第56話 くちなし島へ 5
船が動き出してからしばらくのスサーナは多忙を極めた。
なんといっても、セルカ伯と奥方がスサーナを見かけるたびに物珍しがってちょいちょいと呼びつけては召し使うのだ。
やれ飲み物をとってきてくれないか、やれ上着をかけて頂戴、インク壺を取っておくれ、袖を結んで、香油の瓶を持っていて、などなど。
主人の意を汲むのに慣れていそうないかにも熟練した召使いがいるのだからそちらにやってもらったほうがスムーズだろうに、とスサーナは内心突っ込みつつもなんとか大きなミスもせずこなしている。一応前世日本人の面目躍如、というやつだろうか。
皆が甲板か食堂にいるうちはいいが、それぞれ船室の階層が違うので――セルカ伯たちは一番揺れない中層階の一番いい客室だ――、これがこのまま続いたら夜になったらどれほど忙しいだろう、とスサーナは想像して目を回した。
――いや、でも、やっぱりなにか意図がありますよねえ。
ちょいちょいと使われつつも、マリアネラを意識していると、ふんわりとした違和感は時折感じられるのだ。
たとえば、妙にレミヒオとセットで動かしたがること。
レミヒオがセルカ伯になにか命じられると、スサーナ、あなたも一緒に行ってきて? だの、お一人では大変でしょう、スサーナあなたも手伝って差し上げて、だのとマリアネラから声がかかる。手があいていると見える男性の召使いも侍女もセルカ伯の連れている中にいるように見えても、だ。
……結構露骨なのだが、セルカ伯が「黒髪二人を並べて同じ動きをさせる」という遊びに目覚めてしまったので頻度的にこれがあまり目立たない。
それから、特に何も仕事のないタイミングにスサーナをレミヒオと並べて
「あら、まるで一対に誂えたお人形みたい、とっても素敵」
……などと言ってみせる、とか。
ただし、こちらも
「まあまあ素敵ね、
奥方の食いつきが甚だしく良く、こちらも回数で比較すると5:1とかそういうことになってしまい、そこまで異常として浮かび上がってくるというわけではない。
……友達が好きな男の子、に対する女子の態度としては完全にギルティだとスサーナは思うのだが。
スサーナは、その度毎にほんの少しながら不興の雰囲気を漂わせるレティシアをひやひや眺めながら疑惑を深め。
――うーん、これは、一度ちゃんと問いただしてみますかねえ。
昼過ぎ、主人たちが食事を終えたあとで召使いたちにビスケットと
「あら、レミヒオのぶんがないのね。ああ、丁度よろしいわ、スサーナ、こちらにはまだあるからあなたの分をお分けしてあげたら?」
いいことを思いついたというふうに言うマリアネラにセルカ伯がああすまないねと返し、あっと小さく声を上げたレティシアが何事もなかったようにそっと椅子の下に包みを滑らせた。
……ということがあるに及んで、スサーナは半眼で一連の事象を意図的なものと結論づけ、とりあえず何らかの対処の必要がある、と判断した。
――あれ多分気づいてましたよねえ、包み。ちょっと距離はあるとはいえお隣りに座ってるんですから。
旅行中に少女の友情が大破壊するのを見るのもおじゃま虫としてレティシアに目をつけられるのもどちらもできれば勘弁願いたい。
――とはいうものの、一体何でこんなことしてるんでしょう。
レティシアに不満があって嫌がらせをしたい、というのならわかりやすいが、それならもっと単純な手段もあるだろう。それに、レミヒオ絡みのその手の行為以外には二人は特に隔意もなく仲が良さそうに見えるのだ。
――マリアネラ様もレミヒオさんが好きだとか?
だったら自分でアプローチしたほうがだいぶ建設的のような気がする。
――レティシアさんの恋路にちょっかいを掛けてなにか得するかって言うと……
スサーナはマリアネラは前に話に出たクラウディオ様とやらになにか思いがあるのか、と思っていたのだけれど、確かレティシアの婚約者だという相手が好きならレティシアの恋を傍観していたほうが割が良さそうだ。
――障害を演じて燃え上がってもらおう、とか?
