第292話 偽物侍女、さらに奔走する 2

 次の日の午前中、今日は屋敷でしっかり下級侍女の扮装をしたスサーナは、ミッシィの手引で馬車に乗り、王宮へ向かった。王宮の外廷、役所側の一角で待っていたラウルの紹介でだという侍女に引き合わされる。

 流石にミランド公の一子ショシャナ嬢が話を聞きたがっている、というふうにすると彼女が誰かに「ここだけの話」を我慢できなかった時がまずいらしく、なにかラウルの関係者、というような扱いだ。


「知人の娘です。最近王宮で働き出しまして。……御婦人方につく時に色々あるようで、私に相談をして来ました。色々教えてやってください。」


 そう言われた太りじしの中年の侍女は何か好奇心たっぷりの目をして、彼の言ったことは多分半分も信じていないのではなかろうか、とスサーナに思わせたが、それでも頼まれたことはちゃんと遂行する質だったらしい。


「ようがす、それでは何から説明いたしましょうねえ。まず、派閥と言えばお妃様3人のどなた贔屓かというのが大きいでしょう。その他にもご生家の立場、ご結婚相手の地位、色々ありますけれど、まずは……」


 お妃3人の誰を贔屓するか。生家、婚家の地位と立場。そのあたりの基本に加えて、遊興の場での関係やら、パーティーでの遺恨やらが複雑に関わってくるものだという。どれを重視するか、は貴婦人それぞれで違うため、家の立場がこうだから誰と近いはずと言うような単純な予想は比較的外れるのだとか。

 影響力がある貴婦人、というのも複数おり、これも家柄、婚家、趣味で頭角をあらわしたもの、さまざまなのだという。ともかく貴婦人社会で評判になる、それが妙な話貴婦人社会で行為で、一目置かれる女性を中心に小派閥があり、小さなグループを多数内包した大派閥がある、という具合。


 スサーナの目当て、いや、ラウルがスサーナに聞かせたがったビセンタ婦人はそこそこの領地を持った候の家柄であり、祖父の代より王宮の建設部の監督官を任された、つまり由緒正しい家で、社交も華やかで行動力がある、ということで「それなりにいい位置」の貴婦人なのだそうだ。


 ――「それなりにいい位置」というのもすごい表現ですよねえ。貴婦人の人間関係、学院で見たのとかご令嬢達の延長線上っぽいんですけど、権力も関わってくるから余計面倒な。


 スサーナはそっと溜め息を吐く。それは、続けて話された彼女の評判と逸話を聞くに、「ビセンタ婦人がザハルーラ妃への嫌がらせの犯人だろう」とレオ君たちが類推する理由がそれだけでほんのりわかるぐらいにはプライドが高く、苛烈な女性らしい、ということがわかったためだった。


 一通り説明を受け、スサーナはありがたくお礼を言って、ミッシィに用意してもらった「評判の焼き菓子」を渡す。


「あらまあ、あらまあ、これはウニカの……」

「ご存知でしたか。お菓子屋パステレリア、最近評判の新業種らしいですね。甘いものだけ売っているお店ですとか。親類につてがあって、ご用意してもらったんです。お口に合えばいいんですけど。」


 このお持たせに侍女の態度はぐっと軟化した。彼女は残りの予定の時間いっぱい掛けて貴婦人たちの複雑怪奇な関係のことをより詳しくスサーナに説明してくれ、説明しきれていないから、と次の予定まで入れてくれたものだ。


 午後からは妃宮に行くことになっている、のだが、その前にスサーナはアリバイ的に侍女たちの控室に顔を出す。

 今後は侍女のふりをする頻度が少し下がってしまいそうだし、ひとつ挨拶というか、ことわりを入れておく必要性を感じたのだ。

 こちらでもビセンタ婦人の情報は手に入る気はするので程よく集めておく必要もあるが、ラウルが欲しそうなのは多分貴婦人よりの情報なので、程々にバランスを見極めねばならない。


「失礼します。」

「あらスー、遅かったじゃない。なあにそれ、お菓子?」


 年嵩の侍女が数人控室にはいて、スサーナが持った菓子箱から漏れる香りに敏感に反応した。


「ええ。家のことが少し忙しくなっちゃって、すこしこちらに上がる頻度が下がるんです。今日はその挨拶で。これ、皆さんで分けてください。」


 あっこれ、評判のやつよ!と叫ぶ者、スサーナが仕事に上がる頻度が下がるというのにうえーっと声を上げる者。


「ええーっ、そうなの!? 新参の子たちのうちでアンタとサラが一番使い物になりそうだったのに」


 下級侍女たちのうちのまとめ役めいた最年長の一人、「班長」とあだ名される侍女がぐったりした声で言った。彼女の言う「新参」はスサーナには先輩と認識される下級侍女たちも一緒くたにした呼び方だ。


