第373話 謀反人たち、踏み込む。

 必死で笑みを取り繕う。



 一瞬のひどい目眩の後、目を開けて最初に見えたのは、漆喰じみた白い壁と、掠れた装飾が描かれた、敷かれてから長い時を経たように見える石床だった。

 周りには自分と同じように目元を抑え、または頭を抱え、その場にうずくまる乙女の候補の娘たちと、床に倒れ伏した騎士が二人。

 頭上の壁に掛けられた灯りは揺れず、やわらかな光が古い時代の廊下のものに似た意匠を浮き上がらせている。そして、その壁にあるものは手を付き、あるものはしゃんと立って周りを見回している……何が起こるかを知らされていたのか、頭を振ったり眉間を抑えたりしながらも娘たちより一瞬早く立ち直った大人達。宴の席で決起した、謀反人たちの姿だ。


 彼らは謀反という言葉で想像出来るような兵の群れを連れてはいなかったし、ほんの十指ほどに過ぎなかったけれど、それぞれ恐ろしい武具を携えていて、たった六人の娘がなにか意に反することが出来るのかというと、そんなことはないように思えた。


 ――それに……


 視界の端で、切り落とした腕の先を縛り止血していた老爺が立ち上がる。なにか確かめるように大きく手を揺らすと、しゅうしゅうと湯が沸くような音とともに、暗がりの色をした霧のような、でなければ嵐の最中のへどろじみた何かが、地面で跳ね上がる魚じみた動きで座り込んだ人々の周りを動き回る。


「だいぶ崩れたな、だがまだ十分に使えよう」


 それは先程まで七人だった乙女候補の娘たちの一人……いや、彼らに集められ、彼女と同じようにこの乙女選びに送り込まれた娘を引き裂いて出てきたものだ。

 多分、悪霊か魔獣、でなければ魔物、悪神の類。人の身では抗えるようなものではないもの。


「それにまだ代わりもある」


 老爺の言葉に応えるように、しゅうしゅういう音にひいいと喉を嗄らした啜り泣きじみた音が混ざる。

 いつの間にか、一塊に集まっていた一同から少し離れたどこかから、正装の娘が体を揺らしながら近づいてくる。しかし、その髪は振り乱され、まるでインクでも浴びたかのようにドレスは黒斑に染まって、そこからもろけたようにぞわぞわと蠢くようにも見えた。歩いているのか止まっているのかも注視しないと判別はつかず、奇妙に現実感は曖昧で、妙にちぐはぐな長さに見える腕で体の前に抱えた少年ばかりが現実らしい重みを持っているようだった。


『から だ  ぁ、 からだ は』

「ふん、二体目となると支配が多少甘くなるな、これが限界とは……まあ十分、贅沢を言うてもしかたあるまい。」


 かりかりという不快な雑音が混ざったような声は、先程中から引き裂かれたはずの娘のもので、まっぷたつになっているようには見えなかったけれど、きっとこれももう生きてはいないものなのだとそう思う。


「首尾よく第五王子を捕らえてきたな」


 無造作にぱっと腕を下ろした娘の前にごろりと転がったのは、湯上がりめいた衣装の第五王子で、跳ね回る泥に一旦は顔を青くし、身をこわばらせていた者たちもそれが彼らのであるという実感が湧いたのだろう。それぞれ表情を緩め、静かに歓声を上げる。異様な様子の娘の進行方向にいた所為で、すっかり顔色を失ってこちらの背中の後ろまで慌てて間を取ってきていたアブラーン卿が周りの様子におお、と声を上げて急いで戻っていくのが見えた。


「素晴らしい、ええ、ヘルマン司祭……いや! 殿下と今はお呼びしたほうがよろしいか! これでただしき方が王座につくまで後もう少しということでございますな! これほどのお力があれば、騎士団なぞ物の数でもない……」


 ここに来るほんの少し前までヘルマン司祭と呼ばれていた男の立場も知らされていなかったらしく、聞かされた時には顔をこわばらせて言葉を探していたくせに調子良くなにか諂ったことを言い出す。

 ほんの少し前に曲がりなりにも親族が死んだというのに恐れも悼みもしないのか、と思うものの、謀反を企てたのだからもうそれは覚悟の上ということなのかも知れぬ。そんな殊勝な要素はこれまで欠片も見たことはなかったけれど。

 阿諛を続けるその靴元で、地面に投げ出された王子がきつく目を閉じたまま、苦しげな息を吐いた。


 恐ろしい。恐ろしくてたまらない。

 だから。

 だからサラは喉で凍りつきそうな息を強いて吐き出し、口角をできるだけ上げて必死で笑みを取り繕った。

 陶酔したような、うっとりとした表情を浮かべて、この場の空気を作り出している老爺の側に歩み寄って跪き、身をかがめて取りづらそうに拾い上げようとしていた武具をそっと掲げて手渡す。


