第383話 偽物令嬢、そそのかしを受ける。
「最初にお見かけしたのは神殿でしたか。」
撥ねつけてみせたスサーナに気を悪くする様子もなく、コルネリオは好々爺の顔をして笑う。
「そういえば、神殿で目にしたことがある方がおいでですね」
「ええ、彼のように、いろいろなところに入れてくれる友人は得難いものですな。 ……いや、耳を疑いましたよ。まさかあのミランド公にお子がとね。国元にすら置いていなかったものを、この度のことに驚いて呼びつけた、と聞いたときには……」
丁寧に装っているはずの言葉の中にどこか不穏な言葉選びが混ざるのにスサーナは少し警戒を深めたが、気づかぬふりで先を促すことにした。
「秋ごろには珍しくもなかったお話でしょうに」
理由は様々ながら――根本的な理由は演奏会の襲撃で、そこで生まれた先行き不安だったり、はたまた席がぽっかり空いてしまっただとか、周辺派閥の環境変化で泡を食った当主が泥縄的にそうしたとか――秋ごろから、田舎から呼び寄せられる遠縁だとか、後継者候補だとか、代替わりだとか、そんな話はそれなりに珍しくはなかったと聞いている。それゆえにスサーナ自身も怪しまれること無くそれに紛れたのだ。
貴方方のせいで、とか、ご予想しておられなかった? とか、令嬢なら当然思いつきそうで挑発になりそうな単語も浮かんだものの、この場ではそれは本意ではない。慎ましく口をつぐんでおく。老爺は構う様子もなく笑みを口に刻んだままゆるく首を振る。
「ええ、そのような話はいくつもありましたが。なにより公のご身分を得ている方がとなると、聞かぬ話でございましょう? ……噂の方向次第ではご自身の醜聞にもなりかねぬというのに無理にでもご令嬢を呼び寄せて、後継に据える……、親族の男子を養子とするのでは、臣下として支えるのであれ、第五王子殿下が戻られた時であれ、意見を違えることもあるでしょうからな、角が立つ。いやはや……大した忠信、大した慈しみようだと」
「父は殿下の後見人です。当然のことでしょう」
返した言葉に彼がにんまりと微笑むのが見えた。
「そうでしょうとも。しかし随分とむごいことを……。」
言葉を切り、置いた一呼吸がなんとも芝居がかっている、とスサーナは思う。
喋りながら不自然ではない程度にだんだんと張った声量と、こちらへじっと向けてそらさぬ視線に、スサーナはこの一連の茶番じみた会話の目的を合点する。
――これは、アレですか。レオくんに聞かせて何か揺さぶろうとしているか……私が動揺するかを見ている? もしくは、その両方ですね?
レオくんはいくらか後ろを歩かされてはいるのだけれど、六角形達が襲ってきていた時と引き比べればこの場所はとても静かで、後ろでごちゃごちゃと喋っている謀反人達の声に多少遮られたとしても、聞こうとしているなら声は耳まで届いてしまうだろうと思う。
「むごい?」
多分、明確に誘われたのだと理解しつつも意味深に置かれた言葉を繰り返して見せる。罠の金具を靴のつま先で押し込んでやる時の感覚を弄ぶ。
物わかりの悪いフリでずれた話をするなりして意気をくじいてやるのは不可能ではないだろうが、話の方向性すらまだわからない。何が一体むごいというのか、自分に関わることか、レオくんについてのことなのか、とりあえず聞いてみなければ相手の心づもりの予想すらまだ立たない。
「いーえ、なに。修道院で穏やかに過ごしていた方が、急に右も左もわからぬ異国に呼びつけられ、馴染まぬ王族のために貴族の義務をまっとうせよとは……さぞや心細く、心に染まぬことを耐えておられることと思っていたのです。ゆえに、むごい、と。」
両腕を開く、という動作をしたかったのだろう。傷が引き攣れたらしく短く渋面になったものの、直ぐに気を取り直したらしく大きく首を振ってみせたコルネリオを見上げてスサーナは思案した。
レオくんや自分を動揺させて一体なにか謀反人達に得があるのかだいぶ不透明だが、とりあえずコルネリオが自分をグリスターン生まれの娘である、と言う前提で様子を見る程度には事情を調べ得ては居ない、とひとまず仮定できるのはいいことだ。
更に言えば、この揺さぶりでレオくんが動揺したりしなさそうなのも良い。彼はスサーナの経歴を知っているので、グリスターン生まれ修道院育ちのご令嬢前提で語られるものは特に何も響くまい。嘘に嘘の違法建築、昭和の旅館建築の如き混乱した人生来歴の面目躍如というところだ。
――さて、これはええと、どう反応したものか。
実子かどうかの確認だと言うなら、少し反応してみせたほうがいいのか。レオくんになにか聞かせるのがメインだとするなら――忠誠心と動じぬ様子を示したほうが、わかっていても心には優しいのかもしれない。
