第289話 偽物侍女、奔走する 5
誰かが腹を壊す、ということもなく、追加でハプニングが起こる、というわけでもなく、つつがなくお茶会は終りを迎えた。
招待客たちと茶会の主人達は部屋を離れ、もとから部屋に居た使用人たちと、片付けに呼び出された使用人たちはスムーズに部屋の片付けを始める。
差配の使用人の指示を聞きながら下級侍女の一人はそっと脱力した。特に呼び止められるとかそういうことはなかったようだったからだ。
名残惜しげにするご令嬢たちを礼儀正しく送り出し、それからレオカディオ王子は第三王妃を彼女の妃宮まで送り届ける。
「ねえレオカディオ」
妃宮へ向かう馬車の中、ザハルーラは浮き立った声で息子に声を掛けた。
「はい母上、どうかされましたか?」
「うふふ。気が進まないと言っていた割には楽しそうにしていましたね。どうです、気に入ったお嬢さんはいましたか。」
向かいに座った王子は少し困った色を乗せて微笑み、小さく首を傾げる。
「いたような、いないような。……母上、まず気に入ったと仰るのですね。そこは僕を助けてくださった方は居たのか、とお聞きになるところではないでしょうか。」
「ええ。その方がいらしたのならそれはなによりですけれど。もしかして、いらしたの?」
「なんとお答えするべきでしょう……はい、前にも申し上げたとおり、顔もはっきり見たわけではないんです。ですから、もし対面したとしてもはっきりわかるかはわかりません。だからこういう催しを繰り返していただいても、ご期待に添えるかどうか……」
「もちろん、見つかれば何よりです。ただ、そうでなくても、貴方が気に入った、と思う方なら妃宮に呼ぶ意味はあるのだから、教えてくださいね。」
レオカディオ王子は一旦ふんわりと言葉を濁したものの、真摯な表情で言ったザハルーラ妃に気圧され、言葉を探すことになった。
「ですけど、それだと本末転倒ではありませんか。僕を助けてくださったひとに褒美を与えるのが母上の目的なのでしょう? なら、そうでない娘をいくら集めたって」
「ねえ、レオカディオ。硬く考えすぎないで。危険を顧みず貴方を守ろうとした……そうするようなお嬢さんと縁を持てるならそれが一番。でもね、そうでなくても、貴方が良いと思ったご令嬢がいれば、母は茶会を催した価値はあると思っているの。そういう方こそわたくしは傍に置くべきだと思うのですよ。」
手を握られ、穏やかに微笑んで見つめられて彼はふにゃんと眉を下げる。
「でも、母上」
「……貴方がエウスタシオ様に遠慮して、妻を持つつもりはないと言っているのは知っています。でもね、今のうちに、心を通わせ合える方とも出会えるかもしれないわ。」
もちろん、「亜麻色の髪の乙女」を探すのも催しのなによりの目的です、神のよきお導きで「亜麻色の髪の乙女」がまた現れれば一番と思っていますよ、とザハルーラ妃はニコニコと言い添えた。現れてくれるならば、そのお嬢さんに報いるのは私の喜びでもあります、と。
「でも、それはそれとして、これはいい機会なのですよ。こうしてお嬢さんたちを集めても表立って苦情をいう方はいらっしゃらないのですから。上位貴族のご令嬢たちよりもずっと考慮しなくてはいけない家のしがらみもない、様々な身分の方と知り合えますよ。貴方と心を通わせられる人もいるかもしれません。」
「そのつもりがないのは兄上に遠慮している……というだけではないのですけど……。母上、僕を思ってくれるのは嬉しいです。でも、僕はやっぱり今の立場で相手を探したいとは、あまり……」
「ねえ、レオカディオ。……誰かと愛し合うことの素晴らしさをわたくしは貴方に知ってもらいたいの。貴方が好ましいと思った娘がいればわたくしの傍において人となりを深く知れるようにします。知り合って心が深まれば、自然と添いたいと願うときも来るかもしれない。」
