第196話 夏休みまでのこまごましたことなど

 夏の休暇がはじまるまではもう少し。スサーナは浮かれたミアの手綱を引っ張りながらちょこちょこと自分も旅行の用意をしたりもしている。


 自分もほとんど同じ日程で王都へは行くのだとミアに伝えた所、うかれぽんちになっているミアは


「えっ、ホント!? はじめてスサーナを小間使いにしたってこと、エレオノーラさんに感謝した!」


 と大喜びしたものだ。


 祝賀演奏会は王家が主催する催しであるので、上位貴族の教室にいる子供たちのほとんどは参加する――人によっては上の兄弟だけが参加し、自分は行かない、というものも居るようだが――ため、当然夏休み前の話題はそれ一色になる。

 当然ではあるのだが、ほとんどが他国の王族である留学生たちも招待されるらしく、アルがニコニコと、


「国の正装をするのは久しぶりですね? 背が少し伸びたので、服の小ささが変わっていなければいいと思うことです」


 などと雑談していたのを聞いたりもして、スサーナは、あっそうか、異国の王族の方はそちらの国の格好でお出でになるんですね、と少し興味を惹かれたりもした。


 レティシアとマリアネラを含む下級貴族の子弟たちは流石に皆王都に向かう、ということは無いらしかったが、セルカ伯本人はこの夏は王都のタウンハウスに詰めている、ということで、二人に演奏会を聞きに行くと報告に上がったスサーナは、レティシアにじゃあお父様に王都をご案内するよう手紙を書きますわ、と意気込まれてそっとお気持ちだけ頂戴すると表明するはめになる。流石に忙しい貴族の当主に観光案内を頼む気はしない。



 旅行に持っていく荷物はそこまで多くはない。

 というのも、行きはエレオノーラお嬢様とご同行するわけだし、滞在中の生活必需品はアイマルさんによると用意されるような場所を支度する、ということだったからだ。

 持ち込むのは、一応準礼装に使えるかな?というぐらいに判断した服と、普段着が少し。タオル類が少し、それからいつもの水筒などの生活必需品ぐらいのもの。


 というわけで早々に準備が終わってしまったスサーナは、まだそれなりに日付が残っているために浮かれきるということも出来ず、元通りの生活パターンに戻しながら夏休みまでの日々を過ごすことにした。



 エレオノーラお嬢様の帰省の準備はスサーナが手伝うまでもなくマレサとあとの二人で回ったし、特に持ち帰るものも多くないようで、夜の時間がぽっかり空いたスサーナはその分をまるまる図書館通いに費やす。


「へええー、スシーさん王都ですかー。私ヴァリウサ王都は行ったこと無いんですよねえー。あー、変わった言語学の文献がありましたらお土産お願いしますねー。」


 クロエにそう頼まれたりしつつ、文献の整理を手伝い、空き時間に興味がある本を読む。

 時間に余裕ができるようになって、書庫の奥の方まで見て回れるようになったスサーナは少し古い文献に手を出したりもし始めた。

 ――ここ、貸し出しもしていればいいんですけどね。でも本って貴重品だし、ここにある本はみんな一点物でしょうから、無理なんだろうなあ。

 古い時代の伝説の本に興味を惹かれたり、苦手払拭のために恋愛色薄めの恋物語を読んでみようと試みたりしつつ、スサーナはとりあえず夏休み開始までに今読んでいるものは読み切ってしまおう、と心に決める。


 読みかけの本は色々あるが、やはり鳥の民の事が書いてあるものがやや多い。

 今や疑問を覚えても答え合わせがされるようになったため、疑問払拭とか納得のためと言うよりも、面白い昔話を読むような気持ちのほうが少しだけ強いスサーナだ。


 そのうちの一冊を読み進めているうち、スサーナは興味を惹かれる記述を見つけた。

 グリスターン、あの森で出遭ったエレニという鳥の民が仕えているという国の王族の話だ。

 グリスターンの初代の王様のお妃様は鳥の民で、それゆえに鳥の民があの国では好まれる、という由来を語り、好んで王族は黒髪の者を伴侶に取る、そのために王族は予言をし、不思議の力を振るうのだ、という――それもまた初代の王を起源とする聖性ゆえに漂泊民の不吉を削いでいるのだ、という注釈はあったが――そんな話だった。

