第120話 艱難玉には迷惑千万。 8(エピローグ・いろいろな経緯と後始末について)

 小船が密輸船から離され、ちゃんと浮かぶことが確認されたその後。

 スサーナたちは騎士たちの乗ってきた小さな帆船に乗り換えていた。


 スサーナとクロエがフィリベルトとアラノと共に島に戻り、ヨハンと呼ばれた騎士と彼の従騎士が後の引き継ぎに密輸船に残る。そしてレミヒオがまた小舟で牽引される、という手はずのようで、こっそり小舟に乗せた青年の存在がなかなかバレないで済みそうな具合でスサーナはほっと安心した。



「助けて頂き、ありがとうございました。」


 一息つき、船が動き出したあと。スサーナはフィリベルトに深々と一礼した。


「なに、お礼を言わなくちゃいけないのはこちらの方だ。お嬢さん。」


 その膝下にうやうやしくフィリベルトが跪き、手を取る。


「お嬢さんのおかげで俺たちは動くことが出来たようなものさ。その働きに深い感謝を。」


 スサーナはぴえっとなった。


「えっ、私ただ捕まっていただけで、何も出来ませんでしたし……ええと、お立ちいただけますか!」

「いやいや。伝言を残してくれただろう。ヤロークにセルカ伯が暗殺される、ってな。」

「あ、あれ、届いたんですね……。」


 スサーナは目を瞬かせる。夜半に投げた布がそれほど速くセルカ伯に届けられるとは実のところ彼女は思っていなかったのだ。


 島の船乗りなら幼年講までは大抵のものは済ませているために、読み書きはできるのであの内容を読むことは出来るだろうという算段だった。

 人通りの多くなった頃、例えば午前中、昼過ぎ、そういう頃に船乗りの誰かの目に留まって、きっと事件があったと広まるだろうセルカ伯の邸宅に届けてもらえれば人質交換を申し出られても注意喚起になるかもしれない、そう願ってはいたが、そこまで迅速に届くとは思ってもみなかった。


「おう。おかげで柔軟に行動することが出来てな、伝言様様というやつさ。なぁアラノ!」

「はっはい! コホン。君の勇敢な行いのおかげで色々と厄介な事態が片付きそうで……詳しくは言えないけど、ともかく、凄いことなんだよ。騎士物語で騎士に秘宝を渡す乙女もかくやというか……」


 フィリベルトは片目をつぶっていたずらっぽく少女に笑いかけた。



 彼女は知る由もないが、スサーナが誘拐された直後から事態を重く見たフィリベルトは別に島に潜入していたもうひとりの騎士ヨハンに連絡を取り、目星をつけた潜伏場所を虱潰しに捜索しだしていた。

 その余波で別に船まで連れてこられるはずだったクロエとの合流が早まり事情が多少ややこしくなる原因ともなったのだが、ともあれそのことで状況が転がりだした。


 それに意図して乗ったのがレミヒオ……ヨティスたちだった。

 彼らは騎士が調査しているアウルミアの学者失踪事件に関わるつもりはなく、ヤローク貴族の動きにも上の指示なく触れるつもりはなかったが、同族に意味があるかも知れない娘が拐われたことで看過しておくわけにはいかなくなった。少なくともそう暗殺士の少年は判断した。


 非合法の航路やすべての後ろ暗い取引に使われる場所を世界中の何者よりも熟知しているのは鳥の民たちである。

 ミロンから数氏族の仲介者を経て後ろ暗い行為に従事する島の鳥の民たちに相応の金額が流れ、いくつかの話から予想された場所の情報が「ハメを外した下男たちが出入りしている少しガラの悪い酒場の噂」として何食わぬ顔のレミヒオヨティスからフィリベルトに上申された。


 まだ表向きには伏されていたが、セルカ伯の使用人たちが駆り出され、”怪しい場所”を探しだしたのが夕刻。

 起こった出来事の量から言えばそれは非常に滞り無い対処といえた。


 夜半すぎ、港に落ちていた血文字の書かれた布を発見した使用人が急いで邸宅に戻り、セルカ伯に報告する。

 暗殺という単語の重さゆえに捜索が一時的に停止したことはそのままその周囲の捜索の優先を望んだヨティスにとっては頭の痛い事態ではあったが、それで状況が大きく推移した。



 布に書かれた文言は事態を大きく動かす意味を持っていた。

 それまで、セルカ伯邸に暴漢が押し入り、侍女――貴族の娘のように盛装していた侍女を誘拐した、という事象は2つの可能性を考えられていた。つまり、ひとつは行き当たりばったりの居直り強盗の類。身代金目的のもの。もう一つが特務騎士フィリベルトの行っていた失踪事件の調査のとばっちり、である。


 それらしい女性が島内に運ばれるのを見た、という情報から島に調査にやってきた騎士たちは、領主次男の友人という、辺境貴族の継承権の低い子弟で貿易商として身を立てているという触れ込みの男が関与しているのではないか、というある程度の目星をつけて行動していた。

 そのさなかに起こった誘拐である。フィリベルトは、その前の日、追われていた際に娘と行き合ったことから――彼女がならず者たちに顔を見られていたのだろうと判断した――彼に対しての牽制のための誘拐であると一度は考えた。


