第199話 あんまり不敵でも素敵でもなく、どちらかといえば多忙な休暇 3
悪い予感は100%当たった。
次の日、まだ午前中のうちに呼ばれてやって来たのは、王都の仕立て屋だった。
列席用のドレスは別に全部一式揃える、というわけではなく、「誰かのお下がり」を一部体に合わせて仕立て直して着るというやりかたを取るらしい。
これは別にスサーナが庶民だから安価な手段を、というわけではなく、今回、仕立ての期間が短いという理由に足して、14歳前のそういう機会で毎回ドレスを完全に新調するのは上位貴族の子女だけで、お下がりを着るのは下級や中級の貴族の子女、とくに正式に社交界にデビューしていない娘たちが伝統的に行うやりかたなのだそうだ。
お披露目前の娘が社交の予行演習としてしかるべき実践を積む際の記号、というやつなのだなとスサーナは仕立て屋とメイドたちの話を聞きながら察する。
どうやら普通は母親や伯母などのドレスを仕立て直すというのが一般的で、縁のある身分の高い貴族にドレスを下賜してもらえるのはなにやらなかなかの名誉であるようだ、ということが仕立て屋が羨ましがってみせる内容で解る。
――とはいえ、エレオノーラお嬢様のドレスを頂ける、とも思えませんけど……どなたのドレスを頂けてしまうんでしょう。
エレオノーラとスサーナは一応にも同年代で、「入らなくなったドレスをいただく」という建前と言うか、伝統というか、そういうものにはそぐわない。
他に上位貴族の子女に知り合いもいないし、一体誰がドレスをくれるというのだろう。スサーナは疑問に思ったが、その疑問を考えていられる余裕はそう経たないうちにすっかり吹き飛んでいた。
「華奢でらっしゃるけれど、だからこそウエストは締めたほうが腰の丸みが目立ってとっても見栄えが良くなりますわ。」
ぎゅうぎゅうと胴着で締め上げられ、巻き尺とピンに包囲された形でなかなか難しいポーズを取り続けさせられる。
スサーナはああうん、これじゃコルセットが開発されるまであと一歩ですねと苦しい息を吐きながら確信した。
スサーナとしては生き馬の目を抜く王都で商っている同業者がどのように仕事をしているのか、上位貴族に呼ばれてやってくる仕立て屋の技術はどんなものなのか、とか実のところ興味深くはあったのだが、彼らの技術を盗もうとか技量を見極めようとか考える余裕すら全く残らない。
――絶対! 技術ならおばあちゃんの方が上! ですとも!
スサーナは息を切らせながらそう歯噛みする。
胴着できつく締めるなら胸郭か横隔膜か、どちらかは逃がせるようにすべきだし、シルエットなら布地で補正すべきだ。なにより確かに女性らしいシルエットは重視されているが、そこまでメリハリを付けたデザインが今季の流行とかそんなことはない。貴族ならぬ身のスサーナだがおうちでの習慣と小間使いをやる上で今季の流行は気にしている。もしかしたらこの仕立て屋が次の流行に狙っているのかもしれないが、だんだんと流行が深化していくならともあれ、最初からこう締め上げられてはみな恐れをなすに違いない。
そんなことを思いつつもなんとか採寸を終える。
髪を見られたものの、偶然色濃く生まれついてという言い訳は疑われず、ただし用意されるリストのうちにウィッグが追加された。むしろそれはトータルコーディネートを任されたらしいメイドのイマジネーションを誘ったらしく、「鬘だからこそ出来る素晴らしい髪型」と「髪飾りに合わせた髪色」についてなにやら語っていたので、手間がかかる部位が一点増えたことを悟ったスサーナはげっそりとなった。
その後。スサーナはくたくたと脱力……しようと思ったが、どうやらそうも行かないらしい。次は昼食だ、と言ったメイド達が、服を脱いだのだから折角だし「
スサーナが着ている服は自分で脱ぎ着の出来る前開きのものだが、エレオノーラのような貴族の子女が着ているのは他人の補助がないと着替えようのないもので、着る時の煩雑さも手間のかかり具合も階級に比例して上昇していくタイプのものだ。スサーナは普段これを着せる方の立場なのでよく知っている。
「いえ、あの、私はこの普段着で結構で……」
「わたくしたちはスサーナ様を貴婦人として扱うように厳命されておりますので」
「は、はあ……」