「満願成就が近づかれましたこと、お喜び申し上げます」


 サラを見下ろした老爺は、掲げた剣を想像より強い力で取り上げながらほうとばかりに笑った。


「なんだ、随分と仕上がっておるではないか」

「さっ下がらんか身の程知らずが!」


 サラの動きに慌てたアブラーン卿がばたばたと寄ってくるのを老爺が目で制す。


「良い。短い調整期間しか取れなかったと聞いたが、愛い忠勤よ」

「はっ、はは、お褒めに預かり! 御前様の、いや殿下の宿願の尊さをよくよく説いて聞かせましたからな……!」


 から笑いをしてそっくり返った養父の姿に、聞かされたのはそんなものだったろうか。サラが内心で首を傾げるうち、顎をもたげて顔を覗き込まれる動きにサラの意識はとられた。


「凡百の薬やまじないと一緒にされては困りますよ。使ったのはかのネーゲから持ち出した技術わざなのですから。」


 穏やかな口調で言うのは、神官の格好を装った男だ。

 しっかり男の顔を見上げたことなどこれまでの生涯で数度しか無く、ヘルマン司祭と呼ばれた人物の顔などろくに覚えてはいなかったけれど、彼が司祭さま、ヘルマン司祭と呼ばれていた人物であるということはわかっている。しかし、村で過ごさせられた時には貴族たちにへりくだった態度を取っていたようだったが、御前様と呼んでいた老爺への態度は今や打って変わって尊大なものだ。


「そ、そうですとも! なんと素晴らしい。これこそが真に神に愛されたという……」


 側でせわしなく声を上げるのは村にお忍びでやってきていたアユリーと呼ばれていた男で、今はヘルマンよりもずっと高い位――とはいえ、サラでも教会で見ることの出来る、市井に出てくる地位の――司教の衣装を着けてはいたけれど、ヘルマンはうるさげにそれも黙殺する。


 顎をもたげられたまま、サラは覗き込んでくる男の顔貌を見上げた。

 ――ああ、ちがう。別の人だわ……

 そこにあるのがあの道化の顔である、というぼんやりとしたイメージは外れ、いかにも聖職者ですと言わんばかりの一見穏やかにも優しげにも見える目元が酷薄な笑みに歪むのが見え、そして感情の波を表さずに見開かれたままのサラの瞳に満足したのか覗き込む視線が外されてアユリーに向き直る。


「ええ、ええ、そうでございましたな。さすがの御業にございます。魔術師達でも心は壊せても、望む形に作り直すことは〝出来ぬ〟と言ったものを……」

「母に託されてより、研鑽し知悉してきた、ネーゲ皇帝の血族に伝わる……ひいてはわが父の後継たるしるしである秘技です。アユリー、貴方も片鱗は耳にしているはずですが、従伯母上はろくにお話にならなかったと見える。しかし、コルネリオ、父の側近だったお前ならわかっているでしょう。魔術師など、恐れ崇められようが精々小手先の児戯を弄ぶばかりのもの……」


 その言葉の途中、素っ気なくも見える動きで側に控えていた老爺が手を上げて止める。その視線の先、廊下のその先に開いたどこかから歩み寄ってくるものは二つの人影で、白茶けた髪をした彼らこそサラが呼び込んだ災いのひとつ、異貌の民たる魔術師というものなのだ。


「……」

「アハハ、すごいじゃないか! 無事降りて来た。宝物庫を破るやりかたを考えなきゃと思ってたけど、楽に済みそうだ!」


 手を叩いて浮かれた様子の一人と、その後ろに続くもう一人。どちらも若い男のかたちをして、色以外はにんげんと変わるところはないようにも見えた。

 しかし、この地下らしい場所のどこかに潜んでいたなら宴の席で平常を装わなければならなかった謀反人たちとは違っていかようにも戦備えが出来るだろうに、まるで散歩にも出てきたのかと言うぐらいに軽装で、その気軽さが異様さを際立たせている。


「準備が無駄になるかと思ってたけど、塵芥ちりあくたの割に良い仕事をするな。重畳、重畳! それじゃ行こう、契約通りネーゲの文字盤はこちらに渡してくれよ? 議会の奴らはさぞ慌てるだろうね、楽しみだなあ」


