各種行事と右往左往

第152話 小間使い右往左往 1

 貴族寮に移動してからのしばらく、スサーナの生活は熾烈を極めた。


 エレオノーラに使われる、というわけではない。

 なにやら種々の手続きがあるらしく、数日お休みになったスサーナは、使用人部屋に移動した直後にマレサと呼ばれていた侍女に呼びつけられ、後ろ手にスサーナを見渡した彼女にさあ、と声を掛けられたのだ。


「時間が十分ではないのは残念ですが、お嬢様にお仕えするにあたって必要なことをこの数日に学びなさい。あなたの不調法はお嬢様の恥になりますのでそのつもりでいるように。」

「は、はい。」


 スサーナがうなずいてからすぐに使用人教育が開始される。


 一応現代日本の記憶でそこそこ上流めいた丁寧さは身についていたし、講でもある程度の教育は受けていたが、使用人らしい振る舞い、というのはセルカ伯のところではさほど重視されなかったので、どのようなものなのかはふんわりした想像しかできない。

 ともあれやるしかないには違いない、とスサーナはそっと覚悟を決め――


「そこから壁まで優雅な足取りでお歩きなさい。十往復です。頭の上の板を落としたら最初からやり直し。いいですね」

「は、はい。」

「足音を立ててはいけません。やり直し。主人に足音を聞かせることはマナーに反すると肝に銘じなさい! そして返答ははっきりと!」

「はいぃっ!」


「お嬢様のお言葉を聞き逃さず、そしてお邪魔にならない距離を覚えなさい。昼は此方からあちらの椅子ほどの距離。夜はあちらの机ほどの距離を保つといいでしょう。」

「はい。」

「では、ヘレナにこの後は手伝ってもらいます。ヘレナをお嬢様だと思い正しい距離を保って付き従いなさい。私が監督します。もちろん、足音を立てたり無作法に服をガサガサ言わせたりしてはいけません。」

「はい。」


「お嬢様がお呼びになるまで壁際で待つ際の見苦しくない姿勢を覚えなさい。ええ、そう、もう少し背を伸ばしなさい。そのまま。ランプ時計の油が一時間落ちるまで動いてはなりません。さあ、はじめ。」

「うっ、はい……!」


「お嬢様の前で表情を変えてはいけません。歯を見せて笑ったりみっともなく顔の筋肉を崩して泣いたりはもってのほかです。今日はこの後の時間それが出来ているかどうかを確認します。」

「はい」


 そんなふうに課題はキリがなく、求めるレベルの高さも果てがなく思われるようだった。


 他にも


「仕事中に話すのは良くないことです。主人たちには必要の無い限り声を聞かせてはなりません。分かりますね。」


 やら、


「貴い方々にあなたから話しかけるのはいけません。もし話す必要があっても可能な限り短い言葉で済ませるよう。いいですね。同時に呼びかける際には『恐れ入りますが』と申し上げてからです。」


 など、種々の召使いの心得や、小間使いとしてお嬢様の身の回りのものを用意する時の心得、お嬢様に何かを渡す時の礼儀などに始まり、見苦しくない使用人らしい会話のペース、行動する際の順位、タイミングなどなど、みっちりと就寝時間までエンドレスで仕込まれたのだ。



 本来上位貴族の使用人は分業されており、スサーナが教え込まれているのは多少越権気味の条項が含まれているらしいのだが、なにせ「使用人なしの生活に慣れる」という目的があるらしい規則のせいで貴族寮には使用人は五人までしか持ち込めない。


 今いた使用人は四名であり、侍従と連絡役を兼ねる男性使用人一人と部屋の清掃、家具・調度品の手入れと各種雑用をする女性使用人が二人、それから女性使用人のまとめ役兼エレオノーラの身の回りのことをするいわゆるレディスメイド役のマレサで構成されていた。そこに新しく入ったスサーナはウェイティングメイドというところだろうか。


 ちなみにマレサはそれを「不自由な生活」と呼び、お嬢様には非常な我慢を強いていると嘆いているようで、未熟ながらエレオノーラの身の回りのことを出来る人間が二人になり、同時に2つのことを彼女が言いつけられるようになるということは歓迎しているようだった。

