第87話 思いがけないお客様のための街歩きガイド 1

 次の日。レティシアとマリアネラと一緒にセルカ伯の庭で待機していたスサーナの前に現れたのは、昨日助け舟を出してくれた――氷好きの同志とスサーナが認めた、あの男の子だった。


 ――ああ、なるほど。


 事前に集められたスサーナたちはセルカ伯によってくれぐれも失礼がないよう言い含められており、一体どんな相手に案内をするのかと不安だったのだ。

 多分、この少年はあの焼物おじさん……ミランド公の係累なのだろう。

 となると、前世で言ういわゆる公爵令息とかそんな感じなのだとすると、それは非常に偉い人だ。レティシアもマリアネラも小貴族の娘なのだからして、同じ貴族にしても多分階級は天地の差である。


「今日はよろしくおねがいします。ええ、ナヴァ伯に世話になって……お世話いただいています。どうぞレオと呼んでください」


 人懐っこく言って片手を差し出す少年に一瞬目配せをし合う少女たちである。

 手の甲が上だったのだ。

 ――これはえっと、アレですよね、下位の相手への挨拶……!

 こちらでは「首を晒して手の甲に額を当てる」が忠誠やら尊敬の仕草に近い意味合いを持つ。

 つまり手の甲を上に手を差し出すのはそれを許す、という仕草で……


「坊ちゃま」


 後ろに控えた従者……長身で非常に立ち姿が綺麗な男性が、やんわりと少年に声を掛ける。


「あっ、すみません、握手、握手はええと、こう! でしたっけ!」


 慌てたレオがぱっと手を裏返し、困ったように微笑んでみせた。

 ――公のご令息ってやっぱり凄いんですね……

 雲の上の生き物だ。スサーナはそのことを実感しつつ、もう一度少女たちで短く目を見合わせ、順番に握手した。


「レティシアと申します、どうぞお見知りおきくださいませ」

「マリアネラと申します。」

「スサーナと申します。」

「レティシアさん、マリアネラさん、スサーナさん、ですね。今日は本当に楽しみです。」



 スサーナはちょっと不安になる。

 案内しろとは言われて案内するつもりで来はしたが、なんというかざっかけない場所しか案内のレパートリーにないのだ。現代なら無難な観光案内といえば城とか庭園とかそんなところを案内するところだろうが、ここではそういうものは別に民衆に開かれていないし、相手はむしろそういうものに住んでいる側の人である。寺院というのも手だが、ここの神殿ってそんな案内するような場所なのかというと違う気がするので案内予定からは抜いてあった。

 まあ、それに、そのあたりをご案内するならレティシアの役目だ。


「あのう」


 そっと従者の人に声を掛ける。

 従者が片眉を上げて応じ、スサーナは小声で問いかけた。


「……案内しろと仰せつかって来ましたが、見た通りの庶民でして……私が案内できるような場所は立派な方を案内できるような場所では無い気がするのですが、よろしいんでしょうか……」


「構いません! ね、そうでしょうラウル!」


 はずんだレオの声の後に、ラウルと呼ばれた従者はゆっくりと返答した。


「本日は坊ちゃまが行きたがるところ何処へでもお供せよと言いつかっております。」



 用意されていた大きめの馬車に乗り込む。サイズが大きいと言うのに懸架式で、飛空馬車ほどではないものの、街で用立てられる最高級に近い。馬だって4頭建てで、正直言うと普段なかなか見ない形式だ。島の馬車は精々2頭建てが多いのだ。

 皆が馬車に乗り込むと、最後に従者用立台に従者の青年ラウルが飛び乗り、ぴんと背を張った。


 ゆっくりと動き出した馬車の中で各々座った子どもたちは最初落ち着かなげに互いの顔を見回していたが、しばらくしてレオが口火を切った。


「あの、僕、島に来るのが本当に楽しみで。」


 キラキラした目で続ける。


「国では……っていうのも変ですね。ここも国なんですから……えっと、あちらでは、魔術師も跋扈しているしすごい辺境だって言う風に言っていて……石の建物があるかどうかもわからない、なんて。でも、こちらに来た方々がくださる便りでは住みやすいところだと言うし、どんなところなのかって」

「ばっこ」


 ――化外の地扱い!

 微妙なショックを受けたスサーナだったが、レティシアとマリアネラがうんうんそうだったよね、とうなずくものだから余計にショックを受けた。

 本土ではそんな鬼ヶ島在住みたいな扱いをしているのか。


「わかりますわ……」


 レティシアがしみじみと言った。


「こちらに来る時に、最悪幌布を用意しておけば雨は防げるなんて話を真面目にお父様が」

「……ちゃんとした建物かどうか心配していましたものね。」


 マリアネラも追随した。

 ――ひどくないですか! リューくんち、そんな雑な仕事しませんよお!


