第206話 予兆 2

 報告を兼ねた食事会は和気あいあいと進んでいるようだった。

 スサーナとしては漏れ聞こえるエレオノーラお嬢様を褒める話し声にどうにも魔術師を軽視しているとしか捉えられない「貴族扱いで増長している役立たずども」とか、「得体のしれぬ人の形の化け物」とか、よくない単語が比較的頻出するのがとてもとても気に入らないのだが、流石に出ていって文句をつけるような真似はしない。


 ――文化差と民族間相互不理解は一朝一夕にはどうしようもないっていいますし、ええ。

 あんなにすごいのに、よくもまあ侮れるものだ。見る機会がよほど少ないのが悪いのだろうか。魔術を見たら一発で侮りは消え失せると思うんだけど。そう思いつつもスサーナは最初の指示通り食堂ホールの側にある小部屋で待機をしているところだ。


 待機に用意された部屋は、建前上エレオノーラお嬢様の身の回りのものが置いてある、という扱いらしい。お嬢様に付き従っているマレサが時折上着や手袋などを置きに来るし、その際にちょっとした確認事項を確かめていったりもする。

 何となく自分も身の回りの備品と認識されているのではというような思考を少し弄び、それからスサーナは真面目にお仕事を続けるのに戻る。といっても、壁際で座っているだけだが。


 部屋自体は多分食卓に呼んだ楽師あたりが待機するのに使う場所なのだろう。食堂の様子が見られるような仕掛けがしてあり、少し離れてはいるがエレオノーラお嬢様とそのご家族、派閥の貴族のみなさんが食事をしている様子が見え、音も聞こえる。流れの把握も出来るように気を使われていると言ってよかろう。


 エレオノーラに覚えさせた流れと作ったアンチョコには基本的な不備はなかったようで、お嬢様は堂々とした態度で貴族の皆さんのご機嫌取り混ざりの質問をさばいている。

 横に座った威厳のある男性がとても嬉しそうにしているので、これがお父様なのだろう。

 金髪と言うには少し茶色みが強いかな、という髪にブルーグレーの目。肩幅も体の厚みもしっかりしていて、骨も太そうな体躯。いかにも何か武将、という雰囲気がある。

 その反対側に座っているのがオルランドだ。穏やかに目を細めて妹の晴れ姿を見守っている、という感じ。

 こうしてみると兄妹は目元なんかが結構よく似ている。エレオノーラもオルランドも体格や全体的な印象はあまり父親似ではなく、パーツパーツを受け継いだようで、容姿はどうやら母親似なのだろう、とわかる。

 スサーナは失礼ながらエレオノーラお嬢様はお父上似にならなくてよかったですね、などと考えた。


 呼ばれている派閥の貴族らしい人々は十人ほど。父親が同席している以上そうなるのも当然だが、あまり突っ込んだ質問や答えづらいことを聞こうとするものはおらず、聞こえる声は魔術師の非礼に耐えて場を束ねた資質の素晴らしさやら恐れること無く同席した度胸やらを褒め称えるものがほとんどだ。質問らしい質問となると、一体どんな奇跡で狭量な彼らの心を解きほぐしたのか、みたいなものがメインで、それに時折、前の宮廷料理長の力を借りられるとは一体どんな説得を、とかそういうものが混ざる。事前に返答を用意していたジャンルなのでエレオノーラお嬢様も慌てることはない。


 それに、食事が始まってしばらく経っているため、場の雰囲気はそこそこ緩み、酒菜と会話を楽しむような雰囲気になって、あまり関係ない話題が場の半分以上を占めている。

 流石にここで『この分野は専門ではないのですが……』的な答えづらい質問をしてくる空気の読めない人はいなかろう。

 ――ここで待機するほどのこともなかったような気がしますねえ。

 そう思いながらスサーナが一応中の会話に耳を傾けていると、一人の貴族が口を開くのがみえた。だいぶ酒が進んでいるのか弱い体質なのか、顔が赤い。


「いやあ聞きましたぞ、エレオノーラ嬢の功績は王家にも届いているとか。まさか魔術師の管理などという閑職ですら王家のお目に留まるとは思いませなんだ。これで先年の失態など帳消しと同じことですな、はははは」


