第138話 触らぬ貴族に祟りなし 5

 次の日。

 下級貴族の教室前の廊下を通る際にミアの足元につま先を出されたが、ミアはスサーナよりいくらか運動神経がよく、気を回すまでもなく避けた。

 イラッとした顔の下級貴族のお嬢さんたちを尻目に演奏室へ向かう。


 また次の日。

 教室移動中にミアを見つけたらしい気の強そうな下級貴族の令嬢に立ちはだかられるが、ジョアンが「なんか用?」と声を掛けた所ひいっと怯えて脱兎のごとく逃げていった。

 後々、自分の顔はそこまで怖いのかとなにやらブツブツ言っていたため、感謝の気持ちとともに二人分の夕食の煮魚を譲渡する。ところでスサーナは淡水煮魚は好みではない。

 ジョアンの機嫌は直ったようだった。


 更に次の日。

 ミアと二人でお弁当を水盤脇で食べていた所うっかりフリーで置いてあったサンドイッチを水盤の中に叩き込まれる。

 鯉が集まってきて叩き落としたお嬢さんがどん引いて転んだので少し和んだスサーナだったが、ミアにはそれどころではなかっただろうとすぐ反省した。

 まだ諦めないの浅ましい、と言うようなことをピエリア候令嬢らしきお嬢さんが言っていたが、休み時間の残りないですけど、西棟まで遠いですけど大丈夫です?とスサーナが指摘した所去っていった。貴族の子女も予鈴の時間は守るようだ。

 結構しっかり食べる方のミアは午後お腹が減って大変だったらしく、何回もお腹を鳴らしていた。次から備えてお菓子を鞄に入れて持ち込むことを考えようとスサーナは思った。


 更に更に次の日。

 移動中にフェリスと出くわし、彼女が変わらずとてもフレンドリーだったため、ミアの演奏の鑑賞に誘った所、西棟に入ったところで待ち構えていた下級貴族の少女たちがなぜか蜘蛛の子を散らすように逃げていったので何事もなかった。

 フェリスは「ボクさー、なんか嫌われてるんだよねー」と笑っていたので貴族女子の対立も大変だなあ、とスサーナは思った。


 更に更に更に次の日

 休日。



 週明けの日の昼。スサーナは校内で買ったボロ布紙を数枚綴じたものを手にぼんやりしていた。そろそろ一の青葉の月なので外が気持ちいい気候のため、お嬢様達を見送り、ついでにミアと合流するのを待つ間に事務棟前のベンチでとろけているのだ。


 最近、今日あったこと短文日記を付けだしたスサーナである。

 頑張る下級貴族令嬢たち観察日記みたいになっているのはご愛嬌というやつだ。


 貴族というとうっかりすると鉛を入れた杖でぼっこぼこにしてやんよされてしまうという印象が非常に強固なスサーナはここのところ頼まれもしないのにミアの護衛めいた行為を続けているが、いろいろやや目に余る部分はあるが行われることはまあ少女の嫌がらせ、という分類のようだ。

 ミアはストレスが溜まっていそうで、そろそろなにか発散させてあげないと可哀想だな、と思うものの、とりあえず尊厳とか生命とかの危機方面の事は行われていない。



 ――まあ、貴族と言っても女の子ですからねえ。そろそろあっちに花を持たせてさしあげてもいいかも……


 あっち、というのはテオ様アル様、事の元凶のお偉いご子息お二人のことだ。

 ミアが絶対に言わないで、と言っていたためにまだ話していないが、スサーナはこっそり彼らに事情をご注進することを考えている。


 これまで話していなかったのはミア自身が嫌がっていたことがひとつ、もう一つがうっかり大事になったら嫌だな!という思考からである。

 なにせ相手は最上位の貴族と他国の王族だ。うっかり嫌がらせをした下級貴族の子供の親――そう、お嬢様達の例を取れば、支配地域なんて村何個分という世界なのだ!――が、連帯責任とかを負わされて本格的にけちょんけちょんにされたりしたら寝覚めが悪い。

 お嬢様達に相談したところ、二人共ものすごい真顔であり得ますわねと言ったのだ。

 なにせ偉い方の当事者の二人がたった13歳ぐらいの少年だ。一時の義憤でなんだか凄いことをしてしまいそうな年齢ではなかろうか。


 というわけで、ある程度行われる嫌がらせの程度を把握しておきたかったスサーナである。

 もしかしたらカバーリングし続けていれば諦めるかもしれないし、いきなりヤバい範囲に突入しないなら情状酌量の余地ありとみなして、まあまあまあ、子供のすることですし、と言える程度の行為を体験しておきつつ過激化する前にご注進するつもりなのだ。



