第27話 市場に行こう 7

 子供達は恐る恐る海賊市の雑踏に混ざっていた。


 ――見た感じ、入口近くは結構普通で、奥に行くほど危険なのかな……

 全体を眺めたスサーナの感想である。ヤバさ、というか、雰囲気がグラデーションのようになっているように感じられるのだ。奥に行くほどに妙な静かさが増し、なんだか動きのシャープな……目的有りげな人達が増えている様子。

 そう思ってみれば、入り口周りには挙動不審な、顔を隠した人間……つまり、こういう場所に慣れていないと思われる人物がそこそこの数ウロウロしている。


 そして、よくよく観察してみると、入り口に近い店舗の店員たちは、よく物のわかった表情でそういう人物に盛んに声を掛けている。


 ある店では。


「御覧ください旦那様、これは呪いの絵ですぜ。」


 ――うわあ、私でもわかるぐらい真新しい色した絵の具~~~。といいますか、視点が低いから机の下が見えるんですけど、あのう、布のかかってる下に絵が沢山ありますけど、額装まで一致した絵が数枚ありません? ありますよね?


 またある店では。


「いやあお目が高い、このドレスは、さるキの王族の係累が混乱期に手放したものでして」


 ――あっ雑!この距離から見てわかるぐらいに縫製が雑!!!!縫い代の処理ぐらいして! っていうか布が!布が!! もしかしたら民族布の特徴かもしれないけどあんまりに荒いよ!!!


「ほほおー、そりゃいい。いくらだ。」

「はっ、大負けに負けまして100デナル、へへ、いや旦那様でしたら90デナルで!」

「よっしゃよっしゃ!」

「へへへ、どうかこれのことはご内密に」

「わかっているとも。がっはっはっは!」


 ああっ見知らぬフードの小太りのおじさん!布代もろもろ込みで5デナルもあれば私が同じもの……いや、これならもうちょっと丁寧なものを3日で作れるんじゃないでしょうか!縫製費とかデザイン費とかあるけど、それを考えに入れても適正価格じゃないですよ!! もしかしたら歴史的資料的価値がある可能性もありますけどたぶんないやつだよねこれ!!!


 こちらをじっと見つめた子供――徒弟にすらなっていない子供が胸の中で叫んでいるとも知らず、小太りの男は満足そうにドレスを包ませる。

 ――誰かにあげるつもりかなあ。貰った人、がっかりしちゃうんじゃないでしょうか。



 恐るべし海賊市の海賊行為。

 まさか冷やかしの観光客に対しての詐欺物品販売行為までこなしているとは。

 まあ、ここで買ったという経験そのものがレジャーだと言われれば何も言えないけれど、貰う人としてはいい迷惑なのではなかろうか。

 スサーナは胸の中で冷や汗を拭いつつ、昨日のフローリカとの会話を思い出していた。

 なるほど、途中の経路はともかくとして、入口周りだけにいるならこの中自体は安全そう。ここの人間たちは物慣れない金持ちを客として扱うやり方を知っていそうだ。

 何度でもダシの出るカモを雑にバラして一度だけで食べてしまうのは、なんとももったいないというものだもの。


 ――後日フローリカちゃんを連れてくるかどうかはともかくとして。

 脳内で期待に満ちて笑う親友の顔に力強くNOを突きつけておく。可能か、と連れてきたいか、はまた別の問題なのだ。


 視線を戻せば、他の子どもたちはイミテーションらしい小剣やらアクセサリーやらに目を輝かせている。店員の反応も、どちらかといえば、数人いた他の子供――奥の方にいる、顔は晒していたり隠していたりするけれど、妙に鋭い目か、動きの鋭い子ら――よりも、金づるの金持ちの扱いに近い。やはり身のこなしや声の出し方なんかでわかるものなのだろうか。

 眼の前で、ドンが9アサスで表面に彫刻のされた木彫りの剣を買った。

 ――も、文字を書いた木刀概念……!

 否応なしにスサーナはお祭りのテキ屋のおじさんになんだか勧められて買ってしまう子供を連想する。

 それに釣られたようにアンジェも麻紐と小さな鈍い桃色の石を使ったネックレスを手に取り、しばらく悩んでから7アサス出す。

 ぎりぎり出せないことはないだろうデナル単位のものではなく、アサス単位のものを勧められているのが子供に対するなけなしの善意という感じで少し面白くはあった。


 入口付近でお茶を濁して、それから帰ろう。奥のよくわからないものたちは美しいけれど、近づかずに済むなら近づかないほうがいい。第一、よくわからない香炉とか剣とか、何かの本物めいたものたちは子供の自分たちにはなんの使いみちもないのだ。子供だましの玩具にちょっとドキドキして、いい思い出で帰るぐらいがちょうどいい。