スサーナはいくらか決めかねて悩み、どうとでも取れるように言葉をそろそろと押し出す。
「そんなことで、私に、興味を?」
「そんなこととは気丈な事を。大きくは外れていないでしょう? ミランド公がグリスターンへ行くのは外交を兼ねて年に一度が大抵。留まるのは精々数日ほどですかな。顔を合わせられるのは年に二日あれば多い方というところでしょうか。隠されていたと言えば尤もらしいが、打ち捨てられていたと言ってほとんど相違はありますまい?」
お可哀そうに、という猫なで声。
「神殿でお見かけした時も、宴席でお見かけした時も、随分と硬い表情で……気を張って、巣を引きずり出された獣のように怯えておられるように見えましたのう。さて、さて。そのような境遇を強いたミランド公に、いやはや、よく従ってらっしゃるものだ」
ぬけぬけと滲ませた同情と共感じみた色に、このやりとりの対応を考えていたはずなのに、ふつりと思考の隅で怒りが湧いて、スサーナは眉を険しくする。
――何も知らないくせに。
これは茶番、自分にとっては状況を掴むための即興劇めいたものと納得しているのに。泡じみた怒りの衝動が思考の水面を揺らす感触が想像よりもずっと確かだ。ここで感情を揺らすのは本末転倒だと頭の片隅で慌て、それでもぐらりと沸いた感情は納まり切らなかった。
――いや、駄目だ、ここは冷静に……
冷静さを保とうとといつもなら辿る重みは今は腕になく、普段なら万能感をなんだかんだと担保してくれるお守りは今護符という定義をされて指の先で弱々しく光っている。
「軽んじられたものの忸怩たる思いは、我々も知らぬわけではありません。よおく我慢されておいででしたが、それにむくいるほどの恩も、家族の情も、貴女のお父上は掛けてはおられぬでしょう?」
――何も知らないくせに!
そういうのじゃない。ぜったいにそういうのじゃない。レオくんがどれだけいい子かも、お父様がどれだけ心を砕いているのかも、ああ、だからこれはとてもとても当然で、それなのに、よくも汚すようなことを、第一これは全部全部お前たちが。
胸の奥からこぽりと揺れ浮かぶ嫌な熱で喉の奥が狭まったような感触にスサーナはふうっと息を吐き、浅く吸ってまた吐いて、前後も顧みず、知った経歴を総動員して相手が最も侮辱と取りそうな言葉を考えようとする思考を押さえつけ、悪罵を叩きつけそうになった唇を噛み締めて自らを宥めた。
せめてもの慰めは、コルネリオに怒りと憎しみの籠もった視線を向けたのは図星を突かれたゆえに動揺したのだと、そう受け取られたようだったことだろうか。
うわずりかけた声を落ち着かせて、喉を開いて声を出す。
「まあ、まるで翻意を誘われているような物言いをされるのですね。そのようなものはもっと周到に……このような窮まった状況になる前にされるものだと思っておりましたけれど」
「ははは、手厳しい。ですが貴女とは本当に仲良く出来るのではないかと期待していたのですよ? 本当ならもっと早くに参上すべきだったのが、何故かなにかと機会を逃しがちであったのは確か。……我々と来て頂ければ、身を削るような思いをすることなど無い、安楽な生活をお約束いたしましょう。それに、ミランドを回復しても構わぬ……と殿下はきっと仰せになる。きっと、ミランドの民は喜ぶことでしょうのう。熱狂的に受け入れられる、お父上よりずっと。さぞ胸がすくことでしょう」
――これは――これは。
スサーナは強いて落ち着けた思考をぐるぐると回す。
なるほど、あまりにタイミングがインスタントきわまりないが――スサーナのイメージとしてはこういう会話は薄暗い応接室だとか人気のない庭園で優雅かつ隠微に行われるものであり、超自然の六角形に追われた後で歩きながらするものではない――、諸国の併合を望むのなら、隣国域との間に聳える山脈を超える街道を保つミランドは欲しいに決まっているのだから、今まで何もなかったことこそ驚きだし、これはショシャナ嬢の、いや、ミランド領の経歴を思えば当然差し出されて然るべき餌だ。
とはいえ、ウィルフレド王子に聞かされた後に調べたところによれば、併合は戦争ではなく、世界情勢が非常に荒れた時代に大きな傘の下に入ったようなもので、もともと近い親戚筋だったとかいう理由もあったし、特に当代の王様と
だからそんな風に眼の前に吊るされたとしても、本当にその立場の人間であったとしてもそううまく行くとは思えない人参だが、とはいえ、だ。
――脈あり気に見せて、行動の自由度と可能性を増やしたほうがいい……?
