第45話 スサーナうみへいく 5


 魔術師が急によろめいて倒れかかったので非常に肝を冷やしたスサーナだったけれど、本当に前後不覚という具合だったのはほんの数分のことで、すぐに何事もなかったようにすっと立ち上がった。


 なるほど、魔力切れというのはもしかしてよくあることなんだろうか。あんまり入りたくなかった光るところに思わず飛び込んで支えてしまったけれど、これなら本当に要らなかったのかも知れない。スサーナはそう判断した。


 いや、まあ、倒れる人を傍観しているのは流石に良心が痛むので、要らないにしても気持ちの問題としては結果オーライということにしておきたいところだけれど。



 魔術師はその後、戻ろうと一声言って、危なげない足取りでスサーナを先導して、何事もなく地上に戻ってきた。

 なんだか難しい顔で何かを考えているので、復路で声をかけるのはやめにしておいたスサーナである。


「あ」


 地上にでてすぐ、スサーナは目の前に淡く光る白い文字が現れたように見えた。


「文字が見えました!」

「ん、ああ。なるほど、では戻るといい。」


 なにか思案していた魔術師がスサーナに視線をもどしてうなずいた。


「はい! えっと、ありがとうございました! あの、体調の方はもう大丈夫ですか?」

「ああ――そうだな、なんとか。」

「あの、ですねえ。もし良かったら、荷物に果物が色々入れてあったので……」

「君は。言わんとしていることの予想はつくが、お茶には呼ばれないよ」

「みんなそんな怖がらないと思うんだけどなあ……フローリカちゃんも一緒なんですよ。」


 スサーナは少し口を尖らせる。

 評価基準が何するかわからなくて怖い、なら、粗暴な貴族より温厚な魔術師、これは共通標語としていけると思うんだけど。


 それに、見た目の良いは七難隠す、だ。適齢期の女性の多いお針子達とフローリカのおうちの使用人――フローリカづきの人たちなので女性だ――がメインメンバーなので、案外このひと受け入れられるのでは、スサーナはそう予想していた。


 そう、魔術師さんは案外に顔がいいのだ。

 古めかしい口調なので、スサーナの中ではおじさん、もしくはおじいさんを想像していた部分はあったのだが、フードを外してみると見た目は20を少し過ぎたぐらいだろうか。なんとなれば26の叔父さんよりも年下かも知れない。そういえば声も張りがあって若かった。


 島の平均的な外見とはすこし感じが違い、北欧の、ごく寒いところがよく似合いそうな容姿ではあるけれど、はっきりと美人と呼んでいいと思う見た目である。


 島では目鼻立ちのはっきりした線の強い美形が評価される感じはあり、女性受けのいい叔父さんなんかはその典型ではあるのだけれど、だからといって、北欧系の線の細い容色が受けない、というわけではないはず。


