第279話 偽物侍女、風と桶に関するなにがしかの出来事。
怪しまれることもなく二重生活がスタートし、第二の枯れ葉の月が始まる。
第二の枯れ葉の月は年の終わりの月で、冬至から新年にかけては祭りが続く時期だ。
同時に、年が明けた後に第一王子の立太子が予定されている。
王宮では様々な業務や行事の準備でせわしなく、下級侍女の手も無限に借りたいようなありさまだった。
入ったばかりの掃除係の下級侍女ですら通りすがりに呼び止められ、官吏の手伝いに回される、というようなことが頻発するほどに人々は目まぐるしく仕事に追われているらしい。
それはつまり、王宮への人の出入りが激しく、不審者が紛れ込みやすくなる、ということでもあったし、また意思決定の場にも負担がかかり、一つ一つの会議、稟議に十分な吟味が出来ぬ、ということでもある。
第二の枯れ葉の月がはじまってから、ネルの定期連絡に教団の方にいくらか動きがあった、というものもあったし――特務騎士殿に伝えるよう言った――何かがあるなら年明けまで行かず、この月のうちかもしれぬ、とスサーナもそれなりに警戒を深めている。
同時に、スサーナが王宮に紛れ込んだ目的である「亜麻色の髪の乙女探し」も動きを見せだしているようだった。
下級侍女になってみてスサーナが理解したことの一つに、この立場の利点として、宮中の他愛ない噂をたっぷり聞ける、というものがある。
下級の官僚たちが愚痴半分呆れ半分で語る話題のうちには、「この時期は毎年のことだがどさくさ紛れに馬鹿げた予算が通る」だの、「誰々がゴネて会議が進まず困る」だののどこの世界も同じなんですね、というものから、お父様やレオくんの話題では知れぬ「乙女探しに加わった貴族達は第三王妃様の気を引こうと見境なく案を出しており、仕事が嵩んで困る」だの、「乙女探しのおこぼれを得ようと有象無象が益体もない牽制をしあっている」だの、スサーナの興味を引くものもまた数多かった。
彼らの話からすれば、案の殆どは差し戻されているとかいう話であったが、動き出したものもいくらかあるようで、多分レオくんのところまで話が届くようなものになるまでもうわずかであるのだろう。
――とりあえず多分、まず、私が見張ったり邪魔しに行ったほうがいい事柄が企画されるまですぐ、ですね。
「亜麻色の髪の乙女探し」の催しについてはスサーナは本来聞かせてもらえる立場ではなく、レオくんの愚痴やお父様の仕事についての話で漏れ聞くか、フェリスちゃんに教えてもらえるばかりだ。そして頼みの綱のフェリスちゃんも部外者のため、正確な予定を把握しているというわけではない。
それが下級侍女の立場でなら、設営や準備に関わるものとして実行するか不明な時点から噂として把握できるので、起こると知らずに見過ごすとか見張りが間に合わないということは無さそうでとてもいい。
スサーナは下級侍女という立場に自分を入れることを思いついたフェリスちゃんの才覚にとても感謝しつつ、事が起こるまでの猶予の時間、令嬢として「行儀見習い」の場で過ごす……ということもほぼなく、ひたすら下級侍女のお仕事に邁進するのだった。
――いえあの、こっちで待機していなくても大丈夫、と分かっている日はあちらで全日過ごしたほうがいいのも分かっているんですけど。
スサーナはそっと腰を伸ばしつつ、虚空に言い訳する。
掃除中、ミレーラ妃の妃宮に「行儀見習い」に向かうらしい令嬢の姿を見たために下を向き、ブラシ掛けに熱中することでやり過ごしたところである。
いくらかは向こうで過ごしたほうがいい、というのはよく分かっているのだが、書庫に籠もるふりをするか面倒そうな本を読むというムーブはそれなりに気詰まりなものもあるし、人の顔をみると何故か突っかかってくるご令嬢もそこそこ面倒くさい。なにやら百合的行為が行われているなどという情報も得てしまったことだし、うっかり目撃とかしたくないではないか。スサーナはそっと理論武装する。
それに下級侍女の見分けが付いているのかはわからないものの役人たちに見慣れられておくのは大事なような気がしたし、最下級の侍女は厨房やらの掃除や、たまに皿洗いメイドたちの手伝いすら頼まれるというのは――他の少女たちには非常な屈辱のようだったが――スサーナとしてはうまく馴染んでかまどを使わせてもらえるかもしれない、というとても美味しい目論見もあるのだ。
なにより。
「スシー。そこにいらしたのね」
所在なげにキョロキョロしていたサラが道の向こうに現れたな、と思ったらホッとしたような笑顔を浮かべてぱたぱた駆け寄ってくるのが見える。
――なんで……懐かれちゃったんでしょうね……?
