第382話 スサーナ、様子をうかがう。

 娘たちの側から少し離れ、スサーナは警戒をあらわにしながらコルネリオの下まで歩み寄る。

 視界の端でレオくんが駆け寄ってきたそうにしていたけれど、コルネリオに娘達を纏めるよう指示された別の謀反人は少し丁寧にレオくんを制止し、レオくん自身しがみついて震える乙女の子を振り捨てたりは出来ずにいるようで、下手に暴れたりして暴行されるようなことにならなさそうだとほっとする。


 先に老爺が歩み寄ってきた理由は、どうやら隊列の配置の具合であったらしい。スサーナが近寄る間も誰がどこを歩くかを続けて指示しているコルネリオの声に、娘たちと、それとレオカディオ王子と一緒に自分を歩かせないという判断なのだろうか、これは一体どういうものかと訝ったスサーナに向け、さて、とコルネリオは微笑んだ。


「さて、ショシャナ嬢、まずはお願いがございます。聞いていただけますな?」

「まあ、不躾になんだと仰るのでしょう。貴方に差し上げられるようなものはわたくし見ての通りなんにも持っておりませんけれど」


 怯えてみせるか少し内心で悩み、スサーナは結局貴婦人らしい言い回しの返答を選択する。

 自分について、相手がどんな疑いを持っているかわからない。ならば貴族の娘らしい様子に寄せておくべきだろうと思う。

 ――怯えつつも虚勢を張って見せる、みたいな……。……さて、でも、この人はどこからこっちを観察していた……? ことによると、メイドに扮していたな、とかバレてます? 最悪……島での騒ぎからわかっている、とか? 鳥の民だということまで出る……?


「ふは、これは失礼をば。」


 上機嫌風に笑ってみせたコルネリオは、片腕でややぎこちなく一礼し、それから掌を上にしてスサーナの前に示す。


「しかし、貴女は今とても意味があるものを持っておられるようだ。その袋の中身をこちらにお渡しください」


 ぎゅっとスサーナは反射的に手の袋を握り込み、続いた言葉に湧いた動揺をなんとか抑え込む。


「その中にあるのは、護符、魔術師の護符でございましょう。先程、それが動いたのを確かに見ましてな。伏してお願い申し上げる、とは言いませなんだが――渡していただければ、ご令嬢方をより丁重に扱う意欲も湧くというものでございます。もちろん、レオカディオ殿下も。……判っていただけますな?」


 ――っ、 そっち!

 それは安堵だと顔に出しはしない。たしかに護符を奪われるのはとても気に食わないし、痛手そのものでもあるけれど、脳内で湧いたろくでもない「お願い」一覧のうちでは軽いほうだ。

 第一、攻撃されるなと思った時にバレても仕方がないと覚悟はしたものだ。最初のほうではせっかく護符がバレないよう小技を効かせたはずが、あまり有効でなかったのは体術の技術が足りなかったせいだな、と思うとそれはとても残念だったけれど。


 ――それに、糸の魔法を使うための布よりだいぶ奪われても問題ないものですしね……

 なにより、この護符はスサーナの手を離れれば働かないのだ。


 硬い表情のまま、巾着袋の中を探ってちゃらりと腕飾りブレスレットを引き抜くと、彼らの話を聞いていたのだろう謀反人がおおと湧く。

 護符はまだ熱を放ち、飾った石が蛍光のようにぼんやりと光っているのが薄暗がりに目立った。


「おおっ、護符ということは、もしや王よりミランド公に渡された「宝物庫の鍵」……!」

「何という僥倖よ! 鍵が我々の手の中に自ら転がり込んでくるとは、これは神々のご加護が我々にあるその証拠でございますな!」


 ――なるほど……。そういえば、夏の事件の時も護符泥棒が出ていましたね……。

 公の各員の家に伝わる宝物庫の鍵がある、という噂はスサーナが耳にしたことがあるほどに貴族社会で確かに根強い。それが護符という話はスサーナは知らなかったが、そういえば夏にプロスペロ氏に護符を取り上げられた時も何か意味深なことを言われたのだから、一定の真実はあるのかもしれぬ。

 もちろん、この護符はそのようなものではない。スサーナにとっては普段からの命綱だし、とても大切なものだけれど、それだけだ。


「これはそのようなものでは無く、ただの護符ですよ」


 わざわざそう口にしてみせたのは、なんのことはない。作り手がこの謀反に関与している可能性が高いせいである。本人がやってきた場合、「それ」ではないことは二秒でバレるのは間違いない。下手に交渉条件などにして、意図的に騙したと認識されるといろいろとまずそうだからだ。


