些事雑談 二の実りの月の満月の祭り(教室回) 2
満月の祭りはいろいろな謂れのあるお祭りだ。
お祭りが捧げられるのは豊穣神フォロスと叡智神サーイン。
スカートの緑と黒と赤はフォロスへ、袖の青い蔓草はサーインへ敬意を表す印。
作物の豊作を喜び、来年の良い実りを祈念するお祭り、であるのだが、若者たちはたいしてそのあたりは気にしない。
現代日本の若者のお祭りでの関心事が縁起や祭祀ではなく、恋人と浴衣の祭りの人混みで打ち上げ花火がぱっと光って咲いたりするように、島の若者たちも憧れのあの子と踊れるかどうか、というようなことが一番の関心事だ。
特に満月の祭りでは、踊りの終わりに女性からオレンジを投げ渡し、それを男性が受け止めるか拾ったら
いわば、ちょっとしたバレンタインデーめいた盛り上がりだ。
そして、当然、おとなの落ち着かない様子は子供、とくに早熟な女の子たちには非常に影響する。
講の待ち時間、教室の反対側の席で女の子たちに頼まれてせっせせっせと「恋が叶う模様」をオレンジを入れる布籠に刺繍している、順番待ちの女子――なぜかこの時間は違うクラスのはずの女子も混ざっている――の人垣に囲まれたスサーナをつまらなそうに眺めながら、机に突っ伏して顎を伸ばしたドンが言った。
「そういやさぁ、なんで
そんなドンをジト目で眺めてリューが言う。
「ドン、また神学補講になるよ。サーインの司るのなんだか覚えてる?」
「えーっと、いや覚えてるし! えー。えーと、水だろ?」
「半分正解。月、ひいては海、水、根を張り芽吹き伸びるすべてのもの、だろ。」
指を一本ずつ立て、そらで言うリューにドンが鼻の頭にシワを寄せた。
ドンは神学がとても苦手だ。
というよりも興味が無いので覚えない、というのが正しいか。
「……最後のよくわかんねーんだよな、だってカブってんじゃん……」
「神様の司るものって結構相互乗り入れしてるじゃん。そんなに気になる?」
「あっいやそうじゃなくてさあ! だって変じゃねえ? だって叡智の神様だろ? それはわかるんだよ。魔術師の祖神だろ? 魔術師は頭いいもんな。それはわかる。」
「じゃあ魔術師がよく新しい品種とか作ってるからってことで納得しなよ。」
「いやそうじゃなくて! 俺が言いたいのはこう……変だろ! 草とか伸ばすからってサーインなら別の神様も出来るし……お祭りの内容が変じゃん!」
「二人じゃなくて二柱だろ……。お祭りの内容が変ってどういうことだよ。」
「なんか! 恋が叶うとか! そういうの変だろ! 頭いい神様のお祭りならなんか頭良くなるとかだろ!」
「ドン」
呆れた声でリューが言った。
「ここんとこおんなじ授業になってもスイが忙しくて構ってくれないの、まだ拗ねてるの?」
「ちっげーーーーし!!!!」
スサーナは教室の向こうで騒いでいる男の子たちの声にちょっと目を上げて、それから手元の布に目を戻した。
教師たちが来る前に後三人、縫い終わってしまわなくてはならない。
小学生レベルの「こいのおまじない」なので、オレンジ色の糸でぐるっと丸い形に縫った中にご自分で想いなど込めつつ好きな相手の名前の最初の一文字と自分の名前の最初の一文字をインクで書き入れる、というような、あっあっなんかあったそういうの~~~、というようなティピカルおまじない手順で行われるため、スサーナに任された刺繍……というのもなんだかおこがましいような、とりあえず糸をぐるっと丸く縫う行為はとても楽なものではあるのだが。
終わらせぬまま終業になり、刺繍を求めて万が一お店やお家に女の子たちがお邪魔しに来たらコトだ。とスサーナは危惧している。お店に迷惑になるかも知れないし。
ぎゃんぎゃんばたばたと向こう側の後ろの隅で暴れだした男の子たち二人を見ながらスサーナが縫い終わるのを待っていた女の子が腰に手を当てて呆れた声を出す。
「男の子たちってほんとやあね。なんでそうなのかなんてどうでもいいのに。」
「そうですか?」
「だってそうでしょ、オレンジを渡せるかどうかが大事、なんでオレンジなのかなんてどうでもいいことよ。大人だってそんな難しいことかんがえてお祭りの内容きめてやしないでしょ」
シビアだ、とスサーナは苦笑する。
この年頃の女の子たちは男の子たちよりずっと現実的だ。とくに商家の女の子はその傾向があるとかいう話だが。
その割に夢いっぱいの恋物語やおまじないは大好きなのだから面白い。
「あ、でも、私、なんで満月の祭りでオレンジを渡すのか、恋に関係するお祭りなのか知ってますよ。……恋物語として素敵なお話かもしれません。」
「え、そうなの?」
ほら食いついた。
スサーナはほのぼのしつつそうですねえー、と手を止めずに頷く。
「サーインが恋をしたお話が元になってるんだそうですよー。」
――……まあ実際どうかはわからないし、収穫祭が男女の恋愛の場になるって普遍的な性愛フォークロア的な要素もありそうだし、由来譚と実際の理由って全然別かもしれませんけどね!
