第208話 misfortune 2

 最近足をひねることなど全く無かったのでくるぶしの内側あたりの鈍い痛みに慣れず、煩わしい。

 スサーナはそう考えながら廊下を歩いている。


「廊下が絨毯敷きなのも考えものですよね、滑る……」


 部屋から出されたあたりではだいぶ頭に血が上っていたが、底の外れかけた厚底靴で歩行に集中していたせいかスサーナはそろそろ冷静さを取り戻し始めていた。


 ――まあ、考えてみれば平民嫌いのお嬢様が平民を雇った、とか、訳アリの相手を想起させる格好の平民が思い出の場所に、とか怪しいですよね。……エレオノーラお嬢様のことですから「あるのだから有効に使って何が悪い」思考だったんじゃないかと思うんですけど……

 第五王子殿下の鶴の一声で雇っていただけることになったんです、ご確認ください、とか言っておけば良かったかもしれない。積極的に王族の所為にしていけば相手も怯んで冷静になったかもしれぬ。

 ――護符も……先に人をやってそちらを確認させてください、とか言えば良かったんですよ。どうせ確認したってそんなに時間は掛からない場所なんですから。さっき、変な疑われ方してどうも動揺してましたね? 私。


 最初想定していたのが鳥の民バレで、その対策のことしか考えていなかったために完全に予想外のことを言われてもどうにも後手後手でろくな言い訳も出来ていなかったし、護符周りのことはもっとマシな言い抜け方があった。

 お守りを外されたせいでよくわからない焦り方をしてしまった。今ならそうわかる。

 取調室の刑事さん相手にはやってないと言った所で信じてもらえるはずがない。代わりの証拠を出さねばならないのだ。そんな事、前世の刑事ドラマからして常識だったろうに。


 激高するとか動揺するとか、感情の振れ幅を大きくした所で全くいいことはない。スサーナはその認識をしみじみと噛み締めた。


「とりあえず、エレオノーラお嬢様にできるだけ早くご報告して……」


 レオくんにも友達のよしみで口添えを頼む必要が出てくるかもしれない。……友達、ということでいいはずだ。たぶん友達と看做されている、と思う。自惚れすぎではないといいのだが。負担にならないことなら許されるはず。だといいな。

 もしそうしたらエレオノーラお嬢様には怒られるか。不敬なことだとは分かっているけれど、それでも。

 そう考えてため息を吐き、その拍子に少しよろめいてバランスを取る。


 貴族女性にここ数年流行している底の厚い装飾性の強い靴チョピンはぽっくりか花魁下駄に似た形状をしており、違いは、というと一体型の木履に対してこの厚底靴は靴部分と底部分が別立てになっていて、木釘で止めることで形が作られている。


 さっき、外に出されてバランスを崩して転んだ際にどうやらその底釘が逝ったらしい。なんとか歩けないことはないものの、痛む足首には負担が大きい。


「これ、今のうちになんとかしてから外に出たほうがいいですね……」


 スサーナは廊下の端に寄ると、しゃがんで安定しない靴底を抑えにかかった。

 ――使わない事情はわかりましたけど、借り物を傷めちゃったのはな……直るものなら良いけど。

 どうも最後に使ったのが数年前であるようで、細い木釘は腐食してもろくなっているようだった。革生地も固くなり、穴が広がっているのも木釘が抜けた原因の一つだろう。高級品であるようだったが、手入れはあまり適当とはいえないようだ。

 というより、この手のものは数年越しに履くような想定はされていないのかもしれなかった。


 こうなると応急的に底釘をはめ直すにもそれなりに手間がかかる。柱の陰で試行錯誤する間にスサーナに気づいた様子もなく幾人もの人の気配が柱の向こうを横切っていった。うつむいた視界の端にドレスの裾が見えたのでそのほとんどは女性だったのだろう。


 ――これでプロスペロさんでも通ったら、あなたのせいで足を挫きましたの、よよよ、とか泣いてやりましょうか。

 天下の往来、とまではいかないが、貴族をはじめとした上流階級の人間が通る高級ホテルの客室廊下でそうやって年若い少女に糾弾される姿を晒したらきっと肩身が狭くなることだろう。実際やったら面倒くさいことになりそうなのでやらないけれど。