「サラも辞めちゃうっていうし。これは大変になるぅ……」

「え、サラさん辞められるんですか?」


 かくんと縦に首を落とした彼女にスサーナは問いかける。自分が仕事に入る頻度が下がったらサラはどうするだろう、と思っていたのである意味で――班長には悪いが――朗報だ。


「うん、そうなのよー。なんだか子供の居ない親類の養子に入るらしくって。」


 一応貴族らしいわよ、と言う班長にスサーナは目を瞬いた。サラは下級貴族の六人目の娘で、そのままでは生活のくちがない、という理由で働きに来ていたのだ。だから、多分どこかの養女に入れるなら、まあ普通に考えれば「おめでたいこと」のはずだ。


「え、それはお祝いを申し上げるべきですね? こちらにまだ顔を出すことってあるんでしょうか。何かお祝いでも渡せたらいいんですが。」

「わからないけど。多分荷物ぐらいは取りに来るでしょ。まだ部屋そのまんまだし。何かあったら渡しておく?」


 ――ええと、ミッシィさんに頼んでまたお菓子をお願いして……他になにか渡せるもの、あるかな。

 ええはい、明日にでも、とスサーナは首を縦にふりたくった。



 侍女たちに挨拶した後に午後は忙しなく屋敷に戻り、何食わぬ顔で部屋で着替えさせてもらって「今日王宮に出向くのは初めてです」という顔でミレーラ妃の妃宮へ向かう。

 行ってみるとフェリスちゃんがやって来ており、貴婦人たちも交えて庭で盛大にお茶をしていたのでスサーナは遠巻きに眺めつつ、ミレーラ妃の周りで歓談している貴婦人の人相を一通り確認した。

 隙をみてイネスに聞いては顔と名前を一致させ、覚えこんでおく。


 ――なるほど、あの方がビセンタ婦人。

 妃とは少し離れているものの、輪の中心、といった位置で談笑しているその女性は鳶色の髪を見事に結い上げ、強い眼差しをしたはっきりした顔立ちの女性だった。

 容貌、化粧の仕方もさながら、動きや目線の使い方がいかにも自信たっぷりで気が強いという雰囲気で、まったくマインドセットの一つもなければスサーナは微妙に気後れするタイプの女性だ。3人の王妃達は皆例えるならば水彩画のような雰囲気だったが、彼女は油絵。それも極彩色のものだ。

 鮮やかなカナリア色に髪に合わせた鳶色を使ったドレス。胴着は最新流行の形で下からぐっと乳房を押し上げ、薄い布地を縁にふわふわと重ねた襟ぐりから盛大に盛り上がっているし、締めた腰には金属の飾りベルト。昼の衣装にしてはやや際どい意匠で、市井の流行もいち早く取り入れているらしい。自分の体型に自信があるのが全身から匂い立つようだ。

 気品あふれる艷やかさながらおっとり穏やかな雰囲気のミレーラ妃と比べると、彼女のほうがむしろ印象には残るかもしれない。

 ――プロポーション凄いなあ。すごく華やかな美人さんですし。……でも、お妃様達みんな「透明感!!」みたいな感じですもんね。確かに少しジャンルは違うのかも。

 スサーナはレオくんが言っていた、彼女は妃になるだろうと言われていたが多分そうはならなかっただろう、という話をなんとなく思い返した。


 彼女はミレーラ妃とは「社交の範囲の会話」という雰囲気で、ミレーラ妃と親しげな数名に比べればとても仲がいい、というわけでは無さそうだったが、それなりにミレーラ妃にへりくだった態度で談笑している。


 ――さて、いきなり近づくのも違和感がありますし。今日は顔と……どういうお話をされる方かだけ覚えておきましょうね。


 そう考えたスサーナは耳を澄ませ、とりあえずひたすら会話の内容を頭に叩き込む。

 なるほど、先に聞いた評判通りビセンタ婦人は「それなりにいい位置」の立場なのだろう。王妃と直接言葉をかわすことは少ないながらも、貴婦人同士のちょっとした会話やらを聞いていると、どうやら話を主導的に進めるポジジョンであるような風だ。


「急なお茶会とはいえ、運び込める花が少ないのは残念でしたわね。」

「ええ、ただでさえ昨日はザハルーラ妃殿下ご主催のお茶会があったのでしょう、そちらで沢山お使いだったそうで。」

「ええ。そうだというお話ですわね。それほどお飾りになるなんて。身分のあるご令嬢を集めたわけでもないそうですのに随分張り切られましたこと。ええ、でも、身分のお高くない方々に対等に接されるのはザハルーラ妃殿下のご美点ですものね。」

「わたくしも聞きましたけれど、なかなか華やかな会だったとか……」

「まあパキタ様、わたくし、あなたとお話していたかしら?」


 ビセンタ婦人が不用意に口を挟んだらしい相手に対してぴしゃりと言ったのを聞いてスサーナはそっとひええとなる。


 ――うん、あの、わかっていた気もするんですけど、多分明確にこれ、


 苦手なタイプ!

 スサーナはそっと空を仰ぎ、明日以降の平穏を祈るのだった。

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