第258話 偽物令嬢、盗み聞きをする

「ゴメン火傷とかしてないよね!? とりあえず拭いて……」

「あ、いえいえそのようなことは。はい、ポット割れずに済んで良かったです」


 いやー悪役令嬢ムーブをキメておくところのような気もするけど特に思いつかないな、などと考えつつ、スサーナは泡を食ったフェリスに受け止めたポットを渡す。

 お守りは熱湯でも働く、ということは学院生活時代の台所なんかで実証済みなので特に慌てることもない。フレッシュフルーツを入れるティーはぬるめになるものなので術式は特に働きすらしなかった。もしかしたらちょっと働いてくれていたほうが良かったかもしれない。そうしたら服に紅茶が染みなかったのだが。


「皆さん驚かれてしまいましたし、フォローお願いしますねフェリスちゃん」

「あっ、うん……」


 駆け寄ってきた侍従に連れられてその場を離れる。蜂の巣をつついたようになったご令嬢たちを、気を取り直したらしいフェリスが如才なく宥めるのが聞こえたし、ベアトリス妃が優雅に場をまとめるのも離れ際に見えた。まあ、あとはあまり気にせず良いだろう。



 お茶会の会場は広大な敷地を擁する王宮の端の方、点在する庭園の一つだ。

 庭園には雨が降ってきた時に退避したり、賓客が滞在するための離れが用意されている。そちらに着替えを用意させます、と言われて庭園の中を歩きながらスサーナはいやはやしかし、と考える。


 ――いやでもちょっと考えることが多いですねえ!

 さてもさて。まず、これが家名に傷をつけた、ということにならねば良いのだが。まずそれが最大の思案ごとだな、とスサーナはそっと溜息を吐く。

 お父様に聞かれてガッカリされるのは想像するとなんとなく身がすくむ思いだ。トチっちゃダメな席だとは解っていたし、トチらないようにはしていたのだが、避けるのは無いな! と思ったのもまた真実なので困ったものである。

 あの場で誰かの頭にポットが当たったりしたら大変だし、フェリスちゃんも困ることだろう。あの場でドレスが汚れても後々問題なく対処できるご令嬢だって他に居ないだろうし。

 お披露目前なので大目に見てもらえることをとても期待したい。子供の失敗は微笑ましく見られがちだという点に心から希望を持つ。それか、平民生まれだからそこまで期待されていない、とかでもいい。見限られるのは困るけれど。


 次に、借り物……スサーナのものなのだが亡くなった奥様のお下がり、という点で借り物なドレスはまあ、魔法でなんとかすれば色落ち無く洗えるのでセーフ、ということにしておく。丸洗いの魔法は応用すれば布を傷めないクリーニングになるのだ。

 バタバタしている今のうち、着替えの侍女が集まらないうちにバレないように魔法を使っておけばいいな、とスサーナは算段する。

 長めに見積もっても数分あれば使用に十分問題ない。ありがとう魔法。ありがとうカリカ先生。香水に耐えかねた時用に刺繍を一枚そっと持ち込んであったのが役に立つ。


 最後に、と考えてスサーナは一歩分足を止めた。

 マジマジあの格好を見たらやっぱりフェリスちゃん、なんだか骨格は男性のような気がするな??と思ったことについて。


 普段を思い返してもチョーカーとかフリル、スタンドカラーで喉はカバーしているし、袖はふんわり系で肩もカバーしているし、長手袋は手首に切り替えや飾りがあったりしてボリュームを作るタイプだ。デコルテとか出すところは出していても体型はカバーしてるな? ということにうっすら思い当たったりしたのだが……

 ――うん、ええと、本当に王子様の一人だ、ということになってしまいますとですよ? ちょっと私不敬罪で首が二桁落ちるようなことをしてません?

