第88話 思いがけないお客様のための街歩きガイド 2
氷の余韻に浸る子どもたちを連れて、次に行く予定なのは市場のそばにある術式付与品を扱う店だ。
すぐに馬車に載せようとした従者さんに、スサーナは近場なので歩いていきましょう、と提案する。今回のお出かけでは、皆平民でもおかしくないぐらいに刺繍の少ない、いわばお忍び用途の服を着ているため、多少違和感はあってもそこまでは目立たない、という算段である。その反面。4頭建ての馬車は目立つ。
従者さんはあまりいい顔はしなかったが、レオが諸手を挙げて大賛成をしたのでしぶしぶ従ったようだった。
術式付与品は基本的には注文販売だが、市場の端と商業地域にはそれぞれ一店舗ずつ術式付与品を扱う店がある。今回スサーナが目指すのは市場の端。それぞれ置いてある品にも特色があり、まあついてのお楽しみというところ。
多少すり減ってはいるものの、きっちり並べられ、石の並びで扇形の模様まで作ってある石畳を歩く。
――立派な石畳ありますよー。 あるんですからねー。
スサーナのちょっとしたご当地荒れ地ではないアピールである。
最初にスサーナが立ち、その後にレオ、女の子たち。最後尾、というか、すぐにどの位置にも行ける歩き位置に
貴族の子どもたちは左右をキョロキョロするのに忙しい。最初から物珍しげにキョロキョロしているのはレオで、釣られるように周りを気にしだしたのは女の子二人だ。
「路端に物を並べているあの方はどうされたのですか?」
「あれは露天商ですねー。あの並んでるのは売り物なんです」
「!? 道、では……!? 」
「ええっと、ここも一応端っこですけど市場なので……えっと、店舗を出すほどではない量のものを売っていたり、店舗を出すお金がなかったり、移動がしやすいほうが良かったり、理由はいろいろなんですけど……手軽でしょう?」
「なる……ほど……」
「ねえスサーナさん、さっき服屋があったでしょう。でも、ほらあのお店、帽子だけを売っていてよ。何故かしら」
「それは帽子屋さんだからですけど……」
「いえ、服屋と一緒じゃないのは何故かと思って……買うときは一緒ですわよね。」
「……ああー。仕立てをするお店だと帽子が作れる職人もいますけど、ほんとは専門職としてはちょっとジャンルが違って……つまりあのお店は帽子だけ作る方が出してるお店なんです、多分。あと吊るし売り……えっと、完成品を売ってるところなんですよ。頭の形とかには合わせられないですけど、今すぐ一つ帽子がほしい、って時にぱっと買えます」
スサーナは全方向から質問攻めにされて大慌てになった。
……レオが疑問に思う、というのは想定していたが、釣られるようにお嬢様たち二人からも質問されだすというのは実はスサーナの想定外だったのである。
しかしどうも聞いてみるとお嬢様たち二人も港の市場どころか街中を歩いたこともない、という。馬車で通りはするが、その際に外はそれほど気にしない、と。
――あー、貴族の人の生活習慣をちょっと近代よりに見誤りすぎてましたねこれ……
なんとなく近世ロンドンぐらいの貴族イメージ感覚になっていたスサーナは、貴族の婦女子も本土で街中を歩いたりするのでは、ぐらいの感覚でいたのだ。どうやらちょっと違ったらしい。
――ま、まあ、まだ叱られてないですからいいとしましょう、ええ。
しかしそれは従者さんも驚いたことだろう。反応が悪かったはずだ。