スサーナはそっと首を傾げた。
初日に挨拶した同期の下級侍女の一人、サラが、まるでヒヨコの刷り込みか何かめいて何か困ったときや何か聞きたいらしい時、単純に一人で落ち着かないらしい時などになぜだかスサーナを目指してやってきて、まとわりついてくるようになってしまったのである。
実年齢はどうも相手がきっぱり一つ上で、まるで姉か何かにするように懐かれる所以はあまり無い気はするのだが。まあ残り二人の新人は元から知り合い同士のようなので寂しいのだろう、とスサーナは判断している。
「サラさん。どうかされましたか。」
「先輩に糸杉の間の暖炉の掃除を代われと言われたのだけど、どうすればいいかわからなくて……。スシーがご存知かもしれないと思ったの」
彼女はどうやら下級貴族の家の、娘ばっかり六人目の末妹で、姉たちに可愛がられて育ったらしい。スサーナはずぶとい自分とは違って彼女はおっとりと押しが弱く、人に物事を押し付けられがちな性格をしているな、と思っているのだが、どうやら今回もそうであるらしかった。
「暖炉掃除の先輩がたはどうされたんです?」
「ええ、書類仕事の手伝いを欲しい方がいらっしゃるみたいで……そちらに行くって」
「またですかー。」
下級の侍女たちはまず掃除女中めいた仕事を請け負い、王宮仕えのものとして自覚が出たぐらい、と判断された頃に他の仕事に順次回されだすという仕組みらしい。ところが、年間のうちでも特に忙しいこの時期はお掃除係の慣れない新人下級侍女であっても他の仕事に駆り出されることがある。
そして、圧倒的に下級侍女たちに人気なのは、そういう書類仕事や会議の手伝いなどの仕事のほうなのだ。
なにせ掃除よりも大体は楽なものが多く、実務を行う事務官達は大体が下級貴族や中位貴族で――曲がりなりにも王宮で働けるのはたとえ領地などを持たない家柄や立場でもキャリアコースというやつであり――毛色もいい。そういう彼らと知り合う機会にもなる。そのうえ仕事が終わったあとで謝礼に甘いものやら、時には食事を奢ってもらえるだとかそんなこともあるというのだ。当然といえば当然のことである。
どうやらたった一人で暖炉掃除を任されてしまったらしいサラが困りきった表情で眉を下げる。
一応この掃除というやつは集団作業で、一人や二人減っても問題ないようになっているようなのだが――絶対に抜け出す予定のあるスサーナはそのあたり結構確認した――割り当てをされた班全員が抜け出してしまってはなんというかどうしようもない。引き継ぎぐらいはしてくれていってもいいだろうとスサーナは思うのだが、その間に置いていかれるかもしれないというそんな貧乏くじ、誰も引きたくなかった、ということだろう。
「一応……経験はないでもないです。どこまでやればいいって聞いてます?」
「いいえ。どこまで……って、そういうことがあるの?」
おうちは使用人が居なかったので冬の暖炉の手入れはみんなで交代で行う仕事だった。スサーナは流石に一人で任されたことなど無いが、手順は一応頭に入っているはずだ。……煙突の掃除は男の人達の仕事だったので、叔父さんがススだらけになっていたのを面白く眺めていた記憶しかないけれども。
流石に煙突掃除は専門の業者がいるはずなので、下級侍女にやれということはない、なければいいな、とスサーナは思う。
「灰かきをして火床の掃除まででいいならまだいいんですけど……煙突までといったらひと仕事ですね。年末が近いからもしかしたらそこまでを求められているかもしれないので……。とりあえず、廊下の掃除は終わったところですし、私も行きます。準備しましょうか。」
「何を準備したらいいのかしら……」
「とりあえず……前掛けの汚れてもいいものと、口を覆う布は必須ですね。あと灰掻きは暖炉の所にありますかね……」
