第360話 スサーナ、食事をする。
スサーナの誤算は、人に言われればああ確かにそうだな、と思うような、ひどく単純なことがまずひとつ。
護衛されていると言う自覚のない人間を守ることは難しく、ついでに、スサーナは妙に異常事態慣れしては来たものの、前世から考慮しても、一度も体系的に護衛を学んだことはない素人だ。
さらにひとつ。「乙女探しの襲撃の場に居合わせた誰かとしての王子」「王宮の王族」が襲撃されるだろう、と思っていても、レオカディオ個人を選んで狙うものがいるとは誰も……夢を見て気を張っていたスサーナでさえ思っていなかった。
そして、もうひとつ。
どれほど実在するらしいと思っていても、即物的な実効ではない神秘が手を伸ばして現世のものを害するなどと、現代日本の常識をしかるべきものとして強く内面化してしまった彼女には発想が能わぬことだった。
それから。
――――――
部屋に食事を運んでもらい、レオくんと二人で食べる。
メニューは少し白ワインとメースを入れた
――とはいえですね。慣れてきたとはいえ、なぜ高級な料理というものはこう香辛料を一杯使うんでしょう……。
日本の料理に何故醤油と味噌と出汁とみりんを使うのだ、と言うようなものかもしれないが、多少なら良いアクセントかもしれなかった香りも、スサーナの感覚では総量がすごいことになっている。王都に来てからも、お屋敷で出される北部流料理が比較的温和なのですっかりそれが基準になっていたせいもあるのかもしれない。
そういえば学院で調べた時、宮廷料理の香辛料の多さにはドン引きしたんだったな、とスサーナは遠い目になり、前世で言ういわゆるロシア式サーヴィスとは違ってテーブルの上に料理が一時に置かれる形式なのをいいことに、自分の分はできるだけ少なく、レオくんにたくさん食べてもらうようにしようと画策した。流石に二人用の意識はあるらしく、大皿に見目よく盛ってはあるが、それぞれの量はそこまで多くはない。
最近理解したが、レオくんは細身でたおやかな外見の印象で少食かな?と思っていると、男の子らしく結構しっかり食べるのだ。
「レオカディオ殿下は今日は昼間はご公務だったそうですね。おなかがお空きでしょうから、沢山どうぞ。私は夕方のお茶でお菓子を頂いてしまいましたから」
「よろしいんですか? 僕も頂きましたけど、沢山はなかったような……」
「甘いものはお腹にたまりますから。そういえば、レオカディオ殿下が先日くださった冬至菓子がありましたね。」
「ふふ、そういえばありましたね。あれは今日は絶対に出る縁起物なんです」
うまく和やかにレオくんがたくさん食べるという流れが出来たので、スサーナは給仕に殿下に多くと微笑みかけることに成功した。
屋敷だと何故か、侍女たちは『淑女は上品に小鳥のように食べよ』と言う方針だったはずなのに、最近厨房方がお嬢様のお皿に沢山盛ることに情熱を燃やしているのを看過しており、その手のスサーナの要望はスルーされることが多いのだが、流石に王宮の給仕は心得ているらしい。希望通りにわんぱくな皿と上品なひとくちが取り分けられていく。
スサーナは皿がサーブされるのを待つ間、ヴァリウサの……正確には本土の年越しにはあまり縁がないので気になったが、決まったものを食べることはどれほどあるのか、という話を興味本位で振った。
「そうですね。お菓子以外は……年改めの日は卵を食べます。茹でた卵とオレンジのサラダは王宮の朝食にもかならず出るんですよ。あとは、前日の今日は、鹿を食べます。ほら、これみたいに。」
レオくんが取り分けられつつあるローストの皿を指して微笑む。
「まあ、それは何か謂れなどが?」
「僕も詳しくはありませんが、丸いものは神々の祝福を湛えていると言います。鹿は、フォロスのくださる豊穣を運ぶ獣だからだそうですよ。あとは……王宮ではあまりそういうこともないのですが、厨房を休ませるためにハムだとかソーセージ、事前に煮ておいた油煮を食べたりもするそうです。豆のピュレだとか、硬いチーズも」
