第60話 異しきもの波間より来たり 1

 ――ぼんやりする。

 スサーナは小さな港の端で待機しつつ、ぽやーっと空を見上げていた。


 夜前に着く、という予定であった船は、いったいどういう海神の加護か、帆を下ろすほどではないギリギリ、つまり絶妙な強さの完全順風に後押しを受け、午前中、それも早いうちに港にたどり着いた。


 つまり、スサーナたちが逗留するはずだった屋敷の準備などもできているはずがない。急いで準備がされるまで茶屋ティーハウスなどで待つ、その茶屋の格好をつける準備を急いでする、までの待機中なのだ。


 ちなみに、セルカ伯たちとマリアネラたちはいっしょくたになって待たされている。

 ほんとうはひょうたん状に存在する村の地所を二分割に統制する以上、制度上は代官屋敷マナーハウスとその出屋敷陣屋に分かれて滞在するはずなのだが、どうやら出屋敷の方には折悪しく他の客がおり、まだ出立せずにいるらしい。

 それなりにマリアネラを可愛がっているらしいセルカ伯は余裕があるらしい代官屋敷にマリアネラとその従者を滞在させることをさくっと決め、マリアネラにそうするよう言い渡していた。


 威信というか、それぞれ別の統治者だというポーズを見せるには良くないんじゃないかなあ、と思ったスサーナだったが、よく考えるまでもなく実際に今後働くのは領地代理人だろうから、マリアネラが多少舐められようが気にすることもなさそうだった。



 空が青い。午前中の陽光が目に痛い。

 流石に本島の港とは違い、遮るものの殆ど無い石積みの港である。日よけになるものも特には無く、一同は日向で固まって立っていた。

 夜半に入ってからほとんど揺れなかった船だが、それでもそれまでにしたたかに船酔いしていたせいか、第一にあまり良くない環境だったせいか、あまりよく体が休まらなかったらしいマリアネラはスサーナがそっと気を利かせて差し出したスサーナのトランクを椅子にして、とろとろと目を閉じている。

 そういうぐったりした状態なのはセルカ伯の奥方や、レティシアも同じことだ。


 ――貴族の子女の皆さんには辛いやつですよね、あきらかに。

 そう思うスサーナだったが、セルカ伯の連れたメイドたちもちゃんと立ち、主人たちにあれこれ気を使ってはいるが疲弊した状態だ。

 そういうスサーナだって、結構辛い。


 瞼の裏が膨張したような違和感、こめかみを押さえられたような圧迫感。首もぼやーっと熱く、扁桃腺には腫れ感があるし、二の腕やら背中やらははっきりしない違和感がある。

 まあ、他のメイドたちとは状況が違い、やらずともいい繕い物を徹夜でしていたせいなのだが。


 ――うーん、若いからって船で徹夜はよくなかったですかね……それとも濡れたせいかなあ、このぐらいで済んでいればいいんですけど。


 元来夜更かしだの徹夜だのが好きなスサーナである。

「徹夜が効く」という事自体が楽しい、という難儀な趣味をしている彼女だが、流石に普段と違う環境かつ無理の効かない雇われた状態で、ノリで徹夜を掛けたことについてはやや反省していた。


 目を閉じて、眉間を強くつまみ、ついでぎゅっと伸びをしていると、


「大丈夫ですか」


 見れば、そっと近づいてきたレミヒオが思わしげな目をしている。


「ああ、いえいえなんてことないです。ちょっと眩しくって」


 心配してくれるのはありがたいが、特に船から落ちた影響らしきものはない。

 風邪っぽいのは濡れた影響のような気もするが、そのあたりはまあ別問題だ。


 船の中で相談したとおり、過度の接触はよくないと思うのだ。どうせセルカ伯あたりがセット運用をしたがるだろうから、そのぶんの差し引きとしてもレティシアの前で個人的に話しかけたりするのはナシにしてもらいたい。レミヒオくんがまず心配すべきはレティシアお嬢様か、同僚のメイドの特に疲れていそうな人である。

