第231話 終曲 suffocato ma non tanto(息詰まるように、しかしあまりはなはだしくはなく)
次の日の朝、朝焼けに紛れるようにやって来た二人組を目にしてスサーナは全力で首を傾げた。
「レミヒオくん……は、いいとして、ネルさん!? いいんですかこんなところに来て!」
特にミランド公の屋敷を出た、というわけではない。昨夜寝かされた部屋で、使用人が来客があると伝えてきてやって来たのが予想外に彼らだったのだ。
椅子に座って出迎えたスサーナは、レミヒオがすっとドアを閉めるのを見る。二人共どこかの使用人でおかしくない格好だ。レミヒオでは慣れたものだが、ネルは普段もう少し気軽な服装をしているので少し見慣れない。
「本当に。……ネレーオさんには自由に動ける遊撃手で居てほしかったんですが。……あの女の方、ミッシィさんですか? あの方の立場について誤魔化す際に、ネレーオさんもうまく表に出せるように……セルカ伯にお願いしたんです。」
つまり、ネレーオさんは一応立場上僕と同じになるわけですね、いやあまったく、とレミヒオが肩をすくめる。どれだけ面倒な橋を渡ったか。本当に僕に感謝してもらわなきゃやっていられない、一生モノですよ、などとぼやくレミヒオの声が聞こえていないかのように早足で歩み寄ってきたネルは、ぽかんとしているスサーナの顔を覗き込んでようやくホッとしたような顔をした。
「お嬢さん、体は大丈夫なのか」
「あっ、はい。ええ。首に包帯とか巻かれちゃってますけど、無傷なんですよ。これ、外してもいいと思うんですけどね――」
快活を心がけて笑ったスサーナは、ネルが自分の肩を掴むようにして顔を伏せたのに慌てた。ところで、数歩離れたところでレミヒオがチベットスナギツネのような顔になっている。
「ネ、ネルさん……?」
「良かった……」
絞り出すような声が痛ましい色合いを帯びていて、スサーナはとりあえず手を伸ばしてその背をさする。
――そうか。ネルさん、妹さんが亡くなっていらっしゃるんですもんね――
「悪かった。俺は……、まだ裏に何か居やがるだろうと気づいていたのに……。アンタにそれを伝えなかった。アンタが関わらなきゃいいだろうと……。こんな目に遭うだなんて思ってもみなかった!」
――ああ。
自分の失態で命を取りこぼしたかも知れないという手触りは恐ろしいものだ。よく知っている。そうスサーナは納得し、慟哭めいた声音に応え、微笑ってみせた。
「いいんですよ、大丈夫。ネルさんが私を心配してそうしてくれたってことはよくわかりますから。怪我も何も残っていません。ぴんぴんしてます。……ですから悲しまないで。大丈夫ですから。」
手を伸ばして丁度いい位置にあった頭を撫でる。
本当の早朝だったせいか頭巾を被っていない髪の手触りはふかふかしていて本当に大きな犬のようだとふと思う。
大丈夫大丈夫と繰り返すと手から頭が離れた。
ああ、なんとなくやってしまったけど流石にこれは失礼だったかな、と反省したスサーナの前で頭がすっと下がる。
「俺は。……二度とアンタの意志を違えない。約束する。」
つま先に額づかれて目を丸くしたスサーナは、いえちょっと、頭を上げてくださいとわたわたとし、チベットスナギツネ状態から復帰したレミヒオが腕を組んで歩み寄り、その膝裏に蹴りをくれた。
「何を当然のことを言うんですか。蹴爪にせよ覆い羽になるにせよ、生半可な覚悟で行うものじゃない。命をかけてお仕えしろ。」
「ちょっとレミヒオくん!」
眉をしかめ、膝裏を抑えて立ち上がったネルを見上げてレミヒオが鼻を鳴らす。
「ふん。……ええ、ですが、僕からも謝罪を。……もっと正確に情報は掴んでいるべきだった。それであなたを危険に晒したんです、これでは『コノハズク』の名折れだ。」
なんだかその単語は前も聞いたな、とスサーナは思う。何か鳥の民の区分を示すものなのか。なんというかあまり穏やかではなさそうな何かの気配がする。そう、例えば魔法とかが属していそうな。
「なにかあったら仰ってください。それで償いに、とはあまりに虫がいいとは思いますが……、僕に出来ることなら、なんでも。」
一応首を振った後でスサーナはふと思いついた口調で口に出した。
