第68話 夜は短し乙女の迷惑 1

「いるのは……雛烏が二羽だけか。おおい、これは、えー、君らがやったのか?」


 数歩進み出てきた魔術師らしい男にレミヒオは腕を構えることで応えた。

 男は両手を胸の前で開いて、戦意はないというように振ってみせる。


「いやいや、何もしないって、ほんとほんと。」

「認識欺瞞を掛けて近づいてくる相手を信用しろと言われても出来ませんね。」

「いやっ、だって、こっちは肉体労働に縁のないおうちっ子でだな? あんな魔獣にかじられたら千切れちまう。」


 信用してくれないかなあ、となだめるようにいう魔術師と、警戒を一切解く様子のないレミヒオ。

 スサーナは後ろの方から恐る恐る二人に口を挟むことにした。


「あのう」


 同時に二人に振り向かれ、ぴゃっとなった。


「ええと……魔術師の方……ですよね? その、なんでこんな魔獣がここにいるのかご存知ですか?」

「ああ、普段はいないんでしたっけ? では、こいつが放ったのでは?」


 スサーナの問いかけにレミヒオが警戒を含んだ鋭い声で言い、魔術師は実に心外そうにぶるんぶるん首を振ってみせる。


「ひどいなあ少年! むしろ俺は迷惑を被ってる方だって! これはあの貴族連中の自業自得だぞぉ、やんなっちゃう。」

「そんなことを信じろと?」


 鋭い目のままで冷たい気配を発散させるレミヒオにスサーナはほんのすこし思案して、


「ええと……詳しい話を聞かせていただいても……? 」


 勝手に話を進めることにした。


「おっ! 女の子のほうは話がわかるらしい! 」

「スサーナさん」


 声に非難が混じったレミヒオにちょっと首を振ってみせる。


「たぶん魔獣が迷惑なのはほんとだと思います、だって、魔術師の人は結界を張ってる側の方々なんですから。」

「そうそう、いやあ漂泊民のわりに詳しくて結構、少年の方も覚えておくといいぞ」


 ひどく不機嫌そうながら、レミヒオが腕をおろした。指先から長く伸びた概念の爪が消える。


 てふてふ、と雑な動きで魔術師が近づいてくる。

 レミヒオは馴れ馴れしく近づいてきた魔術師に眉をひそめ、最後の1mほどで静かに威嚇した。魔術師が足を止める。


「いやあうん、とりあえずそれじゃ、自己紹介といこう。」

「できるだけ手早くお願いします。僕らは出来るだけ早く魔獣の存在を村に知らせなくてはいけないので。」


 腰を折られた魔術師は、なんだかちょっとしょんぼりしたようだった。


「うん、少年、こう、だな。慌てても人生得することは少ないぞ。俺はこの島に住んでるしがない魔術師で、クーロって呼ばれてる。」


 あれ、塔の番号で呼ぶんじゃないのか、とスサーナは気になった。魔術師のスタンダードがわからない。


「クーロさん、ですね。……塔の番号とかでお呼びしなくていいんですか?」

「おっ、雛の割に詳しいね。そういうしゃらくさいことするのは精々二桁塔のやつらまでだよ。俺182塔だもん。そんなん塔を名乗ったところで誰も専攻もなんもわからないからね……ほんとしがないからね俺……うん、というわけで愛称で結構です。うん。」

「愛称ね。随分と気さくですが、何か通り名を隠したいご事情でも? この島に住むなら山梔子の魔術師と呼ばれる魔術師では?」

「ははは、……くちなし島に住んでるからそう思ってくれたってのはありがとうって言うべきなのかね。でも違います。そんなかっこいい二つ名はありません!とても残念です!! よろしく!!」