 スサーナは仄暗い夢想を八つ当たり気味にしつつ、薄暗くチラチラ影が揺れる照明の下、小さな木釘を固定するのに苦心した。

 ――当然ですけど、シャンデリアの自然な火の明かりって……暗い……手元が見えづらい……なんだか首が辛い……。全部魔術師さんたちの明かりに変えてしまえれば……それも雰囲気的に駄目ですかね。

 靴をなんとか応急処置しながら視界の端に男性物の靴が横切るたびに下を向いた首を上げ、通る人間の確認をしてみたりしつつ、こわばりをほぐす。


 数度それを繰り返し、何回目かに首を上げたスサーナはふと歩いていく人物の後ろ姿に目を引きつけられた。

 輝かしいハニーブロンドの癖のある髪。少し長めの髪を今は幅広のリボンで結わえている。

 ――あれ、第二王子殿下では?

 こんな所に居るのか、という思い半分、まあここに招待客を泊まらせるなら息がかかった場所なんでしょうねえ、という納得半分でスサーナは半眼になる。


 そういえばこの人の動向にも気をつけておかなくちゃいけないんだなあ、とそっと思い出し、ため息を吐き……それからスサーナははっと身をこわばらせた。

 柱の陰からはよく全貌が見えない歩いていく姿。

 わずかに見えるのはドレスの裾。女性のようだ。あまり質の良い衣装ではない。まるで平民のような……? スサーナはそう判断する。そして、ああ。優しげな笑顔と肩を抱く動きの向こうに見えたのはストロベリーブロンドだったのではないか。


 ――は!? ええ!? まさかのこのタイミングで!?

 スサーナは静かに慌て、靴に足を突っ込んで第二王子の横にいる女性の姿をハッキリ確認しようと勢いよく立ち上がり、当然盛大にバランスを崩してべちゃりとすっ転んだ。


 スサーナが平たくなっている間に廊下の向こうの重厚そうなドアが開き、第二王子がその中に吸い込まれていく。

 扉が閉まる。


 扉の重々しい音を聞きながらスサーナは呻き、ぶつけた鼻先を抑えて上体を起こした。

 ――ううっ……顔、見えなかったなあ!

 鼻血は出ていなかったので鼻は赤くなった程度で済んでいるようで、その幸運を喜びつつ靴を引き寄せる。靴の上側と厚底部分がほぼ分離しているのを見て遠い目になった。

 ――ごめんなさい貸してくれたメイドさんたち。一応オルランド様とメリッサさんとやらも……


 ともあれ、だ。

 今は申し訳ながっている暇ではない。

 ――ミアさん、居残っているはずがないと思うんですけど。戻ってくるようなご用事もないですよね? 多分。私……を待って、とかも、用事があるとしか言ってませんから、ないはず。


 多分、別人だと思う。別人だとは思うのだが。

 別人だ、と決め込んで後で違った、という可能性がある以上、確認しないわけには行くまい。

 ――それにミアさんも結構行動フリーダムなところがありますし……出先にいらっしゃったとしても、楽器の話とかされたら予定を放り出してすっと付いてきちゃうかもしれませんし……


 スサーナは起き上がり、ひょろひょろとびっこを引きながら第二王子が入っていった客室のドアに近づいた。

 ドアの前に誰か居るということはない。


 ――あんまりグズグズはしてられませんよね。流石にそれほど速攻ということもないと思いますけど……。レオくん達がどこに居るかは聞いてないし、王族の方に伝言する手段も思いつかない。王城に伝言が通ったとしても待ってたらええと、……まにあわなくなりますよね。 ……ええと。南部訛り。

 スサーナはすうっと息を吸い込むと、腹に力を入れ、とりあえず気合を入れた後に底が抜けた靴を目立つよう抱え直し、ドアを叩いた。


「ああ、もうし、お助け願えませんか! 開けてくださいませ! 靴を壊してしまって……歩けませんの! どうか!」

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