 スサーナはそっとレティシアの方を見て、彼女もどうやらとろとろと目を閉じているようなのを見て、ほっと安心した。


「これでも無いよりマシだと思います。何かあったら無理しないように」

「むう」


 フェルトの日除け帽を頭に載せられる。目元の日光が遮られて目がだいぶ楽でありがたい。ありがたいのだが――

 ――むしろ過保護度があがってません? おかしいなあ。

 まあ、目の前で誰かが船から落ちるのを見たらそれはショックだろうし、致し方ないのかもしれない。自分でもそんな相手が目の前にいたらしばらく気にはするか。スサーナは納得しつつ、レティシアに悪影響がないといいなあ、と少し気がかりだった。




 それから少しして、村のおかみさんが呼びに来て、一同は移動を開始した。

 ガルデーニャくちなし島という名前の通り、港から村に続く道沿いには一面にクチナシの林が広がっている。

 人の背丈よりやや高い程度の低木の並びに、白い、一重の六弁の花がぽつぽつと開き、暖められた空気に乗ってつよい香気が漂っていた。


 セルカ伯と奥方はやや小柄な島産の馬に乗り、お嬢様たち二人は屋根なしの二頭建ての馬車に、使用人たちは荷物と一緒にリヤカーめいたロバの牽く荷馬車にのせられている。


「まあ、なんて良い香り」

「ええ、まるでよい香水みたいですわ」


 お嬢様たち二人がはしゃいで深呼吸をする。

 船の上では潮の香りばかりだったため、余計好ましく感じられるのだろう。



「ええ、なんと素晴らしい香り。」


 奥方もうなずいて息を深く吸い込み、


「うまく香水にできないかしら? この香りを広められたらきっとみなさんお気に召すと思うの。」


 ――おお……商才……


 目を輝かせてなにやら算段を始める奥方に、セルカ伯が馬を止め、笑って手の届くところに咲いた枝を一つ摘み取った。


「あなたはいつも皆のことを考えているね。」

「あら、貴方のためでもありましてよ?」

「それはありがたい。僕は商才というのはないからね。せいぜいこれが可愛い奥さんに似合うだろうな、ということぐらいしか思いつかない」


 すっと馬を寄せ、奥方の結った髪に枝を差し込み、くちなしの花挿かざしに仕立て上げる。


「まあ、貴方ったら」


 奥方が華やいだ声で恥じらった。


 ――お、おお、すごい何かを見せられたぞう。

 スサーナはラブラブご夫婦のじゃれ合いに微妙にたじろぎつつ、ふとなんとなく得心がいった。

 レティシアが普段からこれを見せられていればそれはそれは恋愛結婚というものに夢を見るだろう。貴族的な結婚制度と結婚観がかけ離れている可能性すらある。

 ――難儀だなあ。

 スサーナが遠い目をしていると、両親を見たレティシアがきゃっきゃと声を上げた。


「まあ、お母様ずるいわ! ねえレミ、わたくしにも花を取ってくださらない?」


 ――あー。


 何気ない動きで遠い目のスサーナの方を眺めやったレミヒオは、荷馬車から軽々と飛び降り、二輪くちなしの花を摘んで、馬車のタラップに身軽に駆け上がるとうやうやしくレティシアとマリアネラの前に捧げた。


「どうぞ、お嬢様がた。」


 ――あっ、レミヒオくんナイス!

 二人共に捧げるならそれは恋愛っぽさはだいぶ下がるし、やらないよりレティシアの気持ちは損ねない。


「ありがとう、レミ。」


 上機嫌でレティシアは自分で髪にくちなしの枝をさし、枝を受け取ってどうしようか迷っている様子のマリアネラの手から枝を取り上げて、マリアネラの髪に差し込んでやっていた。


「ふふ、マリもお揃いですわね」


 ――基本的には仲がいいんだよなあ。

 昨日の嫌がらせと呼ぶべきなのか何なのか、ぬるい妨害を受けたあとでもとくにレティシアはマリアネラに対して機嫌を損ねた様子はない。

 マリアネラ側も多少の遠慮と上下関係めいた意識が見えるものの、レティシア自身に対しては悪い感情はなさそうで、髪に枝を差し込まれながら嬉しそうに表情を明るくしているのだ。


 ――難儀だなあ、恋。


 触らないようにしよう、と決めたものの、なんとなく理由を察してしまうとレティシアのほうもつらい思いはあまりしてほしくはない。……レミヒオのほうに全くその気がなさそうだとわかった以上、こう、いつかは破綻が来るのだろうし、成長段階で婚約者様に対して割り切ってくれるといいのだが。だが、それはそれでマリアネラの複雑さに拍車がかかることだろう。