ここには神様は実在するようだけれど、なんだかデマゴーグには非常に寛容っぽい気配がするので、いかにも神話モチーフがそれっぽい由来譚が後世の創作なのか真実なのか全然全く信頼が置けないのだ。
とりあえず現代日本由来のダイナシな知識はそっと胸に秘めておくことにする。
「ねえ、それってどんなお話?」
横からずいっと首を突っ込んできた別の女子が問いかけてくる。
「話してよ、ずっと待ってて暇だし」
順番待ちの最後の一人の女の子も頷いた。
たしかにずっと待っていて可哀想だ。教師も遅れているようだし話しながらでも縫い終われそう。スサーナはそう思い、自分が話しても面白く話せないかも知れないけど、とことわりを入れながらも話し出すことにした。
「あー、じゃあ、手を止めないでいいなら……先生が来るまでですよ。」
「いいわよ」
「話して話して!」
「えーと、それじゃあ。……昔々、神話の頃のお話だそうです。」
ある時運び手の女神フォロスが地上を歩いている時、叡智の神サーインと勇壮の神ソーリャがその姿をひと目見て恋に落ちた。
彼らはそれぞれ月と太陽、地母神でもあるらしいのでなんらかの習合が起こっていそうだな、とスサーナは思うが、どうも人格神として神様が実在する世界なのでそのあたり良くわからない。
まあ、ともあれ、二人の男神は仲違いして女神を取り合うのだ。太陽神はなんというか情熱熱血属性なのでガンガン行く。月神は冷静タイプと見せかけて、
「おお……」
「ステキ……」
話を聞き出した女の子たちの目がキラッキラ輝き出すのを見てスサーナは、ああやっぱりみんなこういうやつお好きなんですね、となまあったかいような笑顔になった。
もしかして古代人も好きだったのかも知れない。こういうやつ。
ともかくなんかそれぞれすごい求婚をしたりそれぞれの乗り物で命がけの追いかけっこをするなど神話っぽいことを色々する。
ある時ソーリャが自分の情熱をフォロスに伝えようと地上に近づきすぎてしまい、大旱魃が起こってしまうのだ。植物は干からび獣は煮え、フォロスはとても悲しむ。
その頃はまだ周期性などがないので一度滅んだ植物は戻ってこない。
サーインはそれに同情し、夜の月は熱くないようにして、夜月が照らす間に種々の植物が繁れるように取り計らった。そして自らの権能である死しても蘇るちからをフォロスに譲り渡した。死と蘇生のちからを得たフォロスは四季を持つようになり、夏枯れを越せば秋がくるようになった。
愛しい女神が悲しむ姿に心から反省したソーリャは天の高みから程よい熱と光を彼女の司るものに届けることを約束する。
ここに男神たちは仲直りして、世は事もなしめでたしめでたし……
「というわけで、フォロスとサーインが秋の実りを招いてくれたのをお祝いするので満月の夜祭りなんだそうですよ。」
「ねえ、なんでそれでオレンジなのよ」
「あ、えーっと。フォロスが結婚する相手に金の鞠を渡しますって言うんですよ。それで、最初の夏枯れのときにサーインが授けた芽吹く種に金色の実をつくようにして渡したのがオレンジのはじめての実だと」
「す。ステキ!!」
キャーッと女の子たちが声を上げる。
「ロマンティックだわ!」
「そういう告白、いいわよね!」
「ええ、まあ。」
スサーナは遠い目になる。
ちなみにめちゃくちゃ由来神話めいた形式であるこの話、冬から春になるあたりもあり、そっちではヤンデレった月神が地母神を引っ抱えて館に籠もってしまうのが冬の由来だと言われている。
太陽神が月神に一撃くれて地母神を引きずり出し、春がやって来て、ソーリャもそれでフォロスの正式な夫となる、というような話であり、オレンジが冬の終わりまで木になり続ける由来譚でもあるものだ。