 そこに降って湧いた他国の関与を意味する単語に、暗殺の文字。

 見込み違いどころの騒ぎではない。

 事件であり、不名誉でもある事態ではあったが、被害者が平民だということもあり、それまでは局所的な……フィリベルト、もしくはセルカ伯だけで収めるべき事だと思われた事象の重要度がその瞬間に数段階跳ね上がった。


 当該の貴族は「証拠はないがきな臭い」とセルカ伯が考えていた相手でもあった。ヤロークという単語がセルカ伯の印象と一致した。


 通常伝書使を使って一週間、緊急時には従騎士に管理させる伝書鳥を使って二日、というような連絡手段を取る彼らであるが、特に重要な事態に備えて魔術の支援を受けた術式付与品緊急連絡手段を二度分だけ持たされている。

 フィリベルトは即座にそれを使用しミランド公と騎士団長に連絡をとった。

 ミランド公の対応は早かった。深夜にもかかわらず各所に上申と連絡が周り、情報が共有された。


 実際には事後承諾だったが勅令を受けた騎士としての行動許可が降り、騎士達は目標の逗留先に突入した。

 既に引き払ったあとだったが、ヤローク人だという裏付けといくつかの証言、看過し難い複数の証拠と、アウルミアの言語学者の痕跡が手に入った。2つの事件の原因が1つのものと明らかになり、長期の捜査にあとは任せるとして、その場ではそれで十分だった。


 ――そこで明らかになった情報の1つに、目標の貴族が荷をまとめて船旅の支度をしていた、というものがあった。更に言うなら、これまで島の貴族たちに共有されてはいた術式付与品の残骸の密輸に関する噂。翻意ありと判断されることを恐れて表沙汰にすることをこれまで許さず、騎士達に踏み込むことを許さなかったそれが、本来貴族たちの権限によってもみ消されるはずがあまりに短時間に巻き起こった騒ぎの結果うっすら明らかになり、貴族が密輸船に乗った裏付けになった。



 そこに氏族の情報網や黒市場のツテやらを使ってミロンが当たりをつけた密輸船の情報が港周りのガラの悪いあたりに屯する無法者たちの証言という形で意図して流し込まれた。


 これで、状況は明らかになった。ヤローク貴族だった男は密輸船に乗って島を離れた。そしてその船には行方不明になっていた言語学者が乗せられている。そして、誘拐された侍女もまたきっと。騎士たちはそう判断し、その情報を得る切っ掛けになった勇敢な侍女が殺されて海に捨てられていないことを祈った。


 港に向かった騎士達だったが、既にそれは出港したあと。ここで一旦事件は長期化するのではないかと思われたが、そのタイミングで騎士達に王宮魔術師が向かうという連絡がなされた。

 異例のことではあったが否を唱える時間的余裕があるわけでもなく、共同戦線が張られることとなった。


 ところで、この裏で魔術師側は魔術師側で深夜に叩き起こされたり評議会が招集されたり大典議決が発生したり地味に面倒くさいことになっていたのは騎士達には知る由もない。


 ともかく、本土からほんの数時間の速さでやってきた王宮魔術師と合流すればあとは早かった。

 島の位置的に他の人員を招集するということこそ出来なかったが、大義名分は整い、航路のアタリも複数の証言から異例の速さと正確さでついていた。あまりの状況の整い方に騎士ヨハンが仕組まれたスムーズさ……つまり、国の作戦としてヤローク貴族を引きずり出す企てだったのではないか、という感触すら感じ取ったほどだ。

 ……偶然なのだが。


 そして王宮魔術師が船の正確な位置を観測し、――騎士達にはこの場では知らされなかったが、諸国へのデモンストレーションを兼ね、複数の島の魔術師達が動員された大魔術式で――潮の流れと風の流れを一時的に支配し、船の航行が阻害された。

 結果作戦は成功し、現状に至る。



 そんな目まぐるしくややこしい事態が発生していたなどということを知らぬスサーナは、メッセージを書いた布が役立ったとは言っても内偵の裏付けとかその程度なんだろうなあ、ぐらいに考えていた。




 寝かせてもらい、昼前には島に着く。


 いろいろ支度してスサーナが船を降りると、小舟には誰も居なくて、

「後は僕ら……僕にまかせてください。彼は敵にはなりません。」

 そっとレミヒオに耳打ちをされた。どうやら青年と話がまとまったらしい、とスサーナはホッとする。

 敵対を選択されたらどうしよう、と結構気に病んでいたのだ。


 その後どうするのかと思ったが、とりあえず一旦セルカ伯のお屋敷に戻るということをフィリベルトに指示された。スサーナに特に否やはない。

 そこでフィリベルトと一緒に別の場所へ行くらしいクロエと一旦別れ――後ですぐ会えるよと先回りをして心配を潰されたのでスサーナはちょっとだけなんだか恥ずかしくなった――セルカ伯の屋敷に向かう。