 ついでに言えば、授業中に伴う同年代の使用人であるので、見栄え良くどんな命令も承れるようにしておかないといけない、という判断をされたらしい。


 よって、ある程度包括的に教育される羽目になったわけだ。


 もちろん食事の時間も例外ではない。スサーナがこれまで学んだ礼儀作法と召使いの食事の際の礼儀は少し違うらしく、もし主人と食事を摂ることになったなら、という仮定のもと、口を開けるところを主人に見せないよう口元を隠してさっと口に入れて音を立てず――つまり、噛まずに――飲み込むよう指示されてスサーナは目を白黒させたりした。



「死ぬ……」


 数日目、就寝時間にようやく開放されたスサーナは――貴方は筋は悪くないようですね、などと褒めてもらいはしたが嬉しくもなんともない――自由時間であるはずだということを根拠に部屋を出て図書館に向かうことにした。

 本当は使用人が職務以外で勝手に部屋を出るのは無作法な行為であるようなのだが、こればっかりは契約条件なので許してもらいたいスサーナである。


 就寝時間に図書館に向かって開いているのか、といえば、実は貴族寮に来る前の最後の休日に図書館に行った所、久々に出会ったクロエに捕獲され、最近あまり図書館に来ないではないかと苦情を述べ立てられたのだが、その際に訳を話した所、なるほど分かりましたよー、とどうやら本来は教授たちの特権らしい夜間入場証をいきなりどこからか用立てて押し付けられたのだ。

 つまり、夜来て助手の真似事をしろ、という意味だとは理解したがスサーナは結構喜んでそれを受け取った。


 もちろん、夜間は入れる場所も制限されるし、書庫に入りたければその旨夜間管理人に申請をしていちいち入る部屋の鍵を借りる必要がある。

 しかし開架の部屋においてある本だけでも今は十分心が慰められる気がした。


 明け方までどっぷり本を読み、それからそっと貴族寮に戻る。

 使用人は朝早くから行動することが多いので守衛達も問題なく出入りさせてくれる。これは数少ない利点であった。



 寮の門から入ると、なんだか入った先、裏手の植え込みから壁登りを敢行しようとしている知った顔を見かけた。


「フェリスさん」

「わっ、スサーナ」

「また朝帰りです? 窓から入るのは危ないからどうかと思うんですけど……」

「えへへ、スサーナこそどうしたのこんな早朝に、まさかレーナがこんな早くからなにかしろって言ったわけじゃあないよね?」

「いいえ、図書館へ行っていて。……使用人教育の最中なので時間が取れないんですよ。」

「あー……そこは流石に省けない……気がするもんねえ。ねえスサーナ、なんかあったらボクに言うんだよー。緑の間ってとこがボクの部屋だからさー。」

「ご心配ありがとうございます。……そうですねえ。とりあえず何かといえば」

「あ、なんかある?」

「おともだちが窓から落ちそうなのはちょっと心配ですので、使用人入り口からで良ければ入りませんか、などというのは……」

「うわあい、ありがとスサーナ。いっぱい恩に着るねっ」


 そっと使用人用の通用口からフェリスが部屋に戻る手引きをし、彼女を見送ってからスサーナは部屋に戻り、2時間ほど眠った。



 日が昇る少し前にマレサに起こされる。この後はここ数日変わらず一定の手順で進行するということをスサーナは学習していた。


 エレオノーラの今日身につける服にブラシを掛け、形を整える。

 これはマレサの指示で行うが、実のところスサーナのほうが多少手際がいい。


 洗顔用の銅の洗面器を磨き、雑用をするメイドにお湯を沸かしてもらって洗面器と水差しにたっぷり汲んで、バラ水を垂らして朝の洗顔の準備をする。

 貝殻のクリーム入れに今朝使う分の乳液を用意し、エレオノーラが目覚めたところでベッド脇に洗面道具を持ち込み洗顔の補助。ここまでは段階的にスサーナに任された仕事で、マレサの監督の元に一日ごとに細かい指示が減っているのでやり方はそれなりに覚えたはずだ。


