第354話 スサーナ、安眠しそびれる 1

 サラを体制側に繋ぎ、これで共犯として処罰される事態は避けられたはずだ。

 ビセンタ婦人が関与していると言うことも流したし、そう長い期間ではないものの彼女に絡み続けていたスサーナからは彼女の交友関係と、親しくしている女官、侍女、便宜をよく図っていたらしい使用人も洗いざらいリークした。スサーナ自身で見かけたものと、ご婦人たちの噂話、ついでに下級侍女達のだけでは漏れがあるかも知れないが、まあ無いよりマシだ。

 ビセンタ婦人が謀反への関与ありとなれば、今後、どうなるにせよ、ザハルーラ妃に嫌がらせが出来る立場では無くなることだろう。


 教団の情報はネルさんからフィリベルト氏に渡っており、多分立ち入り調査は冬至のパーティーでなにかが起こってからになるのだろうが、冬至のパーティーに向けての動きだとか、内部の出入り、主要な人物の顔なんかはしっかり連絡がなされているようだった。

 魔術師が関係した部分については、王宮魔術師の預かりとなっているらしいし、外からこれ以上何が出来るとも思えない。

 冬至のパーティーに出るのは身代わりのテオで、こちらも学友であるのでとても心配ではあるが、何らかの計画の上でのことなのでしっかりと周辺を警護されるに違いない。


 というわけで、こんどこそ、スサーナが駆け回る理由は全て潰えた。

 ――何か、まだ、やっておくこと……

 ひとしきり考えて、何も思いつかなかったスサーナは、おお、と目を瞬く。

 これは、とりあえずは、あとはご令嬢らしく過ごせばいいということになったのではあるまいか。

 ――冬至祝いの日はレオくんと内廷にいて……、その後は……どのぐらい安全になるか次第ですけど、普通に春まで過ごしてから学院に戻る!

 ミレーラ妃のところでの行儀見習いも、潜り込んだ下級侍女としての身分も継続していけないことはないはずなので、気晴らしの種もたっぷりあるはずだ。

 謀反勢力がちゃんと壊滅してくれないと政情不安がとか、王家の王子であるレオくんとフェリスちゃんと、ついでに一応ウィル殿下も心配だとか、自分の命も狙われっぱなしの可能性があるな、とか、それはそれとして魔術師さん問題はどうなるんだろう、とか、気がかりなことは色々あるものの、済んでみるまでどうにもどうしようもない問題でもあるので、今は考えないこととする。


 ――とりあえず、もしや……ということはですよ。冬至祝いの日までは……特に。


「やることがない……!!」


 余人のいない部屋でスサーナはきらきらと喜びを載せた声を上げた。


 やることがないのだ。

 絶対の予定はレオくんの付き添いだけで、そのための衣装は秋に作ったものということが侍女たちの間で決定している。

 カリカ先生はどうも繁忙期が終わるまでは完全にレッスンを休むつもりらしく、あまりに連絡がないので心配になってレミヒオくんに調べてもらったところ、どうやらなにかお仕事に入っているのは間違いないそうで、夜中を開けておくこともない。

 ネルさんはといえば、フィリベルト氏と緊密な情報交換をするタームなのでそちらに注力してもらっている。

 もしかしたらショシャナ嬢としてビセンタ婦人の周りをウロウロする仕事はあるのかもしれないが、それは必要ならお父様の派閥の誰かから――多分ルカスさんになるだろう――連絡があるはずだ。

 つまり、三度目の乙女探しから帰ってきた今、スサーナの予定はいきなりの空白状態がやってきた、と、そういうことなのである。


 ここのところ、みちみちに脱気された羊羹のごとく予定がきゅうきゅうに詰まり切っていたので、いかに王都に来てからこっち、暇だと考えることが多くて嫌だなあ、だとか、寝るのはあとまわしにしたいしその時間でなにか有意義なことを、などと考えがちなスサーナでも怠惰に過ごしたいという欲で一杯になっていた。

 5日の合計睡眠時間が両手の指で数えられてしまうのはちょっと問題がある、と流石に思う。


 冬至祝いのその日まではあと三日ほど。

 ある、というには短いものの、怠惰に一日寝るぐらいなら捻出できるに違いない。

 なにより、念のためにちょっと刺繍をする程度にとどめて寝れば、明日の朝はご令嬢の常識的時間帯に起こされるはずなので、睡眠時間合計は果たして現状の倍まで伸びるはずである。

 そう算段したスサーナは、予定通りにいくらか刺繍をし、ロコを揉みに行くのは我慢して、早めに寝台に滑り込み、スムーズに惰眠を貪った。


 はずだった。



 見上げた空は春先の碧。

 太陽の在り処はわからないものの、世界はきらきらとあかるい。暑くも寒くもない風がそよそよと吹く中、重そうに花を満たしたミモザとアーモンドの枝の間から飛び交う蝶が見える。

 季節感などなく咲き誇るのはミモザにアーモンド、ジャカランダ、ブーゲンビリア。ひまわりの向こうにサルビアにサフランの群落、ノースポール。名前も知らない種々の花たち。春から冬までのどこかで見た気がするもの。きっちりと刈り込まれた常緑低木。貴石で出来ているらしい玉砂利が敷き詰められた間を人工の小川が流れていく。優雅に広がるのは低木になるように刈り込まれた柘榴の林だ。

 丁寧に丁寧に手入れされた庭園の中には、白と呼ぶよりは象牙色に近い色合いの建物が点在している。


 スサーナは緩慢に首を傾げる。

 手足の感覚がどうにも曖昧で、いつからここに立っているものか思い出せない。


 ――これは……、ここは……?

