第154話 小間使い右往左往 3
機嫌の悪いエレオノーラを気遣いながら午後の授業を過ごし、一旦貴族寮に戻ったあとで市内にいる関係者との連絡相談に出向くというエレオノーラを見送って、それからスサーナはここのところの日課の使用人教育を受ける。
布もの全般の扱い方の講習はいらないとマレサが理解してくれたので、本日の講習はエレオノーラお嬢様が個別で持っているドレスの扱い方と、みっともなくない立ち居振る舞いの講習が主だ。
「緋色のドレスはフリルは縫い外しが出来るタイプで、そちらは汚れたら適宜交換。裳裾も同じく。」
「はい、あの……こちらのこの金糸のドレス、本当に普段着で?」
「それがなにか?」
「いえ……すごく変色しやすい糸なのになあと……なんでもありません」
「それを管理するのが小間使いの腕です」
「お盆を持つ時は背筋を真っすぐ伸ばしなさい。腕を伸ばして! 食器を滑らせてはいけませんよ!」
「はっ、はいいぃ」
「最良の召使いは湯で満たしたポットを盆に載せても腕を震わせません! 頭も揺らさない! 優雅さに必要なのは筋力です! あなたに必要なものは筋力!繰り返しなさい!」
「きんりょくぅぅ~~~」
――なんでなんですかねマレサさんが日々ヒートアップしていくというか熱血になっていくの……本当になんでなんですかね……
今日も死ぬほどヘトヘトになって就寝時間に開放される。
スサーナは体力の残り加減と精神力回復を天秤にかけ、皆が寝静まった後に図書館に赴いた。
書庫に入り込んでホッと一息つく。
書庫の明かりは他の生徒の皆は気づいていなさそうだがランプを模した術式付与品で、油切れの心配はないし夜中でも十分明るく揺れないので楽しく本が読める。
クロエが作業をしている時はともかく、他に人がいないのもいい。
深夜の図書館というだけで少しテンションが上がるし、この図書館通いは貴重なスサーナの楽しみである。
――クロエさんに感謝しないとですね。
暇ができたら資料整理を頑張らないといけない。……いつ暇ができるかも正直スサーナにはわからないのだが。
読んでいる本は気分次第でいろいろだ。
各地の伝説、フォークロア、ド恋愛モノではない物語。歴史。
その中でも漂泊民の記述を見つけたら関係しそうな別の書籍を検索したりして少し深掘りするのがスサーナの日課になっている。
「また前の戦争の時のエピソード……でもこれ、ただの陰謀論ですよねえ」
各地を放浪する漂泊民達をまつろわぬ民的に捉え、強大な権力を持った存在が彼らを操っており、マフィアのドンめいて常民の社会にも影響を及ぼしている的な話が歴史書にそこそこ。
ただし、歴史書とはいえだいぶ脚色されているのははっきり判るので――歴史書、と言うより司馬遼太郎や塩野七生の小説という雰囲気もある――与太話だとスサーナは判断している。
「魔法……は、流石にここまでいくとなんでもアリすぎて便利な狂言回しだってことはわかりますよ。完全にファンタジー過ぎる……」
伝説や物語本に、流浪のキャラバンにちょっと親切にしたらなんだかすごい魔法を授けてもらうとか、漂泊民に酷いことをしたら世にも恐ろしい目に遭わされる、みたいな話がそこそこ。
出てくる魔法が便利極まりない未来予知や王女様をカエルにしてなぜかキスで元通りになるようなアレなのでやはりこれも信憑性が薄い。
「……信頼性が置けそうなのって、やっぱりこのあたりでしょうかねえ。」
スサーナが本当のことらしい、とこの間から当たりをつけて少しずつ読んでいるのは個人の手記、いわゆる昔の貴族の日記だ。
記述自体はさほど多くないが、数百年前の戦争の際に従軍した貴族が同じ部隊に雇われた漂泊民について書いている部分があり、それはある程度スサーナの見聞きしたものと合っているような気がした、というのが切っ掛けだ。
例えば、どこか彼らだけが知っている場所で育てた特別な蚕糸に血を染みさせて作った特殊な糸を使って魔法を使う、とか。
部隊が撤退する中負傷して取り残された際に目撃した光景として、漂泊民の男女が非常に精緻な茨の刺繍をした布を持ち、麻薬の力を借りて女がトランス状態に陥る。そして刺繍を掲げ茨の垣を生み出した為に敵部隊が混乱、そこに幻影の騎士部隊が襲いかかり云々、だとか。
そこからその戦場に従軍していた人の名前を調べ、当たりをつけて当該の戦争中の手記を調べるとそれなりに漂泊民の行動が書かれているものが出てくる。
「とりあえず漂泊民の方々が魔法を使うには特別な糸を使うんですね……。真似できそうにないのはいいことなんですけど。」
人の居ないのをいいことにぶつくさ言いながら記述を読み進める。
漂泊民がどんな事ができるのかは気になるスサーナだが、血筋は彼らと同じかもしれない、とは言え、別に民族的アイデンティティが知りたいとか、何かがしたいとか、そういうわけでもない。
ただ単に、自分の中で納得ができたらそれでいい。
疲れている時に娯楽以外の事で頭を悩ましたいわけではない。調べているのは主に知的好奇心の賜物なのだ。
同時代の社会的受容とか、目撃した第三者の証言とか、そういうものが結構好きなスサーナである。そういう意味では物語や歴史書の便利な狂言回し役を見るのも作者の解釈が見えるので悪くない。