 だが、当然そんなものは謀反人達には伝わりはしない。


「やれやれ、なんという口先任せの言い逃れ! 小娘の浅知恵もここに極まれりと言えばいいか、流石に信じる者がいるはずもないと分かりそうな物を……」


 嘲笑とともに近づいてきたのはそこそこに奢侈な衣装を着た神官らしい男で、叙勲のときにか、それとも令嬢らしい行いのアピールで神殿に寄付に行った時に見かけただろうか。当時はひどくへりくだっていたような気がする中年の神官の手で護符はぞんざいにひったくられる。


 ――ああ――これは、気分が悪い、な――

 気分が悪い、と思う。

 お香臭いごてごてと飾りのある袖がばさりと顔に当たったことだけではない。

 宝物庫の鍵などというものとこの護符を誤認されるのにも気分が悪いし、これの価値を少しも分かっていない癖に、握りしめて喜ぶものにも気分が悪い。


 護符で守られるのはほぼ自分だけで、現状を見れば権能で近い効果は期待できて、それを鑑みたうえで今の流れなら奪われないようにする利点などろくに無くて、そう判断する自分と、これをうまく自分の都合の良い状況に利用できないかと考えていることにも、少し気分が悪かった。


 解って心の準備をしていても癪だぞと思いつつ手から離れていく護符を見つめた次の瞬間、むんずと護符を掴んだ神官らしい男がわあと声を上げて護符を投げたので、きっとそれがとても熱いだなどと想像もつかなかったのだろう。スサーナはほんの少し溜飲を下げた気がした。


「貴様、何を!」


 とはいえ、気色ばんだ別の一人に剣を突きつけられたのでその気持ちも消える。何処かで確実にやるだろうとは思ったけれど即護符無しでこれは権能くんの効果を試す羽目になるのか、それは嫌だなあとスサーナが身構えたところで、やめよ、と掛かった声に舌打ちをして男は剣を下ろした。


 地面に落ちた護符の鎖を手に布を巻いたコルネリオが摘み上げる。


「もしそうであっても、意味がないものではないのですよ。」


 飾り石の残光が残り火のようにまたたき、淡くゆるゆると消えていくのを目の前に引き上げ、その意匠を確かめるように揺らす。


「貴女方は知りもしないことでしょうからご教示差し上げると、護符にも位というものがあるのだそうで。そのうちでも装身具の形をしたものは別格の品。単純な身の護りしか出来ない安物とは違い、様々な芸当を仕込むことが出来る……だったか」


 初めて聞く話にこんな状況だというのに思わず興味を惹かれてしまったりしつつ、そういえばこの人は身内に魔術師が存在したのか、とスサーナは意識した。


「魔術師の合理性というのか、おかしなもので、最上の護符はものみなすべて……いや、逆か。このような場所の道具の化け物は皆、最上の護符を持ったものを襲わぬよう出来ているのだそうですよ。やりようによっては、その周りの人間もね。……これは間違いなく王宮魔術師の流れを汲んだ様式で作られた最上の護符。万が一ショシャナ嬢の言う通りこれが「鍵」として働かずとも、十分意味がある」


 ――なるほど。さっきのは、そういう……?


「ですが、これはショシャナ嬢が持っていただかなければならぬようだ」


 ぽいと投げ渡された護符を慌ててキャッチして、スサーナは目を瞬く。

 同時に周囲で湧いた疑問と非難の声にとくに動じる様子もなく、コルネリオが手を上げて先に向けて振った。


「さすが外務卿と言うべきか、血族のもの以外の手では働かぬようになっている。……むさ苦しい男どもと歩いていただくことになるが、なに、同じ年頃の娘を一人話し相手につけて差し上げましょう。ご機嫌を損ねず歩いていただけるとありがたい」


 ――これは、私の経歴を疑ってはいない……ということでいいんですよね。 運が向いたの理由は、道中の安全ということ……か。

 そう判断できたのは悪くはない。あと、サラの傍を歩けるのも。

 ――少なくとも私のことはすぐ殺す利点はなさそうな? とりあえず、目的地と、何をするつもりか、口を滑らせてもらえないか……。



 ではゆくぞ、という彼の掛け声に従い、泥のような魔獣がざあっと暗い軌跡を残して一同の周りを走る。不安定な笛の音か、でなければ壁を隔てた女の悲鳴のような音を立てるそれに外周を警護させ、一応の隊列を組んだ謀反人たちは身を潜めていた石垣と立木の間からそろそろとあたりを見回して進み出した。