そういう立場の人間として、味方についたほうが――たとえば、もしかしたらサラのようにだ――決定的瞬間に動く余裕が大きくありそうな配置にいられるかもしれない。
――いや、でも、今でも私のことは殺せない、はずですから……
どちらにせよ護符を掲げて歩くのを求められるなら、拘束でギチギチにされるという可能性は低い。目的地につくために必要な駒と思うのなら、斬りつけるのに躊躇もするだろう。
そして、自分だけなら特に斬りつけられたとしてもそう問題ではない。
してみれば、下手に謀反人の一員そのものと思われかねない立場に立つと、事態が解決した際に――まだ大人がなんとかしてくれるという希望は捨てては居ない――サラをかばうことすら出来ない可能性がある、そのほうが問題だ。
――というかサラさんは一応ルカスさんとかと話が通っている可能性がありますけど、私がここで靡いた様子を取った場合、フリの証拠はどこにもないわけで……お父様に面倒がかかりかねない……
悩み、結局、スサーナは最も穏当な手を取ることにした。
「お粗末なお話ですね。ご心配にもし多少の真実があったとしても、ほんの数言の甘言で臣民であることを脱ぎ捨てるほど私が不忠であるのなら、殿下をお庇いしたりは致しません」
わずかに可能性があるかもしれないぞ、ぐらいの余地を残しつつ、レオくんへの忠誠を前に出していく方向性だ。
もし彼らが切実にミランド公の後継を欲しがるなら、より親しさを匂わせておけばレオくんも害されづらいかもしれない。そう考えた末の言葉だった。
――レオくんがここに連れてこられた理由まではわかりませんが、継承位は高くないわけで……多分、第一王子様やウィルフレド殿下よりかは「なんとでもなる」はずだから……最後まで害さないほうが得ならそうしますよね?
彼らが狙うのは多分王位請求的なことで、とはいえ、何らかのレガリアなんかを奪取しようとしているなら、王位継承権の順位の低い王子で臣籍降下も決まっていたはずのレオくんを殺すより、抱き込まねばならない地位を持つ誰かへの餌にしたほうがいいと考えてもらえるかもしれない。少なくとも、この場限りでは。
しかし。
「おや。本当にそうでしょうや」
まさかの遮られ方をして、スサーナは少し面食らう。
――まさかここでよくわからない粘り方をしてもこちらが折れるとは思わないだろうと思ったんですが――
「祝いの席に居たのが影武者で、奥向きで王子の側に居たのがショシャナ嬢、貴女であった。それなら貴女はミランド公の命で第五王子の側に控えていたのでしょう。――ならば――、知っていたはず。城内の不穏、この晦日の晩に、そう、あの男を王と仰ぐ者達ならば不穏極まりないことが起きると目されていたのかを。というのに―― どうして、貴女は王子を一人にしたのです?」
「悪霊を支配下に置く術は、多少の目の代わりもしてくれましてな? ……王子の直ぐ側には貴女はおらなんだ。巻き込まれてこちらに落ちる程度には側にいたようではありますが、それでも、王子の側を離れておられた」
老爺がしたりと三日月のような笑みを浮かべる。
「お父上の命に倦んでいたのでは? ゆえに、
当然、それは偶然だ。失敗ではあり、反省が必要だと考えて、後悔の種ではあっても、スサーナにとっては良心には憚るところもない事象。
――ええい、ああ言えばこう言う! くそっ、そして多分この人はレオくんにこれを聞かせたかった……そんな気がする!
だから、そう思っても、後ろめたさにまみれてはっと後ろを振り向くことなどない。
「勘ぐりにも程がある……」
「左様で。ですが、覚えて置いてくださいませ。わたくしどもの元には席がある。奪われたものを全て与えられる、席が。」
――レオくんは事情を知っていますから、こんな馬鹿げたことを言っても何もなるはずがない。ああ、でも、それでも、よくも。
――よくも。
老爺を睨みつけ、怒りと憎しみで射抜くような視線を向けながらも、その的はずれなことにわずかに安堵すらしていた。
でも。だから、その瞬間彼女は気づかなかった。
横を歩む少女がそっと、深く眉をひそめたのを。
後を歩く若い王子が、瞳を揺らしてそっと唇を噛み締めたその理由を。
気づける筈も、無かったのだ。
塔の諸島の糸織り乙女 ~転生チートはないけど刺繍魔法でスローライフします!~ 渡来みずね @nezumi
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