 あの圧のやたら強い顔の見えないフードなんかで普段出歩いているから、余計怖がられる部分はあるのではなかろうか。

 話してみると普通で、見た目も綺麗な人だとわかれば、ちょっと果物を差し上げて一休みしてもらうぐらい、誰も文句を言わないと思うんだけれど。



 フローリカをダシにちょっと粘ってみたスサーナだったが、あっさりすげなく断られた。


「戻って眠る。そのほうが回復が早いのでね」

「あ、なるほど……。」


 なるほど、言われてみればそれは当然なような気がする。

 魔力とかそういう謎めいたものも、やはり回復するには休息が一番なのか。

 スサーナは納得して引き下がることにした。たしかさっき果物も魔力の補充に使えると言っていたから提案しているだけのため、食い下がる必要性はまるで無い。

 魔術師をどうしてもお茶会に招きたい、とかそういう性癖があるわけではないのだ。


「それじゃ、戻りますね。」

「ああ。――いや、少し待ちなさい。」


 つかつか、と近づいてきた魔術師が、手を伸ばし――


「ぶえっ」


 ぎゅむ、と髪抑えに髪を突っ込まれる。


 そういえば外していたんだっけ。ポケットに突っ込んであったはずなのだが、落とす機会はもう数え切れないぐらいものすごくあったので、どこかで落としたのだろう。


 ところで、この布の筒状のものはそうやって使うものではないのである。


「ぷはっ!」


 頭をぎゅりぎゅり振って髪押さえから脱出する。


「拾ってくださったんですねありがとうございます!ところで使い方が違います!」


 両手を伸ばして受け取ると、筒状の部分を広げて生え際まで下げ、それを上に引っ張って髪の毛を全部収納して、余った部分を留め、端の紐で固定した。


 ははあなるほど、と言う顔をした魔術師が面白い。なんでも知っているように見えたけれど、流石に女の子の髪をまとめるものについては詳しくなかったらしい。

 実はもっと優雅な着け方もあるけれど、屋外で櫛もなにもなしなので、結局これが一番楽な方法である。


 魔術師は黙ってすっと最初に転んだところにぺしゃんとなっていたボンネットを拾って戻ってくる。手渡してきたのでありがたくきっちりとそちらも装着した。


 そういえば髪を晒しっぱなしだったな、と気づいたけれど、よく考えれば初対面から髪の毛フルオープンだったので、今更の話なのである。


「ありがとうございます。あやうくお友達のお母さんを驚かせちゃうところでした。」

「ああ」


 スサーナはもう一声お礼と挨拶をしようとしてはたと止まる。


「あ、そういえばですね。」

「?」

「お名前。なんとお呼びしたらいいんでしょう。」


 魔術師は、また面倒臭そうな顔になってスルーしかけたようだったが、すこし考えて思い直したらしい。


「第三塔、と言えば通じる」

「だいさんとー…… それって、お名前ではないのでは?」

「個の識別は可能だろう、何かあったらそう――」

「……もしかして魔術師の方々って、名下ろしのときに本名を捨てたりしてます?」


 まともに怪訝な顔をされてしまい、うん、今聞くことじゃなかったよね、とスサーナはちょっと目をそらした。


「? まさか魂の名を教えろというわけでは」

「違います。まあいいです。えっと、第三塔さん、先程はどうも失礼いたしました。それから、今日はありがとうございます。そちらも、お帰りにはお気をつけて」


 なんだかこのひとと顔をあわせるタイミングは大体において不測の事態の真っ只中で、礼儀に従って名前を聞くようなことをしていなかったけれど、流石に三度目ともなると魔術師さん呼ばわりはちょっと失礼に思えたのだ。それから一度はまともな礼儀正しい挨拶ぐらいしておかないと、胡乱な目が限界突破しかねないような気がした。

 スサーナが商人の子女らしくきちんとした礼をしてみせると、魔術師は一つ肩をすくめて、やっぱり胡乱げな目をしてみせた。


 元の砂浜にいく踏み分け道へ戻る。

 戻り際にちょっと振り向いてみたけれど、もう魔術師の姿は見えなかった。





 砂浜に向かう斜面をゆっくり降りていくと、浜にいる皆が遠目で見渡せる。

 変わらず屋根の下でくつろいでいる人たち。浜砂を掘って埋まっている者もいる。

 男の人達はどうやら午後は藤蔓のボールを海の中で投げ合う遊びに移行したらしかった。


 どうやら、おばあちゃんにひと声かけていったのが功を奏したらしい。少なくとも大人たちにはそう心配されておらず、捜索隊が出るというような事態には発展していなかった模様である。

 まあ、起こったことは目まぐるしかったけれど、実質一時間も出ていたわけではないのだが。


「あっ、スイ!どこいってたんだよ」

「おーい」


 砂浜からちょっと上がった草地にいた男の子たちが手を振る。ドンはなぜか太めの流木に海藻を結びつけており、手の代わりにそれをバッサバッサと振っていた。


「ああっスサーナちゃん! もう! 心配したんだから!」


 波打ち際で所在なげに座っていたフローリカが跳ね、駆け寄ってこようとする。

 スサーナが降りてくる小道の方へまっすぐ走ってこようとして、大きく砂浜がカーブした部分を無視して浅瀬に踏み込む。ばしゃばしゃとサマードレスの裾を濡らすのも厭わない。


「あっフローリカちゃんごめんなさい! 駄目ですよう、服がびしょびしょになってしまいますってば!」


 フローリカには心配されるような気がなんとなくしていたけれど、そこまでとは思わなかったスサーナである。

 初対面の時の事件の印象のせいか、スサーナはフローリカにはよほど向こう見ずで、目を離したすきに大胆なことをするのではないかと思われているフシがあるような気がする。

 特に危ない熊の話なんかはしっかり秘匿しているので、スサーナは一体なぜフローリカがそういう印象を受けているのかよくわからないのだが。


 フローリカとしてはスサーナが家族関係に少し弱いことを知っているので、その類のことを見聞きした後に一人でふらっと散歩に行った、ということで心配していた部分はあるのだが、スサーナにはそんなことは知る由もない。