「貴族の方々って街中を歩かないんですね……いやあ、ええと……ご迷惑をおかけします」
スサーナはお嬢様たちに街中を歩かないのかと聞いた会話のシメに従者さんにぺこりと頭を下げた。
それを受けた
橋を渡る。
市場は最初は税金のかからない河口の中洲に出来た場所だったのが、時代とともに整備され、ちょっとやそっとの増水に負けないように底上げされ、今や橋を超えたあたりまではみ出している。
「ああ、海だ!」
レオがはしゃいだ声を上げた。
ああそうか、本土の結構な部分は内陸だったんだっけ。スサーナは思い出す。
島だけあって海に事欠かない場所に住んでいるので、海を見たときの心のときめきなんかはすっかり忘れていたスサーナである。
「凄い、なんて青いんだろう」
「海がお好きですか」
はしゃぐ少年にスサーナは問いかけた。
「ええ。 海は世界の門ですから。……ああでも、そうではなくても好きです。 音とか、色とか。 ここに来るとき船に乗ったんですが、寝ているうちに着いてしまって。全然海が見られず、残念でした。」
本土から寝ているうちに着く。それが出来る島に就航している船は魔術師が建造に関わった高速船だけだ。運賃は激高、一切揺れないとかトイレがハイテクだとか噂のやつだ。大手の海運会社の持ち物で、チケットは紹介がないと手に入らないという。
ガチの上流階級!とスサーナは話題と全く関係のないところでそっと戦慄し、それからちょっと提案してみる。
「橋を渡りきったところから海まで降りられますよ。従者さんさえよかったら、少し降りてみましょうか?」
「!ラウル! 構いませんか!」
頬を紅潮させて跳ね上がった少年の勢いに押された従者が仕方なさげに頷き、寄り道をすることが決定した。
橋を降りたところから川沿いに短い遊歩道になっている。そこを少し歩き、階段を
遠くには張り出した海岸の緑と砂浜。少し沖には小島とはぎりぎり呼べないぐらいの大きさの、白い大岩がひとつ。
しっかり石組みで固められ、階段状の護岸になっている横から小さな桟橋が伸びている。小さな三角帆のついた小舟が係留されて揺れている、のんびりとした光景。
その下に広がる水は港
それを目にしたレオは飛び上がるでも駆け寄るでもなく信じられないものを見るかのような目で見入り、固まってしまった。
――あ、概念が目の前に現れてしまった人の反応だ……
スサーナはああーわかるわかるよと遠い目になる。
「ラウル」
「はい」
「海です」
「はい」
「近づいても構わないものなのでしょうか」
「ええ」
「掻き消えてしまうかもしれない」
「いいえ」
従者と呆然とした声で会話を交わし、はあっと深呼吸を一つ。
それからレオは傍観していた女の子たち三人の方を振り向いて笑った。
「すみません、行きましょう!」
揃って海際まで降り、そこから少しだけささやかな自由行動だ。
レオほどではないものの、それなりに海に興味を示し――聞いてみれば移動の過程で立ち寄ることはあっても興味の対象とすることはなかったらしい――とりあえず海を眺めながら水際に沿って歩いてみる、というふうのレティシアとマリアネラ。
ラウルを連れたレオはしばらく風景を見つめ、水際をうろうろしたあとで桟橋にしゃがみ込み、今はキラキラした目で水の中を覗き込んでいる。
――うん、まあ、予定外でしたけど、寄り道してよかった、かな?