なんだかそういう発想があるようには思えない。相手は権謀術数に長けた(というイメージがスサーナにはある)貴族とはいえ12歳の女児なのだ。
――まさか……そのう、百合ってやつ?
まさかなあ。一応否定しつつも、一応その可能性は頭に残しておきつつ、スサーナは、マリアネラと二人きりになれるタイミングを図ることにした。
日中はレティシアとマリアネラはだいたい双子のようにくっついているので、あまり二人きりになれるというタイミングはなさそうだ。スサーナは雑用で走り回りながら二人が離れるタイミングが来るのを見計らう。
夜に話せばいいかとも思ったが、なんとなくマリアネラの部屋にはチータが居つづけるのではないかという気がした。
機会は夕方過ぎに訪れた。
ずっと順風で、ほとんど揺れもせずに進んできた船だったが、ここに来て波が出始め、横揺れしだした船に酔ったらしいレティシアが少し横になると言って部屋に下がったのだ。
――チャンス!
一応、マリアネラの召使いも目の届くところにいることが多いのだが、今は執事は上陸してからの打ち合わせにセルカ伯のほうに行っており、寡黙な使用人は船の雑用の手伝いに呼ばれ、チータは夕食に必要なものを取りに船の厨房に行っていた。
スサーナは急いで自分の分の雑用を終わらせ、マリアネラのもとに取って返した。
――ええと。マリアネラ様は。あ、いたいた!
マリアネラは甲板の柵に捕まって、海風に髪を揺らしながら来し方の海をぼんやり眺めているようだった。
……詩的に言えばそうなるが、横揺れをやり過ごすために遠くを必死で見ている、という言い方もできるかもしれない。
「……マリアネラ様、いまよろしいですか?」
「あら、スサーナ。構いませんけれど、どうかして?」
なんだか胸元のもやもやを抑えるようにして硬い表情をしているマリアネラを見て、スサーナはとりあえず本題に入る前にポケットに入れていた塩干しの杏をマリアネラに差し出すことにした。
「どうぞ、これ。舐めていると船酔いしづらくなる……と、思います」
明言を避けたのはこの世界では処方例のない民間療法だからである。
神殿で貰える酸っぱい干し果物が受粉用のとても酸っぱい杏の有効活用だと聞いて、思いついて漬けだしたスサーナ特製の代用梅干しだ。船酔いをしたらどうしよう、と思って革袋に入れて持ってきた。他人にも効けばいいのだが。
「なにかしら、これ。果物? ……んんっ、酸っぱい!?」
「そのしょっぱくて酸っぱいのが効くんですよー。」
一欠片取って口に入れたマリアネラが口を抑えてしばらくモゴモゴするのを待って、スサーナは真面目な顔をして、居住まいを正してみせる。
「ええっと、ひとつお話がありまして」
「ええ……?」
「えーと。何か、私に求められていることがあるような気がするんですけれど、やっぱりそういうのって意思疎通をちゃんとしておかないと齟齬が出るかなーって思うんです。」
「……。」
「もちろん雇っていただいたからには出来る限りお力にはなりたいとおもっていますので、えーと、どういうつもりで私を使われているのかお教えいただいてもいいでしょうか?」
「……なんのことを言っているのかわかりませんわ。」
「うーん、それでは、本当に色を揃えたいというだけだと?」
「……それ以外に理由なんかあるはずがないでしょう?」
ついっとマリアネラが目をそらす。きまりわるげな表情。
「じゃあ、私、レティシア様のお味方になって、お部屋で休んでいるレティシア様の介抱にレミヒオさんが行くのを応援してもいいですか?」
相手役が病気のお姫様の介抱をする、というやつはアンジェがこっそり読んでいた物語に出ていたやつだ。スサーナにはアダルティさがよくわからないのだがどうやらだいぶアダルティな要素らしく、読みながらアンジェがきゃーきゃー叫んでいたことを覚えている。12年生きてきても倫理基準がいまいち曖昧によくわからないスサーナである。
「えっ、そんなこと?……絶対ダメですわっ!!」
と、止めなくては、と身を翻しかけるマリアネラの腕をとってはい落ち着いてー、と前に立つ。