 終わった後にはエレオノーラの顔とデコルテに乳液を塗り肌のお手入れをしつつ上半身のマッサージ。これはマレサの役目で、スサーナは蒸しタオルを適宜渡したりお湯を持って待機したりする役目となる。これは爪を磨いて終了。


 それが終わるとエレオノーラお嬢様に朝食用の服にお着替え頂き、寮付きの女性使用人がワゴンで運んでくる朝食を雑用をするメイドがサーブするのを壁際で待機する、という具合だ。


 朝食が終わると登校用の髪のセットと化粧。学校用のドレスにお着替え頂き、今日の授業に必要な道具を確認する。


 昨日まではそこでエレオノーラお嬢様を送り出して終了だったのだが、手続きが終わった今日はスサーナも一緒に登校することになっている。

 ――あ、そうか。朝ごはんを食べたければこれからは早朝じゃないと駄目ですね。

 使用人たちの食事はお嬢様が登校してからということになっている。しかしエレオノーラに付き従うことになっているマレサは確かに早朝になにか少し食べていたようだった。

 ――まあいいか。

 今日から偉い貴族のいる教室に入らないといけないのだ。そう考えると流石に食事を摂る内臓の余裕など一切ない。


 マレサが細々した雑務用のトランクとエレオノーラの荷物を携える。

 そこでスサーナをちらりと見たエレオノーラがふむと思案した。


「わたくしの授業用の荷物はスサーナに持たせなさい。」

「よろしいのですか」

「ええ。同じ教室で勉学するのです。待機するあなたに持たせるより理にかなっているでしょう」


 そんなわけで、エレオノーラお嬢様の荷物をお持ちさせていただくという大変名誉な役目を賜ったスサーナは瀟洒な鞄を抱えることとなった。


 そうしてを保って貴族寮の廊下を歩き、教室のある西棟へ向かう。



 寮の廊下で出会い、エレオノーラと優雅に挨拶をしている他の上位らしい貴族の少女たちも彼女と同じように一人か二人使用人を伴っているのでどうやらこれがえらい貴族スタンダードらしい。


「あら、エレオノーラ様。侍女を増やされましたのね」

「ええ。下等な平民ですけれど、ここでは平民に親しむのも務めだと殿下が仰られましたの」

「まあ、なんと素晴らしいお心がけでしょう」


 目線が向くたびにスサーナは深々と腰を折り、なんだかコメツキバッタになった気分がしだした頃に下級貴族の教室とは比べ物にならない豪華な教室側にたどり着く。


 そういえばマレサは普段見なかったな、とスサーナが考えているとその理由が判明した。使用人たちはどうやら使用人待機室的な場所で授業中は待つ様子で、一礼したマレサはエレオノーラから離れて他の使用人たちとそちらに向かうらしい。


 スサーナもそちらに一緒に行きたくてたまらなかったがそういうわけにもいかないので渋々我慢した。


 エレオノーラについて教室に入る。

 嫌という程天井が高く、何もかも重厚で、調度が非常に繊細でいちいち手がかかっており、さらに長机にセットされた椅子の間隔が広く、後ついでに椅子はフカフカで実に座りやすそうに見えたが基本的な構造自体は平民の教室と変わらないように見えた。


