第278話 偽物令嬢、さらに侍女のフリをする。

 侍女に潜り込む予定の日、予告どおりにイネスに連絡を受け、スサーナは満を持して妃宮を抜け出すことにした。


 令嬢たちの居場所である二階ではなく、一階の小部屋を彼女が都合してくれていたのでそこでまず服を脱ぎ、ピンをまとめ、お仕着せに着替える。

 ――ああ、着直すときが大変ですね……。まあ、なんとか一人でも着れるように練習はしましたけど。

 一人で脱ぎ着できるデザインのお仕着せは非常に着やすく、それだけに貴族のご令嬢らしいドレスの着づらさを思ってスサーナは少し遠い目になる。

 自分で着替えなければいけないことに気づいてそっとだいぶ練習した結果、ドレスを着直すときは胴着をキツめに締めて上着を回せばギリギリ一人でも取り回せると結論づけたものの、面倒なことには変わりないし、やや崩れた形になるのもいかんともしがたい。まあ、戻る頃には夕方で暗く、帰るだけが主になるはずなのでなんとかごまかせるといいと思う。


 化粧を落として違う雰囲気になるように頬紅を入れる。これも戻るときは夜の暗さに期待だ。冬が深まってくる時期だけあり、夜になるのは早く、闇が深いのが逆にありがたい。


 次に外したカツラを荷物にしまい、更にごく一般的な髪色である明るい栗色のカツラを被る。スサーナの本来の髪型ほど短くなく、かといって黒髪のカツラほど長くもない、セミロング程度の長さのものだ。

 カリカ先生が幻覚をかぶせることで容姿を変えられる魔法を開発していたし、スサーナも自分でやればもしかしたら髪の色ぐらい変えられるな? と思わなくもないが、レオくんにバラさなくてはならなくなった時を考えると――フェリスちゃんも自分が「居る」と分かっているのだし――あまり自然に変装出来すぎていると不味い気がするので、不便だがカツラの方を採用したのだ。


 それからさらにその上から塵除けの髪覆いをかぶった。作り自体は簡素なものだが、だいぶのりを効かせてあり、ブラウンのお仕着せと合って可愛らしい。

 はすかいに髪を出して被れば可愛かろうが、顔は目立たないほうがいいのでいつもどおりの目深に被る。せっかく栗色のカツラなのにな、と少し残念でないこともない。


 最後に貴族の流行りの瀟洒な靴からしっかりした革靴に履き替えて変装は完了だ。深呼吸一つ。動き方のマインドセットをして、スサーナはそっと通用口から王宮を目指した。



 ◆  ◆  ◆



 何食わぬ顔で指定された部屋に紛れ込む。そこにはスサーナよりやや年上ぐらいの少女が一人すでに落ち着かなげに待機していた。


「御機嫌よう。……貴女も今日から?」

「ええ。私も今日からのご奉公です。どうぞスシーとお呼びください」

「サラよ。よしなにして頂戴ね」


 挨拶をしているうちに、後二人少女が入ってくる。どうやら彼女たちが今日から王宮に上がる下級侍女達らしい。しばらく待つと担当の女官がやって来て、いかにも謹厳実直、といった様子で業務の内容を説明し始めた。



 慣習に従って侍女、とは言うが、最下級の侍女の職務は貴人の随伴ではない。

 もちろん求められれば随伴することもあるし、女官の侍女に回るものもいる、それ故に侍女と呼ばれるのだが、彼女たちがまず任されるのは宮中の雑用全般だ。もちろん、平民を使うというわけにはいかないので雇われるのは下級貴族の子女達、大体において継ぐ財産と結婚のアテのない次女以下の娘たちで、ある意味では妃宮の「行儀見習い」よりもずっと行儀見習いに近く、経歴に箔をつけて上位貴族の使用人になったり結婚したりするらしく、運がいいと血筋と稼ぎのいい王宮づとめの人間に見初められるという期待もあったりするらしい。