「どうぞ遠慮しないでお召し替えくださいね、こちらには……ええ、沢山余っていますの。ああ、ご心配なくて大丈夫ですわ。サイズには融通が効くものですから、大きさが合わないということはありませんわ」
この別邸のために雇われているメイドたちは、確かに商人層をもてなすのに向いた者たちらしい。正しい侍女らしく振る舞うよりも気さくで距離近く接して相手を打ち解けさせようとするという柔軟性があるし、気遣いにあふれている。
溢れている、のだが。
純粋に着たくない、というのはどうにもなんだか理解されなかったらしく、善意いっぱいのきらきらした目で押しに押され、結局スサーナは遠い目で着付けてもらうことになった。
当然昼食が終わると午後のドレスにもうひと着替えさせられる。
非常に満足そうで、貴族の令嬢ではないなんて誰も信じませんわと胸を張るメイドたちとは対象的に、気分的にへとへとになったスサーナは、しばらく……7日以上お世話になる予定であるし、採寸があるのだからと観光は明日以降にしようと伝えていたことを後悔し、あたらしく飼ったばかりの野良猫の仔をかまおうとするように自分についてまわるメイド達から逃れる方法を考え始めていた。
まず、部屋にいるとメイド達がなにか服を持ってきて着替えさせてみせたがるので部屋に籠もるのはスサーナの中で却下された。滞在客の着替え用にしても何故あんなに年若い女性用の衣装が余っているのか、これがわからない。午後予定もなしに部屋に居るようだ、と分かってから、スサーナが目にした衣装は両手の指を超えている。
どの部屋も好きに使っていい、とは言われはしたのでとりあえず建物のなかを見回る――こんなに美しい場所を見るのは初めてで、と言い訳をしながら――ことにする。
とはいえ遊戯室のボードゲームは相手がいないとできないし、書斎や図書室のたぐいは無いようだったのであまり一人で居られるような時間つぶしはなく、出来ることの選択肢はそこまで多くない。
絵が飾ってある絵画の間ではメイド達による鑑賞案内があったものの、グランドフロアを見回る分には放っておいてもらえるようだったので、家具やらやたら贅を凝らした内装やらをひたすら眺めまわる。
――まあ、美術館を見に来たと思えば興味がわかないこともない……ですねえ。
もしくはなんとか宮ツアーだ。差はと言えばあちらのその手のものは歴史上の遺物の見物で、こちらのこれはごく普通に現在進行系で使われているという点。それから、ヨーロッパ貴族の生活は野次馬覗き見的に興味を持っていたけれどこちらの貴族の暮らしについてはスサーナとしてはあまり深入りしたくないなあ、と思っている点だろうか。
メイド達が普段割り振られているらしい雑用をしだしたのをそっと確認しつつスサーナは中庭でくったりと座り込む。
――今後、このぐらいの距離感でなんとかお願いしたいですね……。
空を見上げたスサーナの鼻先にぱたりと水の粒が落ちた。
「あ、雨」
見る間にミルク色に曇った空からまた数粒水滴が落ちてきて、湿った風が吹き、すぐに雨が中庭の木々の葉を叩く音をさせはじめた。
夏のさなかの雨は慈雨だ。
幾度も降るものではないし、降ってもごくわずか。ヴァリウサの民には歓迎される希少な恵み、ではあるのだが、借り物のドレスを着ているスサーナとしては呑気に浴び続けられるものではない。
いそいで室内に戻る。
構われないならば中庭でぼーっとするのは悪くないと思ったスサーナだったが、雨では仕方ない。回廊に飾られた絵画……これは由緒あるものではなく、新進気鋭の画家に描かせたものだといわれたものを見て回ることにした。
絵と、飾られている彫刻を眺めながらとふとふ回廊を歩いていると、ふと人の気配を感じる。
――あれ、誰かの声。
聞こえたのは抑えた会話の声だ。貴族の家とドレスと回廊と誰かの声、という組み合わせはスサーナとしてはあまりいい気持ちはしないものだが、抑えた感じではあるものの明るい声は少なくとも誘拐犯が出す響きではなさそうだ、と思う。
「随分濡れたな」
「タデオに見つかったらうるさいから、こっそりいこう。鍵があってよかった、無かったら正面から入らなきゃいけないところだ」
――たしかタデオさんって、あの管理人さんのお名前でしたね?
