第89話 思いがけないお客様のための街歩きガイド 3
ひとしきりカモメにパンを与えて、それから目的地に移動する。
急ぐ必要はないものの、早いほうがいいなあとちょっと時間を気にするスサーナだった。
昼からはセルカ伯がいろいろ手を回して予約をとった「とてもいい店」で食事をとった後で案内の担当がレティシアとマリアネラになる、という予定なのだ。
――つまり私は前座! まあ前座なのでこういう無茶ができるわけですけども。
目的の術式付与品を扱う店は、小さな白壁の店だった。
見た目はちょっと可愛らしい普通の店、という風情だ。緑に塗ったドアに窓枠。ドアの上には藍で模様を書いた皿が飾られている。
少し珍しい、という具合なのは窓がロンデル窓ではなく薄い緑の一枚ガラスというぐらいだろうか。
「ここは?」
目的地がどういうところなのか知らされずに連れてこられたレオが首を傾げる。
「とりあえず入りましょう」
スサーナは詳しくは告げずに子供たちに中に入るよう促した。
黙って
覗き込むようにしながら一歩中に踏み込んだレオが、わあっと声を上げた。
中は、午前中の日光に負けぬしろい光に満ちていた。
シャンデリア様に吊るされた球状の術式付与品の明かりが与える明るさだ。
すべての壁際に三段づくりの浅い棚。店の中央近くにはテーブルを2つ重ねたような二段棚が並んでいる。子供でも十分頭が棚の上に出るそれらの棚に飾られ、あるいは無造作に並べられているのは種類も形も様々な、「なんだかよくわからないもの」だった。
「ここはですね、「なんだかよくわからないもの」のお店です!」
スサーナは胸を張った。
……別に冗談を言っているわけではない。
二箇所ある術式付与品を扱う店のうちで、圧倒的に実用性のない方の店がこちらだ。
売っているものはほとんどが一点物。店舗に置いてある物自体の数はそう多くはない。モノ自体は半分程度が術式付与品で、もう半分が魔術師の生成物だ。
例えば。握るとどこまでも変形するが手を離すと戻る、何に近いかと言うとゲルボールみたいなもの。ずっと勝手に組み変わり続けるルービックキューブみたいなもの。いろいろな色に光る小さな透明キューブ。内側から光る耳かきみたいなもの――これは現世で似たようなものを見たことがあったスサーナはちょっと便利だと思った――羽をパタパタと動かす鳥の模型。ストームグラスみたいなもの。台座の上で浮かんで回転し続ける地球ゴマみたいなもの。滞空して緩やかに羽を動かす青い蝶を模したなにか。ストランド・ビーストを思わせるちいさなよくわからない模型。
現代日本を経験したことのあるスサーナとしては謎雑貨屋……という感想を抱くものであり、結構楽しいのだが、魔術師の作ったものであっても実用品なら喜んで買う島の人達は謎アイテムにはあまり興味が無いらしくあまり人が入っているのを見たことがない。ちょっと不気味がっている、ぐらいが正確なところか。特に品物の入れ替わりがあるわけでもないのでスサーナもあんまり来るわけではない。
ベルガミン卿の話していた術式付与品の「この世に二つとない品」、ここで買うようなもので結構近いものがあるのでは?と思ったスサーナは、なんだかベルガミン卿への意趣返しめいた気持ちとともに入れば入ったで面白いし、子供は喜ぶのでは、とルートに入れたのだ。
ちなみにここに置かれているようなものたちはどういう過程で出来てくるものなのかスサーナには長らくよくわからなかったが、この間クーロにブザーを渡されてなんとなくそういうパッとした思いつきとかなんらかの過程で出来てきたものが置いてあるのではないか、と、悟った。
店の人も商売っ気がなく、ものを売ろうという気概が一切ないので子供の冷やかしにもやさしい。……前に一度、ここにあるものは売り物なんですよね?おいくらなんでしょう、と聞いたスサーナにぽかんとしたぐらい商売っ気がない。一応売り物だったが。
どうもここに品物を置く魔術師も、なんとなく出来てしまったものになんとなく値段をつけてなんとなく置いておこう、ぐらいの気持ちのようで売れなくても全く気にしていないとかいう話である。
子供たちは店の人が一つ一つ品物について説明するのに聞き入り、触ってもいいものを触らせてもらうなどして目を輝かせた。