 ぼんやりと周りを見渡すうちに、奇妙なものが目についた。

 それは、美しいけれど田舎めいたこの牧歌的な風景には似合わぬ、盛装のひとびとだ。

 皆一様に瑞々しい万年香の枝を胸に飾っているので、何かの宴に出ていたところなのだろうか。何やら興奮したように言葉を交わし合っているようだったけれど、スサーナの耳にはその声は聞こえてこない。

 ――男の人が……7、8人……女の人が、ふたり……あ、二人だけじゃない。

 人垣の内側にいるのは随分と着飾った少女たちだ。皆、とても怯えた顔をして、身を寄せ合うようにして歩いている。

 少女たちは五人ほど。みな、13か14程の年頃に見える。

 彼女たちの目線を見れば、歩く人々のうちの数名が手にした武器を恐れているらしいということがなんとなくわかった。

 ――あれ?

 覚えがあるような無いような彼女たちに興味を惹かれ、その顔を覗き込もうとしてスサーナはぴったり一群になった少女たちの少し後ろにも女の子がいることに気づく。

 少しだけ少女たちと距離を取って歩いていくのは、素焼きの土器のような狐色の髪の少女と、淡い亜麻色の髪をした少女。

 ――サラ、さん……?

 間違いなく見覚えのある一人、ぎゅっと手を握りしめた彼女は、小さく震えながら、険しい表情で歩みを進める。

 他の少女たちと扱いが違う、ということはないようで、彼女の後ろを歩いている誰かの手にも剣が見える。

 スサーナは靄がかかったような頭をはっきりさせようとしながら、サラのにらみつける視線の先を追う。

 ――あれは……アブラーン卿? となりはレブロン卿……じゃあこの人たちは謀反の人たち。

 見れば、女性のうち一人はビセンタ婦人であるようだ。

 こくり、と喉を鳴らしたはずが乾いた喉に唾液が通った感触はない。

 せめて、他の謀反人達、彼らの顔を覚えようと、一瞬ごとに曖昧になる感覚に強いて目を凝らし、スサーナはひゅっと息を飲んだ。

 先に立って歩く誰かの肩の上に、ぐったりとした男の子が一人抱え上げられている。高級な生地に素晴らしい仕立ての衣服。顔をと思ったものの、抱えられた腕にたわんだマントが邪魔で、顔はよく分からなかった。

 ――レオくん? わからない、あの服はレオくんのようだけど、もしかしたらテオフィロ様……? ええと、どうしてこんな事態になったんでしたっけ。ああ、でも、このままじゃきっとまずいんだ……!

 スサーナは焦り、一行に駆け寄ろうと試みた。

 ふわり、と足が大気を踏む。空気が水飴のように重くなったか、それとも体が風船にでもなったのだろうか。地面を蹴りたいのにろくに踏み込めず、遅々として体が前に進まない。

 そのくせ彼らはなんの阻害もなく進んでいき、すぐに距離がどんどんと離れていく。泣きたい気分で空気を掻いていると、すぐ側でじゃっと砂利を踏みしめる音がした。

 反射的に向いた視線の先、色褪せたような白い髪が揺れる。

 ――魔術師、さ、……え……?

 見知らぬ誰かだと思っていた魔術師が何かを手元で弄ぶと、ぼんやりと光沢が浮くばかりだった髪に蛋白石の色の炎の影じみた輝きが燃え広がっていく。

 衣装も髪型も見たことがないままだったけれど、見間違えようのない誰かの姿にスサーナは思わず声をかけようとして、喉からはなんの音も出なかった。

 ――待って、待って! やっぱり仲間なんですか、ねえ、お願いです、いやだ、待って!

 前に進めないスサーナに気づく様子もなく、同じ方向に歩み去る人影に向けて叫ぼうとして――


「お嬢様! ちょっと!お嬢様!」


 飛び起きたスサーナは今まで全力疾走しようとしていた代わりのようにばくばくと打つ心臓を抑え、空気を飲み込む。


「大丈夫? ものすごくうなされていたわよ、あ、いまお水持ってくるわね!」


 目覚めたスサーナにほっとした表情を見せて、ぱたぱたと水差しを取りに行くミッシィを見送り、周囲を見渡す。

 星を模したタイルの天井に黒檀の家具。夜明けまではまだしばらくあるらしく、先の尖った窓の向こうは静まり返っており、なにごともなかったようにしんと密やかだ。


「これは……」


 スサーナはひゅう、と、肺の中で熱を持った息を吐きだし、ぐしゃりと毛布を握りしめて呟いた。


「どっち……?」



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