第135話 触らぬ貴族に祟りなし 2
それから2日、空き時間という空き時間スサーナとミアは予習と復習をし続けることになった。
一日目の夕方、夕食の席でもそんなことをやっていたので二人の手元をうっかり覗き込んだジョアンもスサーナに捕獲され、何やらブツブツ言いながらも付き合うことになっている。
夕食後に談話室に集合し、スサーナが羊皮紙にお手本を書く横で、蝋板に基礎問題文をジョアンが書き付け、まずは数をこなせと言い放つ。
「まずは手を動かせよ。文法を覚えるのは腕の筋肉。」
「明後日に間に合う……?」
ミアが問題を見て涙目になったのを見てため息を付いたジョアンは椅子を引いて座り込むと一体何がわからないんだよと聞き取り作業を始めた。
「ミア、お前解らないと思ってから話を聞くから余計解らないんだろ。」
「そ、そうかも……」
「文語は喋り言葉と違って単純なんだよ。順番が決まってるの。」
この神経質な秀才肌は結構どうも面倒見がいい。
スサーナもジョアンが説明を飛ばしたところや、ミアが引っかかっている部分に解説を入れ、問題の洗い出しを試みる。
一日目はジョアンが問題を出したり、スサーナが解説したりで夜が更けた。
休息日をいいことに次の日も朝から談話室に集まり、朝から自主勉強会だ。
「ええとミアさん、結構慣れてきましたし、パズルをしましょう。羊皮紙に私が単語を書いたじゃないですか。これを正しい語順に並べ直して、なんでその順番になったかを答えるパズルってどうでしょう。」
「や、やってみるよ。」
とりあえず感覚的に文法ルールを覚えてもらおうかとスサーナが品詞で切り分けてカード状にした羊皮紙を使ったゲームを提案したり。
「ちょっと待って。ゲームなら競うほうがいいだろ。後二三人呼んでくる。ええと、スサーナ。なんか賞品出せよ」
「はいはい、そうですね……実はお菓子を焼きまして、それでどうでしょう」
「焼き菓子か。悪くないんじゃないか」
賞品を用意しろというのに応えてスサーナが部屋から缶に入れたクッキーを持ち出したところ、ジョアンが絶句したり。
「この
「お前馬鹿なの!? 焼き菓子で破産する気なの!?」
「材料、島で買って持ってきたやつですもん。普通に売ってたじゃないですか」
「白糖も精製小麦粉もクソ高かっただろ!? よくわからない魔術師の冗談扱いだろあんなもん!?」
「でも美味しいんですよ。賞品で釣るなら本気で欲しがるものじゃないと。商人の鉄則です。あ、ミアさんまず一欠片だけお味見どうぞ」
「あっ、ずり……」
「なにこれ、美味しい味しかしない……溶ける……」
「はいはいジョアンさんもはい口を開けて。ゲームに勝利するとこれを差し上げるってことでどうです?」
「おっけ、じゃあ問題一問ごとに一枚。早く正解した奴が食える、で、どう?ミア。」
「……!! 全部食べられるよう頑張る!」
なぜか賞品つき早解き大会になった挙げ句賞品の焼き菓子を巡って白熱し、先輩方が誰が勝つかの賭けなどをはじめた挙げ句に騒ぎを聞きつけてやって来た寮母さんに叱られたり。
「えぇ、普通は主語は省くことが多いが、文語だと省かないのが綺麗な形なんだよな。だから必ず主語の枠がある。」
「え、なぜ? 」
「まあこれはそういうもんだと思っとけ思っとけ。様式美よ。」
「神学やると解るけど、神様についてのときは動詞が活用しないことがあるから、その関係ー。今はそういうものって思ってていいよー。」
「文語はなー、時間を示す語句がある可能性があったら省かないのが基本な。」
「ジョアンがさっきも言ってたけど、きっちりしてるってのはそういうとこね。これは過去時制を使って間接表現をすることがあるからなんだけど、これも頭の隅に置いておくぐらいでいいからね」
反省したらしい、実のところ非常に優秀な特待生である先輩たちが若いうちに先入観なく学んだ概念であるせいでいまいち教え方に苦慮する島っ子二人の思考の及ばない部分を教えだしたりもした。
「あれ、ミアさん。もう寝たんじゃなかったです?」
「スサーナ。うん、なんとなく判ってきた気がするからもう少しやっておこうと思って」
「そうですか! じゃあ
ああでもないこうでもないと皆で注釈を書き加えたり語呂合わせを書き込んだりしてだいぶうるさくなった紙面の羊皮紙を前に、蝋板に清書した文面と何度も書き直し繰り返した暗記のための石板の文字。
目をこすりながら笑ったミアに微笑み返してスサーナはお茶を淹れる。
ここまで頑張ったのだからなんとかうまく乗り切って欲しい。というか相手のお貴族様にもここまで努力したミアの頑張りをぜひ汲んで欲しいところである。
――うまく回ればよし、駄目だったら……まあその場での危害みたいなのでしたら私ならお守りに頼ればなんとかなりますし。まさかそれでご家族に迷惑を掛けに行くタイプの貴族の方だったら困りますけど……