 スサーナは最前、コルネリオが歩くすぐ後ろで護符を掲げて歩くことを求められ、一人で走って逃れるのを防ぐためだろう、すぐ脇にはサラが歩くことになった。

 スサーナがそっと見れば、レオくんと乙女たちの方もそれ以上揉めはしなかったようで、一纏めにされて後ろに武具を持った謀反人が配置された状態で歩き出したようだ。こちらを見ていたレオくんが合わせた目が沢山の心配を伝えてきたので、スサーナは安心させるために精一杯微笑んでおく。


 ――しかし……。

 視界の端で、侮蔑か、それとも怒りなのか、注意を向ける度、ともかくどうしても正の感情とは見えない陰鬱な表情をしているように見えるサラからやや目をそらすような気持ちでこっそりと一同に意識を向け、歩き出しながらスサーナは思う。

 ――ちゃんと全体を見たのは現実?でははじめてですけど、なんというか、こういう構成なんですね……。


 うっすら宮廷のどこかで顔を見たことがあるだろうか、という印象のものが少し。参加者の多くは服装からすれば下級貴族か、中位貴族の係累のもの。

 先に歩くのはコルネリオで、数歩後ろを歩かされるのがサラと自分。少し後ろに首を振り向ければ、いくらか後ろを歩く他の謀反人たちと乙女たちが見える。そのうちでも前の方を歩くのは、先に護符をひったくった神官と、衣装自体は彼の侍祭に見えるのに、態度はずっと尊大に見える若い男。その周辺を囲む数人の後ろに娘達が歩かされ、最後尾には騎士か軍務についた経験があるのだろう男が二人。大体なんとなく夢で見たことがあるような気がしたが、それよりかはなんだかだいぶ少ない気がして、あと夢で居た女性たちは居ない。

 よくわからないもの二体の位置は一定しないので言及を避ける。

 ――当主以外だったり、野心強めで成り上がりたい、みたいな人が多い、と、普通の時会ったら判断するような顔ぶれで……、大派閥の中心みたいな人はいない……ですよね。


 謀反と言えばそれなりに身分の高い誰かが関わっているという印象が強いものだったが、この場にはその手の誰かはいない。司祭らしい衣装を着た神官はそれなりに高位であるようだったけれど、王都の神殿には複数居はするような位階の聖職である。

 どうも謀反人たちの話を聞いていると王兄の息子であるらしい神官衣の男と、王兄の腹心だったはずの老爺はいるのでそれで十分なのだろうか。それとも政権中枢を少人数で奪取しようというクーデターならこうなるということだろうか。

 もしかすれば、非常に単純なこととして、魔術師や魔物じみた超自然のものを関わらせれば事前の兵力のない寡兵でも国盗りが出来てしまうということなのかもしれないが。

 ――ここに降りてこられたのがこの人たちだけ、ということはありうる? 万が一外に出たら宗教勢力が蜂起していたらだいぶ嫌だな……。 お父様とか、尽力した方々が上手く抑えられた、ということならいいんですけど。

 だとしても、ここまで降りてくるのに選ばれたのなら、この謀反人達は中枢に近いメンバーであるはずだと思うのだけれど。


 ともかく選りすぐった少人数なのだろうはずの参加者の中にクーデターと言えばとスサーナが単純に容易にイメージする青年将校も将軍も大貴族もおらず、老爺と若い方の神官ばかりが――いや、スサーナの目からすれば、老爺ばかりが雰囲気まで含めて異質だった。

 ――なんというか、練度? 違うな、覚悟の決まり方が他の人は普通……って感じがして……そう、目先の現世利益、って感じがする。それで、この人の目が一番怖い、というか……


 思案は、横手から掛かった声で破られる。


「ただただ押し黙っているばかりではご令嬢と歩くには不調法ですかな。ショシャナ嬢。貴女とは一度話してみたいと思っておりました。それが今の局面になるとは、数奇な話でございますわい」

「まあ、わたくしは貴方をご紹介いただいたこともありませんのに、どちらでそんなに思い入れていただいたのでしょう?」


 思案していたいつの間にか、コルネリオが少し歩みの速度を落とし、こちらに視線を向けている。

 スサーナはそっと息を呑むと、怯えと矜持半ばな高貴なご令嬢の顔で会話を続けることにした。

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