第112話 水晶乙女研究録 4
状況を整理しよう。
スサーナはいろいろ大変なことになっている内心を強いて平静にし、心の中ではっきりそう唱えた。
とりあえずクロエが覚えている限り首謀者の人数や人相、誘拐されている時の状況を聞いてみる。
「うーん、はっきりはしないんですけどー。たぶん首謀者は男が一人でぇ。含めて4……5人……ぐらいだと思いますねえー。」
「なるほど。ええと。人相とかはわかります? 私の方は多分その首謀者の人以外に二人、細身の黒い髪の若い人と、ほんのちょっと小太りかなっていう感じで、ええと40ぐらいかな、っていう茶色の髪の人を見てます。どちらも男の人で。」
「ええっとぉ、顔は隠してたんですけどぉ。お話された方々は多分こっちで見た人とは違うかなーって感じがしますねぇ。ちょっとガッチリした感じで、一応武術の訓練はしてるかなーって感じの人達でしたー。たぶん全員ヤローク人で間違いなくてえ、兵士じゃなくて傭兵かなーって思いますー。ちょっとした発音の癖でわかるのでー、間違いはないかなってー。」
クロエはすこし首を傾げて思案してから確信がありそうな口調ではっきりと述べる。
「わ、わかるものなんですか」
「えへへー。私の水晶眼鏡はすべてを見通すー、って、観察眼の良さは同輩の間で評判なんですよおー。今してるのは耳の話ですけど」
「な、なんだか格好いい……」
「ふふふ、やっぱりそう思いますぅ? 師匠に頂いたものなんですけど、珍しいらしくって、水晶乙女なんて呼んでくださる方もいらっしゃるんですよぉ。あ、えへへへ自慢みたいになっちゃいましたけどもー。」
少し得意げに眼鏡を押し上げたクロエに、スサーナはなんとなくフィリベルト氏と彼女が並んで探偵タッグを組んでいるところを想像した。いかにもそれっぽい絵面になり、そうなると自分は明らかに被害者枠だ。……考えるのはやめておこう、とスサーナは思った。
ええと、そう、整理だ。整理しよう。スサーナは内心の不吉な登場人物宛てを頑張って追い出す。
なにやら貴族めいた偉そうな人がいて、どうやら言葉の感じではヤロークの人間だ。そいつはアウルミアの言語学者であるクロエを誘拐して、ネーゲの言葉を解読させようとしている。そして、同時にたぶん何か邪魔という理由でセルカ伯と、あの騎士様を暗殺しようと目論んでいる。そして、自分はセルカ伯と騎士様をおびき出す囮として(お嬢様たちと勘違いされて)誘拐された。
ネーゲがどうこう、というのは今は置いておこう。日本語とか日本人とかこの際ノイズでしかない。
クロエが見た人数はたぶん貴族を含めて4人か5人。こちらが見たのはあの貴族本人と、ブルーノと青年。それと場所を移動する時にいた、ヴァリウサの人間らしい破落戸が数人。これで全員だとするなら、現地徴用と思われる人間まで含めても関わっている人間は10人足らずだ。
国が関わっていると思うには誘拐の仕方も脅迫の仕方も杜撰、というのはクロエの言。こちらの国家にもそういう専門の機関があるかどうかはスサーナには良くはわからないが、クロエがそう言うということは多分そういう熟練した人たちも存在するのだろう。人数の少なさと場当たり的な感じも考え合わせて、国とかの関係ではない、可能性が高い。
――えーと、起こってるのが一つのことだって勝手に決めつけるのも良くないですけど、多分クロエさんの誘拐がメインの何かなんでしょうかね。
スサーナはふんわりと当たりをつける。
根拠は、フィリベルトを紹介してきたのがミランド公だということ。
『本土の大領地ミランドはその北部に城塞都市セアを有する。セアは北の大山脈で隔てられた国境帯における重要なアウルミアとの交易路になっている。』
最近講でやった試験の、地理の正答がスサーナの脳裏をよぎる。
ミランドはアウルミアとの国境に位置する領地で、確かもうずっとちゃんと関係も良かったはずなのだ。
ふわふわした理解だが、アウルミアで起きた事件に関してミランド公がなにか調査をする、というのはありそうなことのような気がした。
それから、破落戸だ。
はっきりした確信はないが、移動のとき居た者たちは一昨日フィリベルトを追っていた破落戸ではないか?という感じがする。あの時、暗かった上に目を合わせようだなんてしなかったから全然顔を覚えなかったし、彼ら自身スサーナのことを覚えていたという様子はないので、こうしてみると、もしかして、というような具合であり、自信はないが。
つまり、とりあえず。
国際問題では直接的にはなさそう。国家の上の方では手打ちがなされていて、ヴァリウサはかかわらないで知らんぷりをする、とかそういう国際刑事ドラマに出てきそうなやつではない、はず。規律だった軍勢が襲ってくるということもなさそう。よくわからない大量破壊が起こるとかそんなこともなさそうだ。
つまり、警吏に駆け込んで意味がある。クロエも保護してもらうのは可能なのではなかろうか。
つまるところ。
スサーナとしては、すべき行動に一切差はなかった。逃亡だ。
「ええと、クロエさん。」
喋り終わってふいー、と息をついているクロエに声を掛ける。
さっきに比べてだいぶ顔色もいいし、表情もはっきりしている。
――待っていてもらおうかと思ったけど、一緒に逃亡を誘ってもいいのかもしれない。
「ええと、私、ここから逃げようと思うんです。」
「えっ、そんな事出来るんですかぁ?」
身を乗り出してきたクロエにスサーナはうなずく。