 スサーナは慌ててフローリカが水を漕いで進んでくる方に走る。

 ドンとリューが、後ろからバシャバシャと走ってくるフローリカの方を驚いて振り向いた。


「ああ、駄目だって、水の中でそんな走り方すると――」


 水に足を取られそうなフローリカを見かねたのかリューが海の中に踏み込む。

 確かに水中に慣れていないのだろう、水をさばくことが出来ずに一歩一歩サマードレスの裾が水に引っ張られて、見ていてハラハラするようで――


 リューが駆け寄ったのが逆効果に働いた。

 そちらの方向へ気をそらしたせいで、足が上がりきれず、陰圧になったサマードレスの裾が水を巻き込んでぴんっと張る。


 足元の海底が砂地だというのも余計に悪かった。

 うまく体重をかけきれず、足がずるっと上滑りする。


「わーっ、フローリカちゃん!」


 大きなモーションで上体を投げ出すようにして転びかけたフローリカを見て、駆けつけかけていたスサーナが悲鳴を上げる。


「おわーっ!?」


 なんとかフローリカの片腕を取って引いたリューが、一緒に巻き込まれて水の中に転んだ。


 砂浜までたどり着いたスサーナが水の中に駆け込み、一拍遅れて駆けつけたドンと一緒に、団子状になってばしゃばしゃと慌てる二人を砂浜まで引っ張り上げた。


「おい、リュー! なにやってんだよお」

「フローリカちゃん大丈夫ですか!?」

「す、スサーナちゃん……。うう、びっしょびしょ……」


 日よけの下でドンの母親に髪を結ってもらっていたアンジェが駆け寄ってくる。


「ちょっと!あなた達大丈夫なの!?」


「うわあぁ、鼻いったあ……えっと、だいじょぶ?」


 鼻を押さえたリューが、横で座り込むフローリカに声を掛ける。


「ううぅ、うん……」


 髪を絞りながらうなずくフローリカ。

 濡れそぼったサマードレスはうすく肌の色が透けるほど体に張り付いていて、リューが慌ててばっと首を直角に横にずらした。


「ちょっと! 男の子たちみんなむこう向いてください! 見るの禁止!」


 スサーナはやって来たアンジェからタオルを受け取り、いそいでフローリカに巻き付けた。

 自分はなんだかそういう感じではないが、フローリカちゃんが男の子たちに肌を見られるのはよくない。なんというかとても愛らしい幼い可愛さとともにもうすでに清楚な色気というかそんな感じなやつがあるのだ。よくない。禁止。


「ふえ? きゃっ……!!」


 一瞬自分の格好がわかっていなかったらしいフローリカはきょとんと巻きつけられたタオルを見て、それからみるみる顔を真っ赤に染める。


「み、見た?」

「見てない! 俺、いや僕は何も見てません!」


 リューが耳まで真っ赤にして、上ずった声で叫んだ。


 スサーナは目をしばたたく。

 なんとなく、前世で読んだ漫画のワンフレーズが脳内でリフレインした。


『人が恋に落ちる瞬間を見てしまった。』


 うわあ。




 この騒ぎのせいで、スサーナはフローリカに魔術師と会ったんだよと言うのをすっかり忘れさってしまったし、フローリカも勝手にひとりきりで散歩に行ってしまったことについてスサーナに説教をするのを忘れてしまった。


 そのあと、仲良く着替えさせられた子供達は波打ち際のあたりで貝やらカニやらを取ったり、サンゴの欠片やら貝殻を集めたりして夕方まで遊んだ。



 帰ってから、講の子たちにフローリカを混ぜてみんなで遊ぶようになったのと、リューがなんとなくフローリカを気にするような素振りをみせはじめて、スサーナがほのぼのとしたのはまた別の話である。




 帰りの馬車で、子供達は皆同じ馬車に詰め込まれて帰ることになり、なんとはなしにそちらの方向の話題になった。

 アンジェももちろん女子らしく、そういう話は大好きなのだった。


 いやあ、恋バナなんてものは前世も今生でも縁はないけれど、傍観するのは本当に楽しいものだなあ。スサーナはそう思った。


 スサーナにほのぼの観察されていたはずのリューが、非常に生暖かい目で見返してきた意味は、よくわからなかった。

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