今日読み出したぶんは読み進めるうちに糸の魔法以外の漂泊民の魔法みたいなもののことについても書いてあり、スサーナは眼精疲労で目をパチパチさせつつもちょっと夢中になった。
「これはつまり回復魔法? ふぁ、ファンタジー!」
傷を塞ぐ。病を回復する。失った腕を生やす。そう言ったことが出来るものが居た、という文章だ。
ちょっと大袈裟感はあるが魔術師の魔術でも傷を塞げるのだし、漂泊民が傷を塞いでもそこまで不思議ではない。
「これは真似できるなら真似したいですよね……糸の魔法じゃなさそうだけどどうするんだろう……」
本気ではないものの、スサーナは真似できたらさぞや便利だろうとうっとりした。
大怪我をすることなど現状ほぼ考えられないが、昼間ちょっと切った口の中が口内炎になりそうで少し気持ち悪い所為である。
「胸部に手を当てただけ……? 呪文を唱えるとかそういうことは全然ナシ……? これはなにかのプロでないと出来ないやつ……」
詳しく読めばどう考えてもスサーナには真似できそうにない感じで、スサーナはちょっとしょんぼりした。
「いえ、出来ると思っていたわけではないですけど。……あ、疲労回復が出来たらもっといいな……」
ぶつぶつ呟いた声が人の居ない書庫の天井に反響する。
思考がそのまま口から漏れるのはとても疲れている時の症状だ。
今日は本当は眠ったほうが良かったのだが、なにか精神疲労分を補填してから眠りたかったスサーナである。
しょんぼりを切っ掛けにすることにして本を閉じる。
「今日はもう寝よう……」
朝まではもうしばらく時間がある。
現状深夜二時程度。六時前ぐらいから仕事が始まるので今戻れば三時間は眠れる計算だ。
このぐらいの疲労度ならベッドを使って寝たところでスイッチが切れるように熟睡できる。丁度いい頃合いだ。
スサーナは宿直の司書さんにご挨拶をしてふらふらと図書館を出た。
図書館前の森を背にした道を歩く。
うす暗くておぼつかないが、一応常夜灯のランプは道に接して設置されており、歩けないほどではない。
「あふ……」
欠伸を漏らしながら貴族寮を目指す。近道をしようかと考えたが、流石に深夜に森のなかに踏み込むのは辞めた。
石畳の道をふらふら進み、いくらか図書館から離れた頃。
――ん?
スサーナはふと立ち止まった。
なんだか足音と、密やかな会話の声が聞こえた気がしたのだ。
――こんな時間に? 私、歩きながらちょっと寝てました?
スサーナはまず夢を疑い、それから少し耳を澄ませた。
やはりどこからか人の声がする。
深夜に外でウロウロしている誰かに関わる、なんて明らかにいいことではない。学院の中なのでもしかしたら夜勤の教授とか深夜でないと取れない虫を取っている研究者とかかもしれないが、深夜に外をウロウロしている人間に通常あまりいいイメージは持たれない。
普段だったらちゃんとスルーしただろうスサーナだったが、やはり寝不足で判断力が鈍っているのだろう。軽率に好奇心に負けて足音を忍ばせ、声の方にすこし方向転換をした。
少し行くと明かりが見える。
前聞いた図書館側の東屋というやつなのだろう。白い泡のような建物があり、その周りにほんのり明かりが灯っていた。
――白い光ですね。じゃあ火に関わるものじゃなくて術式付与品――
その光の輪のなかに数人の人影があり、スサーナは目を
事務的になにかの確認作業らしい単語を発声している者。手元に持った薄く光るプレートに何か書き付けているらしい動作をしているもの。
身に着けた衣装はファンタジーの神官がいかにも着ていそうな布地をたっぷり取ったデザインのもので、無理やり言えば漢服に似ているといえるかもしれない、枚数を沢山重ねた豪奢な作りだ。
色は
そして、術式付与品らしい明かりに照らされ、結われていたり肩あたりで断たれていたりと髪型のバリエーションはあるものの、一様に白みの強い髪には煌めきは様々ながら薄く蛋白石に似た光沢が浮いている。
――魔術師さん達? しかも沢山!
スサーナは目をまん丸くし、話しかけようかとか益体もないことを数秒悩み、やっぱりこれは見てはいけないものだったりしたら困るな、と常識的な結論にたどり着いてそっと足音を殺してその場から離れ、明日の朝知っていそうな人に聞いてみることにして、とりあえず貴族寮を目指す。
――クロエさんとかの教授陣ならきっと何か知っていそう。ああ、あともしかしたらレオカディオ殿下も王子様だし何か聞いているんじゃ。
睡魔一転目が冴えた気がしてあ、これは不味いなあと薄々察しつつもスサーナはキラキラ目を輝かせる。
生活圏に魔術師が居るというのはなんとなくワクワクする事象だ。
ところで、うっかり興奮したせいで非常に浅い睡眠しか取れなかったスサーナは、次の日の朝完璧に泣きを見て、漂泊民の魔法、特に疲労回復するもの――本にはそんなもののことは全く書いていない――がいきなり自分に発現しないか心の底から無い物ねだりをする羽目になったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます