第264話 番犬、潜入工作をする 3

 数日過ごし、ネルはいくつかの事柄を悟っていた。

 一見、彼らの有り様は秘密結社というほどの苛烈さはない。

 まず、ぽつぽつと少数いる、彼と同じ立場と思われる人間たちへは向けられるのは友愛と連帯の言葉が主だ。そしていわゆる「信仰の徒」めいた振る舞いは課されない。

 正確には礼拝の日はあるというが、ネルがやって来てからまだ無い程度に日数が開く程度のもので、義務ではない。いくらかの奉仕は求められるようだが、中で寝泊まりするものは全体の掃除を請け負うだとか、配膳を手伝え、だとか、普通の場所でも行われることのようだった。

 まず、これはどの神の信徒であれおかしなことではない。信仰する神の性質によって重要視される事柄は変わるものの、大抵規律、もしくは調和を保つことを求められるし、集団内での助け合いもまた重要視されるものである。更に言えば、少なくともここヴァリウサではすべての階層が熱意ある信仰行動を求められるというわけではないため、一般の神殿と変わりない、と言える。



 しかし、ある程度教団に馴染んでいる、と思われる――ここからが信徒というべきなのだろう――者たちとなると多少カラーが変わってくる。

 内部で寝泊まりしている者たちも、外から通ってくるらしい者たちも「神殿」にはおり、全部で百人には及ばないだろう、という人数らしい。その大半が平信徒、と呼ばれるべき立場だと思われたが、彼らも集まっての礼拝は数日に一度程度。日々のそれは10人ほどで集まって行われ、それぞれに伝道師と呼ばれる少し立場の上の信者がつく。内容は大体ネルが初日に体験したようなものだ。説かれる教義はラフェンネのものとそう離れてはおらず、商取引は国に血を通すようなものだと言う。ぱっと差異があるのは「それゆえに最も尊いのはたゆまず少額をやりとりする街場の庶民である」と言う部分。戒律のようなものは多くなさそうで、これも――秘密教団だというならなおさら――ゆるいと言えなくもない。

 ただし。

 彼らが日常、何気なく言葉をかわす際に、ともがらの悩みを聞く際に。礼拝の後、気心が知れているのだろう者たちが語り合う際に。当然の、まるで決り文句のように混ざる言葉がネルには異様に感じられた。

 それはなにも秘された聖句、というようなものではない。


「今月も生活が厳しくて……」

「ああ、大丈夫ですよ。きっとマルシアル様がみんなよくしてくださいます。ご苦労をされましたね。これも王の力が足りないから……」

「近くにできた店に客を取られたんです。新しいぐらいしか取り柄が無いっていうのに。聞けば貴族が出資しているそうじゃないですか。ちゃんと王様が規制しないから私達のような庶民が割を食うんだ」

「ええ本当に。なんと由々しい事でしょう」


 教義には一応合っているのだろうな、というものから、そうでないものまで。

 天候が悪い。どこぞで魔獣が出たらしい。警吏の態度が悪かった、仕事場で軽んじられている。商売女に軽く扱われた……

 並べてみても統一性のない事柄に決り文句のように「王が愚かであるためだ」「王の力が足りないのだ」という感想が付随する。


 これがヤロークでのことならネルもさほどの違和感を抱かなかったかもしれない。

 王ではなく、まず貴族や領主に非難は向けられたものだが、土地は荒れ、まつりごとは定かならず、月ごとに法律が変わるような場所で、民は常に不満を溜めていた。

 しかし、周辺国の政情を教え込まれた経験があり、の為に新しい情報をも貪欲に集めもしているネルにしてみれば、ヴァリウサという国は現在、周辺諸国のうちでも『マシにやっている』ほうの国家だと判断できるのだ。


 諸領主の権力は弱くはなく、火種は転がっているが、しかし決定的な破綻に至らず統制はされている。程度はともかく王、ひいては中央の権威に頭を垂れぬ諸侯はなく、辺境までその権威は及び、年々の収穫に従って農村に掛けられる税には基準があるそうだし、豪商たちからは多く税を取るが、商取引に一定の保護があり、商人たちの発言力は高く、師匠連ギルドは都市議会への発言権がある。貴族も豪商も神殿に貧者への喜捨を義務づけられているし、「寄り合い」もあれば、公的な救貧所も大都市なら大抵機能している。

 確かに貧窮に落ちるものはいるし、阿漕な商売に煩わされるものも、貴族の横暴に苦しめられるものもいる。都市にはスラムがあるし、無法者にも事欠かず、闇はないということはない。一攫千金を夢見て農村を捨てて王都を目指すものもまた多いそうだ。

 とはいえ、国威は高く、近年の天変地異は少なく、大きな飢饉もない。宮廷周りには魑魅魍魎権謀術策が渦巻いていると言うが、逆に言えば権力闘争にうつつを抜かしていられる、ということだ。大通りは活気に溢れ、世情は好況だといっていい。

 酒場の噂話でも、賭場の与太話ですら、貴族の奴ら、大臣の誰それ、相手を定めぬ「お偉方」の悪口をいう、というものはあってもこれほど気軽に王を腐すものはない。


 ――普通、「大臣の誰それが」ってほうが言いやすいよな。

 ネルは自分に割り当てられた寝台でウトウトするふりをしつつ、上階にある部屋で交わされる会話を盗み聞きながら考える。


 まずもって、王はただそこに居るだけで尊いものだ、という考えはどの国でも一般的だ。国基を保てるものであり、国民と契約を結び、その魂を保護するもの。

 孤児として育ち、契約を行っていないネルには曖昧な感覚ではあるが、王の恩恵を受けぬものはなく、普通の常民であれば王が健やかにいらっしゃることがどれほどありがたいことなのかを幼い頃から聞かされ育つという。

 孤児であったとて常ならば10の契約ばかりはないがしろにされず、どのような身分であれ契約をと駆け込めば否と言う神殿もないという。逆に、契約をせずいるものは大抵病むか狂って果てるのだと言われていたのだから、孤児ですら王の意味は知っているはずなのだ。


 だが、この場所に集う人々はまるで領主の行いの是非を問うぐらいの気軽さで王その人を批判しているようだった。

 ――普通のこと……じゃあねえよな。ここの奴らは慣れて当然みたいになってるみてえだが。


 ラフェンネの上位神である双面のエラスとミロスは王権をはかるという。だが、ラフェンネは商業神であり、もっと俗な神格だ。エラスとミロスではなく、そのラフェンネの下位神を名乗るなら神のありかたは言い訳にはならない。

 ただ、漏れ聞く会話を総合するに、わざわざそうせよと教えている、というふうではない。他の信者たちと話すうちに自然に学習する、というのが正解だろう。それがまた不気味だった。


 ただ、貴族たちや官吏たちを非難する声がない、というわけではない。外で行われる会話に比べればずっとその手の話題も多いようだ。その多くは王の統制能力や威厳の不足があるのだ、という結論に帰結するものだったが、権威者とみなす者たちへの当たりは全体的に強い。


 ――白か黒かと言われたらまだわからんと言うべきなんだろうが、これで白だったら驚きだぜ。

 耳を澄ませながらネルは小さく鼻を鳴らす。彼が今意識を向けている部屋では「集会」が一つ終わったところで、ひとしきり信者たちが世間に対する不満を語り合い、それから解散していくところだった。

 異様なのはこれもそうだ。「集会」の終わった後に集まった者たちが世の中の「よくないこと」について語り合う。

 どこそこの貴族が豪勢な宴会を開いている、公共事業を請け負ったなになには貴族と癒着しているに違いない、最近輸入品が多いのは貿易商が優遇されすぎている、今年の寄付金は少ないそうだ、などなど。時には橋を渡る際に通行料がある事が気に食わない、などのどうしようもないものまで。

 伝道師と呼ばれる上位の信者はそれをすべて否定せず、共感といたわりを返すのだ。

 天災やめぐり合わせの悪さは王の能力の足りなさと結論づけられ、生活の苦しさはすべて王に従う貴族が民を顧みないためとする。個人的な好悪、どこにでも転がっているだろう些細なトラブルは「王を盲信する愚か者たち」からの悪意と阻害として。ここに集うことを許された選ばれた信徒たち以外の民衆は極めて愚かで、王党派の貴族達が神に許されぬほどの搾取を行い、甘い汁を吸っていると気づけず盲信しているのだ、と彼らはうなずきあう。


 ――なんらかの手順。分かってやってる奴が絶対このやり方を決めてやがるよな。

 確定ではないが、これはほぼここで当たりだろう。ネルはそう判断する。街場で働く物売り、雇い人の類が尊いとされる、だからそうでないものたちを嫌う、というのは筋道だって居ないこともないが、名が知られていない小神の信仰であるだけ、というにはやり方が妙に薄ら寒く思われる。

ネルとてどこの国のものであれ貴族は――どうやら彼の印象を裏切って、国政に関わるものは身を削って駆け回っているようなものであると知っても――以外は大体嫌いだったし、信用ならぬと考えているが、計算して怒りや憎しみをわざわざ抱かせるようなやり方はどうにも意図が感じられた。


 そう考えるうちに、部屋の後始末をはじめたらしい気配がしだす。話し声からすれば伝道師の地位の信者が数人で行っているようだ。


「明後日の大集会の準備ですが、こちらの割当はだいたい済みました。厳しいなら人を貸せますが」


 会話の内容は明後日にあるという、大きな集会……、ヘルマン司祭とやらが儀式を執り行い、信者たち皆が集まることを求められるというものについてだった。


「ああ、お願いできますか。明後日はアブラーン卿がおいでになりますので支度を整えなければ」


 ――ん?

 ネルは会話の中の単語をふと聞き咎める。

 あまり貴族というものを好きではなさそうなこの集団の集会に貴族がくる、というのも気になったし、呼ばれた名にうっすらと聞き覚えがある気もしたからだった。

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