第240話 穏やかかもしれない田舎生活と日常になっていくこと、それからあんまり穏やかではない小さな出来事 2

「ローコ、ロコロコ、ごはんですよー」


 その日の昼過ぎ、スサーナは皿を持って裏庭をうろついていた。

 白猫、ロコに食事を与えようと思ったのだ。


 内容は、スープ用の骨から削いだガラ肉を山羊の乳で煮たものにとろみ付けに少しパンを下ろして足したもの。

 普段、ロコの食事は大体料理人に任されている。スサーナは塩を入れてくれるなだとか、ハーブや野葱は毒だとか横から口を出す程度で基本的には一任しているのだが、数日前に王都から物資の追加と使用人の追加が着き――滞在日数は残り半月に少し足りない程度の予定だが、色々と人は入用なのだ――台所は台所でてんてこ舞いしているため、スサーナは台所でロコに餌をやるのを諦めたのだった。


「ロコー」


 田舎の動物の食事はなかなか仁義なき争いであるので、食べ出すまで見ておいてやらなくてはならない。なぜならうっかり餌を盛った皿から目を離すと、アヒルやらガチョウやら犬やら、裏庭に住んでいる狙い以外の動物が餌皿に頭を突っ込んで勢いよくがっつく、という光景が発生するからだ。ここへ来て知ったが、ガチョウという生き物はとてもつよく、肉だろうとお構い無しで食べる。


「裏庭だと思ったんですけど。納屋かな。」


 スサーナの部屋を自分の住処だと認識したらしいロコだが、納屋に住んでいる他の猫と没交渉になったわけではなく、頻繁に庭で遊んでいる。

 スサーナは納屋の入り口に首を突っ込み、ここだと思ったんだけどなあ、ときょろきょろしてもうひとつロコー、と声を上げる。


 にゃぁん、と返事があり、納屋の梁の上から飛び降りてきたロコとそれに続いて物欲しげにやってきた尻尾をピンと立てたもう一匹の猫に囲まれ、一歩ごとに足元に絡まれたスサーナは、とりあえず納屋から出て人の動線ではない場所に餌皿を置くことにする。


「はいはい、ゆっくり食べるんですよー」


 少し多めなので、二匹でもまあなんとかなるだろうという判断だ。足りない分はおやつをあげればいいだろう。

 すぐさま餌皿に猫二匹が頭を押し合うように鼻先を突っ込み、競うように食べ始めた。

 スサーナは猫たちの背を一つ撫でると、それから中腰になっていた腰を伸ばした。

 めりめり言う感触にうおお、と呻き、首を上げたついでにまだまだ夏真っ盛りの空を目を細めて見上げる。


「そろそろ中に戻らないとまずいですよねえ、侍女の皆様待ってますし。」


 別に今はまとまった休み時間というわけではない。昼食のための着替えの前の用意時間にことわって外に出してもらっただけだ。

 侍女頭は猫派らしく、ちょっとロコに関することに甘い。



 ふ、と視界の端を何かがぎった。

 スサーナがはっとそれを目線で追ううちに、鳥かと思われた影は見る間に近づき、旋回して木立に降りる。


 スサーナはスカートの裾を引き上げるとそちらに駆け寄った。

 葉の重なった濃い影の下に止まったのは鳥ではない。ぱっと見た形は鳥によく似ていたが、もっとずっと単純化された形の、生き物ではないモノ。使役体と呼ばれる、魔術師の技術の成果物だ。


 舞い降りてきたそれは、スサーナの手の中に小さな紙片を残す。

 あらためたそれには、印刷めいた文字でなにか書き綴られているようだった。

 ――お返事だ。

 手紙を出してから二十日ほど。もうこれは返信はないのだな、と思っていたのに一体どうしたのだろう。



「まっ……待っててくださいね!」


 言葉が通じるものなのか正直良くわからなかったが、スサーナは使役体に声を掛けると周囲を見回し、いっさんに塔の糸紡ぎ部屋を目指した。

 そこなら確実に羽ペンとインクがあり、文面を読む余裕もありそうだった。


 扉を閉め、息を少し落ち着けて紙片を開く。

 書かれていたのは非常に事務的な文章で、戻ってきている護符をそちらに渡すので時間と場所を指定するように、というものだ。

 ああなるほど、とスサーナは納得する。

 スサーナが今持っている護符は、出立の日にオルランドに補填してもらったもので、大貴族たちの護身用に配られたものを一つ融通してもらったものになる。

 もとの護符は王宮魔術師に回収されたと聞いたのでもう戻ってこないのかと思っていたが、そういうわけでもなかったらしい。


「気を使っていただかなくてもいいのに……」


 学院ではついでだったので良かっただろうが、今いるミランド領へはやって来るのはそれなりに手間のはずだ。申し訳ない、と思いつつ、普段手紙が来る時にはそれでも肉筆めいた文字だったのが今回は印刷のようだったし、もしかしたら護符を返却する先に配って回っているのかもしれない、などとも思う。