 近いものを上げるなら小舎人童だろうか、いや女童かなあ。とスサーナは少し思考をそらす。急に平安の香りが漂ってしまうが、ともあれ。


 で、だ。

 それの何が問題なのかというと。


 彼女らが最初に任されるのは大体において下働きだ。慣れたものは女官の手伝いや役人たちの補助をしたり、華やかな職務にまわるというが、入ったばかりの立場の娘たちが任されるのはまず掃除女中めいた仕事からだ。

 格式のある部分は代々の由緒正しい使用人が行い、彼らは王宮の使用人であることに誇りと矜持を持っているというのだが、下級貴族とはいえ多分お嬢様扱いをされてきたのだろう――マリアネラのように下の娘を粗雑に扱う家もあるらしいが――今日から奉公のお嬢さんたちはそうはいかない。


「人の歩いたあとを這いつくばって掃除しろ……なんて……!!」


 担当箇所に案内され、指導役の使用人が少し手本を見せた後に戻っていったそのあとで。

 下女が行うようなお掃除などという下賤な行為にショックを受け、スンスンと嗚咽を漏らしているお嬢さんたちを横目にスサーナは思考を平安京から現実に引き戻した。


 ――多分、次にいらっしゃる前に終わってないと叱られる案件ですよねえ。四人で手分けしろ、と言われましたけど…… これは、無理だな。

 本格的にショックを受けた様子で泣いているのが一人。釣られて啜り泣きしているのが一人。彼女たちを慰めているのでダメージは前の二人ほどではなさそうなものの、掃除用具の使い方がわからないのだろうな、という具合の一人。

 スサーナたちが今日掃除すべきなのは外に面した廊下で、組石の石造りで出来ている。王宮だけあって廊下は広く、様々な立場の人達が入れる部分の為か、あまり人通りのないこの場所でも埃っぽくザリザリしており――そう、土足なのだ――掃除が終わったかせずにいたのかはすぐに分かってしまいそうだった。


 ――一応今やり方の説明はされましたけど……ううん、まあそのうち慣れるとかこれも通過儀礼だとかそんな気もするんですけど。


 仕方ない、やるか、とスサーナは、まるで登り棒を掴むような具合にブラシの柄を掴んでいる、先の二人を慰めていたお嬢さんにそっと声を掛けた。それなりに正気でいるらしい少女は先程挨拶をした相手なので、少し声をかけやすいのが幸いだ。

 本当は顔を覚えられるのも他の使用人に関わるのも嫌なのだが、これはちょっと仕方がない。


「もしもし、ええと、サラさん? このままではずっと終わりませんので、始めてしまいましょう。……私、ちょっとはお掃除に慣れておりますので、よかったらご一緒に。」


 戸惑ったように、一応頷いた相手に目の前でブラシを正しい姿勢に握ってみせ、それからスサーナは掃除用具の中から使うものを選り分けた。



 シダで出来た箒でざっと廊下の塵を集め、毛箒で細かい部分を掃く。

 サラに箒を渡してもう少し掃くよう頼んだ後に桶を抱えて井戸に走り、桶に一杯水を汲み戻ってブラシを濡らし、こびりついた泥を落とし、隅の方をボロ布で擦る。


 調度を乾いた布と毛の細かいブラシで手入れするのはまだショックが少なそうだし、床ほど見た目に差異は出なさそうだったので残り二人が気を取り直したら手伝ってもらうように言いつつサラに頼み、乾いた布でぎゅいぎゅいと床を乾拭きして、艶が出れば完了だ。


 お家での掃除の経験もあり、セルカ伯の所でメイドたちの手伝いをした際に教えられたものもあり、更にエレオノーラの侍女をしていた時にマレサに出来るようにと仕込まれた経験も生きた。手際はそこまで悪くなかったとスサーナは思うのだが、それでも廊下は広く、サラは一応やってはくれるものの、当然慣れているはずもない。


