第311話 ネル、もっと潜入する。

 次にネルが狙ったのは地形と、「入るな」と言われた区域の確認だった。

 というのも、交代制で回ってくる仕事がちょうど屋外仕事、畑と家畜の世話の順番になったため、屋外をふらふらしていてもそこまで見咎められない状況を作りやすく、都合が良かったのだ。


 山羊と羊を飼う囲い地に当番に入った者でいささか注意散漫な信者がいるのをいいことに、ネルはさり気なく数度、開けっ放しの木戸からあわや家畜が迷いでかけた、という出来事を演出し――演出も何も閂をせぬままの木戸を知りつつ看過し、そこに羊や山羊が興味を持ったタイミングで周りに声をかけたり、視線を誘導したりするだけだ――そういうものだ、という感覚が出来るまで二日ほど。狙ったほうに伝道師達がいないタイミングを見計らい、こんどこそ意図的に木戸をそっと開き、数頭の山羊が逃げるに任せた。


「お? なんだか山羊が足りなくないか?」

「ん……? あっ、木戸! うあー、閂確認したはずなんスけど……」

「おいおい、またかよぉ……」


 他の信者達が山羊の逃亡に気づいたタイミングでネルは何食わぬ顔で探しに行こうかと立候補する。


「俺やりましょうか。収穫したカブの籠を代わりにお願いします。大げさになる前にパッと探してきますよ」

「悪いな、頼むよー。伝道師様に叱られないうちに見つかりゃいいんだけど」


 ええとにこやかに頷き、ネルは持ち場を離れることに成功した。



 うろうろとそのあたりをうろついている山羊を集め、一頭を物陰に繋いで隠す。残りは一旦囲いまで引いていく。

 一頭見つからないので探し直してくる、と声を掛け、それからネルは選んだ山羊を灌木の茂みの中に刈った草を積んでおいた場所に放した。

 ――これでしばらくは時間が稼げる。

 若い山羊は棘のある灌木を乗り越えるのは好まない。その中に餌があればしばらくは誰にも見つからず大人しく草を食んでくれるだろう。万が一他の誰かが探して見つけても「サボって昼寝をするための草積み」に見えるような積み方はしてあるため、作為は悟られづらいはずだ。


 教団の「支部」であるこの小さな寒村は広葉樹の森と丘に囲まれた地形に存在する。王都からはそこまで離れた場所ではないが、街道を逸れた位置で、どこかに行くのに経由するという立地でもないために寂れた所だ。

 定住者も多くなく、しかしその割に畑の範囲は広い。ネル達が従事している耕作地と牧草地以外にもそのような場所があり、元からの村人たちのうちいくらかはそちらに従事しているような様子があった。


「さて、入るな……っつわれたのは、……あっちか。」


 ネルは初日の注意を思い返し、迷わずそちらに歩を進めた。


 伝道師達が彼ら手伝いの信者達に近づかぬよう求めた場所はやや森の中に入った小道の先だ。足音を殺し、人の気配を探りながら進むと、森を切り開いて作ったらしい畑が現れる。厳重な隙間のない柵で囲まれたそれの先にはまた森があるように見え、その畑以外には何かあるようではない。そこが目的の場所のように思われた。


「ん……?」


 柵の内側に見えるものを見てネルは小さく首を傾げる。

 そこに植えてあるのは枯れかけの丈の高い植物だ。背丈を超える長い茎の上に手のような形に裂けた尖った葉。


アサ……? そこまで隠すようなものか……?」


 麻の栽培は近隣諸国では一般的だ。繊維や実を様々の用途に使うためにに栽培が行われる。確かに物によっては人を酔わせるが、殆どのものは多少ぼんやりする程度、いくらか気分が良くなる程度だ。強い効果のものは珍しく、ひどい怪我や病の痛みを抑えるために薬師が代々引き継いで育てるものや、東の内陸の遠い異国から運ばれてくるものでなければ深い陶酔は得られない。


 それに、もし植えられているものが強い酔いをもたらす麻であったとしても、そう強く隠す理由は思いつかぬ。

 麻炊き遊びをし粗相をするものもいれば、閨事の醜聞と関連付けて語られることもまた多い遠国の干し麻は確かに見れば眉をひそめられるようなものだ。善良で堅実な人間が触れるようなものでは決してない。だが、一般に植えられる効果の殆どない麻とそれは見た目上で大きな差異はなく、誤魔化そうと思えば簡単に誤魔化せようし、信徒たちに対して無理に隠す、という判断はネルにはいまいち理解し難い。