ザハルーラ妃は慈愛を込めた瞳で息子をそっと見つめた。
この思いやり深い愛息子が将来妻を娶るつもりはない、と言い出したときには驚いたものだ。
「……ゆっくり考えればいいのですよ、レオカディオ、愛しい子。貴方が将来どのような立場に落ち着くとしても、そのぐらい良いように取り計らえる力は母にだってあるのですからね。心配しないで。」
馬車の中で立ち上がった母に慈愛深くそっと抱きしめられ、レオカディオは複雑そうな表情になる。自分のことを思いやってくれたのはわかるし、その真心と情愛はくすぐったくありがたくは思うのだが。
「母上、馬車の中で立っては危ないです。ああ、ほら、もう馬が止まるようですよ。揺れますから。」
彼はとりあえずそう告げ、妃宮にたどり着いたのをいいことに、話を変えることにした。
夜、スサーナが何食わぬ顔で屋敷に戻ってみると、居間の暖炉の前にあるソファにはぺそんとまめしばが広がっていた。もしくはコーギーの開きだ。
じわりと燃える太い薪がはぜてぱちんと音を立てたが、クッションに顔を突っ込んだ少年は微動だにしない。橙色の炎の照り返しの陰影にキャラメル色が沈んでいる。
規則的な呼吸は聞こえるので万が一昏倒している、ということはないだろう。
スサーナはそっとしておくべきかと悩んだものだが、風邪を引いてはよくないし、最近屋敷の者たちもすっかり慣れて放っておくようになってしまったが、王子様がソファでうつぶせ寝をしているのはちょっとどうかという気もしなくもないのでそっと揺り起こすことにした。
「レオくん、レオくん? 風邪を引きますよ?」
ううんううんと呻いたレオカディオ王子はうっすら目を開けて数瞬、がばっと跳ね上がるように起き上がった。
「スサーナさん。僕、寝てました?」
「はい、とてもよく。お起こしするか迷ったんですけど、風邪を引いてもよくないですし。換気が悪くてお加減を損ねておられる可能性もありましたので、申し訳ありませんが、お起こしさせていただきました。」
少し遅いですけど、迎えを呼びますか? それとも召使いを呼んで部屋を用意させましょうか、と言ったスサーナに彼は目元をこすり、もう少し部屋は後でいいです、と答える。つまりこちらで寝るということだな、と呼び鈴を取ったスサーナは、暗い壁際にラウルが控えているのを見つけ、おや、と目をしばたたいた。最近レオくんは護衛官を置いてくることが多いのだ。
「じゃあ、飲み物を用意させますね。」
「はい、ありがとうございます。あの、スサーナさん。」
やって来た侍女に
「ええっと、実は今日はスサーナさんを待っていたんです。……今日、どちらにいらっしゃいましたか?」
スサーナはそのままぎぎぎ、と首ごとあさってのほうに視線をそらした。
「エエトナンノコトデショウ。えー、そのー、「ミレーラ妃の居間」に朝出向きまして……」
「じゃあ、午後は? 宮殿におられましたよね?」
かるく腕を掴まれてスサーナはううんとなる。本当に本気の言い逃れをすべきだろうか。バレないほうが絶対に良いには違いないが、バレたらその時点でうまく丸め込む方針のほうが後腐れはないに違いない。ある程度バレる可能性含みで完璧な変装は諦めたのだからして。
「実は夕ご飯は兄上と食べてきたんです。」
あ、これは駄目なやつか。先にフェリスちゃんを押さえられているならジタバタしても仕方がないかもしれない。スサーナは首をすくめた。
「ええとその……バレましたか。」
「今まではもしやと思っていましたけど。やっぱり。侍女の格好をしていましたよね。どうしてあんなところに? 駄目ですよ、下級侍女に混じろうだなんて。兄上がしがちなイタズラではありますけど……スサーナさんがやるようなことではありません。」
――しらばくれたら行けたやつだった!