がちゃんとあるかどうかわからない、って」

「排水があるかとも心配していましたわ」

「はい、ミ……えっと、ナヴァ伯も、狩り小屋みたいな場所かもしれないぞと言っていたので、どんなところかって思っていたんですけれど、ちゃんと石畳もあって、しっかり街があったので安心して――」


 本土出身の三人が本土から想像した島あるあるでなんとなく打ち解けた雰囲気が漂いだした中、スサーナは島をどういう目で見ていたのか問いただしたい気持ちでいっぱいだった。しばらくして我慢できなくなり、そっと曖昧に片手を上げて問いかける。


「あのう……皆様、というか。本土ではいったいどういう風に島を……」


 顔を見合わせた三人が大人に聞いた話とか物語でのイメージとか前置きして語るイメージは惨憺たるものであった。

 空は暗く渦を巻き、その下には土埃舞う荒れた道、そしてその周りには絶妙に壊れそうな廃屋めいた家々が並ぶ、みたいなもの。一面の森と荒野と海辺の寒村、みたいなもの。それはワイルドワイルドウエストか暗黒大陸ですか?とスサーナが問いかけたくなった幌馬車とテント村のイメージ。


「な、なんでそんなにも……」


 呻いたスサーナにちょっと困った顔のレティシアが返答する。


「ずっと貴族が入っていない、ということで、未開の土地みたいなイメージは確かにありましたの」


 レオがうなずいて言う。


「しかも魔術師達の土地でしょう。彼らは強大ですが気難しい存在ですから。まともに普通の人間が暮らせているのかと、あ、その、大人の方々が、いろいろなところで……そう言ってます。」


 スサーナは唸った。


「やっぱり本土でも魔術師さんたちって怖い扱いなんですか……?」


 レオが曖昧な表情で頷く。


「物語のおばけみたいな扱いでしたわ。夜寝ないと来るぞー、というふうな……」


 思い出しながらの顔で呟いたマリアネラに次いでレティシアも言う。


「いろんな国の宮廷の道化みたいに言う方もいらっしゃるわね。虚仮威しだとか、何もしないけれど偉そうだ、って」


 ――どこか魔術師さんたちを崇め奉ってさしあげてもいいのでは?

 島では街や村の人達にこわいわるい貴族とかヒグマとかみたいな扱いをされているかと思えば外ではおばけに道化である。スサーナは謎の義憤に駆られた。


「わかりました」

「?」

「最初から私の案内するぶんはだいぶそういうルートではありましたけど、私の案内するルートは魔術師さんたちがどんなにすごくて便利なのかご説明するルートにします!」


 力を込めて言ったスサーナに、レオがびっくりしたような顔でぱちぱちと瞬きをした。



 そんなわけで、港の市場で馬車から降りたスサーナが先に立ってつかつかと一同を率いていったのは、まず魔術師の嘱託商人が商う氷菓子の店だった。

 時間的にも朝食からしばらく経って、午前中のおやつにはちょうどいい、というところだ。


 この手の店で買い食いははじめてだ、とレティシアとマリアネラが言ったので――それこそ貴族なんだし当然のことだ――……スサーナ自身も叔父さんと一緒でもなければほとんど買い食いというのはやらないものの、この際マイナスイメージを払拭するためである。慣れた顔をして三人と従者さんを席に待たせて氷菓子を買いに走った。


「すみません、お勧めどれですか!」

「黒桜桃の削り氷、蟠桃フラットピーチ舐瓜メロンもよく出てるよ。果汁氷は今日は長葡萄と柘榴ざくろかな」

「……じゃあそれを全部ひとつずつ。削り氷は濃クリームクロテッドクリーム別添えで。くるみとアーモンドもお願いします。」


 丈の高いガラスの器、それに山盛りに削ってもらう削り氷はただの氷ではない。

 素敵にとろとろやわやわに煮た果物を凍らせたやつがたっぷり削って混ぜてあるのだ。底には生と煮た果物がそれぞれ角切りにして入っているし、小さなブロック状にした焼き菓子も入っている。終わりの方になると溶けたみつを吸ってしっとりした焼き菓子がいい具合になるという塩梅だ。

 煮た果物で作ったシロップはいくばくか足すことでたっぷり追加できるし、しっかり硬いクリームも足せる。ナッツの飴がけなんかだって足せるのだ。

 ――これぞわかりやすい魔術師の叡智そのいち!