 ――多分、この程度なら「この子はうちの取り巻きなので手を出すと大変なことになるよ」とどっちか御本人に言ってもらったら軟化すると思うんですよねー。

 スサーナはぽやぽやあったまりながら考える。


 今行われている嫌がらせは、いわゆる分不相応な行為に対する女子の過剰反応的なやつだと思われた。女子とは正しさを求めがちな生き物なのだ。

 彼女は僕の恋人なんですまで行ってしまえばそれはそれで後先を考えない苛烈な反応をされそうだが、公認の取り巻きぐらいの扱いなら手を出しづらかろう。

 しばらく対処無しで様子見されるミアにしてみればきっと迷惑だろうが、彼女自身で話さないでと言っているのだからなんというか許される範囲のことだと思いたい。


 ミアを送り迎えするうちに、スサーナもミアの友人として簡単な挨拶をするぐらいの扱いはされている。ミアには伝わらないよう彼らに接触を取って伝えてもなんとか聞いてもらえるぐらいの認知度はあるのではないか、とスサーナは考えていた。

 日記は詳しく説明を求められた際の証拠品である。


 あったかい午後の日を浴びてぐいーっと伸びる。

 ふ、と息を吐いて――


「スサーナ危ない!」


 ミアの悲鳴が響いた。

 ほぼ同時に頭の上に影。


 ――あ、これ花瓶だ。重そう――

 見上げ、それだけ思考した瞬間、横から飛び込んできた誰かが壁を支点に手をついて飛び上がり、落ちてきた花瓶を明後日の方に蹴り飛ばす。


 かしゃん、とあらぬ方で陶器が割れる音が響き、ほぼ同時に飛び込んできたミアにべちんと轢かれる。


「今から抑えられる位置じゃねえか……」


 忌々しげな声に身を起こそうとしたが、ミアの体重で起き上がれない。

 どうやらスサーナを庇ったつもりだったらしいミアがスサーナの上に広がって自分の頭を抱えて身を固くしているのを数度揺さぶり、スサーナは大丈夫ですよと声を掛けた。


「す、スサーナ! よかったあぁぁ!」


 スサーナにぎっちり抱きついてわあーっと泣き出したミアをよしよしとポンポンしつつ上を見上げる。


 事務棟の上の階の窓が空いていて、そこにはもう人影は見えなかった。


「ううむ……とか思ってたんですけど、これは言うと明らかに大事になるやつ……」


 スサーナは呟く。

 水分をかける程度なら可愛いものだが、花瓶となるとうっかりすると頭が潰れる行為だ。スサーナだから当たったとしても問題なかろうが、ミアに当たると命にかかわる問題である。

 これは逆に伝えておいたほうが良いラインの行為かな、と思考を訂正する。主に守るべきはミアだが、ミアにはお守りは貸与できないのだ。

 ――ちょっと傍観しすぎましたでしょうか。過激化早いな?


 目を上げると花瓶を蹴り飛ばした誰かが鋭い目で窓を睨んでいたようだったが、目線をこちらに振ると歩いてくる。

 誰が花瓶を落としたか見ませんでしたか、と言おうと思ったスサーナは目を瞬いた。


 園丁の服装にバンダナに重ねて被ったつばなし帽。印象の大半を決める髪は隠れているが、骨っぽい印象の鋭い頬から顎のラインには見覚えがある。


「……ネルさん? 学内で一体何をされてるんです?」

「日銭稼ぎ、と、野暮用だな」

「……もしや学院の園丁で雇われてらっしゃる?」


 スサーナに抱きついたままのミアの肩口から首を伸ばしたスサーナは呆れた口調で聞いた。


「ああ。時給がいいしな。」

「それにしたって街で一番審査が厳しそうじゃないですかここ……」


 ネルは口の端を曲げてにんまりと笑ってみせた。


「スサーナ、知り合い?」

「ああ、この間ミアさんはいらっしゃいませんでしたもんね。……ええと……ええ……親類のお兄さん……的、な?」


 後ろを振り向いてからようやく離してくれたミアに問いかけられ、スサーナは説明の面倒臭さに端的に言葉を濁す。


「そうなんだ、知らなかった。でも良かったスサーナ、お兄さんが丁度通りかかってくれて……」


 ミアに笑いかけられてネルが顔つきの鋭い狼犬が満足気にしたみたいな笑顔を薄く浮かべる。


「……もしかしてここ、セキュリティガバガバです?」

「いや。俺はあんたの所持品だからな。そっちに連絡状が行ったはずだぜ」

「……履修書類に紛れてたんでしょうか。途中から流し見をしてサインしてましたから……ともかく比較的ガバガバなんですね……」


 ――いいんですかね、偽装書類一枚根拠に貴族王族が満載のところに入れるの……? いや契約ありますし普通はさほど問題ないんですかね、鳥の民セキュリティホールだなあ!