 ――バレたら信者が心変わりする、と言うほどのもんじゃねえよな……? どうとでも言い逃れできる……


 ネルは用心しいしい柵に近づくと、すっと息を吸い、一息に柵を飛び越えた。


 ――妙に荒れた土だな。

 枯れかけて黄色がかった麻の茎に触れながらネルは眉をひそめる。柵の先の畑はいまいち手入れをしているようには思えない固く荒れた様子をしていた。とはいえネルは麻を育てたことはないのでどのような土が麻に最適かはわからないが。

 ――それに、何にするやつにしてもこんな時期に枯れるに任せてほっとくもんなのか?

 首を傾げかけ、それからネルは神経を研ぎ澄ませた。畑の内側からなにかの気配がしたような気がする。

 人がそこにいると言うには薄く、おとなしい家畜か何かだろうか。ネルは極力音を立てぬように麻の生える内側に踏み込んだ。



 ほとんど隙間なく麻の植わったその内側は数メートルでぽっかりと開いた空間になっている。

 そこに何かいる。ネルは麻の隙間からそちらを透かし見、はっと息を呑んだ。


 いる、というのは正確ではなかったかもしれない。そこに生えて――それも正確であるとはネルには言えないが――いたのは異形の植物だった。


 ――人食い花!

 人食い花。正確には別に呼び名があるのだろうが、ネルの過ごしたヤロークではそのたぐいの魔物の類はみなそう呼ばれていた。


 幹の頂点から垂れ下がる薄桃色の花穂。その周りに点在する、剣状の葉身が放射状に広がった形の、もしくは指の長い手のような形で淡緑の多肉類を思わせる葉。幹にはスギゴケに似た半透明の緑色した枝がまばらについている。カリカチュアしたヤシの木に似た姿の植物。

 ……もしくは、地上に根を張る巨大なフジツボとイソギンチャクの間の子に、さらに植物をかけ合わせたものだ。

 花穂に見えた淡桃の紐状の器官がざわざわとうねり、蛇のように鎌首をもたげる。幹……鞘から肉色の幹ごと「葉」がぐっと伸び上がり、そして戻った。

 人食い花はその呼び名の通り人を食う。花穂に見える部分、蔓めいた部分に並ぶ花に見える粒は人や獣に当たると毒棘を吐いて対象を麻痺させ、太い葉に見える部分が絡んで引き寄せる。そうなったが最後、動けぬままの哀れな犠牲者は溶かされて食われてしまうのだ。


 自然に生えたものではない。その証拠に人食い花は等間隔に数メートル開けて四本、根本をよう木組みで抑えられているし、それに。

 ネルは以前指導役殿ヨティスに教えられた話を思い出す。

 一部の魔物は麻を嫌う。それ故に麻の繊維で組んだ縄で囲うことで簡易的に魔物避けになる。荒野を旅するなら覚えておいて損はない、という氏族の知識とやら。

 なにかに使うには妙に手入れの薄い麻畑はこれらが逃げ出さぬための囲いの用途に違いない。


 ――なるほど、何を隠していたか分かった。だが、なんのためにだ……?

 人食い花は――彼の知るものは、だが――特に人間に便利に使える、というものではない。人を襲って食うばかりの厄介なだけの魔物だ。わざわざ村のそばに隠して得をするものとは思えない。

 ネルは意図を測りかねて眉を寄せたが、とりあえず様子を覚えておくことにする。


 その後禁止されていた場所を数カ所調べ、同じように麻に囲まれた畑が一つ。そちらはアルキフスベと呼ばれる魔物で、麻などよりずっと強い恍惚薬乱用薬物の材料になるものだったので納得がいく。それ以外にも普通の毒草や薬草を揃えた畑がいくつかあった。


