第293話 偽物侍女、さらに奔走する 3

 それからの数日、スサーナは全力の多忙を極めた。


 妃宮へ出て、お茶会や貴婦人が来る際にはまだ年嵩のご令嬢が誘ってくれるのを有り難いことに「気が向いた」フリで生活態度を社交にやや寄せる。

 キャンキャン噛み付いてくるグラシア嬢をあしらいつつになるので面倒だが、社交的な態度をショシャナ嬢が取るならばやはり地位の高さだけはあってそれなりに周囲が忖度してくれるのでまあなんとかなりそうな気配だ。


 空き時間を見繕い、侍女の扮装をして下級侍女の控室へ向かい、サラへの餞別に日持ちのする焼き菓子を言付け、さらに侍女たちの予定をふんわり把握する。訳知りの侍女による貴婦人の人間関係講義を受け、そろそろなりふり構えなくなってきたので(本当は顔バレがありうるのであまりやらせたくないのだが)ミッシィに頼んで外廷に潜んでもらい、ドレスを着付け直して妃宮へ戻る。帰ってからも家人と顔を合わせ、それはそれで普通の社交がある日も流石にある。そして深夜、いかなぐったりしていようともカリカ先生の鍛錬もネルからの定期報告も別に休めたりしないのである。むしろネルからの定期報告が一番重要だ。


 ――養女になる、って決めた時、こんな生活になるだなんて流石に思ってませんでしたね!?

 命を狙われるということ、権謀術数渦巻く貴族社会に入るということ、どちらも覚悟はしてきたはずだが、それはそれとして実質の生活はもっと植物めいた単調なものになるだろうと思っていたのだが。なにせ王都の屋敷で令嬢として過ごすのも「守りやすく目の届くところで過ごす」という目的だったはずなのだ。普通それで想像するのは籠の鳥めいた穏やかな生活だ。

 現状予想は大幅に外れ、フルスロットルで駆け回る日々だ。なにかセンチメンタルに沈み込む余裕すらない。一切ない。


 おかしい。ロコを揉む余裕すらあんまりないのだ。編む余裕があるだろうと思っていたレース編みのヴェールなぞ全然進まない。これはもうそろそろ諦めてレースのヘアバンドで妥協すべきだと理性は告げてくる。


 数日目の夜、鍛錬を終えたスサーナは暗い部屋で天井を仰いで呻いた。


「報復性夜ふかしをしようものなら朝になりそうなんですが……」


 呻きつつも夜はできるだけ寝る。

 流石に思考するべきことが多岐にわたり、寝不足の頭だと不味そうなのと、安眠薬が届けられたからだ。魔術師本人がやって来たらお説教の一つも貰いそうだが、文字通り飛んで来たのは薬と栄養補給アイテムばかりだったのでその問題は無さそうだった。



 一杯一杯になりつつも、状況の進みはそう悪くない。三月近く特に問題も起こさず過ごしたネルは教団に馴染み、伝道師達や信者たちの「新参には見せない」ようなあけすけな会話や態度を目にすることも増えてきたようだし、時折行うフィリベルトとの連携も見咎められては居ないようだ。

 スサーナは適宜活動資金をネルに渡し、入信の理由が金銭苦だと明確な教団員を選んで軟化させるよう企みつつ、ある程度情報がまとまった状態でフィリベルトに横流しするように指示してある。

 明らかにアブラーン卿と教団は恒常的な繋がりがあり、を更に介し、利害関係がある豪商、もしくは貴族たちが存在するのは間違いないようだった。


 ――流石にネルさんの立場ではまだ内情まではわかりませんが、こっちで王宮の人間関係から類推が出来るようになったら警戒もしやすいですよね。早めにフィリベルト様がうまくやってくれればいいんですけども。


 ビセンタ婦人の方はまず下級侍女側で進捗が少し。あの日付近で備品部の仕事を仰せつかった、という使用人の知り合いがいるという下級侍女が、沢山小遣いを貰える係があるらしい、と噂をしており、それがどうやら造園部のお仕事で、観葉植物の運び込みだったらしいということを聞けたというぐらいだ。

 王宮というのは厄介な場所で、奉公人の皆様はあまり自らの職掌を超えた事柄に興味を持たないらしく、横断的に仕事をするのは下級の――あまり厚遇されているとはいえない――使用人と、伝統的にそういうものである下級侍女ばかりであるので、あまり俯瞰した意見は得られなかったが、造園部の偉い御婦人の指示だ、というのは聞けたので多分それはビセンタ婦人で間違いないようだった。

 なんでも、気に入っていただけると、ちょっとひと手間ある雑用なんかを振ってもらえて、それなりの小遣いを貰える、だとか。

 スサーナはとりあえず彼女と親しい数人の名前を覚えておくことにした。


 やることは増えた。増えたが、結局本質的に行うべきことはリーク、そして警戒とフォローであることは変わらない。

 お父様やその周りの人々、もしくはガラント公の方面だろうか。治安維持をする人々がうまく内偵を済ませて危険分子を一網打尽にするまで、有用そうな証拠があれば流し、レオくんの周りを警戒し、何かありそうなら――行事に付随してやってくる嫌がらせもまあ含めて――フォローする。ついでにレオくんとお母様の心配事を取り除ければ一石二鳥。命の危険が伴うことではあるけれど、切羽詰まって今すぐ自分でなんとかしなくては、ということではない。きっともうしばらくの辛抱だ。