 先に教室に居たレオカディオ王子やテオフィロ達が少し緊張したような顔をしてエレオノーラを迎える。

 前回取り巻きだなと思った少女たちがエレオノーラにさっと近づいて朝の挨拶をした。


「おはようございます、エレオノーラ様」「おはようございます」

「御機嫌よう」


 鷹揚に応えたエレオノーラに彼女たちは微笑みかけ、それからスサーナを見てまあ、と声を上げる。

 そこに早足で近づいてきたレオカディオ王子が間髪入れずに声を掛けた。


「おはよう、エレオノーラ。」


 近づいてきた王子様の笑顔がなんだか微妙に無理やり作ったような緊張した気配を押し込めたようなものなのはスサーナの気のせいではないようだった。


「普段連れていない子を連れていますね。どうか僕たちに彼女を紹介して頂けませんか」

「ええ、レオカディオ殿下。喜んで。」


 エレオノーラがスサーナに前に出るように手で示す。


「殿下方が学院の学生となったならば平民にも親しめと仰られましたので、わたくしの小間使いに致しました。スサーナです。」


 スサーナは一番深い礼をすると注意深く声を上げた。


「この度エレオノーラお嬢様にお仕えさせていただくことになりました。以後お見知り置きくださいますようお願いいたします」


 しれっとレオカディオ王子が微笑む。


「ああ、思い出しました。ミランド公の援助で入学した人ですね。平民のクラスとは勝手が違うこともあるでしょうが、励むように。」

「過分なお言葉、まことにかたじけなく存じます。」


 王子はそれですっと視線を外し、エレオノーラと談笑し始めたのでスサーナは内心ふうっと脱力した。今の茶番というかなんというかは王子様の気遣いだろう。流石にこうやって挨拶を受けた使用人を表立って邪険にする学生はあまり居ないはずだ。


 実際、スサーナに何か言おうとしていたエレオノーラの取り巻きの女の子――確かイングリッドと言ったはずだ――は結局何も言わずエレオノーラに相槌を打つ方にせいを出している。


 その後、スサーナはエレオノーラの授業準備をすると、何事もなくエレオノーラの横の方に用意された一段低い机と椅子に着いて授業を受けることを許された。



 とりあえずスサーナが午前中の授業を受けてわかったことは、授業を受けられると言っても小間使いはどうも少し忙しい、ということだった。

 出来るだけ早くに自分の筆記をするか問題を解き、エレオノーラの雑用に回らなくてはならない。もしくは雑用をしたあとで筆記をするかだ。

 講のぶんの学習貯蓄でまだなんとかなりそうであるが、今後はぐっと集中して速度を増していかなければいけないだろう、とスサーナは思う。


 同時に、教室で授業を受けているものの、講師にしてみれば召使いは居るが居ない、という扱いだということも悟る。

 どうやら下級の貴族の家柄と思われるスサーナと同じような立ち位置の者が何人か居るが、少なくとも回答を求められたり弁論の順番が回ってきたりはしない。


 そういう空気めいた扱いであるのは中上位の貴族の子供たちにとっても同じことであるようで、朝は――どうやら主にエレオノーラに関わりのある者から――少し興味があるような目線を向けられたものの、殆どの貴族からはすぐに備品かなにかを見るのに似た無関心なものへと変わった。


 スサーナはジョアンならイライラしそうだなあ、と思いながらもむしろ関心を持たれないほうがずっと気が楽だったのでその状況を歓迎する。


 昼になると高位と中位の貴族の子供たちはそれぞれホール小食堂に移動した。下級貴族たちと違い彼らは金銭を介さない食事を揃って取るらしい。


 給仕は学院側の給仕人が行うらしく、個人の召使いは食堂には入れない。

 スサーナや他の同年代の召使いらしい学生は教室に残され、どうやら自由に食事を摂っていいらしかった。

 とはいえ主人達が戻ってくる前に教室に待機しているのが礼儀らしく、スサーナが観察していると休み時間が半分終わる頃には皆所定の位置に戻っているようだった。


 午後も午前と同じように羽根ペンを削ったり羊皮紙を用意したりしながら授業を受けて過ごす。



 そして放課後、なにやら見知った顔達がもの問いたげだったり話したそうだったりしていたものの、エレオノーラが家の用事で一旦貴族寮に戻ると言い、その後は自由にして構わないと告げたので、スサーナはマレサと合流しエレオノーラお嬢様を送り届けた。


 その後多分演奏室あたりにいる面々のところに顔を出そうか悩んだものの、完全に体力が切れた自覚があったスサーナは使用人室の椅子で仮眠することにする。


 そんな風に小間使い一日目は経過した。

 ――いやあ、なんというかこれは気疲れが凄い……

 スサーナは椅子に座ってぐったりとしながら内心呟く。

 ――これを毎日やってる生え抜きの召使いの方、尊敬しますね……


 そのまま居眠りをしようと試みたスサーナだったが、居るなら使用人教育をする時間だとばかりにマレサに叩き起こされたため、ろくに眠れずに終わった。

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