第137話 触らぬ貴族に祟りなし 4

 貴族の少女たちがミアの袖を取り、踏み固めた道から逸れたぬかるみに押しやろうとする。

 スサーナは一応――本当に一応――駆けつけてくる自分以外の誰かの姿はないかという期待がないでもなかったので急いで周辺を見回し、どうにもその手の気配はなかったので諦めて、がさがさとわざと盛大な音を立てながら少女の一団に近づいた。

 駆けつけてくるヒーローを期待しなかったと言えばちょっと嘘になるスサーナである。しかして恋愛物語のように、もしくは前世で読んだ少女漫画小説その他のように世の中は上手くいくものではないようで、スサーナはとても残念だった。そういうものがいてくれたら自分はこの場をスルーして図書館に向かえるのだが。


「ああ~~~、ミアさんこんなところにいらっしゃったんですねーー!」


 流石に黙殺してそのまま制裁を続けるという気概はなかったらしい、貴族の少女たちがはっと動きを止める。


「スサーナ……!」


 ぱっと救われたような声を上げたミアにスサーナは、そうそうそのままお嬢さん方の緩んだ手から袖を抜いてこっちまで来てくれないかな、と思ったものの流石にそれは過分の期待であるようだ。

 立ち尽くしている少女たちのもとにがさがさ近づいたスサーナは、特に状況がわかっていなさそうな表情と声色を保ちながら朗らかに言う。


「探してたんですよー。ええとですね、言語学の客員教授のクロエ女史が、すぐに研究室まで来てくれって仰ってました!」


 ――すみませんクロエさん、ダシに使わせてもらいます!!


 学院では、教授の地位は学生よりも高い。最終的にどれほど権力をはねつけられるのかはわからないがそういう建前になっているし、学内の雰囲気も教授の言には重きをおくべし、という感じがある。

 スサーナ達新入生を指導しているのは――ある程度の級になるまではずっと――教授ではなく学生上がりだったりする講師だが、上の方の学生が心酔した態度で教授たちの後をついて回っているのは目にしているので、新入生たちの間にも教授は敬うべきなのだなあ、という共通認識は出来ていた。

 特に客員教授ともなると外から招聘した著名な学者という風になるので、敬われ方も結構なものだ。


 それを示して下級貴族の少女たちの手は止まり、戸惑ったように目を見交わしている。


「きょ、教授が。」

「はいそうですええとですね、楽譜記述の地方性についてのフィールドワーク調査票についてのことだそうでして!」


 口から出任せである。

 スサーナは前世である程度その手の概念に触れてきているので耐性があるが、こちらの人は専門用語の羅列に弱い。……というのを専門用語でセルカ伯を押し切るクロエを見てスサーナはなんとなく察していた。

 専門用語を並べられるとなにやら重要そうだと思ってしまうらしい。

 とくにここがそれを重んじることに意味があると考えられている学院であるという場所柄もあり、なんとなく煙に巻かれている風情の少女たちの間を抜けたスサーナはぱっとミアの手を取った。


「あっ、もしかしてなにか御用の最中でしたでしょうか? すみません、急ぎのことだそうですから、申し訳ありませんが彼女はお借りしていきますね」


 中位貴族の娘らしい少女にスサーナはへりくだった礼を一つ。彼女たちが正気に戻ってスサーナを止める前にミアの手を引いて決然と校舎の方に歩き出した。


 下草を踏み分けずいずいと歩いて、しばらく距離を取り、もしも相手が走ってきたとしてもすぐに姿をくらませられるなというあたりまできてスサーナはようやく足を緩める。


「ふいぃ、ここまで来れば大丈夫ですかね。お疲れ様でした、ミアさん。」

「スサーナ、ありがとう……!」


 目を潤ませたミアが凄く怖かったとつぶやく。


「そうでしょう、そうでしょうとも。 えーと、まだ昼休みだいぶお時間ありますね。滅多な場所に居て見つかっても損ですし。前の通りに出て軽くなにか食べますかー。奢りますので。」


 スサーナは笑うとミアをねぎらうことにした。



 門前町の飯屋通りは学生を目当てにしている店店が並んでいるが、それらに首を突っ込む多くは男子学生で、貴族の女子生徒はよほど変わりものでない限り特定の幾つかの店にしか現れない。


