第69話 夜は短し乙女の迷惑 2
「んじゃま、ちょっとばかし待っててくれ」
クーロがそう言って岩のそばのヨドミハイの死体をどかし、その下にある砂礫だの苔だのを弄り、うわあ血がだのあああ染みただの騒ぎながら鉄の輪を引き出し、それを引き上げて降り口をあらわにしている間に、レミヒオがそっとスサーナの側に近づき、問いかけた。
「スサーナさん、あれを信用するつもりですか?」
「えっ、なにか信用できない感じがありました? 私、そういう勘は多分疎いので……」
「いえ……でも、何を考えているかわからない。」
「ですけど、私達に酷いことをして得する理由も特になさそうな気もしますし」
スサーナは恩を売られているのかもしれないなあ、とは考えたが、青帯奴隷や侍女に恩を売っても大した見返りは求められないとは相手もわかっているだろうとは思うし、払える範囲で後払いできる恩ならこの際売ってもらって構わないと思った。
というより、魔術師が常民の子供――レミヒオは鳥の民と言ってもよかろうが――に恩を売って得することが思いつかない。
「それは……まあ、しかし、魔術師ですよ」
「そんな無茶な見返りは求められないとは思うんですけど……そんなことをしたってどうせ私達支払えないんですし」
ぽそぽそとそんなことを喋っていると、つっかえ棒を土中に差し込み、一応の屋根付き降り口という形に仕上げたクーロが歩み寄ってきながら声を上げた。
「おーい雛ども、聞こえてるぞー、もう丸聞こえー」
「あっ、あはは、えーと」
「
ごまかし笑いをするスサーナにクーロが呆れ混じりの声で言う。
「そ、そういうものなんですか?」
「そうそう。アー、欠損再生とかだと専門のやつじゃないと無理だけど、薬剤が出回ってる。小さい外傷は塗るだけで治る。」
「ほへー……ありがとうございます! すごく助かります!!」
魔術師すごく便利!という思いに駆られてスサーナがキラキラした目で見上げると、クーロはまんざらでもなさげに胸を張る。そこに半眼になったレミヒオが口を挟んだ。
「それは結構ですが、まさか術糸再生も簡単だとは言いませんよね?」
その言葉にきまり悪そうな半笑いをしつつクーロが目をそらす。
「あーウン、まあ、それは? 理論上はあるが、協力がないと出来ないし?データ数が少ないし? 俺も施術の方は専門じゃないが、こう、魔獣素材の使用実例が取れるのは願ったり叶ったりで、アー、その、専門が魔獣素材なんで、そのう、他の糸と伝導率も比べられるしだな、新鮮そのものの素材はあるしだな。こんな機会はそうそう」
「なるほど、確かにこういうときでないと魔術師の作ったまがいものを通す鳥の民はいませんね」
「というわけでおっつかっつ……エー、お互いさま……そういうアレで……つまり……」
へどもとと喋るクーロにレミヒオがため息を付いた。
どうも、レミヒオの治療をすることでクーロも得をするらしい、とスサーナもなんとなく理解する。門外不出の技術の再現をその技術を持った相手の協力でできる、というようなところなのだろうか。
「……そちらに利があるのはわかりました。……一応聞いておきますが、魔獣を呼び込んで得がありそうなご立場ですが、その結界とやらの弱体化とやら、ベルガミン卿が原因と言っていましたが、そちらの意図的なものが関係しているというわけではなく?」
レミヒオが意地悪な口調で言った。
スサーナはいじめるのはやめておきなよ、という気持ちになったが、彼の感想ももっともではある。
結界が破れて普段は入れない魔獣が入り込んできたところにどうやら魔獣の研究をしている人、という構図なのだ。棚からぼたもちどころか棚から満漢全席感がある。マッチポンプを疑うのも致し方無いと言えよう。ただ、スサーナとしてはそれを自分で言っちゃう人はマッチポンプに向かないだろう、と思うのだが。
「いや、それは違う。本当に違う。俺たちは滅多なことで大典を破ったりしない」
魔術師は真面目な声でいい、大きく手を振った。
「大典?」
「アー、こう、島に住む上で……こう、共同で守る決まり……みたいなもんだな。結界の維持はとても大事だ。研究をしたいとかそんな理由で破ると、すごい大変なことになる。」
「大変なことに」
「罪が軽いとみなされるとアー、制裁……謹慎……つまりいろいろ没収されたり……収入が途絶えるぐらいで済むが、悪質だってことになると他の塔が一斉に殺しに来ることもあってヤバい」
「……それは本当に大変ですね。」
レミヒオが納得した声音で言った。
魔術師は基本的に個人主義だ。その彼らが一斉に殺しに来る、というのは確かに重い対処だろう。
「だからそんなことはやらない。わざわざこんな外周に住んでるんだ、素材がほしければ外に行けばいい。まあ、ほとんど生きたままのやつを使えるのは稀有だが、大した差じゃないからな」
クーロは汗をかきかきろくろを回してひとしきり説明した後で、短い沈黙に耐えられなかったらしく、一つ咳払いをして言った。
「アー、それで、見るか」
「はい?」
「俺が結界をちゃんと修復したかどうか確認したいだろ? 修復するところを見たら納得するだろ」
