第230話 円舞曲への勧誘
ノックの音に目を開ける。
スサーナは少し戸惑い、それから喉から音を出すのを試みた。
「……どうぞ」
会食の場で気絶したあと運ばれたのだろう、スサーナは気づけば贅を凝らした部屋に寝かされていた。
あれからどのぐらい時間が経ったのかはわからない。
一度は覚醒したのだが、前日から眠っていない疲労と、多分失血のダメージも残っていたせいですうっと二度寝していたのだ。
多分音楽堂ではないだろう、と思いつつもどこだかはとんと見当がつかぬ。見覚えはないので多分ガラント公の別邸ではないと思うのだが。
寝台の上で身を起こし、それなりに身繕いをするのと、ドアが開いて誰かが入ってくるのがほぼ同時だった。
「お邪魔するよ。」
入ってきた人物にスサーナは少し目をしばたたく。
「フィリベルト様」
ドアを開けてやって来たのは去年の夏の騒ぎの際に島に来ていた特務騎士、フィリベルトだったのだ。
「おや、覚えていてくれたのか、お嬢さん。それは光栄だな。……体はどうだい? 今回は大手柄だったそうじゃないか。悪いが、ちょっと話を聞かせて貰えるかな」
寝台の側の椅子に腰掛けて特務騎士殿はにっこりと快活に笑った。
事前にレミヒオやミッシィと口裏を合わせ、セルカ伯に説明した部分はもう話が通っていたらしい。そのあたりは聞かれたりせず、なぜあの給仕係が怪しいと思ったのか、という部分を問われたスサーナは、先に用意していた理由を語る。
「ええと……偶然当たった、みたいなものなんですけど……」
誘拐された時にちらっと見た紋章とグラスに描かれていた象嵌がよく似ていた、とまことしやかに述べる。
嘘ではないのだが、百合の紋章だけなら珍しくないものだし、柘榴は王家に関わる紋章なので本来はつよく怪しむほどのものではない。誘拐された時に垣間見たのは柘榴抜きの百合だけで、本当ならそれだけで怪しいかどうかの判断をしたら正気を疑われるだろう。
――とはいえ、事件の内容を夢で見たものでとは言えませんものねえ。
自分が何なのかを説明してしまえば早いのかもしれないが、流石にそのつもりは沸かなかった。常民の漂泊民への認識と態度に警戒と阻害が含まれているということ、それからどうも鳥の民という民族には秘密主義の気配がすることはなんとなく察している。
巡り巡っておうちに迷惑がかかるかも知れないことはごめんだった。
「何か起こるかもしれないと思っているときでしょう? どうしても気になって……」
そんなことで? と言われるのではないか、と予想していたスサーナはフィリベルトが重々しく頷いたことで拍子抜けした。
「君がカンが良くて助かった。」
後はセルカ伯に話したようなことをいくつか再確認してフィリベルトは去っていった。
それからそう経たずにまた次の訪問者がやってくる。
次に扉を開けて現れたのはミランド公だった。
従者たちに外で待つよう示し、ドアを閉める。
「ミランド公閣下。」
「ああ、おほん。起きなくて構わんよ。楽にしていてくれ。」
「あの、ここは……」
「うむ、私の屋敷でね。王宮へ運ぶよう仰せつかってはいたのだが、それではゆっくり休みづらいだろう。無理を言って攫ってきてしまったのだよ。礼儀だの寝相だの気にせずしっかり休むといい。」
寝台の側までやってきたミランド公は寝ていていいとスサーナに示し、自分で椅子を寝台に寄せる。
「済まなかった。万全の警戒をしていたつもりだったが……恐ろしい目に遭わせてしまった。君が気づいて動いてくれなければもしや恐ろしいことが起こっていたかもしれぬ。王の臣民として礼を言わせてくれ」
手を握って謝罪され、大仰な礼を受けてスサーナは慌てて頭を振った。
「いえ、そんな。私はほとんど何もしておりません。実際に働かれたのは騎士の方々ですし、魔術師の方々です。私はただ怪しいと言っただけで……そんなことより、王族の皆様はご無事なのでしょうか」
「ああ、つつがなくおられるとも。」
「皆ご無事なんですね……。良かった。」
その後、ミランド公にあの後一体どうなったのかの説明を受ける。
あの後無事に下手人は捕縛され、王と王族たちに被害はなく、招待客たちにも大怪我をしたものは無かったのだという。騎士と使用人には数名尊い犠牲は出てしまったが、それでも被害は極力抑えられた。
混乱はあったものの、明日王家から声明が出て、事態は一応は沈静化するだろう、ということだった。
「まあ、明日から続くはずだった祝賀の行事は中止だし、招待客……それと、せっかく王都に招いた学生達には帰還してもらうことになってはしまうがね。それは些細なことというものだ。」
ああ、大事にはならなかったのだ、とスサーナはホッとする。
社会的にはそれはそれは大事になっているのだろうが、夢で見た光景に比べればどれほどにかマシだ。
ホッとした顔のスサーナにミランド公はまずは安心できたかね、と微笑んだ。
