第136話 触らぬ貴族に祟りなし 3
勉強会の滑り出しはまずまず平穏というところだった。
本当に前回の復習と次回の授業の予習が目的らしく、初っ端から専門的なことをやりだす、とか、概論的な内容になる、ということはない。
「えっと、次の授業は、文語の書き方の仕組みだよね。文語は書く時に順番の決まりがあって……」
運のいいことに留学生のアルトナルは会話をするぶんには違和感なく習熟しているようだったが文語の記述については多少もたつくようで、そのおかげでテオフィロの言葉選びも平易でわかりやすく、ミアが混乱するような用語を使うこともない。
「物の名前が状態で変わらないのには少し戸惑います。」
「えっ、変わらない……と思うよ。お国では変わるの?」
「はい。そのものの立場がどのようかで変わります。」
ミアの様子も即ボロが出るということもなく、少しスサーナが心配していたパニックになる、ということもなく、復習を終え、着実に予習のパートをこなしていく。
ところどころフワッとした感じの部分はあるが、そこはスサーナが勉強の成果を見せたい同級生の顔でさっと注釈することで事なきを得ていた。
結局は次回一コマ分の予習である。教師の講義を受けるのとは違い、それぞれ解説し合ったり、確認事項を聞きあったりでそれなりに時間を取るが、それでもそこまで時間はかからずにスムーズに終わりに近づいていく。
終始雰囲気は和やかで、スサーナはそっとホッとしていた。
この分ならあきらかに上位の貴族の子弟らしいテオフィロと、国での立場はわからないものの彼と同格の恰好をしているアルトナルの機嫌を損ねるということなくこの勉強会を終われそうだ。
問題はまたミアが誘われる、という可能性があることだが、これほど面倒くさい過程を経た後ならミア自身もうまく避けることを覚えてくれるだろう。
「次回の範囲はこんなものかな。それじゃあ今日はここまでにしようか。」
その言葉にスサーナはやった、と内心
「付き合ってくれてありがとう。有意義な時間だったよ。身についた気がする。」
「はい。非常に分かりやすかったです。」
会釈する貴族二人にこちらも礼の言葉とともに深々とお辞儀をしてスサーナは開放感に満たされていた。
のだが。
「それで、僕は、ミア、あなたと少し話したかったんだけど……」
「あの、そのことなんだけど……! ごめんなさいっ!!」
ミアがなにか決意した表情で大きく呼吸をしたかと思えば決然と叫んだのだ。
なにか言いかけていたテオフィロが目を丸くする。
「折角誘ってもらったのに……わたし、ほんとは全然語学は得意じゃなくて……!」
――ミアさーーーんっ!!?
スサーナは内心ぴゃーっとなり、なんとかミアの懺悔を止めようと考えるが、一旦喋りだした女の子の口を止められるスキルはスサーナには存在しない。
「拾ってもらった紙もわたしのじゃなくてスサーナのなの! 期待ハズレだよね……嘘ついてごめんなさい!」
胸元で手を握り、泣きそうな表情でぎゅっと眉を寄せたミアに貴族の少年たちは目を見合わせる。
「いいえ、貴方の説明は分かりやすかったですよ。」
一瞬後、アルトナルが小さく首を傾げる。テオフィロが微笑み、頷いた。
――あ、これはいい兆候、と言うか。
雰囲気が悪くなったら即刻前に出ようかと構えていたスサーナは少し警戒を解く。
ミアがぐしぐしと目元を擦った。
「それは予習してたから……」
「予習であれだけ分かっているなら十分じゃないかな。」
テオフィロの言葉にミアが目を丸くする。
「え? でも……」
「別に全部理解していなくても皆で教え合えばいいしね。勉強会ってそういうものじゃない? 」
「そ、そうかもしれないけど、わたし、得意だから呼ばれたんだと……」
「……うん、ごめん。そうじゃないんじゃないかなっていうのは何となく……」
テオフィロはアルトナルとまた小さく目線を合わせる。
「昼に暗唱をしているのを見ました。」
「一昨日図書館でも見かけたし……」
「え、えっ、全部……見られてた?」
「うん。」
ミアが顔を真赤にし、スサーナはとりあえず9割9分警戒を解いてほのぼのと傍観しはじめることにした。
「それに、テオ、そのつもりで誘ったわけでもありませんですね?」
「っ、そう! 二人だけで勉強するのも寂しかったからね。僕だけだとアルもあんまり質問はし辛いだろうから。一緒に勉強してくれる人を探してて……一昨昨日あなたを見たときにどうかなって思ったんだよ」