 スサーナは両面焼きにした平焼きパン無発酵ピタを割った中に無水煮込み料理オーリャをお玉に一杯注いでくれるのが看板料理の、前世の感覚でいうと持ち帰りファストフードの店からそれを二つ買い、乱雑にテーブルが並べてある奥まった一角にミアを誘った。


「わ、いいの? こんなお肉が沢山の!」

「どうぞどうぞ。実は私、お昼二回目なので、私のも半分ぐらい食べちゃってくれても構わないです」

「ん~~~っ、美味しい! スサーナ、これお肉がホロホロだよ!」


 サンドイッチにかぶりついたミアが目を輝かせる。

 眼の前のご飯に夢中になれるなら精神的ショックはまあ大丈夫だろう。スサーナはそう判断してほっとした。



 そしてしばし後。

 目を輝かせて煮込み料理のサンドイッチをぱくつくミアをしばらく眺め、ついでになぐさめねぎらい、さらにちょっと注意するよう言うつもりだったスサーナは、最後の一項目で自分の心得違いを感じ取っていた。

 この愛らしい同級生は、ふわふわ可愛らしい仔ウサギめいた外見のくせになかなか頑固だったのだ。


「うーん、でもしばらくあの方々と顔を合わせないようにすればあのお嬢さんたちも納得するんじゃないかと思うんですけど……」

「でも、駄目だよそういうの。折角お友達になったのに身分とかそういうことで距離を取られたらきっとすごく悲しいよ……?」

「うーん、まあそれはそうでしょうけど……貴族の方ならそういうことにも慣れているんじゃ。どういう目に遭ったかお話してからなら納得いただけるんじゃないかなと……」

「そういうことって慣れちゃ駄目なことだよ。話したらきっと自分のせいだって思っちゃうから話さなくていい。スサーナ、わたし頑張るね。負けないよ!」

「ううーん……」


 ぐっと意志を固めたような表情をするミアを見ながらスサーナは唸った。



 放課後。

 お嬢様達と合流して昨日届いた手紙の話などを少しする。

 セルカ伯からは、王子様への対処はそれでいいこと、お声がかかったら出来るだけお心に沿うようにしなさい、とあったというので何となく不思議な言い回しだな、と思いながらも方針は間違いではないとハッキリしたのでスサーナは一安心で胸をなでおろした。


 まだ校内でまともに王子様と顔を合わせたことなどなく、多分あちらはこちらのことなどは覚えていないという証左に違いない。

 今ただでさえ偉い人と関わる問題が起こっているのだから、それにプラスして王子様まで関わってくるなどという事態は避けたい、そうスサーナは思っているのであった。



 お嬢様達を貴族寮にお見送りした後に校舎にとって返し、ミアの言葉を元に演奏室とやらを探す。

 うすうす気づいてはいたが、明らかにそれは西棟で、しかもミアの言ったとおりに進んでいくと、まだそれでも学校の廊下という体裁をギリギリ保っていた下級貴族達の教室のある廊下から雰囲気が離れていき、スサーナはぴいっとなった。


 廊下がまずぐっと細くなる。幅3mぐらいだろうか。前世の感覚だと十分広いが、こちらでの感覚――特に貴族を想定したもの――だと、規律状態にない多人数が往来することを想定されていない広さである。

 床は木製ではなく大理石、それもよく磨かれた大理石で、下級の貴族の子弟達が学んでいた教室前の廊下が白地に所々に金装飾だったものが、こちらではまるで余白恐怖症のように壁面には万華鏡めいた幾何学装飾が施され、ハニカム構造めいた六角形曲面を連ねた天井にはその一つ一つに天井画が描かれている。


 ――よくミアさんここを平常心で通れましたね!!!!!!!

