第381話 スサーナ、不測の事態を一つ知る。
「……立ち上がって、二人ずつお並びなさいませ。さあ、早く」
サラの声がぴりっと張り、座り込んでいた娘たちを庇うような位置に立っていたレオカディオ王子が苦しげに淡く首を振る。
「あなたは、どうして……」
「……」
――いやでも、そう。冷静に考えると。
レオくんが前にぐいっと立ってしまったので、サラの表情をうまく確認できぬのがもどかしい。スサーナはぐぬぬとしつつも、まあ待て、とそっと思考した。
敵対者に使われている子をこっそり味方陣営に引き込んだ、としよう。
謀反が発動してしまった、とすると、その敵対陣営の子がどう動くかと考えれば、それは向こうについてもこちらについても、とりあえず敵対陣営の人間として動くだろう。大体、どこの世界でもそうだと思う。
そこでいきなり相手方に信用されているアドバンテージを放棄するのはアホの所業だ。
――つまりこう、剣を持っている程度だと判断がつかない事項ですよね……。
剣が振り下ろされるまではどちらでもあり得る。
困ったことに、多分直接やりとりしていたルカスさんあたり相手なら目配せだとか符牒だとか設定してあったのかもしれないが、巻き込まれるつもりがなかったレオくんと正体バレしていない自分ではもしサラがこちら側の人員のつもりで動いていたとしても自分の立ち位置を軽率に明かしてもらえる、ということはないだろう。
――二人きりになる局面があれば別だとしても、現状あるとも思えませんし……
超自然の便利さが足りない。
謀反の主犯と思われる老爺、コルネリオの事情や半生を断片的に把握するより、サラの内心が知りたかった。やっぱりあの時サラの声に乗り換えておくべきだったのかもしれない。
スサーナはそっとないものねだりをする。
――まあ、それはそれで、知り合いに内心を覗き見られるとか、プライバシー侵害も甚だしいですし、そうしていたら今頃主犯の事情を少しでも知っておくべきだった! と思っている可能性も非常に高いんですけども。
無事にこの件が済んだとして、内心を見たかもしれないなんてバレたら絶交されてもあんまり文句は言えないことなのでアレだけれど、でも、それが出来ていればどちらにせよレオくんに適当にこっそりフォローは入れられたろうに。
今、サラがどういう心持ちでどちらについているのかは解らないけれど、少なくともレオくんに好感を抱いていたことは確かだとスサーナは思う。
ならばきっと、大切に思ったことのある相手に敵を見る目で見られるのは、サラにだって苦しいことだろうから。
ともあれ、サラの動向については保留だ。
下手に心を騒がせないことだけ心に留めておこう、とだけスサーナは決めた。
「まだか! あの化け物たちが追いついてくるかもしれぬのだぞ!」
そうこうするうちに、サラが娘たちを纏めるのに手間取っていることを見て取ったのだろう。近づいてきた謀反人の一人が手近でへたり込んでいた娘の一人の腕を乱暴に引き上げる。小さく悲鳴を上げてふらつく娘をはっと見やったレオくんが数歩駆け寄り、彼女の胴をぐっと引き寄せるのとほぼ同時。血の跡やら砂やらがこびり付いた気取った作りの靴底がぶんと空を切って、男がバランスを崩してたたらを踏む。
レオくんが目の前からどいたせいではっきりと見えるようになったサラが困ったように二人を見比べるのが一瞬見え、周囲の視線を集めたレオくんの表情にあるかなきかの焦りと恐怖が浮いて、それが王子らしい一種傲然とした表情にさっと塗りつぶされるのを見る。
「貴方方にヴァリウサの民の誇りがあるなら、御婦人ぐらい丁寧に扱われてはどうですか」
「殿下……」
スサーナはやや焦り、しかしレオくんがそうしたのは王子としてあまりに自然だったし――スサーナの前世で習った人質の心得的には犯人は刺激するなということになっていたが、中近世の王族がこれを見過ごすのは無事帰れても求心力を失いかねない可能性がある――多分、直後にはっと浮いた表情からすれば、どうしようもなく反射だったのだろうということも理解していた。
多分、これまで。果たして謀反の只中であっても、30、40の大人の貴族が、年端もいかぬ13,4の娘を意味もなく蹴り上げて愉悦を覚えるとは想定もしておらず――人の性として学んではいたのかもしれないけれど、実感としてはなく――ゆえに、
恥をかかされたと感じたか、それとも彼女が感極まったような声で呟いたのが気に障ったのか、男の表情に加虐的な色が浮いた。
数歩大股に近寄ってくる、確か中位貴族の家の親族だったかと思われる誰かをレオくんがきっと睨みあげる。