「ここ、土地勘のある場所なんです。クロエさんはどうしますか?えっと、気絶していたふりをすれば私が逃げたって判っても多分ひどい目にはあわせられないとは思うんですけど。私、ここを登って窓を破ろうかと思って。」
「ああっ、そうですよねえー、諸島だってさきほど聞きましたもんねぇー!んー……それは逃げられるものなら逃げたいですよお。このままここにいても責め殺されちゃう以外のビジョンは見えないのでぇー。」
「ええと、じゃあ一緒に逃げます、か? ここは街の港側なんです。市場の方まで行けばなんとか警吏の詰め所があるはずなので……」
「えっ、街中なんですかぁここ! わかりましたー、熱っぽいですけどなんか最近で一番マシな気がしますしぃ、なんとか頑張ってみますよおー!」
クロエとスサーナは頷き合い、それからすこし相談して、スサーナのガウンを割いては結び合わせ、コブ結びをいくつも結んだ。
それをドレスの後ろにくくり、スサーナは壁登りを再開する。
クロエが下から押し上げてくれるのでだいぶ最初のときよりも登りやすい。
下側の漆喰を塗り直してある部分を過ぎ、レンガが露出している部分までたどり着いてしまえばしめたものだ。経年劣化でボロボロに隙間ができたレンガは足がかりが多い。クロエの手はそろそろ届かないが、さっきしたたかに尾てい骨を打ちつづけたのが嘘のようにあっさりと窓枠まで登り切る。
スサーナは窓に打ち付けてある板を揺らし、少し悩んでから体重をかけて板にぶつかった。
一度。
二度。
三度。
四度目で肩に感じる板の跳ね返りが少し弱まり、五度目で板が一枚はっきり緩んだ。
緩んだ板を揺らしたり押したりして板を外す。
一枚外れればあとはさほどの苦労はいらなかった。
腰から紐を外し、窓枠の隙間に通して丹念に結ぶ。
「クロエさん、紐を垂らすので手がかりにして登ってください」
クロエが登り終わったら反対の窓の外に紐を垂らして降りる。そういう計画だ。少し高い位置にある窓だが、その程度の対処で下まで安全に降りられるぐらいの高さだった。
研究資料の袋をしっかり背負ったクロエが紐に取り付く。結んでコブになったところに手をかけ、壁の凹凸に足がかりを求める。
腕がぐんにゃり伸び、ぶら下がった形で数歩登ってずるずると滑り落ちるのを見て、スサーナは眉をしかめた。
――捕まってから一ヶ月だって言ってましたっけ。体調も良くないみたいだし、絶対体力が落ちてる。登りきれないかもしれない。やっぱり待ってて貰ったほうがいいのかも。
それでも彼女は腕を震わせながらも再度紐を掴み、勢いをつけて助走し、がむしゃらに数歩壁を這い上がった。
「クロエさん」
スサーナは手を一杯に伸ばしてクロエを呼ぶ。
クロエが必死な顔をしていっぱいに手を伸ばす。
指先が数度ふらふらとすれ違い、それからわずかにクロエの指先がスサーナのそれに引っかかった。
スサーナは思い切って重心を下げ、その手を掴む。肩にがくんとした重みがかかった。
じりじりとクロエが登るのを助けて引き上げる。
小柄で軽いスサーナのこと、引き上げる速度と力強さはそれほどではない。
それでも、少しずつクロエは上に上がってくる。
窓枠を掴んだもう片手に窓枠の木のささくれが引っかかって少しずつ刺さる感じがするのをスサーナは無視した。今手を離すわけにはいかない。
「もう、少しですっ、頑張って……!」
「はいぃ……!」
ぐっと腕に力を込める。
あと少し、あと少しだ。今度こそうまくいく。そう思ったその時。
ぎいいいい。
虚空、海の方から重苦しいきしみ音がスサーナの耳に届いた。
――この音、船が動いてる音……!?
それはまるで中型の船が船着き場につくその時の音のよう。このような深夜に、薄い月の光しか光源がない状態で船を岸につける危険を犯すことは通常ない。危険だからだ。船の接岸を助ける水先人も深夜には船着き場にはいないのだ。
なにか緊急事態の時は話が別だが、その時には号鐘を出来うる限り打ち鳴らす決まりになっている。
静かに深夜に港に船をつける危険を犯す。その理由はスサーナの思いつく限りではいくつかしかない。
例えば。海賊。
例えば。密輸船。
人に見つかっては不都合のある、不法行為を行う船。
――もしかして、私達がここに移されたのって。
スサーナは嫌な直感に襲われる。
その直感を裏付けるように、扉の向こうから人の気配が近づいてくる。
まずい。
スサーナは腕に力を込め、クロエを早く引き上げようとする。
かんぬきが引き抜かれる鈍い音。
まずい。
肩の内側が拗じられるように痛い。スサーナは静かに奥歯に力を込める。必死な顔のクロエが喉を喘がせた。
なんとか引き上げたクロエの手に紐を絡ませ、窓枠の向こうに押しやる。紐がぎしりと鳴り、クロエがなんとかぶら下がって下に下がっていく。
扉が開く。
「貴様ら! 何をしてる!!」
ブルーノの叫び声がした。
地面が遠い。
いつぞやを思い出すなあ。スサーナは他人事のように過った思考を短く弄び、ふとその連想でポケットにお守りがわりに持ち歩いたハンカチのことを思った。二回働くことは流石にあるまい。今はなんの救いにもならなさそうだ。
――高いところから落ちるの、今年四回目ですよ! ちょっと運勢どうかしてるんじゃないですかね神様!ヤァタ・キシュ様!
スサーナは笑い、ごく短い逡巡のあとで、後ろを見ずに窓枠を蹴った。
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