 スサーナはこの後の見通しが立って少しホッとする。帰り道にさえ気をつければこれならば無事に帰れそうだ。


 そんな折。

 どこかの建物内につながっている、と見える扉が開き、車のついた檻のようなものが引き出されてくるのが目に入る。

 場内に水面を吹く風のようにざわざわと好奇心混じりの声が流れた。


「すっ、す、……えーと、スイ!えっと!アレが海賊市の奴隷市だぜ……!」


 ドンがばたばたと駆け寄ってくる。


「なんかさ、ふつうのとこのとはぜんぜん違うんだ。見たかったんだろ?」


 ――いや、別に見たかったわけではないんですが。


「うぇ、ほんとに足枷ついてる。青帯だけじゃ足りないのかな」


 ちょっと背伸びをしてそちらの方を見たリューが眉をしかめた。


「おう……なんか、ちょっとこえーよな。」


 直前まで胸さえ張っていたのに、リューの自然な感想を聞いたせいでぽろりと本音が漏れたらしい。ドンが落ち着かなげな不安そうな顔になる。


 あからさまな非合法の気配に、近くで爪紅を見ていたアンジェが不安げな顔でぱたぱたと寄ってくる。

 子供達は自然に寄り集まっていた。


 その中で、たった一人スサーナだけが、檻車から引き出される奴隷たちの方に目を奪われていた。


「ささ、御覧じろ。今日の奴隷はすごいよ、今日の目玉は――なんとヤロークの貴族の末裔に、ネーゲの王族の血を引いてるって触れ込みの娘だ!」


 その場に引き出された奴隷は男女混じって五名ほど。崩れかけた壁際、一段高い……元々は四阿だったのだろう石の土台の名残りに敷かれた幾何学織りのじゅうたんの上に素足で並べられる。

 男は腰布か、短い袴服を。女は薄布と金属の膚飾りをまとわされ、その両足には短い鎖がついた足枷が巻かれている。


 幾人もの呼び込みが奥からすっと現れ、入り口の近くでそちらを目を輝かせて眺める金持ちらしい人間に声を掛けていく。


「その他にも人夫向きの筋骨隆々とした男!こいつは荒事師だったって触れ込みだ!ご自分でお確かめあれ、鋼のような筋肉じゃないか! 小間使い向きの子供もいるよ!さあごらん、こいつは珍しい、混血だ!」


 ――くろい、かみだ。


 心臓が一つ跳ねる。


 檻車から最後に降ろされた、そう子供達と年が変わらぬと見える少年。線の細い上半身を晒し、長く切り下げた前髪が目の上に被っている。

 その髪は、確かに夜鳥よるとりの黒い色をしていた。


 ――漂泊民カミナ?いや、混血って言った。じゃあ、あの子は私と同じなんだ。


 話してみたい。スサーナは我知らず一歩フラフラと前に出る。

 その腕がぎゅっと後ろから引かれる。


「ね、ね、スイ。そろそろいいからもう帰りましょ?」


 不安そうな顔のアンジェ。スサーナが言葉を探して止まっている間に、アンジェはつづけてリューとドンの腕も捕まえる。


「まあ、そうだなー。ちょっとこえー感じになってきたし。」

「ちょっと面白いものはいろいろ見れたしね。」


 男の子二人がアンジェに同意する。


「――あ……」


 スサーナは握られた手を見て、子供達の顔を見る。


「――そうですね。……色々なものを見ましたし、そろそろ帰りましょうか。」


 スサーナは一つ息を吸って短く目を閉じる。それから子供達に向けて、にっこりと笑ってみせた。


 帰りもまた、手を繋いで帰る。

 警戒のつもりか、買った木剣を肩に担いだり杖のようにしたりしているドンがまた先頭に立った。


 いくつもの路地を超える。

 適当なところでフードとマントを外すと、アンジェが少し緊張がとけたのだろう、生き返ったような顔をした。

 男の子たちは名残惜しげな顔でフードを見つめていたので、スサーナが差し上げますと言うと、ドンが躍り上がって喜ぶ。


「それでさあ、明日出す反省詩だけどよ、リュー、できた?」

「んーん、全然。なんで韻文で反省してますって言わなきゃならないんだろうね……」

「教室で喧嘩なんかするからよ。なんでそんなことしたの?」


 子供達は興奮気味に声高に会話しながら歩いていく。今回の並びはドン、ドンの後ろを絶対に譲ろうとしなかったアンジェ、そしてリュー、最後にスサーナだった。


「それはさ、ドンが」

「うっせー!」

「ねえ、スイ、スイはなんでか見てた? ……スイ?」


 あゆむ足の先の石畳の目をじっと眺めて、手を引かれるままに歩いていたスサーナははっと顔を上げた。


「え?あっ、すみません、考え事してました!」


「もー。」

「しょうがないよ、疲れたんじゃない?」

「あっ、あのさ、糖蜜飴あるけど、食うか?」


 ドンのポケットからむき出しのまま出てきた飴を笑顔で丁重に断り、スサーナは子供達の会話の輪に混ざる。


「宿題といえば、次回は神学の授業がありますよね。神様のお名前は覚えました?」

「予習のこと考えてたのかよ。真面目なんだなー。」

「でもさドン、二回続けて間違ったら宿題出るらしいよ。」

「ふふん、私は完璧。」

「うぇー、どんな名前でも神様は神様じゃんなあ……」


 大通りに出る。

 騒がしく会話していたと見えてもやはり少し緊張していたらしい子供達がわっと緊張を解いて、手を離してじゃれ合い出す。

 ドンが木剣をブンブンと振って、路上を流していた辻馬車を止めた。


 わいわいと乗り込む子供達。

 スサーナも乗り込みかけて、少し躊躇して、止めた。


「スイ?」

「あっ、私、コラッリアの貿易商人のおうちのお友達のうちに寄る予定があったんです。忘れるところでした。」

「コラッリアの? そんな友達がいるんだ」

「ええ。だから、別の方向なんで辻馬車は別のに乗りますね。」

「えっ、別に遠回りしたって全然いいしさあ……、なあ?」

「駄目ですよ。いっぱい走るとその分金額が上がるんでしょう?みんな今日はいっぱいお小遣い使ったじゃないですか。 それじゃ、また講で。」


 スサーナは手を振って辻馬車を見送る。

 馬車が小さくなり、道を曲がって見えなくなったのを確認して、それから。


 スサーナはもと来た方に向かって早足に歩き出した。

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