第159話 折衷案右往左往 1

 皆が待っていたのは西棟一階のゲストルームだ。

 というのも、さすがのエレオノーラお嬢様もケーキを食べる際にミア一人を帰す、という選択肢はなかったようで平民も入れる場所を選定したのだ。


 時間は17時頃。ちょっとおやつを食べるにはスサーナの感覚だと遅い気もするが、貴族たちは日が長くなると夕食の時間をぐっと遅らせる――つまりサパーからディナーになるわけだ――習慣があるのでさほどの問題はない。


「お待たせいたしました」


 スサーナが平籠を持って入ると、ミアがはしゃいだ声を上げる。


「あっいい匂い!」


 無作法ですよとエレオノーラが怒らないかスサーナはヒヤヒヤしたが、どうやらお嬢様は平民の無礼はこの場では看過することに決めたようで、横目でジロッと睨むぐらいの反応で済ませた。


「ええ。ほんとうに。果物の焼き菓子でしょうか」

「ケーキなんでしょ?」


 それに、すぐに王子様とフェリスが続いたので咎めようがなくなった。

 ――ナイスフォロー!

 スサーナはホッとする。

 レオ君感覚が残っているのでたまに内心丁重さが抜けがちなスサーナである。うっかり口に出すと大変なことになるなあとは思っているが、なかなか修正が終わらない。


「恐れ入ります。」


 ワゴンの上に籠を載せ、蓋を外す。

 蓋を外した生地からはまだほこほこ湯気が立ち、十分温かいようでスサーナは安心した。そっと切り分け、崩れないよう用心しいしい皿に乗せる。


 壁際で待っていた中でエレオノーラの使用人たちがさっと配膳に動く。どうやらこの場の主催はエレオノーラ、ということになっているようだった。


「なにこれ金色ー」

「柔らかそうで、焼きしめた……という感じではないけど、なんだろう。変わった断面だね」


 わいわい声を上げる一同にスサーナはこほん、とやってから声を上げた。


「ええと、材料の関係でふわふわケーキではありませんけれど、旬のさくらんぼのふんわり焼き、みたいなお菓子です。お口に合いましたら幸いです」

「スサーナは座らないの?」

「ええ、スサーナさん、こちらに一緒に座られませんか。……ミアさんもいることですし」

「恐れ入ります。ええと、今回は私作った側ですから……。皆様がお食べくださるのを拝見することにします」


 スサーナは壁際にささっと移動した。

 礼儀云々を抜いたとしても、自分の作ったものを皆が食べている状況で目の前に座りたくないスサーナだ。それは針のむしろと言って良いのではないか、と考えている。


 壁際で裁定を待つ気持ちでいるうちに、恵みの祈りを口にしたレオ王子がまずフォークを取る。


 口に入れてしばし、削り氷の時に見たような気がするきらきらした目をしたので、スサーナは一応の勝利を感じ取った。

 他のメンバーも続くようにして口に入れる。


「あまぁい! 溶ける~~!」


 んんーっとミアが満面の笑みを浮かべて声を上げ、うむいつもながら良リアクション!とスサーナはほっこりした。

 生地の中に埋まったさくらんぼの食感が気に入ったらしいアルがしゃくしゃくと噛んでお茶を口にし、几帳面にひとつ分のさくらんぼエリアを切り出してまた口に入れる。


「おいしい」


 二口ほど黙って食べたエレオノーラがぽつりと言ったのでスサーナは今日の仕事を終わらせたような気持ちになった。

 エレオノーラがお茶を飲み、息をついてまた一欠片口に入れて目元を和らげる。

 ――よし、今日の業務はなんていうかなべて世は事もなしっていうか、勝利!

 スサーナは内心そっとガッツポーズをキめた。


「モッチリでシャクシャク!ねえスサーナ、これどこの料理? 島のやつ?」

「恐れ入ります。アウルミアのほうの郷土料理……みたいな感じで、ええ!」

「へーっ、いいねーこれ。やらかくてー」

「甘酸っぱさが良いですね。疲れが取れそうな。スサーナさんは製菓も得意だったんですね」


 うむー、と大きな塊を口に押し込んで満足げな顔をしたフェリスにレオ王子が頷く。


 食べ終わったエレオノーラがなぜか天井あたりを眺め、それから、


「今の気分には合った菓子の選定ですね。下賤のものでしょうが、物珍しいですし、悪くはありません」


 そう言ってつんとしてお茶を干した。

 そこにすっと寄ったマレサが、


「エレオノーラお嬢様、柔らかくて甘いものだと仰っておられましたので二杯目はすこし渋みのある茶に入れ替えました」


 二杯目の器を差し出す。


「そうですか。淹れたなら無碍には出来ませんね。合わせるためのものですから、これももう少し切って頂戴」

「かしこまりましてございます」

「ああ、僕も貰っていいかな? お茶も。」


 結局全員に二切れ目が回る。

 とりあえず、この急場しのぎの思いつきメニューは大体の成功を博した、と言ってよさそうだった。




 円満にお茶会が解散し、スサーナ達使用人は後片付けのために少しあとに残る。


 マレサはエレオノーラに付いて戻ったが、アイマルが食器の仕舞い先の采配に残っていたのでスサーナはタイミングを見てそっと声を掛け、片付けが終わったあとで相談に乗ってもらうことにした。