「そ、そうだったんだ……」
ミアがふにゃっと肩の力を抜いた。
スサーナはあっれー最初と言ってることが違うような? という気もしなくもなかったが、まあ常に全ての予定を相手に話すわけではないだろうしそっとスルーしておく。勉強会に興味があってアルが着いてきた、というような言い方をしていたけれど、もしかしたら一度ミアを誘った後で二回目からアルを誘う予定だったのかもしれないのだし。
こういうのは突っ込まないのが礼儀であることは前世でも今生でも変わらない気がした。
「じゃあ……わたし、ちゃんと出来てたかな? 勉強の邪魔になってなかった?」
「うん、楽しかった。ねえアル。」
「はい。とても。」
笑顔でうなずいた男の子二人にミアは表情を輝かせ、もう完全に傍観者の気持ちでいたスサーナの方をぱっと振り向いた。
「スサーナー! よかったよぉー!」
両手を広げて飛びついてきたミアをスサーナはおっととと支えた。
「スサーナのおかげだよーっ! ありがとーーー!!」
ぎゅむっと力を込められて苦しいながらその背をぽんぽんと叩いてやる。
「よかったですねーミアさん」
スサーナのおかげ、と言うか寄宿舎皆のおかげだし、なんなら予習は要らなかった気もしなくもないスサーナだったが、余計なことは言わずにミアをねぎらった。
「それで、テオ、楽器の話はしなくていいのですか」
「いいよ、今度にしておく」
スサーナに抱きついてうわーん良かったよーっとべそべそしているミアを眺めながら男の子たちが苦笑しあっていたようだったが、それは安堵でべそをかいているミアにも抱きつかれて手一杯になっているスサーナにも気に留められることはなかった。
また機会があったら、と決まり文句を残して勉強会は終了する。
スサーナは二回目はないといいな!!と心から思っていたが、まあ二回目はボロが出ても問題はないのだろうし、その時は自分がついていくこともないだろう、第一
「スサーナ、次も予習手伝ってくれるかな……」
「…… とりあえず、ええと、勉強会がなくても予習はちゃんとしておいたらいいんじゃないでしょうか。」
「うっ……そうだね……」
言葉をかわし、晴れ晴れと寄宿舎に戻る。
そんなわけで、スサーナはこのとき大切なことを一つすっかり忘れていた。
というよりも、それは彼女の思いつける範囲の外だった、と言うべきだろう。
スサーナはまさか本土生まれのミアが貴族の位の判断がつかないとは予想していなかった。島の人間たちは貴族に馴染みがないが、本土の下級の庶民もまた別の意味で貴族に馴染んでいるはずがない、それを見落としていたのだ。
というわけで、スサーナは彼らが上位の貴族の子だろう、という説明をミアにし忘れていた。そのことがこの
それがハッキリしたのはそれからまた7日ばかり後のこと。
授業が始まってから半月ばかり経過し、学生たちはそれなりに生活のリズムを掴み始めていたころのことである。
スサーナも、朝から講義を受け、昼と夕方にお嬢様達と行動する、という生活にだいぶ慣れてきていた。
昼の休み時間、お嬢様達は別の用事があったため、久々にスサーナは空き時間を楽しんでいる。
――図書館に行くチャンスですね。先週はミアさんのことがあったから全然本を読めませんでしたし、今日はもう少し書棚の奥まで行ってみましょう。
休日にも一応図書館は開館しているのだが、休みだった昨日は手紙が纏まって届いたり、寄宿舎の掃除日&洗濯日だったりしたために本を読みに行くチャンスを逃していたのだ。
図書館は入り口側ほど初等用の本があり、奥に行くほどに専門書、さらに開架ながら整理されていないように見える保存書籍達、というような並びになっている。
スサーナは入り口側の簡単な本から奥に向かって神話やら伝説やらの本を少しずつ読み始めているところで、それは結構な楽しみだった。
まだ触れた総数は少ないながら鳥の民が出てくる話もあり、絶妙に荒唐無稽な描写ばかりなので現実の参考には全くならなさそうなものの、島ではあまり意識したことのなかった歴史的な扱われ方の参考になるのではないか、などとスサーナはそれなりに興味をもって読み進んでいる。
スサーナは昼が始まった途端に昨日買っておいた平焼きパンを数口食べ、それで昼を済ませたことにして図書館に向かった。
図書館は大きな建物で、学院の中でも古い時代に建った建築物だという。スサーナ達が今主に初等の授業を受けている本館からはやや距離がある場所にあり、森を背にしている。言ってみれば結構辺鄙な立地に建っている。