ところでスサーナに予想外だったことが一つ。
どうです面白いでしょう、魔術師さんたちはこういうものも作っていて親しみやすいですよ、というぐらいの気持ちで案内した場所だったが、レオが一つの品物をいたく気に入り、買い取りたいと言い出したのだ。
「これが欲しいんです。いったいどれほどお出ししたら譲っていただけますか」
「ううん……
それは水を凝らせたようなうす青い透明な素材……少し樹脂素材に似ているようにもおもうそれで出来たおおぶりな巻き貝の模型だ。
ご丁寧にも耳に当てると波音がする。……普通の貝殻もざーっと言うような音がするが、そういうことではなく一旦耳に当てるとそれをトリガーに1/fのゆらぎめいたランダム性のある爽やかな波音が口を伏せて置くまで延々と響くのだ。他の機能はなし。本当になんの用途で作った品なのかわからない。これで術式付与品だというのだから恐れ入るというものである。
「……ラウル、駄目ですか?」
レオが振り向き、手を腰の後ろに当てて待機していた
――えっ、50デナルってなんていうか、いや出したいなら価値はあるんですけど、こういうものにパッとだすお値段ではないのでは……?
スサーナはすっと進み出てきて勘定台の上に金貨を積んでいくラウルに目を丸くした。
「これでお譲りいただけますか」
特に高額な支払いに感情を動かされた様子のないラウルが静かな声音で言う。
一応金貨を数えた店主が絹張りの木箱を出してきて、それに貝を入れてレオに渡した。
「ありがとうございます!」
にこにこと受け取るレオを見てスサーナはそおっとレティシアに話しかける。
「(レティシア様、セルカ伯ならパッとお支払いになります?)」
「(お父様のご趣味のものなら……どうかしら……少しは悩むかもしれませんわ……)」
スサーナは子供の欲しがったものでもその値段出す感覚とぱっとその金額払えてしまう懐具合に震えた。スサーナの感覚で言えば一旦おうちに戻って保護者に判断を仰ぐところだ。
――って言いますか、その金額を普通に従者の方が持ち歩いておられるのが凄いですよね!
内懐からラウルが取り出した財布、それを特に中を見て探るわけでもなく代金を取り出したのだ。つまり中身は全部金貨。財布をはたいた、という感じもしなかった。
偉い貴族、凄い。
店を出た後に馬車を停めた場所まで戻り、馬車に乗ってスサーナの案内する次の目的地に向かう。その間中レオは嬉しげに貝殻を耳に当てたり伏せたりしていた。
「海、ほんとうにお好きなんですねえ……」
馬車の中で向かい合って座った状態でスサーナはレオに声を掛ける。レティシアとマリアネラは近づいてくる案内のターンに微妙に緊張しているようで、ちょっと言葉少なになりだしていたため、場をもたせようという配慮である。
「はい! 母は海に親しい土地のうまれでした。母の部屋に海を描いた絵が飾ってあって、それが、まるでさっき見たような海で。僕の住んでいる……その、うちは内陸だったので、海のことはお話を聞いたりするばかりで、あまり見る機会がなくて。」
なるほど、さっきのはただ眺めて憧れをつのらせた対象がいきなり目の前に現れた、みたいなやつだったのだな。スサーナは納得する。
男の子はそういう動機で船乗りになったりするものだ、というよくわからない偏見がスサーナの中にはある。でも内陸の領地の偉い貴族ではそういう風には行かないだろうな、とスサーナは勝手に連想して同情した。
「なるほど。じゃあさっき海にお寄り出来てよかったです。」
「はい!」
レオは笑い、膝においた
スサーナのチョイスしたうちラストの観光案内ポイントは、商業地域にある植物園だった。
勿論、テーマが魔術師のおしごとであるスサーナのチョイスなので、品種改良を加えた植物、さらに言えば早生遅咲きなど季節のずれたものを多く扱う場所だ。
魔術師が品種改良に使うという温室ほどは専門性も学術性も高くはなかろうし、魔術師関係の場所と言うには商人出資の商品展示色の強い場所ではあるが、そのぐらいのほうが気楽でいいかな、という判断もある。
