第310話 ネル、潜入する。

 教団に接触してから三月あまり。ダニエルという名を名乗り、下級の使用人を解雇されたばかりという触れ込みでいたネルは、表面上スムーズに教団に溶け込んでいた。


 マルシアル神とやらの信徒の相当数は彼らが出資する飯場めいた場所や教団の施設などで生活する者たちで、またいくらかが在家の商人であるように思われた。一般の信者の生活は主に信者たちが「奉仕」と呼ぶ教団の指示で行う労働と、小集団で頻繁に行われる集会とそれに付随する「告白」、定期的にある礼拝の繰り返しで成り立っているようだとネルは把握している。


 市井に金銭を循環させる、という教義に引っ掛けて貴族への反感意識を育て、それをすべて現王の愚かさと結論づける彼らのやり方はやはり庶民の間でもそれなりの反発を買うものらしく、それがまた信者たちの結束を増し、勧誘する相手を吟味することで深く潜伏する形になりやすくなっているようだ。

 その性質故に官憲の手が及びづらく、また紛れ込んだとしても見破られやすい。官憲に属する人間たちは王を腐す事に抵抗、もしくは躊躇いを見せるのだ、と伝道師が言うのをネルは一度ならず耳にしていた。ネルの知る限りでも一度警吏か調査の騎士らしい人間が入信を装って捜査に入り込もうとしたらしいが、それは本部までたどり着くことすら無く排除されたらしい。

 ネル自身は貴族なぞ元々嫌いだったし、王や貴族に世話になっているという認識もこれまではろくになかった。ついでに、自分が「漂泊民」だということはそれなりに自認しているため、不敬者は加護を失う、という教訓めいた言い習わしに竦むこともない。そのため、王の不出来を愚かさを語る場で口を濁すことも躊躇うこともなかった。そのおかげか、「ダニエル」を疑うものは誰も居ない。


 程よく賭け事にのめり込む様子と、集会による回心の気配を演出し、彼は主の指示通り「他に行き場のない」若者を演じる。

 一月を過ぎた頃から彼は熱心な新入りとして教団の「奉仕」に駆り出されることが増え、だんだんと些末な雑事から重要そうな事柄の手伝いにも使われるようになっていった。時を同じくしてなにか慌ただしくなるような教団の動きがあり、活動の手伝いに駆り出される者が明らかに増えていたようだったからその影響もあったかもしれない。


 そしてその日、勿体ぶった伝道師から「この仕事を任せられるのはあなた方の信仰が素晴らしいと認められた印です、マルシアル様に届くよう誠心誠意行ってください」という言葉とともに王都外での奉仕を求められる。

 支度の買い物に紛らせてこっそり主と騎士殿に連絡を行い、数人の他の信者たちと馬車に乗って運ばれていった先は、王都から半日ほど街道を外れて行った先の村だった。


 そこはどうやら支部と呼ばれる場所の一つであるようであり、「より信仰を深めようとする者」が滞在する場所だとネルは他の信者に聞かされる。


「ここの手伝いをよく励めば司祭様の目に止まりやすいし、名誉だよ。ありがたいことだ」

「そうなんですか。司祭様はよくここに?」

「頻繁に足を運ばれるそうだよ。熱心な信徒を得がたいものだと思っておられるんだろう。伝道師様になるためにはこういう静かなところで学ぶとも聞いたよ。支部は他にもあるっていうけど司祭様が一番お出でになるのはここだって話だから、やっぱり一番いい場所なんだよ」


 彼らがそこで任されたのは外から運ばれてくる荷物の搬入と管理、家畜や畑の世話、建物の修繕などの力仕事だった。先に居た信者によると、人が増え、それにつれて仕事の量が増えたために元々居た――村の生活者である――男性信者では賄いきれなくなったために増員された、ということだった。


 ――人が増えて、ね。

 ネルは心の中だけで肩をすくめる。そう言われながら持ち場に案内されるその道すがら見た“増えた住人”は、彼の目からすればあまり素性のいい人間には見えなかったのだ。

 多分そうだろう、と思われたのは人数にすれば10名あまり。ほとんどが男性のようだった。

 ――傭兵……、荒事屋のセンもあるのか?