スサーナはそっと相手の貴族が機嫌を損ねたときのために気を回す。
ついていく、と決めたのは半分ぐらいはそのためでもある。直接身体危害を加えられる可能性がある場合、自分がいるといないでは怪我率が違いそうな気がするのだ。
――ミアさんのお話ですと良さそうな方という感じはしますから、そんな事にならなければいいけど。
まあ、気をつけてつけすぎるということはないはずだ。
そんな風に2日が過ぎた。
次の日、登校した後、授業の合間の空き時間には細々した確認だ。選択授業がいくつかあったこともあり、お嬢様達には訳を話して放課後の了解をとった上でスサーナは昼にミアと落ち合い、校舎周りの芝生で昼食を取りながら最終確認を兼ねて一問一答をしたり、暗唱をしたりした。
「ちゃんと出来てるかな……」
「大丈夫です、先生が驚くぐらいバッチリですよ!」
不安そうなミアを励まし、放課後の再会を約束する。
そして数コマの授業の後、勉強会の時間がやって来た。
北棟の入り口でミアと待ち合わせ、二人で一緒にテラスへ向かう。
先にテラスにあるテーブル席に腰掛けて待っていたのは、ハニーブラウンのやや癖のある髪を生え際からふわっと遊ばせた少年と明るいグレーアッシュの髪を左右に流してやや長めに切り下ろした少年の二人だ。
結構離れた距離で、明確に確認できる要素はそれ以外にさほど多くはないのだが、スサーナの足は早速鈍っていた。
――遠目からでもいいご衣装をお召しですねとよくわかるんですが!!!???
「ええと、ミアさん、あの方々です?」
「うん、左側の茶色の髪の人が誘ってくれた人だよ」
「さようで」
偶然そこにいるだけの人たちだという可能性に賭けてみたスサーナだったがあえなくその希望は破砕される。
スサーナは遠い目になった。
「お待たせしましたっ……!」
現実逃避をしたくなってきたスサーナを他所に、ミアが彼らにぱたぱたと駆け寄る。
「やあ、今日はよろしく。」
男の子二人が椅子から立ち上がり、ミアを出迎えた。わあ礼儀正しい、とスサーナは目の遠さを一段階上げる。
余裕有りげな王子様スマイルを浮かべたのはハニーブラウンの髪の少年だ。近づいてみるときらきら爽やか系の優しげな甘いマスクで、少しだけ目尻の下がった瞳は綺麗なはちみつ色からフチに向かって緑が濃くなっていく複雑な色。さぞや普段から女子をきゃあきゃあ言わせているのだろうという容姿で、こんな時でもなければ遠巻きに鑑賞会でも開きたいような美少年だった。
「今日は誘って……おさそいくださってありがとうございます! えっと、お友達を誘ってきたんです。こちら、スサーナ。」
ミアに手を向けられ、スサーナは腹をくくってミアの側まで歩み寄り、深いお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。スサーナと申します」
「気楽にして。よろしく。僕はテオフィロ。テオと呼んでくれて構わない。僕の方も勉強会に興味がある友人が付いて来てて。アルトナル。クヴィータゥルフロンの留学生だよ」
「よろしく。」
グレーアッシュの髪の少年が小さく会釈した。留学生だと言われてみればこのあたりでよく見る容姿とは雰囲気の違う外見をしている。
ぐっと肌が白く、繊細そうな顔立ちで、そこそこ背の高いテオフィロよりも幾分か長身だ。スサーナの感覚だと前世で言う北欧系の顔立ちで、エルフを思わせる美形である。これまた冷たそうな雰囲気ながら女の子たちは放っては置かないだろう。
――身分のいい方は容姿好みで婚姻されるので美人が凝縮されるとか言いますけども!
キラキラした男子二人にスサーナは気圧される。容姿にもそうだが、彼らが身に着けている明らかに最高級の布をたっぷり使い、裁縫師が多分一年は掛けたような刺繍を施し、その上で儀礼着ではなく普段着らしく整えたデザインをしている衣服にも。
ミアも先程までの緊張は持続しているようだったが、それはそれとして少し少年たちの美しさにうっとりしているようだった。スサーナは一刻も早く逃げたい気持ちである。
男の子二人がそれぞれ自分たちが座っていなかった側の椅子を引く。座れという意味だと判っているスサーナはキョトンとしているミアに小声でその旨を囁いた。
ミアは目をパチクリしてスサーナを頼るように見つめ、多分それでいいのか判断しかねているのだろう、その場で数瞬おろおろとする。
「どうぞ、座って」
テオフィロが微笑む。ミアが慌てて椅子に駆け寄り、ぽすんと腰掛けた。
スサーナもそれに続いて椅子に着く。懲役刑が始まる気分であった。
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