そして、居住まいを正してこう言った。
「さて、スサーナ嬢。実は私はとても大切な話があってここに来たんだ。なにがあったか説明したばかりで悪いが、これからの話をしよう。」
「これからの話……ですか?」
「そうだ。単刀直入に行こう。スサーナ嬢。うちの子になりたまえ」
「……はい?」
重々しい表情と言われた言葉が一瞬一致せず、スサーナは思わずぽかんと疑問符を浮かべた。
「あの、意味が……」
「言葉通りの意味だよ。スサーナ嬢が私の養女……いや、養女ではないな。「隠し子」になるというわけだ。……勿論、伊達や酔狂でこう申し出ているわけではない。」
ミランド公は肩をすくめ、実は養女にとはあわよくば申し出ようとは思っていたんだがね、と言って、それから真面目な顔に戻る。
これは君を守るための申し出だ、と思ってくれて構わない。ミランド公はそう言葉を続けた。
居並ぶ貴族達の前で王家の人間を救った人間、これだけで貴族達には喉から手が出るほど欲しい人材になる。これがまず穏当な方の一つ。
そしてもう一つ。君は刺客を言い当てた、ミランド公はそう言う。
事態の黒幕はスサーナのことを調べ当てれば邪魔に思うだろうとミランド公は説明してみせた。また、どれぐらいのことを彼女が知っているのかを恐れるだろう。と。
「さっき部下から報告を受けてね。……スサーナ嬢が誘拐された時に見たという紋章は……表では言えないが、この国に掛かる嵐雲のようなものだ。君はごく些細なものに気づいただけだと思うかもしれぬが……相手はそうは思わぬだろう。」
平民の商家の娘さんでいるよりもミランド公の娘であるほうがずっと守りやすい。
それはスサーナも、スサーナの家族もそうだ、と彼は言った。
もちろん、謎のご令嬢ということで誤魔化す手もあるだろう。
ただし、ただ誤魔化すよりもはっきりとした偽りの経歴で塗布してしまうほうがいいのだ、とミランド公は言う。
ミランド公の隠し子だ、と言われ、そういう経歴さえ辿れる令嬢が辺境の島の商家の娘だとは誰も思わない。
学院などで「そうだ」と知られていたとしても、なんなら「という偽装だった」ということにしてしまえば、本当のことを辿れるものはぐっと減ってしまうものだ、と。
「運のいいことに、私はグリスターンによく渡るし、あちらに愛人がいるだなんだという噂も根強くてね。君の髪の色がよい誤魔化しになってくれる。」
そう言ってからミランド公は強いておどけた表情で片目をつぶってみせる。
「勿論、それだけの理由で言っているわけではないぞ。スサーナ嬢、元々君を養女にできればと思っていたのは本当でね。今回の夜会あたりであわよくば水を向けてと思っていたんだがなあ。まさかこんな形で申し出ることになるとは思わなかった。私はお父様と呼んでくれる娘が欲しくてねえ。それが君のように焼き物に明るいお嬢さんならなお言うことはないと思っていたのさ。」
どうかな、と言ったミランド公にスサーナは少し目を伏せる。
――おうちの皆が私のせいで狙われたりするかもしれない、だなんて考えなかった。よく考えなくてもありそうな話だったのに。
つまりこれは自分の責だ。
「おうちの皆に……ちゃんとご説明してくださいますか?」
「どの程度秘匿するか決まっていない今この時点でははっきりと約束はできないが……出来る限りスサーナ嬢とご家族が納得できるよう取り計らおう。」
勿論それだけなどという薄情なことをするつもりはない、とミランド公はどんと自分の胸を叩いてみせた。表向き別の理由になるけれど守れるようにするし、直接というわけには行かないだろうが何らかの形での庇護と援助を、と力強く言う。
――ああ、これは。思ってみれば、最高に都合のいい渡りに船じゃないですか。
スサーナは微笑む。
少し、距離を離すのが予定より急だから、皆驚くかも知れないけれど、それだけだ。
自分に気を使わなくて済むようになる。大貴族の援助。どちらもおうちにとってはとてもありがたいことのはず。その上、自分が起こしてしまった災いから守られるというなら、気後れする理由なんか何ひとつもありはしない。
これから帰るつもりで予定を立てていたこと。叔父さんとブリダをひやかすことや、お祖母ちゃん達に学院の話をすること、フローリカちゃんにお土産を渡すことなんかが出来なくなりそうなのが少し心残りなぐらいだった。でも、それも未練ばかり増すだけだったかもしれないから。
「……公のご息女らしいと皆様に思って頂けるほどの気品もなにも持ち合わせてはおりませんけれど。……不束者ですが、ぜひお受けさせて頂けますでしょうか。」
「そうか! では追って詳しい相談をしよう。今夜はもう遅い故、ゆっくりまずは休みたまえ。……よろしく頼む、スサーナ嬢。」
「はい。よろしくお願い致します、……お父様。」
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