 周囲の者達がさっと目を見交わし合う。

 場の雰囲気がなんとなく硬くなった気がしてスサーナは散漫になりかけていた注意力を場に戻した。

 スサーナが見た感じはっきりと表情が硬くなったのは褒められたはずのエレオノーラ、それからなんとなくだが父君の雰囲気も硬くなった感じがする。

 ――失態、ってなにかあったんでしょうか。

 微笑んだままオルランドが口を開く。


「ええ、本当によく出来た妹で鼻が高い。俺も早く汚名をすすげるよう努力しなくてはいけないね。」


 ――お兄さん絡みのことかあ……。

 もしかしたら恋人に関わる話とかだろうか。いや、何でも関連付けるのは良くない。スサーナは予断に寄りそうな認識をいやいやと振り払う。

 壁の向こうでは皆にも力添えいただけると、という話題運びから如才なくオルランドが他の貴族たちの功績について触れ、そこからまた場が和やかになっていった。


 食事会が滞りなく終わり、スサーナが隠れた、もとい待機した小部屋に顔を出したエレオノーラお嬢様は上機嫌……ではなく、ぷすぷすと不機嫌である。


「ナボ侯は一体どのような教育をお受けになっておられるのでしょう。祝いの席であのようなことを口にするとは……! 」


 ぷすぷすしながらマレサにスサーナに簡単な食事を取らせて裏から送るよう言いつけ、いくつかの指示をしてからまたそっと他の家族が待つ広間の方に戻っていく。


「アレさえなければお父様にとはいかずとも顔見せぐらいはと思っていましたが。ええ、もう帰して構いません。待たせておかなくても結構。ああもう!」



 ともあれ、まあ、ちょっと失言をした人はいたようだったけれどエレオノーラお嬢様が失敗するということもなく、ご家族にも面目が立ったはずだ。二大懸案事項のうちの一つはこれで無事終了。あとは演奏会でミアがちょっかいを掛けられないように見張るだけ、スサーナはとりあえずそう考えて伸びをした。


 そのあと、マレサの指示で食事を出すようにと言われたメイドがそれなら、と手引してくれて、そっと調理場そばの部屋に通してもらい、食事会の残り物と思しきものを出してもらう。夜になったら貴族の方々はそういう場所の周囲には近づかないらしく、あまり気を使わなくて良さそうなのはいいことだ。


「残りのワインと水の壜はみなこちらに置いておきますから、ゆっくり食べてくださって構いませんよ。パンも置いておきますね。……シチュー、温かいほうがよろしかったらお声を掛けてください」

「すみません。どうぞお構いなく」


 給仕を附けてくれるということこそなかったが、よいドレスが功を奏したのか余り物とはいえそれなりに気を使ったものが運ばれてくる。

 茹でたアーティチョーク。少し時期が遅いのにしっかりしているということは特別に栽培したやつだ。塊の鹿肉のシチューに、輪切りのトマトと合わせてグリルしたうずらが少し。干し鱈のペーストバッカラ・マンテカートに煮たプラムがいくらか。