 代わりの護符は来ているのだから、ご遠慮して手間を減らしたほうがいいかもしれない、と思いつつもやはり身に馴染んだあの護符のほうが少し嬉しいような気はする。

 代わりの護符はコモンオパールに似た白い石に金属プレートやメダイを多数繋げた形をしていて、体に着けられるのは同じながら、全体的に大きく重く、かさばって、しじゅう身につけたり隠匿するには向かない作りをしている。新しい護符は今はいつも身につけているというわけではなく、また、父君ミランド公を介して渡されたので皆存在を知っているし、隠すことはないのだが。


 スサーナは少し悩んで、それから深夜過ぎの時間を指定した。


 この屋敷の大体の就寝時間は夜10時頃。王都に比べればそこそこ早めだが、夜遊びの先もなく、灯りも少ないので仕方ない。門番の話によるとそれでもこのあたりでは遅いほうだと言う。

 カリカは日付が変わったぐらいにそっと現れ、丑三つ時すぎに帰っていく。

 ――カリカ先生が帰ったあとの時間なら問題ないですよね。

 不寝番もそのぐらいの時間ならダレているのはなんとなく察していたし、外に出れば見咎めるものもいないはずだ。


 ――そんな長々と話すようなご用事も無いと思いますけど……。

 スサーナはまた空に舞い上がっていく使役体をすこし見送り、それから部屋に戻る。

 遅刻を侍女たちに謝りながら着替える。普段基本的には時間に遅れないよう生活しているのが功を奏して、お説教はあまり長くなく済んだ。それから何食わぬ顔で昼食に向かう。


 変わらず昼の礼儀作法の時間が過ぎ、夜が来て、カリカがやって来る。


「さて、スサーナ、前に教えた基本の糸の種類のことは覚えていますか?」


 氏族の伝承なんかを教えられ、それから瞑想、鍛錬、もしくは魔法の実践、という順で教えは進む。慣れた、と言いたいところだが、時折ふっと抜き打ちで前に話した知識を覚えているかどうかをテストされるので鍛錬の時間以外もなかなか気が抜けない。


「はい、神様のくださった糸、呪司王様の使われた糸、姫宮様の作られる糸二種……からだを使われたものと、血を使ったもの、これが特別な糸で……長老様の作られる糸二種、魔獣を使う糸、血を使った糸……それから、私達が使う紡いで血で染めた糸……ですね。」

「では、糸を作る際の注意事項は?」

「ええと、紡いだ糸は浄化を行うこと、血を取る際に傷と血を汚さないこと、魔獣を使う際には血を与えすぎないこと、満月の日は避けること……」

「はい、よろしい。今日は少し落ち着かないように見えましたが、基礎はちゃんと頭に入っているようね。」


 カリカが満足げに頷く。


「ありがとうございます。」

「はい、でもこれから鍛錬に入りますからね。しゃっきりなさい。肉体の鍛錬の最中に気を散らすのは厳禁よ。怪我の元ですからね。」

「はいぃ……」


 いくらか舞踊の型をやった後で、ひたすら腹筋と背筋、肩甲骨周りなどに負荷をかける。これももう慣れた、と言いたいところだが、慣れた気がした所で負荷は順調に増やされるし、鍛えるべき部位は増えるので実のところ全然慣れない。絶賛筋肉痛となかよしという状況には全く変わりがない。


 スサーナはそれでもなんとか動ける状態で運動を終え、ふらふらとカリカを見送った。

 さて、この後外へ、と思い、それからはたと困る。

 ――ネルさんに説明は……すべきでしょうか?

 普段はこの後ネルに部屋に送ってもらい、事前に用意してある濡れタオルで体を拭いて眠るのが日課だ。もしこのまま外に出るなら、使用人たち、特に不寝番の巡回とかち合わないよう万全を期すつもりであればネルに協力してもらうのが一番いい。


 しかし、ネルが魔術師についてどう思っているのかはそう言えば聞いたことがない。

 レミヒオは多分魔術師が好きではなく、カリカも好きだとは思えないのだから、ネルも好きではないと考えるほうが無難だろうか。

 ――とすると、あんまり手伝ってもらうのもなあ。


 スサーナはしばらく悩む。実のところ、毎晩のことであり、内部の人間なので――それも、護衛対象は自分という状況で――大体の不寝番の巡回ルートと時間は理解しているつもりではあるのだ。


「お嬢さん? 戻らねえのか? 動けないんなら背負うが」


 訝しげなネルに声を掛けられてスサーナははっと顔を上げた。


「あっ、いえ、大丈夫です。戻りましょう。」


 一旦部屋に戻り、ネルにお休みを言って、その後。

 スサーナは日課通り体を拭き、服を着替える。ただし夜着シフトドレスではなく、カリカの指示通り支度した、なんとなく民族調を思わせるデザインの『動きやすい服』でもなく、暗い草色の布を使って縫った目立たないワンピースを選んで着る。


 それからしばし。周りから人の気配が――ネルの気配すらも――消えてから、スサーナはそっと部屋を抜け出し、外を目指した。

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