第51話 小手毬館のお茶会 5
話された物語は、スサーナの認識だと「代わり映えしない」ものだった。
ひと目眼と眼があって恋に落ちた従者と姫は、身分違いの恋に悩みつつ思いを育て、それでどうするかと言うと恋の歌を歌うのだ。
特に対面してどうこうということもなく、私室とかバルコニーとかで相手の美点を称える長い詩を滅茶苦茶読む。
当然だがミュージカルやオペレッタと違って詩の部分は完全に朗読であり、それがいけないというわけではないのだが当初からあまり興味のなかったスサーナは早々にすっかり飽きた。少年……レミヒオの読み方も特に感情を込めるでもなく淡々としているものだからなおさらである。ちょっと読経を聞いているような気分。
――自分のペースで読めれば多少もう少し集中も保てるんですけど、これはいけません。
前世から、なにか読む時はハイペースでの黙読をするタチであるので、よけいに辛い。
スサーナは、まさかの寝落ちの危険性を感じ取っていた。
ちらりと左右を見渡す。左右のアンジェとカリナはうっとりと恋愛詩に聞き入っている。
前を見る。どうやら何回もこの恋物語を聞かされているらしい貴族の娘二人はどうなんだと思ったのだが、レティシアは淡々と恋愛詩を読むレミヒオを潤んだ目でじっと見つめている。わあ。
マリアネラだけがやや気をそらして、侍女に新しいお茶のおかわりを貰っている。スサーナは非常に共感を覚えた。
マリアネラにお茶を注いだ侍女がスサーナを見て、そちらのカップにもお茶を注いでくれる。スサーナはありがたくいただくことにした。
カフェインの助けを借りるのだ。
……正直だいぶ長く生まれ育っても、この世界にカフェインがあるかどうかはよくわからないし、茶葉に含有されているのかも謎だが、今はあると信じたい。
招かれているという立場上あまりキョロキョロするのはよろしくない。お茶を飲み終わったスサーナは他の人や庭を見る選択肢を放棄して、見るともなく卓上を見渡し、時折めくられるページを流し見、朗読を続けるレミヒオを眺めた。
男の子にしてはだいぶ白い肌。声変わりがまだ終わりきらぬ声を反映した、少しだけ喉仏が見えだした細い喉の上に鮮やかな青の魔術の束縛と、光沢のある白のチョーカー。華奢な顎の輪郭のライン。
なめらかな頬の上、目は、わずかにうつむいている現状では長めに断った前髪に隠されてスサーナの側からはよく見えない。
――そういえば、最初に見た時もほとんど目が隠れるみたいな髪型でしたっけ。
スサーナは思い出し、二年も前のことをよくはっきり覚えているなあ、とふんわりした感慨を覚えつつ、なにか民族的に意味があったりする髪型なのかなあ、とぼんやり考えた。
現在はただ切り下げた、と言う感じだった当時よりはだいぶ技巧的に洗練したヘアスタイルだが、長い前髪は変わっていない。よく似合っているので違和感は無いのだが、さすがに召使いには珍しい髪型だ。
――衛生状態を誇るにしても、普通は後ろ側が長いですもんね。よっぽど当主さんのお気に入りなのかなあ。
立場がいいのはいいことだ。そう思いながら前髪を眺めていると、姫が後宮で侍従を思い返すパートを朗じ終わった彼がうつむき気味だった顔を上げ、わずかに流れた前髪の間から瞬いた目が透けて見えた。
お、と思った瞬間に視線がぶつかる。優しげな造作の顔からは連想しづらい、すっと切れ上がった黒瞳。
スサーナはぶしつけに顔をじろじろ見ていたのを悟られるのがなんだか気まずくて、急いで目をそらした。
レミヒオは目を細めて少し笑い、茶ですこし喉を湿して物語の続き、庭に控えた侍従がバルコニーで風に当たる麗しの姫を見つめて容姿を讃える部分を語りだした。
「すごく素敵でした……!」
「なんて情熱的なのかしら……」
物語が終わり、頬を紅潮させてうっとりとする少女たちにスサーナはついていけない、と遠い目をした。
まさか、一章のうちほとんどが「相手を思って詩を読む」だけで費やされるとは思わなかったスサーナである。
しかも同行の二人はそれに大喜びしている。
BGMと映像がつけばなかなか違うだろうが、朗読で聞くとなると現代の刺激の多い創作の記憶がある身にはなかなか辛いのだ。問答歌が嫌いというわけではないのだが。
――これじゃ、恋愛モノの創作物を翻案とかしたら一大作家になれちゃうのでは?