 スサーナはぷるぷる震える思いで歩を進め、階段を登り、やっとの思いでミアの言っていた演奏室のあたりに辿り着いた。


 楽の音が漏れていたために演奏室はすぐに見つかった。

 明るい曲調の通俗曲。

 もう帰っているかもしれないと思っていたが、これはまだミアがいるという判断で良さそうだ。スサーナはそう考えながら演奏室の中を覗き込む。


 中には数台の鍵盤楽器と、陳列台形式の管楽器ケース、スタンドに立てられた弦楽器達が並んでいるようだった。

 どれもこれも手入れが良く、専門の手入れ人がいることを伺わせる。


 楽器が並ぶ中、中央近くの鍵盤楽器でミアが楽しげに演奏を続けていた。

 扉が開いたのにそちらに意識を向ける様子はない。気づいても居ないようだ。

 演奏室の壁際には、壁に寄りかかって演奏に耳を傾ける公の子息事の元凶

 彼が入り口に目を向け、スサーナの姿をみとめて目線だけで目礼したのでスサーナはすーっと扉を閉め、外の廊下でミアが演奏を終えるのを待つことにした。



「あれ、スサーナ?」

「はいはい、お迎えに来ましたよー。」


 出てきたミアがきょとんとし、ついでにっこり笑った。


「わあ嬉しい、ありがと!」


 スサーナはミアの後から出てきたテオフィロに目もくれず、ミアの手を引いてぐいぐいと西棟を出る。ミアの話によればこの演奏室からの帰還の間、テオとアルと雑談をしながら校舎を出ていたそうなので、多分彼は予定を覆されて不満だろう。しかしスサーナとしては雑談はミアが演奏を終えてからしばらくしていたのでそれでいいだろう、という思いでいっぱいだ。

 とりあえず無事に寄宿舎にミアを送り届ける。



 そして、次の日。スサーナの予想通り嫌がらせがはじまった。

 ……らしい。


 というのも、貴族の生徒たちは寄宿舎にも平民生徒が普段授業を受けている北棟にも近寄ってこないので目立った影響がないのだ。

 少女同士での学校でのいじめ行為と言えば囲んでなじるだとか無視するだとかが一番基本だろうが、まず生活空間でほぼ全く接点がないので如何ともしようがない。


 さらに言えば基本的に外靴を履き続けるのでトゥシューズに画鋲を入れられるというようなこともなく、荷物は基本的に手元に所持し、座席も指定ではないので頑張って平民空間に侵攻してきた貴族女子が居たとしてもよほどタイミングが合わなければやれることはほぼない。アウェイだ。アウェイである。


 スサーナがどうしてそれを知ったのか、と言うと、うまく下級貴族の女の子の取り巻きになったらしい商家の女子の話として、平民の生徒で公のご子息と留学生(異国の王子様)に言い寄ろうとしている不届き者がいて、思い知らせなくてはいけないとピエリア候の息女を中心にしたグループが怒っているという話をスサーナからノートを借りていく女子達の雑談でまた聞きしたためだった。


 平民の少女たちのその話の受容は主に「ウーリ公ご子息と留学生で来てるクヴィータゥルフロンの王子殿下って方々、とってもカッコいいんだって、いいなあ」「お近づきになった子がいるんだって、誰だろ」「いいなあ羨ましいなあ」であり、それはそれで誰のことか分かったら排斥に繋がりそうで微妙にハラハラしなくもなかったが、明確な嫌がらせにつながらないならば寄宿舎勢と商家勢はもともとあまり仲良くもないので問題ないと言えば無い。


 一応それなりに警戒し、ミアに気をつけるよう言ったスサーナだったが、そんなわけでミアはのほほんとしたものだった。



 というわけでこの日からスサーナには日課が一つ増えた。

 一応一人で人気のない所に近寄らぬように言い、授業後にミアが演奏室まで行く際には送ってからお嬢様達のところへ行って、帰りは迎えに行く。

 危険なのは西棟に入ってからなので、そこが一人でないと流石におおっぴらに制裁する度胸は下級貴族のお嬢さんたちにもないらしく、道中は舌打ちされる程度で済むのだ。

 そんな感じで綱渡りをしつつも、図書館に行く余裕が一切なくなってスサーナの悲しみが溢れる程度で特に何事もなく数日。



 最初の取りこぼしが出たのは食堂でだった。


 寄宿舎生徒たちは普段あまり食堂を使用しない。

 基本的には前日夜の残り物、というべきか、やりくりしたものを朝パンに挟むなどして弁当にしているものばかりだ。


 しかし、全ての学生には月に四度食堂で無料で食事ができるという特典がある。これは基本的にチケットの形で回数管理され、上級生の男子生徒の間では賭けの対象になっていたりもするのだが、それはともあれ、月末が近づき、期限が近くなったために初等の寄宿舎生達が集まって食堂で昼食を取ることになった。