「あー、えっと、よろしくおねがいします……えーと、スサーナといいます。ええと、それで、アル・ラウア伯代行の侍女……です、一応。」

「……レミヒオ。どういう身分かは青帯を見ればわかるでしょう。所属はセルカ伯。」


 簡単に自己紹介を済ませ終わり、魔術師……クーロは顎を撫でてフムンと腕を組んだ。


「君ら雛烏のくせに貴族の子飼いなのか、苦労してんなぁ。まあじゃあ申し訳ないけど言わせてもらうと、これは君らンとこの自業自得だぜ。」


 器用に腕を組んだままヨドミハイの死骸を指さして言った。


「え? いったい、どういうことです?」


 スサーナはきょとんとする。自業自得と言われても困る。管理不行き届きとかそういうことだとしても、ここが任地に決まったのも最近のようだし、来たのも今日なのだから。


「あー、つまり、エー。まあ、貴族の方々がさ、魔力を使ってるわけだよ。ちょっとやそっとなら問題にもならないんだけどここんとこちょっと多すぎる。だからこうなったわけ。ここはそう太い地脈でもないのにガンガン船入れて密売じゃさ……」


 ひええ、貴族の闇取引! 明らかに聞いてはいけない単語を聞いてしまった、とスサーナは戦慄する。

 レミヒオくんも知っていることなのだろうか。セルカ伯は奥さん思いで悪い貴族感なんかないのに、とちらりと横を見る。

 すると、レミヒオもなんだか虚を突かれたような顔をしていた。


「……なんだって? 密売? ……売っていると?」

「お、おう。」

「術式付与品を?」

「おう。」

「知らない、初耳だ!」


 レミヒオヨティスは首を振る。それなりにセルカ伯の信頼は得ているつもりはあった。重宝な小姓として帳簿やらいろいろの管理にも食い込んでいる。彼がそういうやり方で蓄財をしているなら高い確率で気づけるはずだ。


「あっ、そ、そうですよ! 任地に決まったのもこの間ですし、私達この島に来たの今日ですもん!」


 スサーナは慌てて言葉を継いだ。速攻で覆される証言かもしれないが、とりあえずは一度は否定しておきたかった。


「あー、うーん。いよし、とりあえず確認するけど、君ら、ベルガミン卿とやらの子飼いの掃除屋じゃないのな?」


「ソウジヤ?」


 スサーナは首をかしげる。掃除……掃除。しばらく思考して、それからようやく単語と前世の知識が接続された。

 つまりアレだ。暗殺者とかそういうヤツのことだ!


「違います! っていうかベルガミン卿! ベルガミン卿って言いましたよね今! あの人ただの最悪の変態ロリコンじゃなくて悪い最悪の変態ロリコンだったんですか!」

「わる、なんだって?」


 スサーナの勢いに飲まれて聞き返したクーロに渋い顔をしたレミヒオが小さく咳払いをした。


「スサーナさんは本島の街の人間で、アル・ラウア伯の娘さんとのご友人の縁で今回同行している方です。そちらの想定とはあたりません。お忘れなきよう。……そして、僕も、ただのセルカ伯の侍従です。ベルガミン卿と関わりはありません。」

「あっ、そうです、あの、髪が黒いので雇ってもらってるだけなので、えっと、混血……なんですけど、とりあえずそういう、闇取引みたいなのは関係ないです」


 クーロが肩をすくめる。よくわからんけどややこしいのね、と言った後で少しまた顎を撫でて、んー、と唸った。


「とりあえず、こう、なんだ。まあ、ベルガミン卿ってやつがさ、月にいっぺんは来ていろいろ益体もないもんに魔力を通してはまた持ち出したりここで売ったりしてるわけで。その結果がこれだな。」


 ヨドミハイを指し示す。


「? どういう関連性が……」


 レミヒオが理解できない、という顔をする。


「うん、つまり、今ここの結界は消滅しています。」


 クーロの言葉にスサーナはおもわず悲鳴を上げた。


「消滅って、めちゃくちゃ大事じゃないですかーーーー!!!???」


 半分レミヒオの影に隠れた状態だったのが、思わず駆け出してクーロに詰め寄る。


「それってつまり魔獣が入り放題ってことですか!? 大丈夫なんですか、本島とか他の島とかみんなまずいじゃないですか!?」

「うおっ、落ち着け落ち着け、あー、諸島全体がどうってことじゃなくてだな、この島の結界だけがマズイわけで。こう、なんていうか、冗長性? そういうのは保たれているからこう、全体的にはまだうまいこと行ってるわけで、エー。」