 しみじみと仕組みの穴について考えた後に気を取り直したスサーナはネルに問いかける。


「いえ、すみません、そんなことよりですね、誰が花瓶を落としたか見てませんでした?」

「はっきりとは見てねえ。だがあれは男だな。」

「男の方?」


 スサーナは違和感に首を傾げる。


「まさか……薔薇?」

「薔薇がどうしたって?」

「いいえなんでもないです。ええ。」


 違和感と言えばなぜ自分の上に花瓶が落ちてきたのだろう。さらに思い当たってスサーナの首の傾きは深くなる。

 ミアに対しての嫌がらせなのだから自分の上に落としてもあまり効果はないはずだ、と気づいたのだ。

 ――ミアさんはここに来るところでしたから、気がはやって手が滑ったのかもしれませんけど。


 この時期、新入生は事務棟に出入りすることが増える。スサーナも数日前書類を数枚提出してきたところだ。

 だから、あの窓のところに誰がいたとしても不思議はない。

 普通に考えればミアを目の敵にしている貴族の少女のうち誰か、なのだが。

 ――でも、男の人……?

 もう一度スサーナは事務棟の上を見上げた。誰の気配もしなかった。


 スサーナはミアが万が一大怪我でもしないようもっと気をつけよう、と決めつつ昼時間が終わり掛けたために教室に戻る。ネルも外では気をつけようと言ってくれたのでミアのことを頼んだ。

 自分については現状花瓶が落ちてこようが茶釜が落ちてこようが何ということはないと思っているので二の次だ。


 頷いてもらえたので比較的心安らかに教室に戻る。

 スサーナはネルの実力を知らないが、わるい貴族の子飼いなんぞをやっていたのでプロフェッショナルなんだろうという理解はあり、そんなわけで結構安心感はある。


 というわけで微妙になんとかなった気分になったスサーナは大切なことをひとつ全力で見落としていた。




 ――どうしてこうなった!!

 放課後。スサーナは西棟廊下で遠い目になっていた。

 見落としていたもの、それは13歳の――いや、高確率でまだ12歳の――女の子の義憤である。


 普段、ミアは廊下を通る際に侮蔑の言葉を投げられる程度では反応しない。ぎゅっと眉を寄せ涙目で下唇を噛むようにしつつも早足にその場を過ぎる、ということが可能な忍耐心を持っている。

 しかし今日は演奏室に向かうまでの廊下にいつもの少女たちがおり、クスクスと聞こえよがしに揶揄されたところにつかつかと近寄っていき、ピエリア候令嬢(仮称)にぱあんと平手打ちをくれたのだ。


 その動きがあまりに唐突で止めきれなかったスサーナはぴゃーっとなったが後の祭りである。


「下賤の身でなんてことを……!」


 赤くなった頬を抑えて中級貴族の令嬢がぷるぷる震える。


「何が下賤の身よ! あんなひどいことして恥ずかしくないの!」


 眦を釣り上げたミアが叫んだ。


「み、ミアさん落ち着いて!」


 周りに居た下級貴族の少女たちがあわてて近寄ってくるが、どうも本当の喧嘩、というか庶民にガチの反抗をされたことは珍しいのだろう。微妙に腰が引けている。


「恥ずかしいのはあなたの浅ましい行動の方でしょう! そんなこともわからないの!」

「私は恥ずかしいような行動はなにもしてない! それにどんな理由があってもあんなことしていいはずないでしょ! スサーナは大怪我するところだったんだよ!」

「ミアさん、ミアさん今日は帰りましょう、ミアさん!」


 掴み合いに発展しかけそうな所をスサーナはミアを後ろから引っ張って剥がす。


「愚かで無知な賤民だと思って大目に見ていれば思い上がって……!」

「わーっすみません、謝罪は後ほど!」

「離してスサーナ!」


 慌てたスサーナは急いでミアを引っ張り、寄宿舎まで引きずって帰った。


 不幸中の幸いは学院に入った時点でいちおう建前上学生は皆同権ということになっており、特待生の身柄は学院に守られているため、平手一発程度なら(そして相手が中位の貴族ならまだ)大問題にはならないということである。