 ――あの蝋燭だのの材料かね。禁制のやつもありそうだが……この国でどれがヤバいのかは俺じゃちょっとわからねえな。

 ヤロークでなら確実に禁制だったものは二つばかり。ひどい中毒を起こす恍惚薬の材料と無味無臭で心臓に効く毒の原料だ。

 ――ともあれ、だ。人に見られりゃなんの後ろ暗いところもない、とは言い訳できねえ物ばかり、と。


 警吏か騎士に踏み込まれればいかな貴族の後ろ盾があろうがひとたまりもないだろう。流石にこれは証拠を取るというわけにはいかないが、ネルは植えられたものの特徴と位置関係、場所をよく覚え、報告することに決めたのだった。


 最後に村の地形をよく覚えようとネルは身を翻す。手近な高台に向かおうと森の中に踏み込み、しばらく歩いたところで彼は気配に顔をしかめた。

 吠え声と下生えを無遠慮に掻き分ける気配。それも複数。餌を狙う狼ではない。

 ――この気配、犬? それも訓練されたやつだ。

 ネルは少し迷い、それからわざと無警戒な動きで見えやすい位置に出て、がさがさ音を立てて歩く。


「おぉ~い、ハナちゃーん」


 山羊の名など呼びながらふらつくことしばらく。


 弾けるような吠え声とともに一直線に駆け寄ってくる大きな犬に彼はうわあーっと情けない悲鳴を上げた。

 飛びつかれながら背を丸めて転がり、腕で首をかばう。


 後ろから駆け寄ってくる人間の気配に彼は慌て怯えきった演技で叫んでみせる。


「たっ、助けてくれーーーっ! 狼だあーーっ!!」


 駆け寄ってきた男の号令で、今にも喉笛に噛みつかんとしていた犬はネルに伸し掛かった姿勢でぴたりと止まる。だが、彼がそれ以上暴れれば喉首、でなければ鼻に食いつけるだろう、と言う力の入れ方だった。

 ――猟犬、じゃねえな。こいつ、人間相手にするために特別に訓練した犬だ。


「おい、こんな所で何してる!」

 .

 駆け寄ってきた男の声にネルは怯えきった声で返答をする。


「ひ、っ、あの、山羊、山羊が逃げたんで、探しに……」

「あんた、ああ、街から来た……」

「ダッ、ダニエルですっ……家畜小屋と畑の当番で……!」


 気が抜けたように息を吐いた男の様子にネルは内心やれやれと胸をなでおろす。

 犬は厄介だ。目の前にいる相手を捕まえろ、殺せ、と命じられたものならいくらでも対応できるが、これで捕まらずに逃げた場合、追え、動いたルートを辿れ、と言う命令が出るかもしれぬ。そうなると侵入を禁止された場所に入り込んだことも、「犬を出し抜いて逃げたのはダニエルだ」ということも分かってしまいかねない。


 彼の主人が作り出した匂いを消す魔法とやらがあれば鼻が鋭い生き物も出し抜けるだろう、とカリカ師ババァが言っていたが、あいにく氏族とやらで使われだしたそれは非常に高価に取引されるらしく、彼の手元になどやってこない。……主に頼めばきっと都合してもらえる気もするが、無理はさせたくなかったし、なによりそう必要だとは思っていなかったためにそれは用意していなかった。


 男に後ろ手で掴まれ、大人しく持ち場まで戻る。仕事をしていた他の信者達が山羊を探しに出たのだ、と証言し、寝藁に鼻を突っ込んだ犬がすぐに山羊を見つけ追ってきたことでネルの疑いは当初の狙い通り晴れた。


 この後、伝道師に多少の説教を貰う際に話を誘導したネルは「野獣や魔獣を寄せ付けないために」村の周りには犬が放されているのだ、と説明される。

 ――なにが野獣避けだ、人に反応するように仕込んであるじゃねえか。

 厄介だ。


 次の日、彼らの食事の手伝いをする村住まいの信者の女に、いかにも人懐こい虫も殺さぬような若者、という顔で「自分は菓子を焼けるのだ」と話しかけたネルはフユイチゴを摘みたい、というような話からその犬が放されたのは最近で、門番だの数人の人間に従うようになっていると言う話だが、犬の主はこの半年ほどの間にやってきた男で、どうやら十を超える数が放されているらしい、と言う話を聞き出した。

 その男は自分の手足のように犬を使うのだという。旅芸人の猛獣使いなのかもしれぬ、そう言う女の話を聞きながらネルは内心そっと舌打ちをしていた。

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