二十代の気遣いを持つスサーナであるので、かしこくちょっとステキな神話恋愛話には該当しなそうな場所に入る前に話を切ってめでたしめでたしということにしておく。
ちょっと一妻多夫概念がなさそうな女の子たちに聞かせるにははばかられる、というような気がなんとなくしたスサーナである。
まあ、大人になる前にこういう由来神話は一度や二度は聞くものだとは思うのだが。
実在する存在である神様たちにとってはものすごい風評被害である気がするんだけどな。スサーナはそう思いながらふわっふわに話を濁し、現時点での女の子の夢を守ることに尽力した。
ちなみに、講で習う神学は神の紋章やら形象、あらわす奇跡の読み解き、望ましい振る舞いと戒律みたいなのが主体であり、教わるエピソードの方向性も高尚度合いが高いのでご安心だ。
そうこうするうちに教師が来て、授業がはじまる。
「(ねえねえ)」
授業の半ばにそっと横から声がかかり、スサーナが横を見るとさっきの女子のひとりがそっと席を移ってきていた。
「(あんたの話、面白かったわ、あれ、何処で聞いたの?)」
「(あ……どうもー。えーと、貴族の方のお家にお手伝いに行くもので……本を見せてもらうことがあってですね)」
「(ああっ、やっぱり! 恋愛物語本を読ませてもらえるのね! 羨ましい!)」
「(ああー、まあー、ええ。)」
別にアレは最新の恋愛物語とかそういうものではないのだが。
最近、セルカ伯のお宅やマリアネラが使用人たちと住んでいる小さな屋敷に招かれるようになり、見せてもらえるためにぽつぽつと本を読むようになった。
前世は完全に本の虫という状態だったのになぜかこれまであまり本を読もうという気にはならなかったのだが、まあ本を読もうとすると島では貸本屋とか結構な一手間がかかるせいだろう、とスサーナは分析していた。
身近にそこそこ本があって読んでいいとなるとなんとなく読書習慣も戻ってくる。
ちなみにさっきの話はセルカ伯のお宅の書庫にあったとくに子供向けでもない神話の本に書いてあったことだった。
実はこれ、魔術師という種族の由来の話という触れ込みでもある。
叔父さんがブリダに話せるステキな満月の祭りエピソード候補として、に足して魔術師びいきのスサーナだ。あっいいものみつけた、と目を輝かせて読んだものだったが、父神が励んだからフォロスの被造物であるところの常民にその血のなごりが残っていくら時が経っても形質が現れるのだ、なんならいっそ魔術師が人の子として生まれてくる際になんか神様がおわす座みたいなところでアレソレ励んでおり、その子を常民の腹におろすので魔術師が生まれ落ちてくるのだみたいなオチであり全力のそっ閉じをキメた、という経験がある。どこからどう聞いてもジャンルイメージが酒場の与太話だ。
実のところ鳥の民……ヤァタ・キシュの伝説を読もうと思っていたスサーナだったが、そういう下世話艶笑オチを決められると他の話も全部これは民族&神様的風評被害だな!という確信しか持てなかった。この本しんようできない。
「(恋愛物語が一杯載ってるならあたしも神話を読んでみようかなぁ。えーとスサーナさんだっけ、借りられない?)」
「(うーん、多分似たようなものは島の貸本屋にもあると思いますけど……でも、読む御本は選んだほうがいいですよ。絶対。絶対。)」
手を握りこぶしにして力強く主張するスサーナに少女はきょとんとし。
「そこ! 私語やめなさい!」
「ひゃっごめんなさい!」
「すみませんでした!」
微妙に熱の入りすぎたひそひそに気づいた教師に揃って叱られ、急いで教科書に鼻先を突っ込むのだった。
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