうしたんですか」
「ダンスの補講は終わった?」
「ゔっ、な、なぜそれを……」
「まだみたいね」
アンジェはついっと肩をそびやかせた。
12歳になってから、男の子たちとは受ける授業がだいぶ変わったアンジェは前よりもスサーナと過ごすようになった。
10歳から始まった初等講は、12歳のこの一年で一段落する。
慣行的教育機関である講で、働くために必要な礼儀作法だとか知識だとかを一通り学んで、あとは勤め先でそれぞれ特化した知識を学びながら働いていくもの、もっと学問よりの知識を学ぶために公教育である本土の「学院」に進むものなどの進路があり、ここまでで授業が終了する者も多い初等講の最後の一年は女子と男子で別の授業が多い。
女子にはいわゆる礼儀作法、ダンスなんかの婦人教育が増えたし、男子はその時間に体育教育だの狩猟だのの教養の授業がある。
ちなみに、去年の終わりから教養の教師として雇われた、本土の貴族に着いてきた女性の口癖は「あなた達は下級貴族よりいい教育を受けている」である。
彼女のお説教のおかげで、この講制度は島特有のものであり、本土ではここまで体系化されておらず小規模の私塾状態、さらに言えば他国には庶民に対する教育制度がないために島出身のこどもは重宝される……などの事情を知り、スサーナはこの制度を作ったかつての大商人とやらの先見の明に感動した。
この制度がなければ、そこそこの中産階層ではあると思われる家出身のスサーナであってももっと基礎教育がボロボロだったのではなかろうか。
いくらおばあちゃんが意識が高くても、島自体の教育制度への意識が低ければ思いつけないことも多かろうし、島自体に書物を始めとする教養道具がこれほど豊富ということもなかっただろう。
一度高等教育を受けた記憶のある身からしてみれば、自分の名前の読み書きもおぼつかないような状態はあまり想像したくなかった。
まあ、だからといって、女子クラスで覚えさせられる八弦琴やダンス、ついでに言えばうるさがたの教養の教師も、スサーナにとってはあまりありがたくはなかったのだが。
「お針子になるんですから踊る機会なんか絶対ないからいいんです……筋肉痛で死んじゃう」
「あら、そんなことないわよ。島にもお貴族様も増えたし。」
講で「婦人の嗜み」として教えられるダンスや礼儀作法は、いわゆる商家の奥様になるか、上流階級に仕えたりする際に必要になるたぐいのもので、「叔父さんとブリダに結婚してもらって家を継いでもらい、そこで雇ってもらってなんとか一生安楽に」という人生計画を建てているスサーナとしては必要を感じない。
その意識のせいか、元来の体力不足のせいか、スサーナはひたすらこのダンスというものが苦手だった。
パヴァーヌとガイヤルドを合わせたような一連のダンスは動きが遅い部分はやたらと体幹を使うし、早い部分は滅茶苦茶太ももと膝を上げるし、優雅にスカートを閃かせたければ実は腰がジョイントボールになったように腰を回す必要がある。完全に全身運動だ。
さらに言えば、ダンスはペアで踊るもの、というのがさらに良くない。前世でも習い事として花柳流を多少たしなまされてはいたものの、それよりもペア相手にダンスを合わせなくてはならない今生のダンスのほうがずっと面倒くさかった。
というわけで、ダンスの授業があるたびにスサーナは毎回補講を申し付けられている。
授業が終わった後のサンルームで、音楽もなしで教師とひたすらくるくるくるくるくるくるくるくる、スサーナはほとほと嫌になっていた。
「あきらめて補講受けてきなさいな。聞いたわよ、補講ならお店に入るのが遅くてもいいのでしょ」
「ううーっ、いや、でも、講だってお仕事優先でもいいわけですし……」
スサーナは今日はお店に詰める日だからと、補講をナシにしてさっさと帰ろうともくろんでいた。慣行的教育であるところの講は、徒弟として仕事をする日は仕事を優先していいことになっている。
ただ、店主がおばあちゃんであるところのスサーナは、そこらへんが柔軟に運用されてしまうのが非常に問題である。
「諦めてちょうだい。今月のあなたには綺麗な経歴で居てもらわなくちゃ困るの。」
「ええーっ、なんでですか!」
「それはね」
アンジェはぐいっとスサーナに顔を近づけてくる。
微妙にたじろいて下がったスサーナの袖を捕まえて、重々しく言った。
「今月の10日にパーティーがあるからよ!」
二年前から島に住みだした貴族たちは、それなりに島に馴染み始めていた。
とはいうものの、リューの実家やスサーナの家人などを軽く過労死させかけた別邸の建築やドレスやお仕着せなどの注文が一段落ついた、というような意味ではあるが。
名代についてやって来た10家族ほどの中下位貴族たちは島民に面倒臭がられながらも、島の人間との間にちょっとした軋轢を起こしたり起こさなかったりしつつ代官として村々の統治を行いはじめていた。
