第57話 くちなし島へ 6

 じゃあどうしたら、と慌てるマリアネラにスサーナはまあまあ落ち着いて、と声を掛ける。


「まずは下手に妨害はしないほうが?」

「でも……このまま放っておくのも……」

「まあ、ええと。露骨に邪魔をするのは良くないと思います。障害があると燃え上がっちゃうって言いますし。物語でもそんな感じですよね?」

「ええ……確かにそうですけれど……」


 こっちでもそういう定石は一緒でよかった、とスサーナは思う。恋愛物語はアンジェやフローリカに付き合って断片的に見た程度なのだ。

 ひたすら詩文を読んだ挙げ句に障害なくくっつくのが王道と言われたらどうしようもなかったし、ついでにこの世界の恋愛物語に絶望しかねなかった。

 マリアネラは不服そうな表情はしたが、スサーナの言うことにも一理あると一応納得した様子である。


 ――さて、どうしよう。

 スサーナは腕を組んだ。

 状況はわかった。だがとりあえず12歳の子どもになにかできる要素があるだろうか、と言われると。


 ――とりあえずええっと。落とし所、落とし所から考えましょう。

 とりあえずスサーナの勝利条件は穏便にお家に帰ること。これを起点として最低限引き出すべきは、おじゃま虫ムーブをせずに済むこと、レティシアに嫌われず旅行を済ませることだろう。


 このままマリアネラが妨害を控えてくれればなんとかはなりそうなのだが、変に思いつめて思い切ったことなどをされても騒動に巻き込まれそうで困る。なので、できたら穏便に衝突要素は減らしておきたい気はするのだが。


 貴族同士の身分差に、お嬢様と召使いに、恩のある親類のうちの仲のいい女の子の婚約者。


 明らかにややこしい人間関係、というやつである。根本的な問題はほんの数日の旅行中になんとかなるものではないだろう。


 運よく旅行中にレティシアが鮮烈な別の恋に落ちるとか、もしくはマリアネラが島の少年と恋に落ちるとかすればある種解決する話ではあるのだが、そんな都合のいいことはそうそうあるまい。


 同時に、ほんの数年以内にレティシアはレミヒオのことは両親が諦めさせるだろうし、予定通り婚約者と一緒になるだろう。マリアネラもきっと適当なところに縁付いて、それで終わってしまうだろう、長期的に見ればそれでおさまってしまうような話なのだ。


 ――雑に言い切ってしまうと現状の問題はマリアネラ様の感情だけなんですよねえ。


 どうせそのクラウディオ様が見ているというわけでもない。レティシアがレミヒオにくっついたところで、見て義憤に駆られるのはマリアネラだけなのだ。


 つまり、スサーナに手が出せる解決法はふたつ。

 マリアネラにうまく抑えてもらえるように言いくるめるか、マリアネラの前でレティシアがレミヒオにくっつくのを抑えるよう画策するか。

 さらに現実的に考えるとその複合、マリアネラをうまく宥めておきながらレティシアの方の頻度と度合いを減らすように働きかける、というのが大人の解決策だ。



 ――そういえば、レミヒオさんがどう思ってるのかはまだわからないんですね。

 スサーナは対応策を考えながらはたと気づいた。

 レティシアの態度をおとなしくするのに有効そうなのは、レミヒオからやんわりと人前ではやめるようにと言ってもらう、などが素直に考えれば一番だ。

 もちろんそれだけでは不満も出るだろうし、なんらかの飴と鞭を提示してもらうのがよさそうに感じる。

 つまりレミヒオを抱き込んで協力者に仕立て上げるのがレティシアには申し訳なくも一番手っ取り早そうなのだが、これが万が一レミヒオもまんざらではない、となると計画の大幅変更が必要になってくる。


「マリアネラ様、そういえばレミヒオさんのほうのお気持ちってわかっているんでしょうか」

「わたくし、それもあってあなたを選ぶことに決めたのよ」

「はい?」

「そう、そうですわ、スサーナは様子見なんかで本当によろしいの?」

「ええと?」

「見つめ合っていたでしょう、お茶会のとき、情熱的に……」

「……ああー?」


 朗読の内容が退屈で退屈で観察に勤しんでいた、とは流石に気づけなかったのだな、とスサーナは遠い目になった。


「わたくし、彼があんなふうに誰かを見るのをはじめて見たのよ」


 なんだかキラキラうっとり顔でなにやら言い出しているマリアネラの言葉を聞き流しながら、これは本人に聞いてみるしかないだろうなあ、とスサーナは今後の対策を立て始めた。




 夜になるに連れて、海はどんどんと荒れていった。

 代用梅干しのおかげか、スサーナを相手にひとしきり喋って気が晴れたせいかしばらくは調子の良かったマリアネラも、夕食の頃にはひどい船酔いを起こして、ろくに食事をしないまま部屋に下がる羽目になった。