 妙に交錯する恋愛事情さえなければ友情の破壊を幻視してハラハラすることもなく済むのだが。

 スサーナは世の中のままならなさにもうひとつ遠い目になった。




 一同が案内されたティーハウスはいかにも田舎家、というところだった。

 急いで探したのだろう、真ん中に絨毯が敷かれ、上等そうな椅子と机が二脚ずつ二卓据えられてはいるが、非常に場違い感にあふれている。

 床は木造りであるもののシミだらけで、おがくずの撒かれたのを急いで掃き清めた気配がある。端っこに寄せられたガタガタの白木造りの机と椅子が普段は運用されているものだろう。

 主人たちを中央に座らせた後、メイドたちの半分は、たぶん十分なもてなしのできる従業員には足りないだろう、という使用人頭の判断で、お茶の支度をしに厨房に向かった。

 残りの使用人たちは自分たちの座る分を確保するために端っこに寄せられた机と椅子の中からマシなものを探して慎ましく並べ直す作業だ。


「貸し切りにしてもらっちゃったんですね……」


 村の人も予想外に大変だろうなあ、ご飯食べに来たら貸し切りだったりして、と申し訳ない気持ちになりながらガタガタと椅子を運ぶスサーナにセルカ伯側のメイドが笑いかけた。


「大丈夫よ、こういう村の居酒屋が一軒だなんてことがあるわけないわ。」

「えっ、そうなんですか?」

「ええ。雑穀酒は許可がなくても醸せるでしょ? このぐらいの大きな村なら三軒、四軒あったって十分商売になるもの。他所の店主はここのお客が回ってきてきっと喜んでるわね。ここの主人にはあとあと旦那さまから謝礼も入るし、みんな得するだけよ」

「ほへえ、詳しいんですね!」

「ふふ、アタシは本土だけど、農村出だからね。おちびさんは島の街の子なんだっけ? 覚えときなさい、こういうちょっとしたが侍女には大事なんだから。」

「おちびさん……ううむ、覚えておきます!」


 そう長く侍女をするつもりはないのだけれど、というより今回こっきりにしたい、そう思いつつもスサーナははきはき返事をした。

 おばあちゃんの店で徒弟づとめをしてはいるものの、やっぱり店主の孫だけあってみんなちょっと丁寧で、こういう風にフランクにその道の後輩的な扱いを受けるのははじめてで、少し嬉しいような気がしたのだった。



 からん、と入り口に付けたベルの音がする。


「申し訳ないが、本日は貸し切りで――」


 セルカ伯の従者の声が途中で陽気そうな声にかき消された。


「ああブラウリオ殿、お久しゅう!」


 入ってきたのはギリギリ中年には入るまい、というぐらいの年齢かと思われる男性だった。

 朱色のチュニックに金糸の全面刺繍、白地の袖なしの上着もこれまた縁取りは金、ズボンは微細な縞模様の入った水色の細身のもの。縁無しの帽子に赤に染めた羽飾りをつけ、田舎のティーハウスにはこれほど場違いだと感じる格好もそうそうなかろう。

 村の人間にしては身につけているものがへんに豪奢だ、とスサーナは不思議に思う。



 セルカ伯が飲みかけていた茶のカップをテーブルに戻し、怪訝そうな声を上げた。


「ベルガミン卿。なぜ卿がこちらに?」

「卿などと水臭い、どうかブラスと気軽に呼んでいただきたい! 避暑でね! そろそろ帰るつもりだったんだが、貴殿がこちらを預かるとてお出でになったと聞いてね、挨拶に。」


 つかつかとやってきた男は、娘たち二人が急いで壁際の召使いたちのもとにやってきたために空いた椅子にどすんと座り、片手を上げて、


「ああ、私にも茶を。エールでもいいがね」


 控えた侍従に声を掛けた。


 顔を見合わせた貴族の娘たちの表情がなんだか引きつっているような気がしたスサーナは、マシそうな椅子をレティシアとマリアネラに明け渡しつつ、


 ――なんか、面倒事めいた気配がする……


 ぼやーっとした頭でカンは全然効かないものの、それでもそう感じ取ったのだった。

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