 そしてしばし後。貴族寮でエレオノーラお嬢様が一休みしている間。

 使用人たちはお嬢様が宴席の最初にガラント公家のものとして挨拶をするというのでその際に身につけるものなどを細々こまごまと用意していた。

 一通り準備が済んだところで使用人たちは軽い軽食を口にする。

 エレオノーラは責任者として挨拶をするが、そのあと宴席に居続けるというわけではない。しかし、名目上は責任者であるので通例として学内に用意された部屋で待機する。マレサとアイマルはそれに付き添うのでいまのうちに腹ごしらえが必要なのだ。

 ……例年はそれとしても、どうせ学生なのだし近距離の寮にいるのだからいいのではないか、とスサーナは思うのだが、なんだかそういうわけにいかないらしい。


 スサーナはスープを飲んでいるアイマルに横領の報告をする。


「ええと、それで、報告というのはですね、現状当然ではあるのですけど、現場で質の低い食材だけ使っているんじゃないかと」


 ……


「なるほど、横領で料理の質が落ちたために列席者が手を付けないでいる可能性があると?」


 しばしスサーナの説明と推測を聞き、なるほど、と頷いたアイマルだったが、なんとなく表情に苦笑が混じっている。


「あの?」

「その忠実さはよく褒められるべきだと思います。しかし効果があるかどうか。……いえ、しかし不正を見逃さぬのはよいことです。彼らには注意の文書を送りましょう。」

「ええと、お手柔らかにお願いします……あ、あの、あと、これまでの宴席の記録を見せていただくことって出来るんでしょうか」

「出来ないこともありませんが、何故でしょうか」

「ええと、料理の質が落ちたから手を付けないのか、別の理由なのかは調べられるかなって思って……ええと……エレオノーラお嬢様が宴席の料理が無駄になることについて心を痛めておられるので……何かお役に立てることはあるかなあ、と……。」


 忠実な召使いのようなことをしれっと口に出すが、主にエレオノーラのイライラがこれ以上深くならないように、という個人的実利的理由だ。

 雇い主がイライラしていると、特例でゆるゆるの条件で雇ってもらった身分としてはその特例を使用しづらくてかなわない。

 苦笑が少し深くなり、スサーナは首を傾げたが、それで気が済むならとアイマルが立ち上がった。


 宴席に出た料理と資材の記録は、複写を取られ、元のものをガラント公家へ、そして複製が一応のちのメニュー管理の役に立つようにと学院に収められているという。


 アイマルが事務に連絡して用意してくれたのはその記録文書と、それから日誌らしいものだ。

 閲覧の許可が出たと聞いて向かった文書保管室内。膨大な量の紙の束が鎮座していてたじろぐスサーナを見てアイマルがなんだか生暖かい目をした気がした。


「閲覧は保管室内で行えばいいそうです。……まずは初年度のものを読むといいでしょう。」


 彼がそう言って、お嬢様に付き添うために去っていき、スサーナはようしやるぞと仕方なく気合を込めた。

 実のところ日中に居眠りしたとは言えまだまだ十二分に疲れているし目もシパシパしている。

 であるが、多分帰ってきたエレオノーラはこれまでより不機嫌であることは間違いない気がするのでなんとなく今やっておいたほうが得策だ、という気がするのだ。


 ――なにか運よくいいことが分かったらまあ、低確率ですけどエレオノーラお嬢様の機嫌が改善するかもしれないですもんね……


 スサーナはイライラしている人間があまり得意ではない。




 とりあえず、初年度からの記録と日誌を読み出してみることにしたスサーナは、初手でアイマルの苦笑の意味を悟った。


 ――いっかいめからしてろくに手を付けられないって書いてある!!

 記録を保存しだした、なのか、宴席を開くことにした、なのか、それとも担当がガラント公になった、なのかはスサーナにはわからないが、最初の記録の日付はおよそ50年前。日誌も同じタイミングから書き出されている。

 その最初の年の日誌からして、魔術師達がほとんど食べ物に手を付けない、という愚痴がしっかりと書かれていた。


 ――これはうん、ちょっと検証も何も……

 そう勘付きつつも、なんとなくやめる踏ん切りがつかず、スサーナはややぼんやりと記録の文字を追う。


 宴席の日付はほとんどが一の若葉の月の半ばから二の若葉の月の初めまで。大体中旬下旬まるまる魔術師達はやってくるらしい。


 最初の数年は山海の珍味、という風情で、10年を超す頃からだんだんとメニューが簡素になり、一定化する。

 同時に、豪華な宴席の日数がじわじわ減り、20年を超える頃にはいかにも宴席めいたプログラムは初日と最終日のみ、という具合。

 中日はそれなりに豪勢であるものの、いかにも手がかかった、というメニューではなくなっている。


 ――諦め、早いなあ。しかし、ここ数年のことじゃないってことだけははっきりしましたね……

 記録の羊皮紙をめくりながらスサーナはぼーっと遠い目になる。


 とはいえ紙で見ているから早いように見えるが、実際20年というと凄い年数だ。

 五年ぐらいすれば人の感覚としてはいつもの話になるだろうし、10年もあれば通例だ。


 時折ぐっとメニューが変わる時があり、それはきっと気候変動とか政治的事情とかでその材料が手に入らなくなったか、担当者が今回のエレオノーラのように構造改革を考えたのだろうとスサーナは予想した。