シンデレラでもこれに比べたらジェットコースター展開だ。
……いや、もしかしたら、こちらでシンデレラを翻案したら24時の鐘で夜会から戻ってきたあとにシンデレラと王子様が一章分恋愛詩を歌う形式になってしまうのかもしれないが。
スサーナは、一瞬これは知識チートの出番!とばかりに悪い顔になった後、ガラスの靴を持った王子と家に帰り着いたシンデレラが切々とミュージカル調に相手への恋慕を歌いだす絵を想像し、更にはインド映画の恋愛カテゴリのものを連想して、ああ~文化の違い、と押し寄せてきた納得に結局何もかも諦めた。ウケる創作の様式は文化と流行によって変わるのだ。
「いいなあ、私も物語みたいな恋がしたいわ!ねえスサーナさんもそう思うでしょ?」
「へ? なんでそこで私に振るんでしょう」
「だってアンジェは彼氏がいるんでしょ?」
「ふふ、あの物語ほどドラマティックじゃないけど……」
「まあ、アンジェリーナさんには素敵な方がいらっしゃるのね」
「ああー、まあそうですねえ。いつかはいっぺんぐらいそういうのもいいかもですねえ」
スサーナは、主にアンジェを喜ばせるために曖昧に頷いた。
女の子たちが会話しだしたのを見てレミヒオが一礼して下がる。
お茶会の会場からしばらく離れた場所に控えに行く若い召使いの姿を見て、カリナが曰く言い表し難い感嘆の声をあげた。
「はああ~~、でも素敵ーっ、まるでこの物語そのものじゃない!お姫様を一途に思う侍従……報われない思いに身を焦がすのね……!」
えっあれそういうのだった?と突っ込みかけてスサーナは危うく思いとどまった。レティシアのほうが気に入っているのは間違いないような気はするのだから、そういう発言は明らかにこの場ではNGだ。
「まあ、お恥ずかしいわ……」
レティシアが頬を抑えて満足そうに恥じらった。
――ああうん、これはカリナさん100点!
ちょっとぐらい失礼でも不躾でも、ホストが喜んでいるならばそれに越したことはない。その手の機微には疎いスサーナはこういう時の適切な発言が苦手だという自覚があるため、なるほどこういうふうに言うものか、と感心した。
「でも、嗚呼、レミヒオとは……実は私、幼い頃からの婚約者がいて」
「まあっ」
「私の家より家格が上の方で……私からお断りすることは……」
悲嘆に暮れた、と言うふうに首を振ってみせる――とは言うものの、目が輝いているということについてはスサーナは見なかったことにした――レティシアに、女の子たちがキャーッと黄色い声をあげた。
「まるで悲恋物語みたい……!」
「なんて数奇な運命なの……!」
スサーナも二人に合わせて深刻な顔をしておく。
「クラウディオ様も良い方ではあるのですけれどね」
注釈みたいに言ったマリアネラの声に複雑な苦笑じみたものが混じっている気がして、スサーナは少しだけ気になった。
――あれ? これは、なんだろう、人間関係ってやつ?
