第364話 スサーナ、レオくんの後を追う。
スサーナが外に出た時にはレオくんの姿は見えなかった。
内廷、というのは、王族の住まいの含まれる広い範囲を呼ぶための呼び名だ。奥向のうちでもごくプライベートな領域とそれなりに人を入れることを考えた領域があり、もちろん複数のルートはあるが王族の私的な客間があるあたりはその中間になる。
出たところでレオくんが護衛に止められているというのを少なからず期待していたスサーナだが、私的な領域につながる方から出たせいなのか護衛の姿は見当たらず、スサーナは走りながら歯噛みする。
――王宮の護衛の方、ちょっと意識が低いんじゃないですか! あんなに人数はいたのに……! ええい、もう。私の方も十秒……二十秒ぐらいロスしましたけど……!!
飛び出しかけて自分が何も装備していないことに気づき、大急ぎで部屋の中に駆け戻って慌てて巾着を引っ掴んで再出発したので、ぱっと走って行ってしまったレオくんとはすこしタイムラグがあるのだ。
もしかすると、扉のこちら側にいた護衛は、王子殿下が出てきたのに気づいて部屋まで同行することにしたのかもしれない。
暖炉の前にあったせいかぼんやりと温かい気がする袋を掴んでぱたぱた走る。
とはいえ、流石にだ。王宮の廊下は長くて障害物も少なく、走りやすいとはいえ、逆に王宮の廊下は全力疾走しない気がするし、レオくんがここで全力疾走する理由も思いつかなかったので角1つ分ぐらいの距離だと信じたいところだ。
「レオく、こほん、レオカディオ殿下ー!」
抑え気味の声を出して呼ぶ。
あらぬ誰かの興味を引くという警戒よりも、少し進行方向の前の方にいるだろうレオくんに追いかけてきているのだということを知らせるほうがいいかな、と判断したのだ。
――いえまあ、特に何かが起こったわけでもなし、レオくんが気づいてくれたら着換えに付いて行って……レオくんの部屋前で待って、一緒に戻る感じになるのでしょうけど……。
しかし、予想に反してとくにレオくんの返事はなく、角を1つ曲がった先がやや広い廊下になっているのにスサーナは眉を寄せる。
――静かだから声を出したら聞こえるかと思ったのに……。あ、これは完全に複数ルートあるやつ……。どうしましょう。
少し先を見るだけでも左右に廊下が続いている様子があるし、真っ直ぐな通路も続いている。
私的な領域とはいえ、内廷は王族たちの暮らす場だ。時代ごとに扱いもあり、時にはそこで権威を示す必要もあっただろう。
つまり、王宮の一角という表現で想像されるより、そこは十分に広く、複雑なのだった。
すぐ追いつけるだろう、と当初は思ったスサーナの足は一度完全に止まった。
レオくんの部屋の正確な場所など知らないし、当然観光地でもなんでも無いので案内板があるわけではない。
それに、内廷で過ごす許可は貰ったとはいえ、勝手に歩き回っていいと言われたわけではないのだ。
――これはー、これは、うっかりすると首が飛ぶやつ……? いや、どうだろう、ギリギリいけるか……?
なんとなくだが、このまま諦めて大人しく休憩室で待っているというのは違う気がする。
一応、レオくんの側で見守っている、というスサーナの理由はお父様経由で国王陛下も知っているらしい。ならばあっぱれな動機ということで、奥の方に勝手に踏み入っても咎められず済むだろうか。
女官や侍従、もしくは守衛の方に見咎められるというのもありそうな話だが、さすがに見敵必殺はされないだろうから、レオくんのところまで付き添ってもらうというのは出来るだろうか。一応内廷自体への立ち入りは許されているので、その場の判断で咎めきれるかというとそうではない、と思う。
レオくん以外の王族の誰かと鉢合わせすれば大変なことになってしまいそうな気もしたが、多分フェリスちゃんとウィル王子ならなんとかなる。むしろそこ二人に出会ったらすかさず道案内を頼めばいいような気がするので、ぜひ出会いたいところだ。
――ええと、王妃様方はみんな宴に出てらっしゃるんでしたっけ? 聞いておけばよかったな……。 王子様達はみな奥向にいると聞きましたから、会ったらまずいのは第一王子殿下か。
スサーナは周りを見渡し、うーんと考え込んだ。
かねてからの本人との雑談と、それから下級侍女としての生活で。ひどく断片的に聞いた感じだと、レオくんの部屋は角部屋で、海の間と呼ばれているらしい。
――ええと……つまり、角部屋ということは王族方の私室のある棟の外回り寄りということだから……庭に出る回廊寄りに行けばいい……?
スサーナは悩み、無意識にぎゅっと巾着袋を握りしめ――予想外の熱さに小さく悲鳴を上げてそれを手放した。
「え、えっ……?」
反射的に投げたせいで、ゆるい放射線を描いて床にぽさんと落ちた巾着袋を拾い上げ、急いで中を検める。
――熱い? え? 万が一、人前で目を離した覚えはないですけど……誰かが気遣いでこれに懐炉を入れてくれた、というようなことが……?
手のひらと指の境あたりがまるで熱いカップにでも触ってしまったかのようにヒリヒリする。
中に入っているのは裁縫セットと糸、表地と裏地の隙間に隠した刺繍した布と、言い訳用の無地のハンカチ。いつもは身につけている腕輪の護符。それだけだ。
冬の大気でも冷めず、火傷しそうなほどに熱を発しているのはオパールのような石を飾った護符そのものだった。
「これは……」
前回これがこうなったのは魔獣に襲われたときだった。
スサーナはそれを思い出し、表情を険しくする。
「いつから……?」
腕につけていなかったから全く気づかなかったが、こんな風になっていたのはいつからだろう。今なのか、それともしばらく経っているのか。入浴の支度から今までの間と考えるなら、大体だが、最大で二時間ほど。
――作ってくれた方が方ですから、万が一、王宮攻略のためになにか仕込んであったりするのかもしれませんけど、そこまで行動を予測しての深謀遠慮があるんだったらまずもうどうしようもないということで……
これは戻って報告したほうがいいのか、それともなにかに間に合うと信じて追いかけたほうがいいのか。スサーナは悩み、しかし直感に押されるようにそのまま進みだした。
――騒ぎとかあった様子もないですけど、護衛の方がこの内側にいらっしゃらないのも、侍女の方がいないのも理由があるとしたら、報告する先を見つけるのにロスがあるかもしれない……
前回、これが熱を持ったのは忘れもしない蛞蝓のような魔獣に攻撃され、障壁が張られたときだった。今は別に障壁が発生しているようなこともないので別の要因なのかもしれないが、もし障壁と発熱がイコールでなく、魔獣の方に関係する要素だったとするなら、近くに魔獣がいるという可能性がある。
――夕方までなら……報告を優先したんですけど……。
夕方までのレオくんなら少し目を離しても魔獣という点では大丈夫だろうと思えた。カリカ先生の魔獣よけの刺繍を包んだ下げ飾りを持っていたからだ。
だが、今のレオくんは飾りをつけられるような格好ではない。ほとんどパジャマのような服装に装飾を付ける場所はなかったし、それらしいものも見当たらなかった。
踏み出した先はやはりとても静かで、静まり返った中、僅かに遠くから漏れ聞こえる音楽が年改めの祝祭の宴のものなのだろうか。
――音楽が聞こえるぐらいなんですし、何も起こっていない……はず、なんですけど……
豪奢な装飾に飾られた、高い天井と左右に広い廊下。目の届く限りにはやっぱり誰の気配も感じられず、先程までは気を抜ける要素のように感じられていた人気の無さは、今は酷く落ち着かない。
スサーナは不意に薄ら寒さにかられてぶるりと震え、むき出しの腕を擦った。
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