「そ、そうなんですか……よかった……いえよくないですけど!」


 どうどうと宥められてスサーナはひとまず落ち着いた。

 レミヒオはまだキョトンとした顔をしている。


「あー、つまり、こう、地脈のラインに魔力と術式を上乗せして回してるんだが、そうすると、アー、なんつうか、川みたいな……使うと……水……つまり、量が足りなくなるだろ?」

「えっと、起点地で魔術師さんが結界に魔力を込めて維持してるってことは知ってます。えーっと、魔力をよそで使ったから、結界を維持するのに必要な魔力が足りなくなる……ってことです?」

「あ、そうそう。詳しいね。つまり、その維持がさ……元がなくなっちまうと、流れが滞る……つまり込める量がさ、要るようになって……」


 魔術師はふわふわとろくろを回した。

 スサーナはなんとなく確信する。あ、この人、説明とかだめなタイプの方の人だ、と。


 ふわふわした話を数回聞き直し聞き直し、スサーナとレミヒオが理解したことには、結界というものは地脈に依存しており、その地脈の魔力を使いすぎれば枯渇し、その魔力が枯渇すると結界の維持管理にも影響がある、という単純な理論だった。そして、当然結界が弱ると魔物が侵入してくる。……正確かどうかはふたりとも自信がない。


 聞きながらレミヒオヨティスは思案する。

 彼の話は多分半分間違っていて半分正しい。地脈の枯渇とやらの原因はベルガミン卿だけではない。しかし、魔術師の言が正しいなら、ベルガミン卿は再装填所を私物化して術式付与品の闇売買を行っている。それが過剰に魔力を浪費しているというのもそれなりの真実だろう。……魔術人形が常時稼働し続け、というのも妙なことだと思ったのだ。島出身ではない彼としては結界とやらがなくとも普通に魔獣に備えればという気もするため、この場ではともかく長期的な重要度はいまいち測りづらいのだが、勝手な闇取引となればクリスティアン派の貴族たちにとっても看過しがたい事態ではないか。

 さて、どうしたものか。握っておけば暗器になるかもしれない、だがこれを彼女に黙っているように言うのは不自然だ。それならまだセルカ伯へ信を置かれるために使ったほうがいい。それに魔術師月の民とは厄介なものだ。彼がそれをベルガミン卿の行為が原因とだけ考え、問題視しているなら、懐柔できるなら懐柔しておいたほうがよさそうだった。


「あっそうだ、理由はわかりましたけど、それどころじゃないんですよ! ヨドミハイがいるって村に知らせないといけないんです!」


 スサーナがはっと声を上げる。


「あの、ヨドミハイに備えてもらうために村にできるだけ速く知らせなくちゃいけないんです。なんだかそういう時に使えるものってありませんか!?」

「うん? ないでもないけど、その必要はないと思うけどな」


 切羽詰まった顔をして問いかけてくるスサーナに、魔術師はのほほんとした返答をした。


「え?どうしてですか?」


 まさか村はもう全滅しているからね、などと言われないだろうな、とスサーナは問い返す。


「えーとだな、俺はまず地脈がまずそうだから買い出しに行っててな、一週間ばかり空けて戻ってきたら結界がこんなで、それで再充填が必要だろ? ついでに近場の魔獣をなんとかしようと思って使役体に魔獣を捜索からのマーカー付与していたら岩んところで誰かが戦ってるっていうんでここを見に来たら、そしたら君らがいて」