 船が低い音でぎいい、ぎいい、ときしんでいる。

 スサーナはマリアネラの船室を出たところで足を止めて、波音と風の音、船の木材が軋む音を聞いた。

 まだひどい嵐、というほどではないので、船が壊れるような心配は杞憂だろう。

 とは思うものの、腹の奥に響くような、尾を引いたうめき声のような音は不気味で、不吉な連想を誘うには十分だった。


 スサーナは、マリアネラの介抱の当番を終えたところだった。

 ただでさえ夕食頃にはだいぶ船酔いがひどかったのに、夕食ですこしゆで卵を口にしたのが更に悪かったのだろう。マリアネラは完全にノックアウト状態でベッドにこもっている。


 心配がったレティシアの頼みを受けてセルカ伯たちの部屋からはこちらにこないかというありがたい申し出があったが、まだ体を縦にする余裕のあった夕食後のマリアネラは当主代行の矜持とやらでそれを断ってしまったのだ。こちらによこそうか、と言ってくれたメイドたちも同じく。

 まあ、確かに船酔いで呻く御婦人が二名いるところに――奥方も船酔いで体調を崩した――もうひとり足して面倒を見るのは余計に使用人が大変だろうというのも気持ちはわかる。


 というわけで、狭いベッドでうめいている彼女の額に濡れタオルを乗せたり、吐瀉物をどうにかしたりする役目はチータとスサーナで数時間交代で行うことになったのだった。


 軋む音に頼りなく号鐘の音が重なった。

 自分の当番時間は大体三時間と少し、というところか、とスサーナは思う。

 船には時計はないので号鐘の音で時間をはかる。それが鳴るのが三時間ごとで、自分が部屋についた少し後に号鐘を聞いたので、そのぐらい。

 これから同じぐらいだけ休み時間があり、その間に食事やら仮眠やらを済ませる必要がある。

 流石にセルカ伯たちも部屋へ引っ込んでいるため、雑用の用命はなくて済んでいるのが幸いだ。


 ――さて、どうしよう。

 休み時間はこれから日付が変わるぐらいまで。体力の温存を考えるなら仮眠をする、というのが正しいのだが、スサーナは船室に戻るつもりはさらさらなかった。


 船の下層のスサーナたちの船室は、最上階にある、つまりよく揺れるマリアネラの船室よりもずっと揺れないはずだ。しかし、むっとこもったような匂いと狭さ、生暖かく換気がされていない空気を思い出すとまともに寝られるとは思えない。


 そう、それに、それにだ。海が荒れている今は甲板のヘッド、つまり海に汚物を捨てるトイレは使えない。つまり何を使うか、というと、下層の客室では船室の隅のなのだ!

 であるからして、誰かが催せば絶対恐ろしいことになる。同室の、まあ同僚のみなさまのものならまだギリギリなんとかお互い様精神で耐えようが、どうやら隣室にも客が入っているようなので、見知らぬ他人の臭いまで漂ってきかねない。無理がある。


 多少の不調と仲良くやるのは前世まえから慣れているし、胸のむかつきぐらいなら表に出ないよう動くぐらいなら余裕ではあるのだが、それに船室の状況まで足すと流石のスサーナも吐かない自信はまったくなかった。


 ――ああ、なんで魔術師の手の入っていない船になんか乗っちゃったんだろう。


 魔術師の手のかかった最高級の客船のトイレは噂によると出したものが浄化され分解され乾燥チップ状無臭の最終生成堆肥に加工されたうえでタンクに溜まるという。


 スサーナは衛生環境について嘆きつつ、とりあえず食堂を目指すことにした。

 食堂の椅子を借りて寝るのだ。動かぬように床にネジ止めしてあるので椅子を2つ並べるというようなことはできないが、背もたれに体重を預けて居眠りするぐらいなら十分可能だろう。


 階段を用心しいしい降り、手すりに掴まってとっとっと廊下を歩く。

 ぐっと沈み込むような揺れと、ふわっと腹の底が浮くような感触。押し上げられるような揺れの戻り。

 中層階は揺れないと言っても海自体が力強くアップダウンしている現状、流石に結構揺れる。

 手すりにぶら下がるようにしてスサーナは少したたらを踏んで、体勢を立て直してふう、と一息ついて、おや、と廊下の向こうを見た。


 揺れを感じさせない動きで薄暗い廊下の向こうを一人歩いていくのは黒髪。

 どうやらレミヒオのようだった。


 ――あっちも今休憩なのかな。 あっ、今なら他に人もいないし確認とか相談とかするならちょうどいいのでは?


「あっ、レミヒオさ おととととと」


 ぐらり、と揺れた船に翻弄されて声を上げかけたスサーナは慌てて手すりにしがみつく。

 どうやらきしみ音や波音で呼ばれたのには気づかなかったらしいレミヒオが、さっさっと歩いていってしまう。

 スサーナは、でべでべでべとつんのめり左右の壁に跳ね返るように斜め移動をしながら、急いでその後を追った。





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