なるほど、普段遣いの食べ物が多いけれどおせち的な風習もするのか、まあおせちも昔はふつう寄りの料理だったのだろうなあ、とふむふむと頷き、そう、王宮ではあまりしないという風習に声を弾ませたレオくんに気づく。
「レオカディオ殿下はそうしたものがお好きなのですか?」
「何年か前、その習慣を一の兄……第一王子殿下が真似たがって、国王陛下がそうしてくださったことがあります。あれはなかなか面白くて美味しいものでした。ですから、あまり王子らしくなくてお恥ずかしいですが、そういう簡素な料理は好きなのかもしれません」
それから新年の狩りの時にはかならずそういう弁当が持ち込まれるので、毎年楽しみで、と微笑むレオくんにスサーナはなかなか微笑ましくなった。
「恥ずかしいなんて。思い出の味は大事なもので御座いますでしょう」
「ありがとうございます。ミランド公さえお許しになれば、新年の狩りにショシャナ嬢も招待して振る舞うのですけど」
「狩りに。それはとても楽しそうですね。きっととてもそのお弁当は気に入ると思います。父におねだりしてみましょうか。レオカディオ殿下が仰るなら父も否とは申し上げないでしょう」
「そうでしょうか。ああ、勿論、それしか食べるものがないなんてことはないです。とても手が込んだとは言えませんが、料理人達が腕をふるってくれますし、獲物をその場で料理してくれることもあるんですよ。珍しい獲物も口にできるのは冬狩りに出たものの特権なんです。」
「珍しい獲物ですか」
「ええ。例えば、僕らに出たのは雉ですが、今日の宴席にはヤマシギが出るそうなんです。ヤマシギは珍重されるので、国王陛下が御出になる席に出されるものなんですけど、狩りの席では狩った者が好きにできるんです。一昨々年に三の兄が五羽打ち落とした時は、一羽も父の口には入らず、残念だったと父、っと、国王陛下は笑っておられました。」
「三番目の王子殿下にはお目にかかったことはありませんが、狩猟がお得意なのですか?」
「ええ。三の兄は今スウェビアの軍学校に留学していますから、ご紹介するにしてもだいぶ先になるでしょうね。その三の兄の穴場をフェリスとカードで勝ち取ってあるので、戻ってくるまでは好きに出来るんですよ。ですから、新年の狩りにご一緒できたらショシャナ嬢に差し上げられるかもしれません」
「ふふ、私が頂いてしまったら国王陛下は残念がってしまわれませんでしょうか」
「陛下は他の獲物も沢山献上されますし、きっと他にシギを狩ったものはいるでしょう。三の兄の穴場は他にもいろいろとあるんですよ。素晴らしい革が取れるシャモアも、マントを作れる毛長兎も。首尾よく僕が狩れて、差し上げられたらいいんですが」
半分はフェリスの権利なので、競争になるかもですね、と恥ずかしげに笑い、揃った料理を切り分けてレオくんは口に押し込んだ。
ふうむ、そういえば島でも男の子たちは講で狩猟のやり方を習ったりしていたっけ、とスサーナは記憶をたどり、アンジェがお弁当を作っていくのだ、と楽しげにしていたのを懐かしく思い出す。
その狩りとはだいぶ勝手が違う気はするし、もっとずっと豪華なのだろうけれど、レオくんがそんなふうに楽しみにするものなら、一度ぐらい顔を出して、その保存食メインの昼餉というものを味わっても話題の種になっていいのかもしれない、とスサーナは思った。
その日起こった面倒くさいごたごたに関して。
最初の小さな齟齬、もしくは先駆け。
この幾分かあと。
スサーナはすっかり頭を抱え、もしかすれば、この会話がそうだったのかもしれないとしみじみと遠い目になることになっていた。
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