 あとは相手の親御さんが些細な子供の喧嘩に親が出て過剰権力を振るうことを良しとしない良識があることを祈るばかりだ。


「ご家族にご迷惑とか掛かるかもしれませんし滅多なことしちゃ駄目ですよう、貴族怖いんですから! ほんと怖いんですから!」

「だってスサーナ、スサーナは死にかけたんだよ!? ここで怒らないでどこで怒るの?」

「無傷でしたし、それに私今落下物程度では絶対に死なないですから大丈夫です!」

「普通は三階から落ちてきた花瓶に当たったら大怪我するし運悪かったら死ぬってば!お兄さんが来てくれたから大丈夫だっただけだよ!?」

「いえ本当に、直撃してもたぶんなんてことないです。ええとお守り、魔術師のお守りがあるので!」

「お守りでなんとかなるはずないでしょ!!」

「あっええと、なるんです、ともかく大丈夫なので私のことはお気になさらず……」

「スサーナ!」


 ぷんぷんと怒るミアをなんとかなだめ、その日はお嬢様のもとにも行かずミアも演奏に行かずで終わった。うっかりするとミアが抗議に行きかねない勢いだったので目を離せなかったのである。



 そして次の日。


「どうしてこうなった」


 スサーナは呻いていた。



 経緯はこうだ。

 スサーナとミアが登校をしようと本館前に辿り着いた所、そこで待ち構えていた少女たちに腕を掴まれて有無を言わせず西棟に連行されたのだ。

 ミアはいっそ暴れようとしたようだったが、流石に四人がかりで抑えられては大人しくしていざるを得ないようだった。


「卑怯者! 離してっ!」

「大人しくなさい! あなた方が悪いんですのよ」

「えっ私も数に入ってます?」


 抑えられて何処かに連れて行かれようとするスサーナとミアの先に立ちながら、ピエリア候令嬢(仮称)は勝ち誇った口調と表情で胸を張った。


「賤民がつけあがって勝手なことをするからこうなるの。あなた方が一体何をしでかしたのか思い知りなさい!」

「いきなり平手は申し訳ないことをしたと……」

「それもですけどそうではなく!」


 登校中の貴族の子弟達とそれなりにすれ違う。結構な人数……主に男子生徒がうわあ、という顔をしていたので貴族的に普通の行動、というわけでもないようだ。

 ――どっちかといいますとどの世界にも普遍的な少女イベントの気配がしますよねえ!

 ただし、普遍的な少女イベントであってもこの世界では身分差とか権力差というものがあるので微妙に洒落にならない。なんとかミアを離脱させられないかとスサーナは結構真面目に思考したが、多人数で抑えられているというのはなかなかやりづらい。結局、ぽかんとしたお嬢様達と運良くすれ違ったので全力で目配せをすることぐらいしかできなかった。


 普段使っているかどうかわからない雰囲気の小部屋に二人して押し込まれる。

 入口の鍵が掛けられたのでミアがびくっとしたが、スサーナたちを抑える役目の少女たちも一緒だったのでいわゆる耐久系閉じ込め行為ということでもなさそうだ。


 ――まあ、窓はありますし、そうなったら最悪飛び降りれば助けは呼べますね。


 中を見回して逃亡ポイントを探すスサーナと、半泣きのミアをそれぞれ椅子に座るように言いつけ、下級貴族の少女たちは二人の横を囲んで腕を抑える。


 スサーナはその横顔がガチガチに緊張している気がして注意を惹かれる。

 そしてその意味はピエリア候令嬢(仮称)が呼んできた少女を見て理解できた。

 赤いドレス。豪奢なハーフアップに結い上げられた金髪。

 あの入学式の時に出会った上位貴族らしい少女だった。


「この者たちが?」

「はいっ! 恐れ多くもテオフィロ公子とアルトナル殿下に取り入ろうとしている庶民です!」


 スサーナは彼女の目がまずこちらに止められ、そしてすっとミアの上を滑り、もう一度冷たくこちらに向いたのを見て微妙に身をすくめた。

 ――あ、これはまだ顔を覚えられてたんですね。主体がこちらだと思ってらっしゃる表情をしておられる!


「そうですか、愚かしいこと」


 彼女は広げた扇で口元を覆う。


 ――どうしてこうなった!

 スサーナは内心、もう一つ呻いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る