スサーナがうむ、結果的に良し、と頷いていると、とたたたたとレティシアとマリアネラが駆け戻ってくる。
「スサーナ!」
「スサーナさん!」
「はいはいどうしました?」
「あの鳥がずっとついてくるんですの。」
「襲ってきたらどうしましょう。」
言う二人のそっと指す方を見ると、果たしてそれはてんてんと跳ねるおおきなカモメであった。
「あ、ええと、襲っては来ないと思いますよ。」
場所によっては食べ物を持ってくると襲いかかってくるともいう話だが、市場の側のカモメは餌が豊富らしく、のんびりしておりさほど危険ということはない。
「そうですの? なんでついてくるのかしら……」
「おなかを減らしているのかもしれませんわ」
「襲っては来ないですけど……あ、ちょっと待ってくださいね。」
スサーナは護岸の端で日向ぼっこをしながらうたた寝をしている種無しパン売りの婆さんの元に走った。気配で目を上げた婆さんから丸い種無しパンを一枚買う。
二人のもとに駆け戻る。
「襲っては来ないですけど、こう!」
ぽーんと海の上に投げたパンの小片を、羽ばたいたカモメが空中で受け止めた。
「こういう遊びに付き合ってくれるぐらいにはお腹を減らしているかもしれません!」
おお、とお嬢様たちが沸き立つ。
目していた効果通りの反応にスサーナはちょっといい気になった。
子供というのは、訂正。人というのは、結構鳥に餌をやるのは好きな生き物である。
現代日本の公園などだと鳩が増え過ぎたりして餌やりを禁止されていたりもするが、諸島ではそういうこともないので安心だ。
「凄いですわ、鳥使いみたい」
「もしかしてスサーナ、あなたが飼いならしている鳥なの?」
「いいええー。お二人も投げてみます? 漁師の方とかがたまにこうしてお魚とかあげてるんですよ」
小さくちぎったパンをいくつかお嬢様たちに手渡す。
おっかなびっくりひょろひょろと投げたパンにも飛び上がったカモメは食いついた。
きゃあっと歓声が上がる。
「凄いわ、食べた!」
「ああ、他にも飛んできましたわ!」
海面を低く飛ぶカモメが数羽集まってきて、投げたパンを次々キャッチしていく。
夢中でパンを投げ出すお嬢様たちに満足して、ふとスサーナが桟橋の方を見ると、レオがなにやら眩しそうな顔でこちらを眺めている。
――もうあっちは満足したのかな。
背伸びをして手を振り、声をかけた。
「よろしかったらレオさんもやりますー?」
戸惑ったように目を瞬かせたレオが、
「ええと」
「カモメにパンをあげているんです。」
スサーナは海をかすめて飛ぶカモメたちを指さし、パンを投げるお嬢様たちを示した。
レティシアは出来るだけ向こうのカモメまでパンを投げるのを目標にしだし、マリアネラは一番痩せた個体を狙ってパンを与えているようだ。
貴族的に考えればまあ、ちょっとははしたないのかもしれないが、お忍び的なお出かけなのだから問題はあるまい。
「どう、するものなんでしょうか。」
「どうと言っても……投げるとカモメがパンを捕まえて食べて、なんだか少し面白いなー、っていうだけなんですけどね。 えっと……こう!」
スサーナは
「ああほら、食べました!」
その勢いで小さくたたらを踏み、カモメを指して笑ったスサーナに少年は虚を衝かれたような顔をした。
「と、ただこれだけなんですけども。」
スサーナは照れたように笑う。なにせ何が楽しいのかいまいち説明できない。身分が高くて下賤の遊びの経験がない坊ちゃまとしてはなんの興味もない可能性も高いのである。
レオはふわふわ視線をさまよわせ、それから手を出した。
「あの……やってみます。やってみたいです。」
「あっ、そうですか!」
スサーナはパンを小さくちぎってレオの手の中に押し込んだ。
レオは渡されたパンをまじまじと見て、それから振りかぶって投げる。
不安定に飛んだパンをまた一羽のカモメが飛来して、勢いよく横から攫っていった。
レオがおお、という表情で目を輝かせる。
「あ、は、本当に食べた……!」
うんうん、謎の楽しさがあるでしょう。
スサーナはそっとうなずいた。フリスビーをする犬とかに近い感覚なのだろうか。
すかさずもう一欠片パンを握らせ、ついでに大きなパンのきれも渡してしまう。
ぽーんと投げたパンのもう一欠片もきれいにカモメがキャッチし、笑ったレオは自分でパンを千切ってまたひとつ投げた。
「あー、あのカモメさんずいぶんぐいぐい食べに来ますね、お腹へってるのかな」
カモメがパンを受け取るのを見届けて、横で何やら楽しげにカモメの寸評をしている少女にちらりと視線を向ける。
「? 何か?」
「いえ、なんでも!」
笑顔のまま問いかけられた少年はぶんぶんと首を振ると、力いっぱいパンの欠片をカモメに向かって投げた。
午前の日差しがきらきらと海に照り返して、へんに眩しいような気がしていた。
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