 お姫様ならいいか、というとそうでもないのだが、第二王妃のミレーラ妃を母上と呼んでいたということは、妃の数に数えない妾の誰かの知られていない娘、ではなく…… ミレーラ妃の子供は男児が二人だったはずで……


 とりあえず考えるのはあとに回しておこう、後。

 スサーナはそこのポイントについてはさっくり現実逃避をすることにした。



 離れの一室に案内され、まず拭くものを渡されて、今ミレーラ妃とザハルーラ妃が面会を希望した貴族と会っていてそっちに侍女が出ているようなので、呼んでくる、と伝えられる。

 スサーナは侍従を見送った後、部屋の隅にそっと移動して柱の間あたりに挟まり、内ポケットに隠してあった刺繍を取り出してさくっと魔法を発動させた。


 糸の魔法は同じ刺繍でもイメージさえ変えることが出来れば起こることは別だ。体がこう洗えるのだから服も洗えるだろう、と考える。それに足しておうちで見慣れたみんなが布を洗う光景と、前世で体験したクリーニングのイメージ。


 現れた水はすっと服だけを綺麗にして消えていった。

 ……フルーツティーの香りのするカツラに気づき、あっもういっそ全身丸洗いすればよかった、と思っても後の祭りである。

 ――糸の魔法、生活クオリティを上げるのにとても便利なんですけど、刺繍の用意が要るのがなあ。

 あんまり各種刺繍を隠し持つのは怪しすぎる。一応鳥の民は忌避されている民族なのだからして。

 なにかいい手段はないかなあ、などとスサーナは考えつつ、服に紅茶と溶けた髪油がつかないよう、借りたタオルで髪を押さえて侍女を待つことにした。


 ところで、スサーナは生活に便利!と認識している糸の魔法だが、カリカ達に聞かれれば「普通はそう気軽に使わない」と言うことだろう。日常使いの発想を与えたカリカにしても、そう頻繁に使うだなんて思ってはおらず、丸洗いの魔法などもここぞという時に使うものだと認識している。おかげで便利に使いたいというスサーナの欲求はあまり理解されておらず、彼らから解決策が出てくることはない。糸の魔法は本来コスト重めの秘儀の類なのである。



 やってきた侍女に服を脱がせてもらう。

 ドレスが濡れても汚れても居ないのに妙な顔をしていたが、頭に巻いたタオルを見て納得したようだった。


「恐れ入ります。では一旦こちらに着替えていただいて……、おぐしを整え直させていただきます」


 髪がフルーツティーで濡れたこと、鬘だが、地毛までぐっしょり行っている、と説明する。服が濡れた、という話だけ聞いていたのだろう。少し悩んだようだった侍女だがその後の行動は早かった。着替えらしいドレスではなく、すぐに侍女のお仕着せらしい服を都合してきたのだ。


「これ、侍女の皆様が着ている服なんですね」

「申し訳ございません。お髪をお整えしたらすぐに相応しい格好にお着替えいただきますので……」

「いえ、少し興味がありましたので……とても可愛らしいですから」

「さようでございましたか」


 ホッとした様子の侍女にスサーナはちょっと微笑む。興味があったのは本当だ。

 なにせ、ブラウンに染めたお仕着せは、王宮らしい古式な風情と上品さがありつつ、やや――くるぶしがギリギリ見えるぐらい――裾が短く動きやすそうで、肩から襟ぐり周りに同色のフリルがつき、白糸でフチ刺繍が施されていて、前世のメイド服にも通じてちょっと可愛らしい。揃いで何人もの侍女が着ているのを見るとちょっとワクワクするものだ。


 これを着て水を使える部屋まで行き、髪を洗い――どうしようもなかったらカツラを外して――乾かした後に元の服に着替える、ということになった。


 結局結構どうしようもなかったので、カツラを外して洗ってもらう。はちみつたっぷりなのも潰したベリーたっぷりで細かい種がカツラの隙間に入り込みまくっていたのもなかなか対処に困る事態だった。