 廊下の乾拭きが半分程度終わった所で上役の使用人がやって来て、四人並べられて終わっていないことについてのお小言と――八割終わってはいるのだが、全く手を付けていない方向のお小言をあまり確認せず言ってきたのでははあんこれは初回の既定路線だなとスサーナはピンときた――由緒正しい王宮の下級侍女となったからにはいつまでもお嬢さん気分ではいけないというお叱りを受けた後に、他の侍女たちと合流して昼食を取っていい、ということになった。


 これでうっかりマレサにスパルタ侍女教育を受けていた頃の気分にマインドセットされたのが悪かったのだ、と後にスサーナは思う。


 昼食を取った後に他の下級侍女たちと合流し――午前中はやっぱりどうも現実を思い知らせるとかまず心を折るとかそういう事だったのだろう――今度はお手本の慣れた先輩と、すこし慣れているらしい侍女たちと一緒に掃除に回されることになった。


 まあ、気丈にやっているサラや、先程よりマシながらぐすぐすしている名前を聞いていないお嬢さんたちの穴を埋めねばなるまい。スサーナはずいずいモップを掛け、ぐいぐい床を拭き掃除し、香油を染みさせた布で調度をぎゅいぎゅい磨く。


「あ、もうそこ終わったの? じゃあこっちもお願い」

「早いのね。じゃあ階段の手すりも磨いておいて」


 そして夕方頃ふと気づいたのである。

 ――あれ? 私、なんかさっき受けた説明より随分割り当て多くなってません? 初日にする仕事量です?

 令嬢生活の鬱憤晴らし、というか、人目を気にしないでいいのも非常に気楽だったし、余計なことを思考せずお掃除に没頭するのはそれはそれで悪くない気分だったのですっかり気づくのが遅れたスサーナである。


 はて、と思いつつもこっそり妃宮に戻り、済ました令嬢の顔で屋敷に戻る。



 また次の日、首尾よく侍女のフリでまた潜り込み、扱いはそんな感じ。

 更に次の日もそんな具合であるに至り、スサーナはようやく思い至った。

 ――あれ、これ、なんかそういうポジジョン認識されちゃってません? やっぱり?


 我ながらこれは人間関係の要領が悪いというやつだな? と思いつつ、お手本兼監督役の女官が席を外した後、家具の磨き布を手に先程からずっと談笑を続けているやや慣れた侍女たちを横目にスサーナはああー……となる。

 ――ちょっと慣れた方であってもそれは下級貴族のご令嬢ですし。お掃除なんて本来はやりたくないでしょうねえ。そこに丁度良く仕事を増やしても文句を言わない個体がやって来てしまったと。


 彼女たちは自分が仕事を押し付けたのがまさか公のご令嬢だとは思うまいなあ、とやや遠い目になりつつ、まあ究極的にはレオくんが乙女とやら――と、多分保護者の貴族もか――に対面するだろう時にその場に行くのを邪魔されなければいいのだ、と考える。

 ――まあ、変に親しみを持たれるより個人行動がしやすくていいんですかね。

 仕事が多いのも、役人たちがよく自分が仕事をしているのを見る、ということなのでまあそちらでの仕事を請け負ったような雰囲気を出すのに一役買ってくれるかもしれない。下級侍女の個人識別がされるのかどうなのかわからないけれど。


 ――まあいいんですけどね!! お掃除も雑用も、社交ダンスよりもずっと好きな気がしますし!!!!

 あんまり負け惜しみでもなく思考してスサーナはブラシを構える。さっき漏れ聞いた割り当てには使用人のための厨房が含まれていたのだ。令嬢の矜持が残っているらしい皆はとても嫌がっていたがスサーナはちょっとワクワクしていたりする。

 ――料理人さんたちにうまく馴染んだら合間を見ておやつぐらい作らせてもらえるようになったりしませんかね!


 いっそこれはむしろエンジョイしている、と言えないことも無い気がするスサーナだった。

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