 きっと新しくメンバー入りした材料はその当時安価だったとかそういうものなのだろう。

 ――歴史学の論文のネタにはいいかもしれないですねー。


 スサーナはそうふんわり思いつき、最初だけ読んで少し後回しにした日誌の方を開きなおす。

 日誌を後回しにしたのは宴席の記録ほど整然とした文章ではないためだ。

 多分当時の現場責任者が書いた日誌なのだが、最初の頃のものを見ているせいか、形式が定まっていない。

 最初の一年分のものは下っ端の料理人に対する愚痴、魔術師に対する困惑などがいろいろ走り書きされ、日誌と言うよりも日記めいた具合に見えた。


 初手で食べないと書いてあったし、疲れている目には情報を切り分けるのが難儀で、労力を割くのが少し辛いな、と思ったのだが、原因洗い出しのつもりではなく、論文のネタやそういう読み物のつもりで見ると読み進められる。


 つまり、この時点でスサーナは記録から原因を分析するのをすっかり諦めていた。

 エレオノーラが戻って眠った後に戻ろう、という算段で眼の前にある資料を読み勧めていたに過ぎない。



 一年目、二年目。

 担当者が困惑しつつも王宮の宴席とメニューを合わせるのを見る。

 三年目から四年目まで。

 それぞれの料理のエキスパートを呼んできたがダメだったらしい。

 五年目

 担当者が変わったらしい。こちらも困惑しつつ、技法を洗練させて対応しようとして……



 そんな風に最初の十年、数年おきに担当者が変わるのは左遷だろうな、と察しつつ読み進める。どうやら初期の日誌担当者は料理長と同義だったようだ。


 次の十年はどうやら上が諦めたらしいことが察せられる。

 担当者は十年の間同じで、この人は几帳面だったようだ。減ったらしい予算と折衷しつつ最新らしい宴席メニューに寄せようと苦心する様子が見て取れる。料理の残り具合もこまごまと書き込まれているようだ。

 再三の申し出にも人数が揃うのが初日と最終日ぐらいだ、と注記されており、間の日程での宴席を簡素化するようにとの申し送りをしたとも書かれている。なるほどダンジョンアタックなのだろうからまずいない日があるというのは納得がいく話だ。

 これは承認が降りるまで数年かかったらしく、所々にそれについての不平が書かれている。

 宴席の形式をどうするかの指示は現場ではなく貴族からなされていたようで、この人はどうやら執事や家令的な立場の人間だったのが伺える。


 さらに次の数年。これはだいぶ大雑把と見え、料理の選定が「その年豊作だった」「手に入れやすいものを」方式になっている。

 前の担当者での中間時期の宴席の簡素化を前例にして全体の宴を削減しているような記述もあり、悪い前例になっちゃったかー、とスサーナは読みながら遠い目になる。


 スサーナはそんな風に、流し読むように読みすすめ……あるところではたと手を止めた。


 どうやらその年の担当者はそれなりに真摯にこの役目に取り組んだらしい。

 先年を踏襲しつつも、「どれに手がつけられたか」を日誌に細かく書き込んであるのだ。

 残飯の多寡ではなく、宴席に自分で立ってのメモの様子だ。


 それを見ると、量は少ないながら手を付けられている品はある。

「その年豊作だった」品を出す方式が定着してそれなりに長く、新しいメニューであることもわかる。

 それなりにものの料理ではなく、安価なものを少し食べてやめる、というのはどういうことかという一文が書きつけられ、担当者の困惑が滲んでいるようだ。

 どうもその担当者はそこから何かを見出そうとしていたようだが、スサーナにとっても運が悪いことに、次の年に戦争が始まったらしく、そこから数年、日誌も記録も途切れている。


 再開した時の記録からは日誌の内容はぐっと事務的になり、スサーナがはっと確認すると宴席記録の方も毎年判で押したように同じメニューが並ぶようになっていた。

 どうやら今の固定化したメニューは戦後の伝統らしい。



 ――そういえば、前の方、で、全然食べない、じゃないんですね。

 皆の会話を聞いた感じ、「フォークすら取らない」という感じだった。

 そこは違いかもしれない。

 ――そこの違いでなにか……出るかも……?


 スサーナは自分のほっぺをぴしゃぴしゃやり、ついでに少し柔軟体操などをして気合を入れた。


 エレオノーラの代で何か少し改善されたら彼女の機嫌も良くなるかもしれないし、スサーナとしても宴会料理が気に入らないよりもちょっとでも気にいるものを出せるならその方がいい気がする。


 それでエレオノーラお嬢様の魔術師嫌いまで改善するわけではないだろうけれど。

 スサーナはそう思いつつも、すこしやる気を出し始めていた。


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