どうやらフェリスちゃんは口を割らなかったらしい。もしくはあれはただのハッタリ。
もう、と眉を寄せ、諌める顔をしたレオくんにスサーナはくっとなりつつ殊勝な表情をしてみせる。
「すみません。レオくん。ご心配をおかけしてしまいましたね。」
「もう。駄目ですよ。万一本当に侍女だと思われて仕事を言いつけられたり叱られたりしたらどうするおつもりなんですか。使用人たちも皆に親切なものばかりではないといいますよ。今日だって重いものを……」
それは全く問題がないのだが。
「あれは、私にはほとんど重さはかかっていませんでしたし。そのあたりは……そう、フェリスちゃんがうまく取り計らってくれたとでも言いますか……ええ。でも、私、レオくんのことが心配で。思い余ってしまいました。」
「心配、ですか?」
きょとんとしたような顔をしたレオくんが繰り返すのにスサーナはええと頷いた。
「乙女探しに関して悪いことを企む方もいらっしゃるかもしれませんし。あまり良くない噂のある方が関わっていると聞いたんです。」
「なるほど、でも大丈夫ですよ。ラウルをはじめ、護衛の者たちが側に居てくれますし、あれから護符は離さぬようにしています。」
「ええ、でも、それでは間に合わないこともあるでしょう? 例えば、時と場合によったら許される……第二王子殿下でしたら歓迎するような、そういう事とか。……フェリスちゃんも心配していました。それで、混ざってもおかしくないように侍女の服を用立ててくれたんです。」
流石に当人に「思想汚染される」だとか「誘惑される」だとか直球に言うのはちょっと準備が足りないか、とスサーナはあいまいな言葉を使う。後者の話は周りを納得させるにはいいが本人に直接具体的に振ると侍女のフリの継続が無理になる気もしなくもない。
濁した言葉のおかげで、――スサーナもフェリスちゃんも想定しているのは結構にどぎつい事態、騒いで既成事実を無理にでも述べ立てるとひと悶着あるやつのほうなのだが――レオくんはスサーナの心配している事態をだいぶ少女が想像するような事象寄りに受け取ってくれたらしい。
「それは、確かに、ああいう席ですと多少親しいふるまいもしますけど……所詮は社交辞令ですよ。っその、そのために侍女の扮装を? それは……すごく、嬉しいですが……」
困惑しつつも語調が軟化したレオくんにスサーナはここぞと取り入る方向に決定する。
「ちゃんと大人しくしていますし、レオくんにはできるだけご迷惑をかけないようにします。お父様にはお伝えしないで……続けさせてくださいませんか。」
「その、でも、誰か大人に気づかれたらどうするおつもりですか。使用人たちも馬鹿ではありません、会場に慣れぬ振る舞いの下級侍女がいきなり混ざっていたら怪しむかもしれませんよ。ひどく叱られるかも。」
「お忘れですか? 私、もともと侍女ですよ。にわかですけど……。バレづらいとは思うんです。まずいと思ったらすぐ離脱しますし。見ていたら……いけませんか?」
うぐぐと呻いたレオくんにさて後はどう押したものか、と策を練るスサーナだったが、助け舟はあらぬほうからやって来た。
「殿下、恐れながら。もう夜が更けます。どうぞ本題を」
「ラウル」
声を掛けてきたのは壁際に控えていたラウルだった。
「そうでした。今の話も本題ではあるんですけど……。」
本題? と首をかしげるスサーナにレオくんはこほんとちいさく咳払いをする。
「はい、その、今日の茶会でのことなんですけど。実は僕、とラウルは「茶会で何か知らせてきた」侍女に詳しい話を聞こうという予定だったんです。……その、ただ、スサーナさんなのではないかと思ったので、表立って呼び出すのはやめて待っていたんですけど……。」
「ああ……なるほど……。」
「それで、あれはなんだったんでしょう? 一応人に気は張らせておきましたが、その後何事もあった様子はないですし、危急の事態ではなさそうだとは判断しましたけど」
「ええとですね、危急でないといえば危急ではなさそうな……、でも安全管理としては問題があるような……」
スサーナは実は、と話し始めた。
下剤になる草が鉢植えに混ざっていた、と言うだけではあるのだが、それはそれで食品の監査としては問題のような気がするということ。
一通り話し終わると、レオくんは腕を組んでなにやら納得したような顔をしている。
「……ということだったんですけど。一体どういう事情だったのでしょう?」
「すみません、スサーナさん。よく気づいてくださいました。……ここのところ大人しかったので良かったんですけど。まさかあんな事があった後に、ああいう席でしてくるとは、人の目が流石に厳しいとは思われないんでしょうか。」
「……ここのところ?」
「はい。実は、結構よくある話なんです。一応、妃宮へ連絡をよろしくおねがいしますね、ラウル。違ったら一応気にするべきですし。」
壁際で聞いていたラウルがすっとドアの方に向かうのが見えた。ぽかんとしたスサーナが目線で説明を要求すると、レオくんは小さく頬をかいて苦笑する。
「定番の嫌がらせなんですよ。おままごとのようなものだ、なんて言いますけど、おままごとにせよ、母は色々と敵も多いので。」
お茶も来たし、飲みながら説明しますね、とレオくんが言ったので、スサーナはとりあえずポットに入ったままのカモミールティーを注ぎ、レオくんに一つ渡してから一つ取る。それからソファの端に座って、詳しい説明を聞くことにした。
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