 それからパンがひと籠と、チーズ、ワインの大瓶と水の壜が数本だ。

 料理は皆さめていたし、発泡性が強い水の壜は冷えていないようだったが、スサーナとしては食事に水がついただけで結構満足である。


 ――水、普通はつきませんもんね……ワインを割るためのものなのかな、本当は。

 スサーナが大人しくカトラリーを使い、食事をしているうちに、ふと隣室の声に調理場の喧騒と違うものが混ざったのを聞く。


「あら、坊ちゃま。台所にいらっしゃるなんて」

「ああ、すまない。ワインはまだある?」

「まあ珍しい。……隣の部屋のお客様の所に皆出してしまいましたけど、お嬢さんが一人ですからまさか全部は……」

「ああ、自分で貰ってくる。友人と飲もうかと思って」


 こちらに来るかな、と思ってスサーナがフォークを止めて待つうちに、予想通りやって来たのはオルランドだ。


「お邪魔しています」

「ああ、……昼間はどうも、とんだ失礼を。ちゃんと名乗りもしていなかったね。僕はオルランド。エレオノーラの兄だ。」

「オルランド様。……エレオノーラお嬢様には大変お世話になっております。ええと、昼間のことはどうぞお気になさらず。ワインです?」

「ああ、持っていっても?」

「どうぞ。私は飲みませんので。ええと、食べかけを差し上げるようで失礼かもしれませんけれど、台所の残り物はみんなこちらに頂いているみたいですし、ええと、お夜食にされるようでしたら、シチュー以外は手を付けていませんので持っていってくださっても構いませんよ」

「それは助かる……けど、いいのかい?」

「はい、元来あんまり食べられる方ではないもので。」


 スサーナは立ち上がり、ワゴンに手を付けていないものを纏め直した。そこまで親切にすることもないのだが、まあ平民とわかっても殺されたりはしなさそうだし、これで終わったという開放感で少し警戒心が薄れている。


「すまない、ご令嬢にやってもらうことではなかったな、人を呼べばよかった」

「いえ、もうこれで終わりですから。私は小間使いですので、どうぞお気になさらず」


 一礼して下がったスサーナにオルランドは珍しいものを見るような目をした。


「小間使い、君が? 見えないな。エッレ……エレオノーラのかい? 父上はエレオノーラに甘いから、君のように家柄が確かそうなお嬢さんをつけたのか」

「いえ、言って頂けるほど立派な家柄というわけではありません」


 まさか自分から平民です、というのもな、とスサーナは言葉を濁し、そういえば一つ確認したいことがあるんだったな、と話を変えるついでに問いかけることにした。


「あの、恐れ入りますが、オルランド様。よろしければお聞きしたいことがございます」

「聞きたいことというと?」

「ええと……ええとですね、エレオノーラお嬢様に……小間使いのよしみでドレスをお貸しいただいているのですが、これはそのう……すこしお聞きしたのですが、ええと、奥様のものだと……」


 ああ、と声を上げてオルランドは苦笑する。


「着てもらって構わないよ。死蔵している、というエレオノーラの意見も間違っていないし。……置いていったものだから、彼女が気に入っていたものでもなかったんだろう」


 ――置いていった、かあ。


「さ、然様でしたか。ええと、ええ、あの、それでですね。私、お披露目デビュタント前ですので……あの、祝賀演奏会のドレス、お下がりを頂く、ということになっているんです。それで……ええと、多分、この分ですと、奥様のものを頂くことになる……んだと思います。」

「ああ、うん?」

「ええと、ですから、思い出の物とか……大事な……これは良くないというものがございましたら、エレオノーラお嬢様に仰っておいていただけますと……あの、私から申し上げますとご機嫌を損ねるかもしれませんもので……」


 スサーナはとりあえずこれだけは、と思っていたことをこの際なので言っておく。

 ドレスのお下がりを貰えるのはいいのだが、他人の思い入れのある品とわかってしまった以上平然と着られるほどスサーナの肝は太くない。せめて初デートの時のドレス、とか、なんだか記念日にプレゼントしたドレス、みたいなものがあったら避けてもらって、そのメリッサさんとやらと明らかにまだ未練がありそうなオルランド様には特に思い入れのないドレスがいい。

 なんだか呪われそうではないか。

 自分でエレオノーラお嬢様に申し上げて機嫌を損ねるのは絶対にナシなので、是非お兄様の方からお伝え願いたいばかりである。


 スサーナの言うのを聞いたオルランドがなんとなく面白げに笑い、頷いた。


「そうするよ。気遣いありがとう。」


 その背から声がかかる。


「オルランド?」

「ああ、悪い。今戻る」



 後ろに立っていたのはプロスペロで、中にいたスサーナを見てまた眉をひそめたようだった。

 ――ううん? やっぱりなんだか嫌われてます……よ、ねえ……?

 頭を下げても特に返答があるわけでもなく、睨んでオルランドとともに戻っていく。

 背を向けて戻っていく二人を見送り、スサーナははて、と首を傾げた。

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