同時に彼らは本土の文化を維持することに拘り、島に貴族文化を持ち込んだ。
その一つが定期的に開催される舞踏会などのパーティーだ。
どうやらデビュタントの概念はあるらしく、正式な舞踏会に出席できるのは結婚年齢を超えてからだったが、それまでの少女たちもままごとのような茶会を催し、街に住む有力商人の娘たちを積極的に招待していた。
「行きませんよ!」
スサーナは悲鳴を上げた。
「スイ、あなたに是非来てもらわなきゃ困るの!」
「なんでですかー!?」
「だってお母様が、スイと一緒ならパーティーに行ってもいいよって言うんですもの!」
「あ、ああー。……ドンくんとリューくんだけじゃ駄目なんですか?」
「もう! スイは本当に疎いんだから。14まではパーティーで男の子とは同席できないもの。スイも行くのよ!」
ぐっとアンジェに強い目で腕を取られる。なぜだか、スサーナは講で一緒の三人の親御さんの覚えがめでたい。
座学の成績がいつも一番なせいか、それとも一応の抑止が入るようになってからすこしだけドンとリューが大人しくなったせいなのか。
「さあ、わかったらさっさと補講を終わらせてどこからも文句のでない身分になって頂戴。お宅のおばあちゃまに止められたら予定が丸つぶれだわ」
「そ、そんなあー。パーティーって言ってもティーパーティーでしょう……そこまでして行きたがるものでもないのでは……」
貴族が伴ってきたティーパーティーの様式は、聞く限り島のものとそう大差がない。女主人に招かれて近況やら噂話を話したり、最近の流行りの話をしたりしつつ、甘いお菓子を摘んでお茶を飲むというやつだ。
身内で行うならともあれ、招かれて行くその手の行事はスサーナにとってはいかにも面倒そう、と言う印象を抱くもので、あまり楽しそうに思ったことはない。
訪問着で、喋った人に合わせて適宜適切な相槌を打ち、にこやかに笑い続けなくてはいけない、なんてのは思考にのぼらせるだけでげっそりする。
スサーナが外に出て目立つことに対してあんまり大きく歓迎はしない、という家族たちをいいことに、スサーナは一生そういうものと関わらずに生きていけたらいいなあと思っているのだ。
「行ったこともないくせにそんな事を言うものじゃないわ、みんなすごく楽しいって言ってるし……それに」
「それに?」
「本土で流行ってる恋愛詩が一杯持ち込まれてるんですって! スイだって知りたいでしょ!? 異国の恋愛物語……あー、どんなのかしら……」
目をキラキラ輝かせるアンジェに対象的に、はあ、と相づちを打ったスサーナの目は凪いでいる。完全に無風、トロ凪状態だ。
スサーナは同年代の少女たちほどに恋愛詩だの恋愛物語だのに興味はない。
他人の恋バナやら今まさに青春が繰り広げられているのを見るのはそれなりに好きではあるが、素敵な恋物語に胸をキュンキュンさせるというような趣味は無かった。
まあ、前世を持っている身としてはそうおかしいこともなかろう、と本人は思っている。12歳がきゅんきゅんするような恋に胸をときめかせる発達段階は通り過ぎているのだ、きっと。前世であっても恋愛に縁などなかったので、その推測は外れている気もするけれど、そのあたりからは目をそらしてやっていきましょう、というやつであった。
「いやあ、特に読みたくは……」
「んもう、スイ、あなたもっと恋愛物語に興味をもつべきよ! それで、好きな人を作ったらいいのよ、もちろんドン以外で!」
ああ、なるほど。スサーナはようやく少し納得した。
恋する乙女は難しく、友情と恋情を同時に保ちたい年頃なのだ。
ただのわちゃわちゃと遊ぶ悪友集団、みたいなものの中にでも別に女性が混ざっているのはやっぱり年頃の少女の不安を呼ぶのだろう。それが特になんでもない友人であってもだ。
それで、自分が興味を持ちそうな……誰でもが興味を持つ最新の恋愛モノに触れる場に連れ出したいという部分はあるのだろう、そう思った。
「好きな人ですかー。やー、よくはわかりませんが。アンジェは本当にドンくんが好きですねえ」
「当然でしょ! 私はドンのお嫁さんになるの!」
自慢気に少し頬を染めた姿が愛らしい。
「まあ、そういうことなら最新の恋愛物語を楽しみに、行ってみましょうかねえー」
「やった!! 異国の姫が従士と恋に落ちた話、続きがとっても気になっていたの !! これで一番最初に続きが見られるわ……!」
あれ、違ったかもしれない。
そう思いながら、スサーナは満足そうなアンジェに腕を引っ張られて、補講の教師が待っているサンルームにてふてふと歩いていった。
スサーナは友達に弱いのだ。もちろん一番はフローリカだけど、アンジェにだって、男の子たちにだって、村の子たちにだって弱い。
ちょっとの無理は度外視して、頑張れてしまうぐらいには、スサーナは友達というものが好きだった。
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