スサーナは彼女を連れてとりあえず備品置き場を目指す。まあ、頼られる、というのはよく身に馴染んで落ち着くので、嫌いでは無いような気はするのだった。
道々見かけた女官に聞いた所、煙突の掃除までしろ、という話ではなかったようだ。まだ楽で良かった、とスサーナはホッとしながら、サラに教えつつ手分けして灰を掻き出し、内側のススを落とし、周りに散った灰を掃き清める。
火格子を磨いていたサラがねえご覧になって、ピカピカになったわ、と歓声を上げるのにちょっとほっこりしつつ彼女の顔についたススを濡れ布巾で拭いてやり、一応の完了だ。
「お疲れさまでした。この後は……ごはんでしたね。とりあえず着替えたほうがいいでしょうねえ。」
「ええ。スシーは服の換えはあって? 私、お部屋に着替えに戻らなくてはいけないわ。」
暖炉掃除を終えた二人のお仕着せは前掛けの防御があったにもかかわらずススまみれで、これは手伝いを探している官僚と運良く行きあったとしても仕事を頼まれるのは無理だな、という具合である。もちろん食事にも向くとは思えない。
ええこちらは大丈夫ですよ、荷物に入ってます、などと曖昧に
控室に戻る道筋。人の会話する気配にふと目を上げたサラが、あら、と声を上げる。
「先輩方だわ。」
広い廊下の片隅に固まっていたのは五人ほどの下級侍女だ。
ほほう、暖炉掃除の皆さんですか、人数多いな、とスサーナは半眼になり、ついでそっと首を傾げる。漏れ聞こえる会話の内容を聞けば、彼女らがなにやら仕事を押し付けあっているようだったからだ。
「先輩方、お任せいただいた暖炉のお掃除、終わりましたわ。」
「サラ! いい所に!」
おっとりと声を掛けたサラを見てぱっと輝いた彼女らの表情に、スサーナはなんとなく嫌な予感がしてむむーっとなった。また彼女が押し付けられるパターンの気配がする。
「ねえサラ、あたし達ちょっとこのあと忙しいの。どうしても抜けられない仕事でね? でも、お願いされた仕事もあって……文官の方に頼まれた仕事でもったいないんだけど、特別に貴女に譲ってあげるわ。大した仕事じゃないの。案内の仕事。行ってくれるわね?」
「え、でも……」
サラは少し戸惑い、困った表情で首を傾げた。
「残念ですけど、サラさんはこれから着替えに戻らなくてはいけないんです。」
スサーナは見かねて横から口を挟む。
「暖炉掃除をし終えたところなので。ススまみれでしょう? 案内の仕事が出来るような格好ではございませんから。部屋まで戻らないといけませんし、人を待たせておいででしたら間に合わないかと。」
「サラが駄目ならあなたでもいいわ。ね、出来るでしょ? 女官と一緒の仕事で、査定に関わっちゃうのよ。」
なにやら切羽詰まった様子にスサーナは内心の疑問を深くする。途中抜けで仕事を押し付けられるということは迷惑極まりなく、確かにいい顔をされない行為で、簡単な仕事に全員で行く、みたいなことはもってのほかではあるのだが、文官に仕事を頼まれた、と言うならば不可抗力ではあり、仕事に一人二人欠けても女官たちも大目に見てくれるはずなのだ。流石に給金を下げられる程のことは普通無いと思うのだが。
「といっても、私も服は汚れていますし。どこにご案内するかもわからないんですよ?」
「地図はあるから! ねぇお願い。ちょっとぐらい服が汚れてたって気にされないはずよ。お客様も、もう待ってるみたいなの。ね?」
ここはきっぱり断ろう、と口を開きかけたスサーナだったが、申し訳なさげな表情のサラに袖を引かれて断りそびれる。
「ねえ、スシー。行ってあげていただけなくて? 貴女荷物に着替えが入っているのでしょう? 私が行ければよろしかったんですけど、時間がかかってしまいますから……」
ごはんは責任持って私が取っておくから、と言った彼女に先輩の侍女たちが一斉に表情に快哉を浮かべ、なんなら自分たちの分をわけてもいい、と言うのにスサーナはんもう、となった。
――んもー、善良!!!