「マリはクラウディオ様贔屓だわ。冷たい方ですの、こちらに会いに来てくださることもなくて、お手紙しか頂けないのですから」
頬を抑えてため息をつくレティシアに、少女たちは同情しつつもキラキラした目を向ける。
「学院に行っておられますし……お忙しい方ですもの」
スサーナは、それを見るマリアネラの目にやっぱり複雑そうな色があるのを認めた気がしつつ、まあうん、これは、確かにわかる、と友人たちにそっと同意をした。
これはマリアネラのほうはそのクラウディオ様とやらに何らかの思いがあるのでは?というほんのりした予感がある。
スサーナはそのあたりの素養はまったくないながらも、目の前でリアルタイムで展開している他人のややこしい恋路の話は嫌いではなかった。
少女は恋バナで打ち解ける、というのはどうやら本当らしい。
その後は試験感は完全に消え去り、お茶会は侍女のサーブする菓子を食べながら「レティシアの切ないエピソード」「キュンとくる恋愛シチュエーション」などを聞く場になっていた。
しばらくして、お開きの時間になり、レティシアからみなさんとはまたお話したいわ、と笑顔と弾んだ声で送られる。
――12歳の女の子ってこうなるとどこの世界でも同じなんですねえ。
スサーナはしみじみしつつ、カリナがどんどん踏み込まなければこういう流れにはなっていなかっただろう、と感心し、そおっとカリナの主人公ちからに感謝する。
自分にはこの踏み込み方は無理だ、と思う。スサーナは身の程というものをよくわきまえていた。
招待主はいい機嫌で終わり、たぶん散会としては100点満点、しかも次なにか呼ばれるとしたらカリナだろう。完璧な結末と言っていい。
さらには予想外のことに、気にかかっていた人の消息まで偶然知ることが出来た。しかもまあ大変そうであるが環境に恵まれて仕事も充実している模様である。ぱーへくと。
スサーナは肩の荷を下ろした気持ちになった。
庭から出たところでレミヒオが待っていた。
「馬車をご用意いたしました。」
完璧に一礼するのに、カリナがきゃーっと小さく黄色い声をあげた。
下級とは言えさすがに貴族、家専用のものではないようだったが、一人に一台馬車が用意されている。
それぞれ家の場所を告げ、レミヒオに手助けされて馬車に乗り込む。きゃあきゃあと黄色い声をあげるカリナにスサーナはちょっと苦笑した。多分ただミーハー的なだけなだけだと思うのだが、レティシアの恋路を応援するのかレミヒオに憧れの目を向けるのかはこう一貫しておかないとアレなのではないか。だが、まあそれも12の少女らしいと言える。
スサーナは馬車に乗り込むと、席に埋もれてはあっと脱力した。特に何があったわけでもないがなんとも疲れた。
ゆるく馬車が走り出す。
「お茶会ですか」
御者から声がかかる。
「はい、お招きいただいて」
返答しながら、スサーナはなんとはなしに声に聞き覚えがある気がした。
どこかで聞いた気はするのだが、一体どこで聞いた声なのかは全く思い出せない。気のせいなのかも知れなかった。
「お嬢さんはお貴族様で?」
御者は人懐こそうな青年だった。スサーナはくすっと笑って返答する。
「違います。商家ですよ。オンラードってお店で……。えっと、こちらのお嬢様が私達みたいな商家の娘をお茶会にご招待くださっていて。貴族の娘ならきっと従者とか連れてるんでしょうけど、一人でしょう?」
「ははは、なるほど。それはよかった。なかなか気の利いた催しだ。」
「はい、貴族の方が気さくに招いてくださるので、いろいろなものに触れられて。」
特によかったとは思ってはいないのだが、スサーナはよそ行きの笑顔でそう返答した。たてまえはどこでも大事なのだ。
しばらく走り、屋敷の前に馬車が止まる。
「ああ、今足台を出しますんで。…… はい、ではおひいさまお気をつけて。」
扉を開けて、手を差し出してくる御者の手を借りて足台を降りる。さすが貴族の家が用意する馬車、いたれりつくせりで少しこそばゆい。スサーナは普段は馬車の乗り降りで人の手を借りたりはしないのだ。
「ありがとうございます。」
「では、またのご用命を。」
人懐っこく一礼する御者にスサーナは感謝を込めてチップを渡し、さあこれで全てから開放されたぞ、と言わんばかりの雰囲気を放出しつつ、軽い足取りで屋敷の玄関をくぐっていく。
御者……ミロンは晴れ晴れとしたその後姿をしばらく見送り、それから馬の首を返して帰路についた。
数日後。
スサーナが朝食を食べていると、顔色を変えた叔父さんが、朝、食堂のドアを蹴破る勢いで飛び込んできた。
ミルクを飲んでいたスサーナはそのあまりの勢いに呆然とする。
「どうしたんです、叔父さん、そんなに慌てて……」
「スサーナ! 大変だ!アレナス家から書状が届いた! 君を旅行に伴いたいって!!!」
「なんでーーーーーーーーーーー!!!!!???????????」
なにもかもちゃんと回避したはずなのに!!!!
まったく予想しない事態に、スサーナの悲鳴が食堂に響き渡った。
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