スサーナは慌ててレオくん達に駆け寄った。
こういう目をした奴のやることはわかっているぞ、と思う。というかいつぞやにスサーナにそれを経験させた男がちょっと向こうの方でなにやら立場が上らしい相手に一生懸命になにか話している。こちらを見ていないのはいいことだが。それはそれとして。
「殿下、どうぞ今は……」
言いながら腕にすがるふりで、レオくんの前に半身出る。護符がバレるのは勿体ないけれど、殴る蹴るでは済まないことを考えてそっとレオくんの手に巾着を押し込んだりするのはやめておいた。
――権能が働けば、まあなんとかなるのかもしれませんけど……
手に持った剣でドカッとやられたとして、血が出るぐらいならともかく、脳が出てしまったりしたら体が動いても思考がどうなるものかちょっとわからないし、手足が落ちたら権能があっても動けなくなる気がする。更に言えば、万が一首が落ち、されどもなんとか権能くんが頑張ってくれた場合、意識はどちらに付随するのか。
どちらにせよそれで平気で動けたとしてもレオくんのトラウマがすごいことになってしまう気がするし、ゾンビフィクションとかを見てパニックを起こす症状を患ってしまうまである。
――しばらく動けたとして、その後自分で自分を治せるかどうかもわかりませんしね……
自分だけのことならどうでもいいし、どうとでもなる気はしているのだけれど、レオくんをちゃんと連れて帰って、全部うまく片付いた状態でおうちでぺしょんと伸びてもらわなければいけない以上、いきおいプランBもなるべくはほどほど安全性を重視せねばなるまい。強いカードを切るのなら意味があるときにすべきだ。
護符がレオくんにも効いてくれるなら別に渡してしまっても良いのだけれど、特に渡して得もない現状、バレないためだけに体から離す意味はない。
「っ」
レオくんの表情は見えなかったけれど、焦りを感じる動きで更に前に出ようとするのを後ろ手の感覚で抑えながら、スサーナがぎゅっと巾着袋を握り、益体のないことを考えていたのはごく一瞬。
男が拳を握ったと見たのは更に一瞬で、それらは次の瞬間、掛かった声によって停止した。
「おや、レオカディオ殿下をお呼びしたのに巻き込まれてきたというのはどなたかと思いきや、ミランド公のご令嬢ではありませんか。ショシャナ様と仰りましたかな」
まるで好々爺であるかのように――血を滲ませる片腕がそれを見た目ですら裏切ってはいたけれど――微笑んで声を掛けてきた老人に、いくらかバツが悪そうに男は拳を下げ、早くしろと捨て台詞をサラに残して他の謀反人達の方に戻っていく。
無駄な小競り合いが起こらず、レオくんが殴られなかったしサラも罰されなかったのはとてもいいことだと思いつつも、その言葉はスサーナの背筋をぞわっと粟立てるのに十分な意味を持っていた。
――この人、私が誰かわかってる……!
スサーナは簡単な特徴だけでは身元を極端に察されづらい。 それはカリカ先生……鳥の民に属する専門家が述べた、間違いない事実といっていいだろう特徴だ。
思考の隙間をするりと通り抜けて集団に埋没するその権能の与える靄を踏み倒すには、その鳥の民自身が相手に個人として認識されることを望むこと。でなければ、強い興味を持って記憶する努力が必要だとカリカ先生は言っていた。
スサーナはこの老人を知らない。いや、糸をたどったおかげで一方的に色々見聞きしはしたが、社交の上で直接接したことなどは間違いなく無い。第一表舞台に出てこられる人物ではないだろう。
それだというのに、スサーナの顔だけを見て誰に属する何者なのかを口に出してみせた。
つまりそれは、ミランド公の一子ショシャナという令嬢の容姿をあえて覚えようと試みたことがあるということだ。
「これはなかなか運が向いていると言ってもよかろうことよ。ショシャナ嬢。こちらへいらっしゃい。――サラ! 付いて差し上げよ!」
レオくんが戸惑い混ざりで身を固くして今度こそ前に出ようとし、スサーナの方を反感がないまぜの目で見つめていたサラがはっとして剣を持ち直し、スサーナにそちらに行くように示す。
――直接顔を合わせた相手ではない……。一方的に観察されていた? どこで? どういう意図で?
「っ、ショ、シャナ嬢……」
「殿下、大丈夫ですから……」
そしてどうして自分がいると運が向いているなどと言うのか。スサーナは色々と可能性を考えつつ、ひゅっと息を呑んだ。
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