「そういうつもりだと言ったわけではないですよ。お二人のことを応援するならそうするなら手引きしたかも、ぐらいの意味です」
「そ、そうですの……」
安堵の表情でふうっと息をついたマリアネラにダメ押しで一言。
「応援しちゃって、大丈夫です?」
「ダメっ!」
食い気味に拒否を叫ぶマリアネラにスサーナはにっこり微笑んで見せた。
「理由、教えてくださいますか?」
「それは……」
「教えていただければ私も精一杯いいように考えますから。このまんまだとマリアネラ様とレティシア様の仲違いだけ招いてしまうんじゃないかと思うんです。それは多分マリアネラ様のご本意ではないんですよね?」
口をきゅっと引き結んだマリアネラは海の向こうを眺め、ついで口元を震わせて言った。
「クラウディオ様が!」
「はい?」
急にこの場にいない人の名前が出てきて、スサーナは少し戸惑った。
「クラウディオ様がお可哀そうですわ……!」
「ええと、クラウディオ様というのは、本土にいるっていう」
「はい、レティシア様のご婚約者で、お従兄弟でいらっしゃいます。本土で学園に行っておられる方ですわ。」
マリアネラはなにかを透かし見るように空に掛かり出した雲を見る。慕わしげな目、というふうにスサーナには見えたが、そこまで正確に他人の感情を読める自信はないので、的外れでないとは言い切れない。
「……クラウディオ様という婚約者がいらっしゃるのに、レティ様はレミヒオにべったりで……! あんな……蔑ろにして……。クラウディオ様はきっとどれだけお心を痛めているでしょう! あんな……お優しくて奥ゆかしい方ですもの……婚約者のレティ様が別の方にあんなふうに接しているだなんて、口でおっしゃらなくてもきっとお悲しみになっているはず……」
感情が高ぶったらしくぽろりと涙をこぼした頬を抑える。
「ええっと、それで……」
「少し物珍しくてレティ様もあんなふうにされていますけど、所詮は侍従ですもの、レミヒオがもっと釣り合うような相手といるのを見たらレティ様も目が覚めると……だって、あんなに素敵なご婚約者がいらっしゃるのですから、比べるまでもありませんもの!」
「それで、えーと私をレミヒオさんと並べてみたと……。」
「……ええ、そうすればレティ様もご自分とどんな方が釣り合うのかを思い出してくださると思うのですわ」
――や、ややこしいなあーー!!
スサーナは内心でわーあ、と叫んだ。
動機が複雑骨折している、というかなんというか。
レミヒオとレティシアを遠ざけたいのはわかった。だが、理由にややこしい同一化とかそういう面倒くさいものを感じる、というか。
多分そのクラウディオ様のことを好きなのはマリアネラ、という予想は正しいのではないか。
――好きな人を軽んじられるのが我慢できない、っていうのに足してなんというか、抑圧を感じるっていうか……うーん、レティシア様と同一化……ちょっとこれは違うか。そこの二人の組み合わせこそ本道!みたいな……幸せなカップルの組み合わせを定義してある……というか。ややこしいものを感じる……ような……。
まあ、ともあれ、とりあえず。
「あの、マリアネラ様」
「……はい。」
「こう言うのもなんですけれど、そのやり方だとむしろ物語の恋するふたりの障害みたいで、レティシア様は盛り上がってしまわれるのでは?」
「えっ」
「大体なんだか引き離されてません?そういうお話……詳しくないんですけど……」
「えっ、ああっ、確かに……! ど、どうしましょう!?どうしたらいいかしら!?」
――ああっ、12歳の浅知恵……
はたと気づいた、というふうに慌てだすマリアネラに、スサーナはそおっと小さきものを見るような目をした。
とはいうものの、自我の年齢自認が何歳であれ、恋愛経験ゼロの浅知恵も間違いなく浅知恵でしかないのだが。
そのことは、とりあえず頭の隅に追いやっておくことにした。
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