スサーナは首をかしげる。
「気にならないかと言ったら嘘になりますけど……治ったか見てわかるものなんですか?」
横を見ればレミヒオもうなずいている。
島々の結界はそれ自体は目に見えないのだ。効果が出たものかが魔術師ならぬ身にわかるのかどうか。
「アー……そう言われれば確かに……まあ、見た目は派手だ。まず、エー、結界が消滅してるってのはそこに流れる魔力が足りなくて流れが途絶えてるってことだ。そこで結界に魔力を通す。エー、それで、量が一定になったら動いて……こう、まあ、見ればわかる。」
そう言って入口に向かうクーロ。
スサーナがひょこひょこ後を追うと、レミヒオが非難混じりの声を上げた。
「ちょっと、スサーナさん」
「いえ、修復が目に見えるかとかはわからないですけど、下で倒れたりしたら誰かが外に出さないといけないかなとも思いますし」
「なんで俺まず倒れる心配をされてるの?」
「……そういうものなのかと……。だって、魔力を使うんですよね?」
「まあ、うん、普通にやれば倒れるかもしれん。ここの結界がヤバくなったのも補給が俺じゃおっつかないからだからなぁ」
クーロが気まずげに頬をかき、そして気を取り直したように胸を張った。
「だが、それに備えて俺は魔力卵を買ってきたわけで……アー、魔力を溜める部分だけの術式付与品で、もう他所のやつが魔力を込めて……ともかくそれが魔力を代行してくれるから大丈夫なんだ」
「なるほど」
スサーナのあとに付いてきたレミヒオが言葉を引き取る。
「つまり、クーロさん個人は特に結界の回復に寄与するわけではないと」
ぐっと呻いた図星だったらしい魔術師は、打ちのめされたような声でひどくないか、と呟いた。
クーロの後について降りた起点所は本島のそれとよく似ていた。
上がアーチになった通路、魔力の明かり。
その先には卵型の空間が広がっていて、その中心には水盤。
スサーナの先に歩いていったレミヒオが、後ろから見てもぴんぴんに気を張って緊張していてスサーナには少し面白い。
スサーナは、レミヒオくんは妙にクーロさんに当たりが強いけれど、もしかして魔術師が苦手なんだろうか、とふんわりとした感想を抱いた。
どっちもすごい魔法とかを使うということでむしろ常民より共感を抱けそうなものだけれど、ままならないものだ。
入り口のところで入るのはここまでだと子どもたちを
「なんか、アー、慣れてる? いや、手間がなくていいんだが」
「慣れてるわけじゃないですけど、一度入れてもらったことがありまして」
「えっなにそれ怖い。どういう経緯?」
スサーナはクーロがえっと驚いてみせるのになんだか後ろめたいような気分になる。あれはあの人になにか違反めいたことを強いてしまっていたのかもしれない。
「えーっと、いけないこと……だったんでしょうか? おうちがお店で……それで懇意にしてる方が……」
「いや、そういうわけじゃねえが。ずいぶん気さくだなと。あー。商人の援助で食ってる下位塔かな……」
「クーロさんも結構気さくに見えますけど……。」
「俺はさ、まあ、人生まれだしな。そういうもんだ。」
「ヒトウマレ?」
「両親が常民でなー。魔術師の流儀が身についたのが遅くてさ……まあそれはいいや。下がって見ててくれよ。」
しっしっと子供二人に手を振り、クーロは懐から卵を模したような道具を取り出した。
水盤の上に据え、それからヨシと声を上げて気合を入れると、白い軌跡を描いて空間に印を書き込んでいく。
スサーナはクーロが印を描くのを見ながらハラハラしていた。
描画がたまに止まるのだ。
そして、えーとなどと呟いて少し首などかしげたりした挙げ句すこし書き直したりする。
スサーナは――この類の魔術の行使を見たのは前回の似たような一度だけではあるが――魔術を使う時に使うらしい白い軌跡がアンドゥ・リドゥされるのをはじめて見た。
大丈夫ですか、と声を掛けかけたときに、クーロがヨシっと声を上げた。
水盤の上で卵のようだった道具が花のように開く。
空間に魔法陣と光の粒子が満ちる。
スサーナは半ば無意識にクーロがその場で倒れるのを予想したが、結局そんなことはなく、満足げな顔で彼が振り向き、おおい再起動したぞ、と手を振ってみせるのを見て、なんとなく脱力した。
「な、なんにもないですね、……はあ、よかった。」
「これで再起動とやらは終わったんでしょうか」
レミヒオが不審げに言う。
「さあ……でも、前見たのもこんな感じだったので、多分大丈夫なんじゃないでしょうか。」
スサーナの返答に、何が気に入らないのかレミヒオは短く鼻を鳴らして身を翻し、
「じゃあ戻りましょう。あまり長居したい場所とは思えない。」
スサーナの手を引いてどんどんと通路を戻っていく。
「エッちょっと反応薄くないか? なんか酷くないか、なあ!?」
胸を張ったその目の前でくるりと後ろを向かれ、さっさと帰路につく子どもたちの後を追うクーロの声が情けなく通路に響き渡った。
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