 スサーナは用意してもらった氷を盆に乗せて全力で皆のもとに駆け戻った。

 だーんと勢いよく卓上に盆を置く。


「おまたせしました! 食べてみてください!!」

「すみません、これは……安全ですか?元の水は」

「島の井戸はそのまま飲める水なので大丈夫ですよ。そうでなくても嘱託商人の方々は魔術師の方の面子を潰すような売り方はしませんもん。……あ、水は大丈夫ですけど皆さん食べられないものとか無いですか? 舐瓜で口が痒くなるようなことは。ない? よろしい。」


 最低限度の聞き取りをした後は独断と偏見で一つずつ渡していく。レオは果汁氷にすべきかとも思ったが、キャッチーさを考えて子供たちには削り氷にする。なんだか少し困ったような態度で聞いてきた従者の人にも果汁氷を一つ押し付けた。


「ラウル、それを食べてください。水の良し悪しはそれで判断がつくでしょう。」


 レオが楽しげに言う。レオの手を取ってなにやら腕輪を嵌めた従者はため息を付いて諦めたように果汁氷を受け取った。


 くるくる、と削り氷の器を回して目をまんまるにしたレオが匙をとって一口口に入れる。

 目をキラキラさせてとろけた表情に、スサーナは勝利を確信した。


「凄い、口の中で消えます! ああ、夏のさなかなのに何故こんな、雪のような」

「そうでしょうそうでしょう。」

「トロトロで滑らかで、凄いわ……シロップなのに形があるのだわ……」

「氷だから水で出来ているはずですのに、なんでこんなに味が濃いのかしら……」

「感想はいいので一気呵成に食べていただけると!溶けかけでも美味しいですけどやっぱりできたてが美味しいですから!」


 あとは無言で削り氷を掻き込む子供たちを見て満足したスサーナは、眉をひそめて小さな串に刺した果汁氷の欠片を口に入れている従者ラウルのもとに近づいた。


「甘いの、お苦手ですか?」

「少し」


 端的に返答した相手にうむ、と頷く。


「大人の人たちはお酒に入れたりするんですけど、お仕事中だとそうも行きませんものね」

「酒に……」


 ちょっと興味を示した様子なのは左党酒好きなのだろうか。代わりに、と渡したのは冷えた陶器ビンである。

 目線で問いかけてきた、とまあ言えないことのない目付きをしたラウルにスサーナは蓋を指で示した。


「鉱泉水です。これに入れて飲むのが流行っていて。」


 つまるところは炭酸水だ。鉱泉水とは言うものの、魔術師産の炭酸水はたぶん自然の鉱泉ではなくてなんらかの魔術的作用で作り出されているのだろう。自然のものにしてはやたらと強炭酸だし。

 スサーナはグラスにレモンピールのシロップを入れ、鉱泉水を注いで手渡した。


「苦いので大人の方にはむしろ飲みやすいかもしれません。よろしければどうぞ。」


 ガラガラと果汁氷をその中に入れて口にしたラウルが二口三口と続けて飲んだのでスサーナはそれでよしということにした。まあ飲めなくはない、という顔をしている。


 諸島の夏はさっぱり乾いているけれど暑いので、氷を入れた飲み物はそれだけで美味しいし、甘いものが苦手な人でもちょっとは甘いぐらいが嬉しくなるはずであり、苦いのに甘いのがアクセントを加えるぐらいなら甘いものが苦手な人でもそれなりに飲めないことはない。まあ悪くない対応策であった、はずだ。

 ――勢いで甘いものが得意かどうか聞かないで渡しちゃうのは悪かったですね。

 スサーナはちょっと反省しつつ、自分の分に残した柘榴の果汁氷をつまんだ。


 小さな扁平な立方体に形作られた氷をピックに刺し、指先で摘んで口に入れる。

 ――うん、冷たくて美味しいですけど、やっぱり噛む楽しみは無いかな。

 シャリシャリと口で溶ける甘い氷は口と喉を涼しくしてくれるし、削り氷より単純に爽やかで悪くはないのだが、いかんせん噛んだときの粘りは皆無に等しい。

 そんなことを思いながら一欠片二欠片氷を食べて、冷たくなった舌で唇を湿す。


 ふと視線を感じて目を上げたスサーナは、男の子らしくひと足早く食べ終わったらしいレオがこちらを見ているのに気づいた。

 ――あ、もう食べ終わったんですね。齧れる氷菓子も気になるのかな。


「あ、良かったら要ります? これ、昨日お勧めしたのがこちらなんですが――」


 果汁氷の器を差し出す。


「あ、えっと、僕に……ですか?」

「あ。そっか、すみません、食べかけは無いですよね! 失礼でした!」


 そういえば失礼がないようにと言われた相手だった!と思いだしたスサーナは、器を引こうとする。


「あっ、いえ! そんなことありません!いただきます!」


 すこしぽかんとした少年は、はっとしたような表情で、慌てたような声で言うと、ぱっと器を取った。

 口に氷を押し込むとカリカリカリと噛む。


「これは本当に氷なんですね。冬作るシロップ氷より甘いのに生の果物みたいで……好きです、僕は、これ。」

「あっ、よかった!」


 えへんと笑ったスサーナは魔術師さんたちが夏じゅうこれを売ってくれるんですよ!と自分のことでもないのに自慢げに胸を張る。

 少年はもう一口氷を口に入れ、目をわずかに伏せて頬を染めた。





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