「じゃあ……というのもなんですけど。レミヒオくん、魔法を教えてもらうことって出来ますか? ……前、使いたければ教師を呼ぶ、と言っておられたことがありましたよね。……護身用、とかに使えるものを。しばらくは警戒することでしょうし、いつになるか、人に聞かれない場所があるかちょっとまだわからないんですが……。」
「可能です。ではそのように。……何処に居ようとも、それがどんな場所であろうと、僕らの入れない場所はありません。ご安心を。」
レミヒオは笑って頷く。
「……あの、実はもしかしたら立場とか……居場所とか、私、変わってしまうかもしれないんですけど。」
なんとなく秘密主義の感じがする鳥の民は、貴族の娘という立場になってもその秘術をやすやすと教えてくれるものだろうか。もしかしたら無理だと言われる可能性がある。そう判断したスサーナはおそるおそる付け足す。
流石にそこを謀るのは良くない。
「僕らにとっては変わりませんよ。」
何か確信に満ちた笑み。それからレミヒオは後のことはネレーオさんに連絡させます、と言って鼻の頭にシワを寄せた。
「セルカ伯からのプレゼントとして、青帯奴隷が届くと思いますので。その時に。」
◆ ◆ ◆
彼ら二人がそっと帰っていったあと。
なにやら偉そうな薬師がやって来て、喉を診たり部屋にハーブを炊いたりして、数日安静になどと言われる。
――喉も、お腹も、もうなんともないと思うんですけど。
多分間違いなく魔術師が治療したのだろうから、傷が残っているはずがない。そう思いつつもベッドを整え直されたスサーナは横になり――立て続けに数名の訪いを受けた。
午前中にやって来たのはあにはからんや、プロスペロ氏である。
本当に何故なんだか――多分、所属とかも違うんじゃないかと思うのだが――フィリベルトと一緒に、更に何故だろう正装して現れた彼は、やってきて早々に床の上に跪いた。
立ち上がろうとしたスサーナは、ああ寝ていていいよと止められる。
それは流石に失礼なんじゃあないかなあ、と思ったスサーナであるのだが、絶対に立っちゃ駄目だぞと注釈が入ったところで、
――こ、これはある種のなんというか懲罰なんとやら!
ということに気づき、頬を引きつらせた。
そのまま跪いた姿勢でまさか公のご息女が秘密裏に動いていらっしゃるとは気づかずとんだ失礼を、などと謝罪を受けたスサーナは、ああそういう事になったのか、と納得する。
結構人に説明しようとすると幾重にもこんがらがってややこしい現状、うまく囮作戦か何かで駆り出された勇気ある感心なご令嬢みたいな感じで対外的に纏めてもらえたらしい。
――いえ、まあ、この人も話を聞かなくて面倒だなあとは思いましたけど、一応ご自身の使命を果たそうとされただけで……まあ、本当に変事が起こっていましたし、カンは鋭かったと言えるような気はするんですけどねえ。
それが明後日の方角に触れたので大迷惑を被ったのだが。
特に許してもいいよ的なことは言われなかったので、ひとしきり謝罪を受けた後にしょんぼりとした背中を見送る。
入れ違いにやって来たのはオルランドだった。
体を労る挨拶を受け、護符について、王宮魔術師が回収したと聞かされる。
元のものを返すことは出来ないが、代わりを用意する、と聞いてスサーナはなんと答えたものか悩んだが、まあお師匠様が私に渡すようにと言ったというものですから、回収されても特に文句は言えませんしと納得し、おとなしく頷くことにした。
妹が心配していた、などと少し言葉を交わした後にオルランドがこほんと咳払いをする。
招き入れられて入ってきたのは若い女の使用人だった。
その顔を見てスサーナは目を丸くする。
「ミッシィさん」
彼女は今回の働きが認められて秘密裏に復権が認められたこと、しばらく一応監視を兼ねてミランド公の元に身柄預かりになり――ほとぼりを冷ますぐらいに働いたあとで名前を変えて市井に戻る予定だ、ということを聞かされる。
――何処か異国にしばらく逃げることになるのかと思っていましたけど。
そう出来るならスマートでいい。なにより、こちらにお礼を言う際に若い二人が仲睦まじげに眼と眼を見交わしていたので、そういう司法取引で纏まったならその方が良かったのだなあ、とスサーナは祝福することにした。
◆ ◆ ◆
そして昼過ぎ。
息せき切って飛び込んできたのはレオカディオ王子だった。
「スサーナさんの意識が戻られたと聞きました!」