 ともかく、信仰に熱心な普通の市民、と言うよりも、武器をとって戦うことを生業にする者たちの気配を彼らは持っていた。


 ネルはまず詮索することもなくおとなしく任された仕事につく。ダニエルの顔を崩さずに荷を運び、食事の後にちょっとした札遊びや賽子遊びを振ったり、人懐こさを演出して村に住む信者達に気を許されるように努めながら数日。それぞれの持場に信者数人が交代で入り、各場所に少なくとも一人伝道師がついた形で指示が行われる、という形式で作業は安定したようだった。

 彼らは表向きにこやかで、動員された信者たちの努力をよく司祭様にお伝えする、などと言っていたが、偶然緩んだ荷の蓋になんの気無しに手をかけた信者は顔色を変えた伝道師に折檻を受けたし、夜間に出歩いてはならぬ、と言う時には彼らはひどく厳しい雰囲気を見せた。また、忙しい忙しいとこぼす割に、手が空いたものが居てもいくつかの厩舎や畑は信者達には近寄らせないようにしているようで、「そうされるほどに怪しい場所は解りやすくて手間が省けて何より」とむしろ得した気分で彼らは作業の平信者の監視役でもあるな、と考えながらネルは素知らぬ顔で作業をする。

 その間にもぱらぱらと村に人間の出入りはあり、それは確かに司祭様とやらと、彼が伴ってきたりする者である様子だ。それは大体においていかにも素性を隠したような身なりの良い人物で、彼らに興味を持つことも伝道師達は良い顔をしないようだった。

 ――だが、少なくとも二人、いや、三人か。

 名はわからぬが顔に見覚えのある人間だ、とネルは思う。前の主と繋がりのある誰か。

 神というやつの、いや、鳥の民流に言うなら呪司王様とやらのお導きとかいうやつだろうか。自分は当たりを引いたらしい。これならお嬢さんの為に十分な証拠になる。ネルはそっとほくそ笑む。


 よく耳を澄まして伝道師達、そして「増えた住人」達の会話を聞いていれば、「増えた住人」のいくらかは誰かの護衛であり、またいくらかは何かを見張っているようである、とネルは察する。そしてまたいくらかはなにかを待機しているような雰囲気でもある。

 彼にとっては慣れたヤロークの語彙が時折交じる者がおり、それとは別に傭兵にしては言葉の端々に高雅さが混ざる者もわずかにいるようだ。


「もし、ジュー殿は?」

「お上品な方々は俺達と飲んだりしやしねえよ。知るはずがねえだろ」

「ばぁか、怖がらせてどうすんだ。多分御大将のとこでしょ」

「へへへ!」


 彼らは一様に荒事慣れした雰囲気の者だが、皆が打ち解けあっている、というふうではない。ヤロークじみた言葉が混ざる者、わずかに上品さを覗かせるもの、山賊まがいの雰囲気の、国々を渡る傭兵らしい雰囲気の者……それぞれ同士で固まっている様子だった。言葉が上品な者たちはどうやら彼らの中でも上の立場であるようだったが、命令系統が上かと言うとどうやらそうとも言い切れない雰囲気だ。

 一体どういう経緯で一群となったものか、ともあれ彼らはここに縁のある何者かに頭を下げる立場らしい。

 ――御前様、とかいう奴と同じかね。

 彼らの雇い主はどうやら村の西にある屋敷に滞在しているようだった。時折言葉が上品な者たちや集団の中でリーダー格らしい人間がそちらに行っている。

「耳を澄ませて」みても、ネルの持ち場からは距離がありすぎてそちらでの会話や人の気配は聞き取れない。そして、入れ代わり立ち代わりに誰かが歩哨に立ち、蟻も通さぬ、という警戒具合で、ネルでは――指導役殿ヨティスカリカ師ババァなら軽々抜けてみせるのだろう、と悔しく思ったが――そう簡単に内部に入り込む、ということはできぬだろう、という具合だった。


 様子を見ながらまた数日。環境に慣れた、と見たのかまず最初に倉庫仕事の伝道師の監視が緩んだ。


 彼が持ち場を離れた隙にネルは他の信者達の目も盗み、これと目をつけた木箱をこじ開ける。そこにあったのは彼がうっすら予想していたとおり、偽装・携帯が可能なタイプの武具だ。

 続けていくつかの荷物を同じように開ければ、その中にもいくつかの当たり……魔術師達の手の入ったものではないが、武器が混ざったものがある。

 ――十中八九、蜂起の準備ってやつだろうな。

 武器のうちいくらかには百合と柘榴の紋章。ネルも前の主のもとで幾度か似たようなものを目にしたものだ。

 彼にはこの紋章の意味は明確にはわからなかったが、多分術式付与武器よりもこの紋章のついた武器を提出するほうがよりはっきりと証拠になるだろうことは予想がつく。

 とりあえずこれを手土産にすることに決め、確認のしづらい奥の箱から小さく隠しやすいものを失敬して箱を元通り戻す。


 あとは「増えた住人」の様子を見て蜂起するだろう日取りを予想、これは後でもいい。早めに済ませるべきは伝道師達が隠したがっているものを確認し、西の屋敷にいる者たちを把握すること。やってくる奴らの顔の照合は後々首実検してもらえばなんとかなる。あと村の地形も把握しておくべきか。

 ――特務騎士殿がよほどのポンコツでもなきゃ、これを報告するだけで決定打に出来るはずだ。お嬢さん、あとちょっと待っててくれ。

 ネルは段階的に決めていた行動方針を繰り返すとまた何食わぬ顔で雑務に立ち戻るのだった。

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