商人相手の術式付与品を商うもう一つの店は商人の火花散る商談が開催されているし、それ以外となるとぱっと案内できる場所が見てもあまり楽しくない建造物――例えば沖合の防波堤――や個人宅の何かとかそういう方面になってしまうという事情もあった。
術式付与品ではなく、出資元は一般商人で、栽培植物はサンプル展示品の一種であり、一般レベルまで普及した植物が主であるが、それでも魔術師のおしごとを示すものとしてはわかりやすいし、花は綺麗なものだ。
おやつ、一捻り、観光、という感じでお昼前の物見遊山としてもリズムがいい、ような気がするスサーナだった。
植物園は、入口付近こそ珍奇な植物を揃え、入り口脇には巨大な実をつけるサボテンに似た多肉植物があり、その先には南国めいた翡翠色の花を咲かせるつる植物がある、という具合だったが、少し中まで入るとスタンダードな植物の品種改良モノが増え、普通の庭園風味がぐんと強くなる。
種から油を取る目的の、花がとても大きくなるひまわり。
芳香がつよく、香水原料になるユリ。
芳香を放つイランイランに似た花。
青い大花を咲かせる
ユリでも根茎を極端に肥大させたもの。
花数……つまり実数が極端に多い
滑り莧の花をひたすら大きくしたもの。
四季咲きのサフラン。
そして、各種のバラ。
「美しいところですね」
レオが目を細めて笑う。お嬢様たちもようやく本領発揮というように、上品にため息をついて見せていた。
「綺麗ですよねえ。あ、このユリは球根を蒸して食べます」
「食べる!?」
「ここの一角は基本的に食べるやつですね。」
「ユリですよ!?」
「食べますよー。
「種を」
「花をそのまま食べるのもあるんですよ」
「綺麗なのに……」
「綺麗で美味しければ倍素敵ということでは。」
魔術師さんたちは生花を食べますしね、というのはスサーナの内心の述懐である。
ここにある植物は流石に一般に売られているもので、食べられる花特化はしていないようだったが、それでもポツポツ食用花が混ざっていてスサーナには面白い。
「まさかあの花も、あちらも食べられる……」
「あっちは薬用植物みたいですね。えーと向こうは香水用ですか。」
「……よかった、あやうくここがサラダ園に見えてくるところでした」
ほっと息を吐いたレオにスサーナは首をかしげる。
「駄目でしょうかサラダ園」
「いえ、素晴らしいものだとは思います、でも……えー、その、うつくしい方とくるには少し……味はどうなんだろうと思ってしまうとロマンティックさが薄れるような気がして」
もじもじと言ったレオにスサーナは、おお、さすが貴族の子弟、うつくしい方とは
だが、レティシアもマリアネラも貴族の子女らしく振る舞っているさまを見れば優雅な美少女だし、貴族らしい恋愛遊戯めいた会話をしたいならさすがに農産展示場では雰囲気に欠ける、と言われれば確かに。
「おお、大人のようなことを仰る……」
「あっ、いえっ」
「ふふ、午後ご案内させていただくところはレティシア様とマリアネラ様のご担当なので、ちゃんと優雅だと思いますよ。ご安心ください!」
「そ、そうでしたか。あの、こちらも十分不思議で優雅だと思います、食べられるものも気になりましたけど、あちらのバラはとても優雅で……」
「あのバラも食べられるんですよ」
「嘘っ!?」
微妙に悪戯心に負けたスサーナは要らない知識をレオに与えつつ、身を乗り出して叫んだ様子に満足する。
皆ローズウォーターを飲み、ローズシロップをお茶に入れ、さらに形の残ったバラのジャムだって食べるのにバラが食べられるというとたいていこういう反応を示すのだ。スサーナにとってはつかみの一ネタ感がある話題であった。
――でもまあ、今後バラ園で味が気になるようになると申し訳ないので、あそこのバラの木はローズウォーターとかオイル用に品種改良されたのだという話はして差し上げないといけませんねー。
スサーナは不審なものを見る目つきでそろそろとバラの大茂みに近づいていく少年を見ながら密やかな笑いを漏らした。
本当は農薬なんかの問題をクリアすればバラは食感の良し悪しはあれどたいてい食べられるのだが。そのことは黙っておこう、と思った。
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