「はあ。あ、えっと、あれで魔獣が全部だった、ってことですか?」

「いや、そうじゃないけど。一番大きな群れはここだったみたいだな。近場にいたやつがみんな警戒音で集合したみたいで……感じとしては海洋型個体の社会性群れで……」

「はあ、あ、えーっと、村の近くには今魔獣がいないから大丈夫、ってことです?」

「そうそう」

「……残りは全部で何匹ぐらい居るんですか?」

「エー、15匹程度だな。三匹がメスで、未成熟子が2、残りはオス……」

「他の個体は一体どこに?」

「他は海岸線付近の山間部に、数日とはいえ縄張りがそれぞれ出来始めてるみたいでだな、二、三匹ずつパックでいる様子で……」


 途中からなんだか焦れたらしいレミヒオがサクサクと情報を整理していく。

 つまり残りのヨドミハイは15匹で、村から離れた山間部に2、3匹ずつまとまって存在する、ということらしい。村が今滅ぶという危険性は無いようだが、今後村へ魔獣が向かわないとも限らない。


「なるほど。つまり急ぎではなくなりましたが村に知らせて対処を促したほうがいいですね。行きましょうスサーナさん。無駄に会話している暇はなさそうだ。」

「これだから漂泊民ってやつは……雛烏でもこうなんだから……。敬えとは言わないけどもうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃ?」


 レミヒオに冷たく言われたクーロはなんだか拗ねたようだった。スサーナは、いやあ今無駄に会話とか言われたのは漂泊民カミナ関係ないんじゃないかなあ、と思ったが、かしこく指摘しないことにした。


「あ、はい。じゃあ、クーロさん、教えてくださってありがとうございました。」


 スサーナが一礼して、抱えていた上着をレミヒオに渡す。流石に上半身裸で村に行くのはどうかと思ったのだ。


「うん、いや、優しくしてと言って丁寧にされるのもなんだか悲しいけど、うん。アー、その対処も別にいらないと思うがなあ。下手に村人に警戒させても徒労を誘うばかりじゃないかな」

「……どうしてですか?」

「ウン、つまり、結界は張り直すし、つまりこれ以上増えないだろ? 残った魔獣には使役体が致死毒を注入しに回ってるから……あー、マーカーがあるからわかるから、どうせ後数時間で全滅を」


 視界の端で上着をかぶりかけたレミヒオが笑顔で眉を逆立てるのが見えた。


「どうして!それを!先に言わない!!!!」


 叫んで手近の木を殴りつけ、あれだけ戦闘中痛くも痒くもなさそうだったくせに、呻いてしゃがみこんだ。


「だから慌てても得しないって言ったじゃないか……」


 魔術師が言う。

 スサーナは曰く言い難い気持ちで顔を覆った。


「まあうん、あー、えーとだ。怪我をしてるなら結界を張り直したあとに治せるけど、どうする?」


 クーロの問いかけにとりあえずスサーナはすばやく手のひらを返すことにした。骨折は早期治療が大事なのだ。糸も早く抜いてあげたい。なんといってもただの木綿糸なのだから。


「是非お願いします!!!」

「その赤いのも、雑だけど術糸の補修? んー、術糸の再生は得手じゃないけどできないこともないな。俺は専門外ではあるが。切れてから数時間以内? んじゃあ丁度魔獣もたんと転がってるわけだし、素材豊富だしいけるいける。」


 レミヒオは何故かすごく鼻白んだような顔をした。


「いいですよ、別に。その張り直しとやらもどれほどかかるのかわかりませんし。」

「え、でもレミヒオくん、急ぎじゃなくなったんですから直してもらいませんか? 痛いでしょう?それに、傷が膿んだりしたら大変だから、出来るだけ早く消毒して……その、再生っていうのをしてもらったらもとに戻るんですよね? そしたら糸を抜いても問題ないですし、そうしません? 体に糸があるのも目立ったらまずいものなんですよね、口外無用なんだし……」

「それは……まあ……」


 スサーナがなんとかレミヒオを説得しようとしていると、クーロが笑顔で言った。


「張り直しはすぐ終わるぞ。なんと言ってもこの島の起点地、その岩の陰んとこが目印で。そのあたりに蓋があるから君らがどいてくれればすぐ……」


「そういうことも早く言ってください!」


 優しくしようと決めたはずのスサーナだったが、全力でツッコミを入れざるを得なかった。


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