 この時は、スサーナは心の底からそう信じていた。




 ◆  ◆  ◆




 その日、ビセンタ・アギラール……ビセンタ婦人と呼ばれる彼女は第二王妃ミレーラの妃宮にご機嫌伺いに出向いていた。


 かつて妃の指名は確実だと囁かれた身としては、運良く王の寵愛を得た女の機嫌を取らなければいけないという立場には思うところがないわけではない。


 偶然旅先で子ができたという理由で王妃の位が転げ込んできたような卑しい女第三妃ザハルーラ。たったそれだけの理由がなければ第三王妃の位は正しく自分に与えられるべきものだった。他の二人の妃とも対等に口をきける立場になるはずだったのだ。


 だが、それでも彼女は第二王妃の傍に侍ることを選んできた。男児を二人産んだミレーラ妃こそが王に最も寵愛された……王の注目を受けた妃である、というのは貴族たちの間で半ば大っぴらに囁かれてきた噂だ。

 必然、彼女の周りに居さえすれば、それは王の側近く、目に留まる位置にあがりやすい、ということだ。

 最も重用した妃と親しい女。それが素晴らしい肉体を持った選り抜きの美女なら?

 今この時、34という年齢であっても寵愛を得るのに遅すぎるという歳ではない。

 彼女は自分の美貌にこの上ない自信を持っていた。目にとまりさえすれば王の心を奪えると確信するほどに。


 男たちがひれ伏すほどに自分は美しいのだから、望んだものは手に入るべきだ。自分にはそれだけの価値がある。その自負があった。


 妃宮の長い廊下を歩きつつ、彼女はふと秋の初めに参加した降霊会のことを考える。

 降霊会とは最近市井で流行っている遊戯会だ。神々の元へ行った死者がの知識をもって運命を知らしめるのだとかいうもの。新しい遊びの場には物見高い貴族が集うもので、彼女も招待を受けて出向いた場所だった。

 そこで出会った相手はとても興味深かった、そう――


 記憶をなぞっているうちに、廊下の合流で小柄な影と進路が交わったような気がしたが、気にせず歩む。ドレスの端が揺れたようだが道を譲るべきは行儀見習いの小娘たちの方ゆえ特に気にもとめなかった。


「すみません。あの、もし。……扇子を落とされました。」


 横手から掛かった遠慮がちな声にビセンタははっとそちらを振り向いた。


 掛かった声は幼かったから、曲がり角をすれ違おうとしたのが奥のほうに呼ばれている「行儀見習い」の令嬢だろう、と行った予想は当たっていた。

 まだまだ幼さを残した少女がビセンタの扇子を差し出す姿勢で控えている。

 彼女がまじまじとその娘の姿を見たのは、その年若い令嬢の髪が特徴的な黒をしていたからだ。

 ――黒い髪。こんな野卑な色をした娘がこんな場所にいるということは――

 ビセンタは急いで笑顔を取り繕う。


「まあ、ありがとう。拾ってくださったの。」

「ええ。申し訳ございません。わたくしがぶつかってしまいましたから。壊れたりはしていないと思うのですけど。」


 扇子を渡してきた娘の顔を覗き込み、極力にこやかに笑ってみせる。


「貴女、もしかしてミランド公の――」

「ええ。ショシャナと申します、ビセンタ婦人。」

「あら。わたくしのことをご存知? 」


 ビセンタの顔を見上げた娘は幼い表情で、どこか媚びるように微笑んだ。


「ええ。イラオーナ候は宮廷の建物のすべてを任される名誉ある職の方ですから。血縁の方でしたら私のような不案内なものでも知らぬはずがございません。……先年計画を取り仕切られた「泉の庭」はとても素晴らしいものだったと、父が。」

「まあ、光栄ですわ。」


 この娘がそう言った、ということは、ミランド公が彼女の家柄、もしかすれば彼女自身を価値あるものとみなしているということか。

 小さく一礼して奥へと歩んでいこうとするのに笑いかけ、歩調を合わせてビセンタは横に並んだ。


「ショシャナ嬢はご覧になられたのかしら。」

「いいえ、お恥ずかしい話ですが、こちらの国には来たばかりで、親しいものもほとんどまだおりませんから。でも、とても楽しみにしておりますの。新年の祝いにも使われる場所なのでしょう? ああ、係累の方に直接お伝えできるなんて夢のようです」


 娘のはしゃいだ声に、これは思いがけぬチャンスの尻尾だ、と、ビセンタは目まぐるしく計算をしながら最上の発泡葡萄酒でも飲み干したかのような感覚を覚えていた。



 またとないチャンスだ。

 スサーナはできるだけ幼気な、駆け引きなどご存知ありません、という顔をして微笑んで見せる。

 少し前に上の階で見かけてからさり気なく動向を気にしていたのが役立った。他に人通りもない場所でなにやら上の空で歩いている様子だったため、さり気なくドレスを揺らし、扇子を落として声をかける切っ掛けにしたのだ。

 明日の集まりで声をかけるにせよ、声がけを待つにせよ、これでずっとやりやすくなったはずだ。

 この手の行為は殿方が妙齢の女性に行うならば警戒もされようが、お披露目前の小娘である自分ならばそうそう疑われないだろう。普通に考えれば知り合いたがる理由がないのならなおのこと。


 ――さて、これもレオくんのため、それからついでに念の為。


 精々気に入られてやろうではないか。


 彼女らはそれぞれ腹の中で考え、目を見交わしてにっこりと微笑みあうのだった。

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