鍵を持っているとか聞こえたし、もしかしたら他に滞在客が居たのかな、と考えながら覗き込んだ部屋は部屋の一面をほぼ完全にガラス張りにしたいわばサンルームのような部屋だ。屋外に出られる戸が一つあり、それが開いている。部屋の中にいるのは男性が二人。まだ若く、17、8と言ったところだろう。急な雨にやられたらしく、すっかりびしょ濡れになった髪を一人がかき上げ、一人が上着を絞っている。
どちらも貴族らしい服装で、一人は黄色みの強い鮮やかな金髪、一人は明るいモカブラウンの髪をしているようだった。
憂鬱そうに手をぱっぱと振って水の雫を飛ばした金髪の青年がふと目を上げ、スサーナの方を見る。
「……っ!?」
まるで幽霊でも見たように息を呑んだ青年にスサーナはちょっと慌て、とりあえず頭を下げた。
――あっえっと、いきなり黒髪の人が居るのを見たらそれは普通きっと驚くんですよね!
メイドたちに髪覆いを奪われてしまったので髪が露出していて落ち着かないが、流石にいきなり攻撃されたりはしない、んじゃないかなあ、と思う。
「あ、ええと……こんにちは。とても濡れておられますけど、何方か呼んでまいりますか?」
ちゃんと招かれた人間だよ、と示すつもりで誰か呼んでこようかと続ける。
青年は数秒して、気を取り直した、という風ににこやかな笑みを浮かべ、きちんと優雅な礼をしてみせた。
「ああ、ここを使っている客人が他に居たと思わなかった。こんにちは、お嬢さん。どうかメイドたちには内密に。ここに居るとバラさないで。……彼女たちはうるさくて。しつこくするから苦手なんだ。」
さもありなん。スサーナはなんとなくその言葉に共感する。どうも関係者らしいひともやはりあの歓待? っぷりは苦手なのか。
「わかりました。あの、よければ……タオルか何か、拭くものを持ってきましょうか?」
「助かる。ありがとう。」
そっと部屋に取って返すと籠に一杯盛られたタオル類をそのまま抱えてそのままサンルームに戻る。
本格的に手持ち無沙汰だったスサーナはとりあえずやることが出来たことにうきうきした。メイドと出くわして見咎められないように足音を殺し、少しスニーキング気分だ。
無事にサンルームにたどり着き、青年たちにタオルを渡す。
「随分と降られましたね。……あの、もしよろしければ上着をこちらに。少し拭いておきます。」
貴族が身につける高価な衣装は濡れたまま放っておくようには出来ていないものが多い。金属糸を使ったものは早く対処しないと変色してしまいがちだ。
それを無造作に床に投げてあるし、モカブラウンの髪の青年の方なんかギュウギュウに雑巾みたいに絞っていた。
スサーナは流石にそれを見かね、服の手入れを申し出る。
「ありがとう。そう言えばキミはなぜここに?」
一通り青年たちが脱いだ上着の水気を取り、形が崩れないように丸めたタオルを入れたりして手入れしつつ、青年に問いかけられたスサーナは、はてええとエレオノーラお嬢様のカンペ作成だとは言わないほうがいいな、と考え、そのあたりは話さずに答えることにする。
「私は学院の学生でして、夏の休暇を兼ねて演奏会を聞きに王都に参りました。エレオノーラお嬢様のご厚意でこちらに泊めていただけることになったんです。」
「学院か、懐かしいな。じゃあ
「エレオノーラお嬢様をご存知でらっしゃるんですね」