 じわじわと状況を理解しきったのだろう娘たちの抑えた泣き声が響き出す中、幾人かの男が彼女らを引き起こし、あるいは武具で脅して立たせる。


「わたくし達をどうするつもり?」


 少女らを背に庇い、声を上げたのはモニカと呼ばれていたウエルタ家の娘だ。


 ちらりとそちらに視線を向けたヘルマン司祭が進み出て、温厚な司祭じみて胸に手を当てて視線を下げる。


「モニカ嬢と言いましたか、はじめまして、と申し上げるべきでしょうか。毒杯を取って第五王子を救ったというお嬢さんは貴女ですか?」

「でしたら何だと仰いますの? すぐに陛下の追手がいらっしゃるわ。わたくしが囮でここにいるということも解らないほど愚かな方。お前たちの馬鹿げた企みはここでお終いです。諦めて投降なされませ。陛下の御慈悲があるかもしれませんわよ」

「なるほど気丈だ。」


 感心したように彼は頷き、一歩踏み込んで令嬢の頬をばちんと張った。

 盛装した華奢な靴の足元はその衝撃を支えきれず、モニカがもんどりうってくずおれるときゃあっと残りの娘たちが悲鳴を上げて頭を毛皮の下に隠そうとする羊の仔のように寄り集まる。


「どうぞ大人しくしていらっしゃい。そうすれば生きていられる時間が延びますよ。貴女方にはまだ使い道はありますからね。貴女が果たしてそうなのか、そうならばその頭の中にも興味はありますが、ここまで降りてきてしまえば貴女の首から上さえあればどうにでも」


 赤くなった頬を抑えて震えながらも男を睨み上げたエナーレス伯の令嬢モニカのその頬を打った手をひらひらとさせながら、その背をぐっと踏みつけてヘルマンはにいっと微笑んだ。


「それと、陛下と呼ばれるのはこちらの方だ、不敬者が」





 娘たちがまとめられる間、彼女らと離れることを看過されたサラは倒れ伏したままの騎士を覗き込み、その腰から剣を取り、持ちきれぬ鞘添えの短剣を腰帯に挟みこんで、アブラーン卿が遅れるなと怒声を上げるのに駆け寄る。

 抱えた剣の柄に結ばれた下げ飾り、儀礼の際に飾られる王家の紋章を記したメダルを剥がして落とす仕草に歩む者たちの間からどっと笑みが湧き、養父の機嫌はすぐに治ったようだった。


 そして、あいまいな列を作って一同は歩みだす。前に行くのは先の一幕にいささかの興味も抱いておらぬげな魔術師たちで、その後に数人の謀反人たち。のろのろと動き出した乙女たちを中心に入れ、後ろに残りの者たちが歩く形だ。

 ぐずぐずした泥のようなは決まった位置もなく、死女の影はコルネリオに従い、後続の周りあたり、王子を抱えた一人の近くをずるずると進む。


 いくらかの距離を歩いたろうか。楕円をいくつか組み合わせたような形をした見上げるような大扉の前で魔術師たちが立ち止まる。


「二重楕円の門……じゃあ、ここは……」


 身分ある生まれであるらしい、華やかなドレスを纏った紫色の瞳の娘が震えた声で呟く。


 門の飾りは金を使い、蝶をはじめとするフォロスの表象で埋め尽くされているのに、その内側の扉は飾り気のない卵の殻じみた白で、磨いた貝のように光沢のある表面には引っかかり一つ見当たらない。


「さ、それじゃその王家の子供をこちらに渡せよ」


 手招きする魔術師の一人に老爺が眉をしかめ、第五王子を抱えていた男に前に出るように示す。


「いたずらにここで壊してくれるなよ、まだ役目がある」

「ハハ、面倒じゃなかったらな」


 進み出て布包みのようにぐったりとした王子を軽々取り上げたのはもうひとりの魔術師だ。


「……俺がやろう。そちらの魔力は温存しておくといい。」

「ああ、そっか、アンタ、そのぐらいしか使用に堪える術式がないんだったっけ。鎖付きも大変だ。」


 陽気に笑った一人がぽんと手を打ち、手首から鎖の下がったもう一人はやや目を伏せるように第五王子を腕に抱えたまま片手を扉に滑らせた。


 一体何をどうしたのか、大きさからすればとても重いはずの大扉が音もなく左右に滑り開く。



「おお、開いた開いた。 それじゃ座標を転送するか、ここまで面倒だったよなあ」


 魔術師の一人が笑い、もう一人が王子を手放さず無言のまま横に下がる。


 貴婦人の最高級の香水めいた甘い香りに、ピチチピチチと場にそぐわぬ朗らかな小鳥の声。今はまだ真夜中のはずで、頭の上には確かに天井があるようなのに、開いた扉の合間からは春の木漏れ日じみた穏やかな光がなだれおちていた。

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