こういう雰囲気になってしまうと断りづらい。
まあ服の汚れなんて二三分もあれば取れますしお腹も別にそんなに減ってないですしまあいいっちゃいいんですけどね!!!!とスサーナはヤケクソで思考し、彼女たちの頼みを受け入れることにした。自分の仕事が増える分にはどうせ元々そこまで文句はない。
スサーナは彼女の手に羊皮紙の切れ端に書いた地図を押し込んで晴れやかな表情で駆け去る少女たちを眺め、それからとりあえず控室までは戻る。報告を済ませた後に自室に戻るサラを見送り、それから地図を汚れないように持って人気のない便所を目指した。
ポケットに入れてあった刺繍布を使って上から下まで全身丸洗いをする。ついでに床を綺麗にして、異臭の漂っていた空気をフローラルなレモン香に行きがけの駄賃で変えた後、魔法を解除する。
それからスサーナはごく簡易な地図に記してある「お客様が待っている部屋」を目指した。
――と言っても、こっちって、「
歩きながらスサーナはそっと眉をひそめる。王宮内の実際の立地感覚がまだふわふわしてるので気づかなかったが、地図のとおりに進むと、新人の下級侍女たちが普段任されている下級官吏の雑務の場ではなく、もっと格式高い……つまり、王の執務室や玉座の間があるあたりに近づいていくのだ。
もちろんそちらにいるのは国政に席のある……主に上位貴族の面々なので、これはうっかりするとお父様とニアミス、もしくはエンカウントしないとも限らない。
流石にスサーナの顔をほぼ知らない下級官吏の皆さんにバレると思ったことはないが、一応数ヶ月顔を合わせ続けているうえに、直接会ったのが二回目なのに人の顔を覚えていた、なんていうスキルのあるお父様相手だとこの変装は非常に心もとない。
――なんて言い訳しましょうね、出くわしたら……。
まずいなあ、などと思いつつ、スサーナはいぶかる。
下級の侍女の先輩方にしてみれば、こちらに誰にも咎められることなく大手を振って入れるのは喜ばしいことなのではないだろうか。気後れする、ということはあるかもしれないが――こちらでの仕事に駆り出された侍女を先日皆で盛大に羨んでいなかったか。
――お給料の査定なんかより一撃逆転のチャンス、みたいなふうに考えるタイプの方もいたような気がするんですけど。
なぜ彼女らはこちらに来たがらなかったのか。目的地付近にたどり着き、スサーナはようやっとその疑問の答えを理解した。
――あっこれ、あの、その、あのですね、回れ右して帰っちゃ駄目ですかね? やっぱり駄目ですよね? 公的業務の類ですもんね? 駄目? 駄目ですね?
考えてみれば簡単なことだ。多分この話が下級の侍女に回ってきたのも、文官達がやりたがらずに下へ下へとたらい回しに回ってきたのだろう。
格式高い場所に入れる客人で、人々が恐れ、関わりたがらない存在。
そんなの、つまるところ魔術師案件に決まっているのだ。
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