 空いた日に合わせてもらったのでスサーナも参加することが出来ている。


 それぞれトレイに飲食物を載せて運び、席に着く。

 あまり食欲がないスサーナがオレンジジュースだけを器にとっていると、うしろでキャッとミアの悲鳴が響いた。


「あらごめんあそばせ、手が滑ってしまいました。」


 笑いを含んだ声に振り向くと、ワイン特有の匂いがぱっと広がる。

 ミアにグラスの赤ワインを浴びせたのは、森で彼女を囲んでいた中に居た下級貴族の少女たちだったように思われた。

 さほど人の顔を覚えるのが得意ではないスサーナなので、確信はない。


「ふふ、ワインのシミは落ちづらいそうですけれど、平民の方はシミの付いた服でも気になさらないで着るんでしょう? 気遣いなくてよかったわ。」

「まあ。卑しい人たちは変わっているのね。」


 彼女たちは嘲笑の混じった表情でミアの服を見下ろし、くすくすとこれみよがしに笑い合う。ミアが涙目でぽたぽたと雫の垂れる上着を掴み、きっと彼女たちを睨みつけた。


「ひどい……!」

「シミだらけの服で身分のある方の前に出るなんて恥さらしなこと、しないでくださいませね?」

「いくら卑しい方でもそこまで恥知らずなことはしないでしょう。」

「私なら恥ずかしくてそんなこと出来ませんけれど、下賤の方のすることですもの」


 笑いながら去っていく少女たちを見送り、スサーナはぽんと震えるミアの肩を後ろから抑えた。


「はいミアさん、とりあえずこっちにどうぞ。」

「スサーナ……」


 寄宿舎生の集まっている席までミアを誘導し、上着を脱がせ、さくさくとスサーナ自身のものと交換する。

 ローブ状の制服は数種の規格品から選ぶため、細部まで体に合わせて採寸するものではない。スサーナの制服ローブとミアの制服ローブは全く同じサイズなのだ。


「はい、これでよし。」

「ま、待ってスサーナ、わたしのと換えちゃったらあなたの方はどうするの…?」

「え、今からこれを洗うんですよ。あ、ジョアンさんや、食べ終わったら教室までミアさんと行ってくださいねー。」

「……おまえらなにやってんの? 貴族と揉めたのか。まあいいけど。わかったよ」

「ワインのシミは落ちないって……」

「ウェイトレスとかしててワインが掛かったことないです? 落ちづらいっていいますけど、乾く前でしたらきれいに落ちますよ。」


 あのお嬢さんたちはメイドがワイン染みを落ちづらいというのでも聞いて素直に信じたのだろう。確かにタンニンの染みは落ちづらいがそれは一旦乾いた後の話なのだ。

 げに小耳に挟むのと実践するのは別の事象である。


 スサーナはワインびたりの制服をくるくる丸めると、食堂の厨房に突撃し、穀物酢と皿洗い用の粘土粉を少し貰って屋外にある流しを目指した。

 寄宿舎まで戻ればもっと気楽なのだが、微妙に遠いので面倒だ。


 たらいの水に粘土を溶かして薄い粘土水にしてワインの染みた部分を揉み洗い、さらに酢水で揉む。それでほとんどシミが落ちたので最後に綺麗にすすぎ、絞った後に教室に持ち込んで干すことにする。


 ――まあ、学校内の井戸は生徒が勝手に汲んだらだめらしいですし、きれいな水で水洗いができないだろうと踏んだのかもしれませんけど。


 スサーナは遠い目になる。常に世の中には例外というものがあるものだ。本土生まれの貴族のお嬢さんたちは、まさかどこでも無尽蔵に水が出てくる水筒、なんていうものが世の中に出回っているだなどと思いもしなかったのだろう。


 ――魔術師、讃えられるべきですよね。全世界的に。


 授業の合間合間に乾いた布で押さえ拭きしながら干した所、放課後には制服はやや水気が残ったかな程度の生乾きまで乾いており、ついでにまだ交換せずにスサーナがそちらを着ることにした。


 演奏室に向かう道筋、わざわざ西棟の入り口のところで陣取り、なにやら待ち構えるようにヒソヒソと話していたお嬢さんたちの中に昼に見かけた顔を見たスサーナだったが、ミアの上着を見ては解せないような顔をして首をひねっていたのですこしほのぼのとしてしまったことである。


 ちなみに、寄宿舎に帰った後で洗剤でもう一度洗い直し、形を整えて陰干しした所全く何の痕も残らず、次の日の朝にはミアは問題なく自分の制服を着て登校して行った。


 スサーナはとりあえず魔術師の水と島の仕立て屋の石鹸を誇ることにした。

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