――そんなところに建ってるからお化けの噂なんか立つんじゃないかなあ。
スサーナはそう思いながら時短のためにちゃんとした石畳の道ではなく森の中を通るショートカットルートを通ることにした。
一応散歩道なんかは整備されており、下草の手入れもそれなりにされている場所だが、場所や天候によってはぬかるんでいたりするために少しだけ足元に気をつける必要があるルートだ。
新入生はまだほとんど居ないが、二級位生以上の学生たちはそれなりに図書館へ通っているものの、スサーナが発見したショートカットルート――張り出した森を避けずに真っ直ぐ移動する――を通る生徒は見たことがない。しかし、そのルートを通ると体感で10分近く移動時間が違う。放課後ではなく時間が限られる昼休みに本が読みたければ必須のショートカットだった。
スサーナは早足で森に踏み込む。
さくさくと薄暗い森の中の散歩道を無遠慮に斜めに横切り、下草を踏んで先に進んだ。
ふと足を止める。
普段は妙な鳥の声ぐらいしかしないそのルートで、あまり似つかわしくない声を聞いたためだった。
「汚らしい平民があの方々に近付こうだなんて!」
「どれほどわきまえがない行いなのか教えてあげなければいけないようね?」
「何のことを言っているのか全然わかりません!!」
「まあ、この期に及んでしらばくれようと言うの……!」
聞き覚えのある声につられてやって来たスサーナから茂み二つ分ぐらい向こう。
ルートを外れて辿り着いた、すこし広くなった散歩道の一角で、主に下級貴族らしい少女たち数人に囲まれているのはミアだった。
「皆様落ち着いて? いいかしら。テオ様もアル様も……テオフィロ様もアルトナル様も、あなたのような下賤な者が汚らしい声でお耳を汚して良い方ではないの。」
口々に言う少女たちを腕で制し、前に出たのは中位の貴族らしい少女だ。
スサーナは入学式の日に出会った高位貴族らしい少女を思い出し、そっと目で探したが、言動は似ているものの彼女たちが混ざっているようではない。
「どうしてそんな酷いこと……それに、わたし失礼なことを言ったわけじゃない、楽譜を戴いたからお礼を言っていただけです!」
囲まれておどおどとしながらもミアは震えた声で言い返した。
「それが分不相応だとなぜわからないのかしら。 いい? 言葉を交わすどころか卑しい姿を視界に入れるだけで失礼なの。それどころか卑賤な歌をお聞かせしたなんて……虫唾が走ります。お二方ともどれだけおぞましい思いをされたことかしら。」
「そんな……! 訂正してください。お二人とも私の歌を褒めてくれたもの……!」
「まあ、なんて浅ましい。ウーリ公ご子息とクヴィータゥルフロンの王子殿下にあなたみたいな人が近づけると思って?」
――あーーーー。
潜んで状況を伺いながらスサーナは遠い目になった。
――やっぱりそういう身分の方々でしたかーーー!!!!
そういえば放課後早いうちはミアのことをこの7日一度も見かけなかった。夕食の時に何やら楽しそうにテーブルの端で運指しているのを一度見た覚えもある。
スサーナの常識ではちょっと想定外だったけれど、きっとミアはあの後も演奏室に日参して、彼らと親しく会話したりしていたのだろうとスサーナは何となく察する。
――貴族だって分かったら全力で距離を取るものだとばかり……思い込みって良くないですね!
「そ、そんなすごい人達だなんて全然……でも、わたしの歌も演奏も聞かせて失礼なものだなんて思いません!」
ミアが愛らしい眉をきっと逆立てて気丈に少女たちを睨み返す。貴族の少女たちがさっと気色ばんだ。
――んもう新学期まだ半月なのになんでこう決定的対立を招くようなことをーーー!!!!!
スサーナは内心叫びたくなりながらこの場でどうしたらいいか思案する。
だがまあ仕方ないことなのかもしれない。きっとミアにとって音楽は誇りなのだろう。チキンのスサーナにはよくわからない心情だし、絶対謝ってしまうと思うが、寄って立つ誇りを侮辱されれば言い返してしまうのも仕方ない、かもしれない。
「まあ、卑しい上になんて恥知らずなんでしょう!」
中位貴族の少女の目線を受けて少女たちがミアの袖を掴もうとする。
仕方ない。
スサーナは腹をくくり、完全にノープランながら飛び出すことにした。
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