 石鹸で髪を洗われたのでキシキシする。

 天日干しにされるカツラを見つつ、帰ったら魔法でなんとかしよう、とスサーナは考えた。

 ドライヤーなんてものはないので、タオルドライをした後は自然乾燥でしばらく乾くのを待つことになる。綿布で髪をきゅっと巻いて風に当てるスタイルだ。

 侍女は一旦席を外し、スサーナが髪を乾かす間元の業務に戻っているらしい。

 ちょっとぞんざいかな?と思わなくもないが、まあこちらが仮にも公の娘とは侍女は気づいて居ないのかもしれない。放って置かれる方が気楽でいいのでスサーナとしては全く文句はない。


 ――これは着替え終わってもお茶会が終わる頃ですかねえ。

 思いつつ、せめてもと部屋の中で風通しの良さそうな場所を探してウロウロする。

 離れとはいえ、二番目に案内された水が使える部屋は結構広い。個室や客室というより共有部分なのかもしれぬ。



 ――ん。

 風通しのいい場所を探して部屋の中を歩き回っていたスサーナはふと足を止めた。

 部屋の出入り口は複数あるのだが、数メートルしか無い短い廊下を隔てた向こう、隣室から誰かが会話する声がするのだ。

 見れば使用人用と思われる小さめのドアが細く開いたままになっている。


 普段のスサーナならそこで耳を澄ませようとはしないのだが、ここのところ情報収集について考えていたりしたし、悪役令嬢への適性に疑問をいだいたばかりという理由もあり――悪役令嬢はそこで行儀よく聞くべきではない話を聞かないということはしない気がする――、なんとなくそっとそこに近づいた。

 うっかり見咎められても侍女のフリが出来るかな、という計算もある。

 なにより、聞こえてきた声がなんとなく神経に引っかかるタイプの声だった、という理由もあるかもしれない。


 ――向こうにいるのは……ええと、ザハルーラ妃様? あと……

 妃殿下と話し込んでいるのは、60ぐらいかと思われる男性で、多分貴族と思われる格好をしている。結構恰幅がよく、エネルギッシュな赤ら顔。髪は薄めで、服の趣味はスサーナの好みではない。

 覗き込んだスサーナは全力で眉を寄せた。ぱっと見てわかるのはそのぐらいなのに、なんだかとても嫌いな印象だ。


 別にヤローク人っぽい、ということもない。ただただひたすら嫌いなのだ。

 ――なんだかすごくあの人の人相が嫌い……。声も嫌……。なんででしょう。

 スサーナはしばらく考えてからはっと合点する。

 ――あ! レミヒオくんを殴った人! に似てるんだ!

 会話をしている貴族は、三年前、島の海賊市でスサーナに貴族に対してのトラウマを抱かせた人物によく似ていた。

 似ているとはいえ本人ではない。年齢が大きく違う。そんな理由で嫌われても困るだろう、とは思うが、好印象が抱けないのはどうしようもない。


 ――あんな人が妃殿下と何の話をしているんでしょう。

 あんな人呼ばわりで耳をそばだてる。


「いや良ろしかった。この事に関しては儂は第三妃様の御為を思ってご提案させていただいていたわけですが――」

「ええ、解っていますよ。先日国難があったばかりでしたから。事が落ち着くまでは私事で皆様の手を煩わせるのは、と思っていたまでですわ。」

「私事などと。国の大事に関わることでございますよ。ご決断頂けたのは良いことでございます。こういう事は早いほうが良いですからな」

「そう言って頂けるのは嬉しいこと。レブロン卿、では取り仕切りは貴方にお任せしてもよろしいでしょうか。」

「お任せくださいませ、では手始めに公示を出しましょう。「第三妃殿下が第五王子殿下のお命を救った亜麻色の髪の乙女のことをお探ししている」と」



 ――んんんん?


 スサーナはぐりん、と首を傾げた。

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