小さなエッレ、という印象はエレオノーラお嬢様には一切無いスサーナだが、文脈で多分そうだろう、と判断する。
本人にはそう呼ばれていることを知ったとは言わないほうがいいだろうな。と思いつつ問いかけるとにこやかな頷きが戻ってくる。
「よかったら学院で彼女がどう過ごしているか話してもらえる?」
そう言われたスサーナが頷きかけた所で、横からぶっきらぼうな声が響いた。
「オルランド」
それは髪を拭き終えたモカブラウンの髪の青年で、立ち上がって金髪の青年の所にやってくるのを見ると、短く刈って立ち上げた髪といい運動選手めいた体型といい、騎士かなにか、戦いに関係する人間のように見える。
自分を見るその目線がなぜか愛想が悪いを超えて冷たい気がしてスサーナはなんとなく少し身をすくめた。
青年はスサーナが整え直していたギュウギュウに絞られて型くずれした上着をスサーナの手から取り上げると横手に抱える。
「あ、まだ形が――」
「必要ない」
「プロスペロ。雨宿りは長くなるだろうからいいだろ。少し聞いただけだよ」
オルランドと呼ばれた青年は苦笑いじみて微笑み、その顔をプロスペロと呼ばれた青年がじっと見つめる。
――なんか、よくわかりませんけど居たたまれない……というか……落ち着かない……
スサーナはなんとなく歓迎されざる雰囲気を感じ取り、ええと、と意味なく前置いてから立ち上がる。
「お邪魔してもなんですし、私がこちらに居るとメイドの方が呼びに来たりするかもしれませんし、失礼しますね」
――やっぱり黒髪が一緒に居ると落ち着かないとか? そういう感じなんでしょうか。
そう納得してスサーナが場を辞しかけたところで先程一旦閉めた回廊から繋がるドアが開き、どうやら食器の管理を任されているらしい初老のメイドが中を覗き込んできたのが見える。
「ここにいらっしゃったのですね。午後のお茶の支度が出来ましたから……」
彼女はスサーナを見、そしてその向こうにいる青年二人を見て目を瞬き、まあ、と声を上げた。
「オルランド坊ちゃま!」
ぼっちゃま? スサーナははたと考える。
あのメイドさんがぼっちゃま、と呼ぶ。ということはエレオノーラの係累というわけで、エレオノーラのきょうだいは確か兄一人。
――エレオノーラお嬢様のお兄さん、といえば確か平民にとても迷惑を掛けられた、とかいう……
あぶなかった。スサーナは思う。これはうっかり平民とバレると致死ルートだったやつだ。
それからうっかり対面したとバレてもそれはそれでエレオノーラお嬢様の不興をものすごく買うやつ。
スサーナはそう考え、すすすと老メイドの後ろまで下がる。
入れ替わるように部屋の中に入っていったメイドは感激したように声を上げた。
「まあまあ坊ちゃま。坊ちゃまがこちらにいらっしゃるのは何年ぶりでしょう。お茶の支度が出来ておりますから是非。プロスペロ様も」
「トニア、ありがとう。でも雨宿りに寄っただけなんだ。雨がやんだらすぐ出る」
「そんな悲しいことを仰られないでくださいまし。皆も坊ちゃまとお会いしたく思っておりますよ」
何か訳ありなのかな、と思いつつも人様のおうちの事情は見ないのに限る。スサーナはそっと一礼だけするとぴゃっと部屋まで下がることにする。
視界の端で苦笑した金髪の青年が小さく手をふるのが見えた。
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