 スサーナはへえ、と思う。

 ――純血じゃないと魔法は使えないとレミヒオくんは言ってましたけど。そんなこともあるんですね。今度会った時に聞いてみようかな。



「そういうことにしているだけですよ。」


 数日してやってきたレミヒオはにべもなく言い、ふんと鼻を鳴らした。


「予言なんてものは曖昧に言っておいて、後であれはあのことを示していたんだ! などと言って当たったことにするんです。グリスターンの王族だろうがなんだろうが、魔法を常民が振るうことは出来ません。」

「そういうものなんですか。」

「そういうものなんです。」

「血みたいなのが濃くってもです? 思ってみれば不思議ですね。魔術師さんたち……月の民、ですか? あの人達は常民のご両親からも生まれてくるなんていいますけど。」


 首を傾げたスサーナにレミヒオはさてどう説明したものか、という顔をする。


「月の民はなんというか……原理が違うんです。彼らは常民の中から生まれてもきますが、常民と月の民が契ったとしても血の混ざった子が生まれてくることはなく、必ずどちらかの形質だけ引く……と言われています。対して僕ら鳥の民は常民の血が混ざれば純性を失います。」

「ええと、ということは魔……月の民のお子さんは完全に月の民か、常民? ……ちょっとだけ使える、とかそういう混血の人は鳥の民でも月の民でもいないんですね。」

「ええ。その、スサーナさんは混血でも魔法が使える、という話でご期待をしたかもしれませんが」


 レミヒオがなんとなく痛ましそうな顔をしたのでスサーナははっと手を振る。


「あっいえ、そのあたりは全然考えていませんでした、すみません。そういう話もあるのかなと思っただけで!」

「そう、でしたか。……まあ、グリスターン王族が魔法を使えずともその伴侶や親が使える、という事はあったかもしれませんね。そうして王族が使ったということにすれば良いわけですから。……とはいえ、強い魔法を使える貴い血の氏族の者がグリスターン王族と婚姻したという話は聞いたことがありませんから、精々多少糸の魔法を使える程度だったことでしょう。」


 言ったスサーナに続けてレミヒオは意識して声を明るくした様子でそう言った。


「偉い人を選ぶとかじゃないんですね?」

「鳥の民ならなんでもいい、という具合だったそうですよ。氏族に許しを得て妻問いしたわけでもなく、目についた相手に言い寄るというような……。まあ、外から見て血の貴さなんかは常民にはわからないんでしょうが。」


 予見の力を彼らが使えたとは思えませんが、予見の力を持つ者自体は鳥の民に存在するので、スサーナさんにも可能性はあるかもしれませんね、そう続ける。


「ふえ? 私にです?」

「ええ。予見は多く白日夢か、時に夜の夢の形で現れるそうですよ。子供を産めるようになった女性に現れることが多い力だと言います。不思議なものを見たら覚えておくと後々得になるかもしれませんね。」


 レミヒオは微笑んでそう言ったが、スサーナは、そんな便利な夢を見たこともないですし、薬を飲んで寝ると全然夢も覚えていませんし、もし万が一そういう事があっても便利に使うのは望み薄ですね、などと考えていた。




 それからまた何日かして。

 半月おきの定期検診の日がやってくる。

 しばらく体調を診られたあとで、そういえば、とスサーナは切り出した。


「そういえばですね、ええと。夏の休暇には王都に行くので……次のいらっしゃる予定の日にはこちらにいないと思います。」


 第三塔が小さく眉を上げる。


「王都に?」

「はい。ええと、エレオノーラお嬢様についていく形で……色々あるんですけど、祝賀演奏会を聴きに行く……みたいな感じです。」

「ああ……成程。」


 少し思案した様子の彼が荷物の中から薬箱らしきものを引き出し、小さなケースに中身を選んでいくらか移し替えるのをスサーナは覗き込んだ。


「持っていくといい。」


 差し出されたケースの中身は錠剤がいくらかという具合だ。第三塔は荷物の中から筆記具を取り出し、紙に用途と服用方法を走り書いてケースの蓋の裏に通した。


「解熱鎮痛剤、消炎剤、胃腸薬……」


 スサーナはその表記をいくつか読み上げて納得する。

 ――わあ、旅行用緊急セットだ。


「勿論、先に渡してある常備薬も疎かにはしないように。同時に服用できないものは入れていない。数量は十分足りると思うが、少し足しておこう。」


 最近ちょくちょく顔を合わせるようになって実感したが、この魔術師さんは実のところどうやらとても面倒見が良い。

 本人に言ってみた所、非常に面倒くさそうな顔で「君がもっと健康に気をつけてくれればもっと楽に済むのだが」と言われたが、不摂生な患者に対応する主治医としても、旅行に行く際に胃腸薬だとか風邪薬だとか一式揃えてくれるのはやはり面倒見が良い方だと思う。