意識って。スサーナは少し愉快になる。意識不明か何かだと聞かされていたのだろうか。
「恐れ入ります。もうすっかり大丈夫なんですよー。」
「ご気分はどうでしょう。起き上がって大丈夫なのですか。なにか欲しいものは? 喉は渇いていませんか。すぐ用意させます。」
矢継ぎ早に聞かれて目を白黒しつつもとりあえず大丈夫だと伝えると、レオカディオ王子はホッとした様子でくたくたと椅子の上に脱力した。
「よかった……。」
涙ぐんだ目元をそっと拭う。
「スサーナさんが回復されなかったら本当にどうしようかと思っていました。……薬師達は勿体ぶるばかりで……」
「そんな大げさな。……魔術師さん達が癒やしてくださったようで、傷一つ残っては居ないんですよ。」
「魔術師」
スサーナが胸を張ると王子はなんだかむっとしたような表情をした。
「確かに、王宮魔術師は優秀ですからね。僕らもお陰で無事で居られますし。忙しかったようであれから顔を合わせることは出来ないでいますけど……。」
「ああ、王宮魔術師さんが施術してくださったんですね。とてもありがたいです。」
是非、機会があったらお礼を伝えてほしい、と言ったスサーナにレオカディオ王子はいえ実はそういうわけでも、その、それはええ、まあ、と曖昧に頷く。
「どうか?」
首を傾げたスサーナにレオカディオ王子は憮然としたような表情で口を開く。
「スサーナさんはお気にならないのですか? やはり彼らは傲慢です。僕はただスサーナさんのようにお礼だけを述べる気にはなれません。いえ、確かに緊急のことだったのでしょうが、未婚の女性に口付けるような真似を許してしまったのは大変な侮辱で……」
「あっレオく、じゃなかった、殿下も見ておられたのですね! 」
そう言えば話したかったのだとぱっと意気込んだスサーナにレオカディオ王子は不可解そうな顔をした。
「凄かったですよねえ。美男美女で……」
「は、はい? いえ、あの。」
ん? と話題の不整合を感じ取ったスサーナはああ話題にできないやつだった、と少し残念になりつつ聞き返す。
「僕が言っているのは……スサーナさんに……、その、あんなやり方で……」
憤懣やるかたない、と言う表情をしたレオカディオ王子にスサーナは二拍ぐらい遅れてああ、あれか、と察した。
「いえ、あれはそこまで言うようなものでは……?」
「っ……じゃあ、気にならない……んですか? お嫌ではない? あの、淑女の方々は望まぬ男と唇を交わすなど、世を儚むような事だと……聞いて……」
「レオカディオ殿下、殿下はご存知ありません? 人工呼吸というものがありまして。口をつけて息を吹き込む……息が止まった人間に行う応急処置で。普通の人でも出来ることですので、多分兵士の方々は学んでいると思うんですけど……」
であるので、気にするようなことでも、と続けたスサーナに彼はなぜかぱっと表情を輝かせた。
「そっ、そうでしたか! そんな技術があるのですね。スサーナさんは博識です。僕は……戦の技術を学ぶようなことはしてきませんでしたから。」
でも、と言ってレオカディオ王子はスサーナの手を取る。
「今後は自分の身と……あと、側にいる方ぐらいは守れるよう戦いの知識も増やして……修練を積もうと思います。またこんな事があっても、手をこまねいているのは嫌ですから」
「そうですか! とても心強いと思います。」
王子らしい決心を立派な心がけだなあ、と感心しながらスサーナはその手をぶんぶん振った。そして、側、と言う言葉でふと思い出して言う。
「そういえばレオカディオ殿下、お聞きになられましたか? わたくしもレオカディオ殿下の身の回りに居る人間になるかもしれないんですよ」
「それは――」
僅かに頬を染めた王子に、スサーナはにっこりと微笑んでみせた。
「はい、レオカディオ殿下の義理のきょうだいになるかもしれないんです。」
あっ、ミランド公の血縁ということになるので――姉でしょうか、妹でしょうか、レオカディオ殿下は何の月生まれです? などと言ったスサーナの指先に口付けるタイミングを完全に逸したまま、王子はなんとなく天井を仰ぐ。
後ろに控えたラウルがなんとも曰くいい難い目をした気がした。
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