「旅行先だから眠らずいていい、とは思わずに居てもらいたいものだ。ただでさえまだ君は放っておくと不摂生をしがちなのだから。自覚はあるだろうね?」

「ええと、一応……。ありがとうございます。できるだけ気をつけます。」

「君の「できるだけ」は気にしないと同義ではないかと最近理解が及び出した。」


 ちょっと目をそらしたスサーナに第三塔はまったくとため息をつく。


 そこから流れるようにお説教に接続し、スサーナはソファのうえにちんまりとなってちょっと首をすくめた。


 正直、倒れでもすれば周囲に迷惑がかかってしまって良くないものの、多少の不調程度なら誰かに面倒がかかるわけでもないのだから、とどうしても考えがちのスサーナだが、この医者気質のひとは完璧主義なのかなんなのか、どうもそういう考えは無いらしい。そんなに自分の健康に留意しても特にいいことはないとスサーナは思うのだが。

 ――ま、まるで話に聞く口うるさいお父さんのお説教みたいな……

 スサーナはお説教を拝聴しながらふとそう考え、ふっと思考の空白にそれが引っかかる。


 魔術師と常民の子供が絶対にどちらかなら、魔術師と漂泊民の子ならどうなのだろう。遺伝学者が頭を抱えそうな法則が絶対なら、どちらかの純系が現れるのでは。

 ――まさか、実のお父さんだとかは、言いませんよ……ねえ?

 一瞬その思考を脳裏によぎらせてから、スサーナはいやいやとその可能性を振り払う。

 流石にそれはありえない。容姿にも一切共通する部分は無いし、もしそうならもう少し自分は背が高くなったりしそうなものだ。

 ――それに、いくら何でもお若すぎ……ああ、でも、魔術師さん達って外見と実年齢って一致しないって確か。


「……急に怪訝な顔をしてどうかしたのか。」

「……いえ、なんでも。」


 お説教を聞きながら動きを止めたスサーナに、どうやら疲れているかなにかしているようだ、と第三塔は判断したようで、お説教はそこで切り上げられた。


 ――まさか、なあ。

 ちょっとその類推はドロドロしすぎていやしないだろうか。スサーナはツッコミ口調で内心考える。

 お得意様の子供だから優しくしてくれるのだと思っていたけれど、でもお得意様ということは家と前から付き合いがあるということで、となると母のことも知っている人だという可能性はこれまで考えたことも無かったけれど普通にあって……

 ――ちょっとした昼ドラでは? あ、でも、しまった。そう考えると符合しかねない。


「……日付に寄ってはそう離れていない場所にいる。よほど異常な事態に陥ったら連絡してくるといい。」

「よほど異常、というのは……」

「そうだな。害意のある他国の人間に誘拐された、とか……魔獣に飲み込まれそうだ、とかそのような事態だ」

「……まさか無いとは思うんですけど…… ……気をつけます。」


 世の父親が子供を心配する、というのはこういう風な感じに似ているのだろうか。スサーナが想像できる一番近いものは叔父さんで、でも叔父さんは叔父さんだったからそういうものはやっぱりいまいち未体験で、なんとなく推測するしかないが、もしかしたらこういうものなのかもしれない。

 その考えはほんの少しだけ信憑性がありそうで、そうだったら納得がいくのかもしれない、という感覚とともになんとなく落ち着かない気分に彼女をさせた。


 ――ええと、ええと。難しいことは、ええ、別に今すぐ考えなくちゃいけないことじゃないですし。ええ。旅行が終わるまで、とか。しばらく考えないようにしましょう……。

 すこんと思考停止して、スサーナはそう決める。

 急に何か思案しはじめた様子のスサーナに第三塔は怪訝そうな顔をしていたが、特に問いただしてくるようなこともなく、その日はあと確認事項を話して終わりになった。



 夏休みまでの日々はそんな経緯で過ぎていく。

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