 屋敷に戻ると目を真っ赤に泣きはらしたお嬢様たちに力いっぱい飛びつかれ、スサーナは嬉しいながらもぐえっと潰れたような声を立てる羽目になった。


「スサーナ!! 生きてます!? 怪我はない!?」

「ぐえっ、生きてます、生きてますーっ!! 特になんの怪我もないです!」

「スサーナさん!! ごめんなさいねお母様が変な服なんか着せたから、わたくし、わたくしっ!」

「いええぇ、奥様が悪いことなんか何もないですよ! それにお二人が誘拐されるより全然、ぐえっ、なんともありませんでしたから落ち着いて、腕! あの、苦しいです! お二人とも!!」


 お嬢様たちのベアハッグからなんとか脱出すると、セルカ伯と奥方が側にやってくる。

 奥方もずいぶん泣いたような赤い目をしていて、スサーナは逆に申し訳なくなった。


「ああスシー、あなたにもしものことがあったらどうしようかと思いました」

「奥様」

「ごめんなさいとありがとうを言わせてね。……卑怯なことを言うけれど、誘拐されたのが娘だったら私、正気では居られなかったかもと……」

「! いえ奥様、あの、えっと、普通ですよ! お母さんですもん、いいことですよ! ええとちょっと冒険みたいでしたし、なんともなかったので!本当になんともないので大丈夫でしたから!!」


 感極まってスサーナを抱きしめてさめざめと泣き出してしまった奥方にスサーナは慌てた。腕の力はなくて苦しくはないがなんとも落ち着かない。

 逆に奥方の背中をさすったりしていると、側にセルカ伯が立った。


「大変な迷惑をかけたね。……君が無事で本当に良かったよ。」


 ひどく疲労した、という顔をしていて、一晩で10ぐらい老け込んでしまった、というふうにも見える。目の下のクマがひどいことになっていて、これは一睡もしていないのだな、と判断できた。

 流石に暗殺などという事態に巻き込まれかけたのだ、それは心労も凄いことだろうし、実際きっと一晩中事態の収拾に駆け回っていたのだろう、とスサーナは察し、それはそれは想像を絶する大変さなのだろうといっそ労りの目を向ける。


「私達のせいで命の危険に遭わせてしまった。本当に申し訳ないことをした。」


 腰を深く曲げる最上位のお辞儀をしたセルカ伯にスサーナはうひゃあとなる。貴族は普通平民には深く頭を下げるものではないのだ。


「かっ顔を上げてください! ええと、助かったのも皆様のおかげですし、あの、ええと!」

「恐ろしい事態も回避され、私自身の命も君に救われた。ブラウリオ・クレメンテとその一門は君への感謝を忘れぬと誓おう。ありがとう。」


 そのうえ、姓名を述べての貴族の言葉は普通のものより一段重くなる。


「おっ、おっ、大げさなー!! 私はなにもしてませんから! あのどうかお気になさらないでください! 本当に!!!」


 スサーナは全力でうひゃあとなった。


 この出来事を発端に、起こったかもしれないヤロークとの政情不安、エステラゴ内でほぼ確実に起こっただろうと目されていた内乱、アウルミアとの関係悪化という三重の大問題が、秘密裏の外交その他で抑えられる程度に収まったのだということを彼女は知らない。



 湯を使わせてもらい、服を元の服に着替え、家に帰ることになる。

 家がどれほどの阿鼻叫喚かスサーナはちょっと恐ろしかったが、表沙汰に出来る事件ではないため、伯の一存で「お嬢様たちについて島外に泊まりで遊びに出た」という形で隠蔽してくれていたらしい。

 流石に事件が長期化したら隠せなかっただろうことだが、なんと誘拐発生から24時間と経過していない現状では十分機能しつづけている隠蔽だった。


 つまり、家の人はだれもスサーナが誘拐されていただなんて想像もつかないわけだ。

 誘拐されていた時間がそれほど短かったことも、おうちが変わらず日常をやっていただろうことも、スサーナはなんだかちょっと面白かった。


 預かり知らぬところで起こりかけていた大問題はともあれ、彼女自身はこれでもう何もかも済んだ、と思っていたのだが。





「……クロエさんがなんでセルカ伯のお宅にいらっしゃるんでしょう。」

「うふふええとー。国に戻るにも色々ちょっと折衝があるみたいでー、しばらく身柄が騎士様あずかりになるんですよおー。」

「ああなるほど……」

「せっかくなんで塔の諸島の語形調査が出来ます~~~~うふふーーーー。ああっスシーさん、そういえば黒い髪の人だったんですねーー。ぜんぜんわかりませんでしたー。漂泊民さんたち特有の語形のクセがぜんぜんないものでー。あの侍従の子にはそれなりに矯正の後がありますけどー、スシーさんは完全に綺麗な語形で~~~~」

「あー、生まれたときから街育ちなんですよー。混血なもので。」

「ああーーーー!」


 次の日セルカ伯のお宅に伺うと、言語学調査にたぎたぎにたぎっているクロエと遭遇したり。



「やあお嬢さん、御機嫌如何かな。どうだろう快気祝いを兼ねて甘いものでも――」

「ひゃっ、あの、跪くのはちょっと、その、顔を上げていただけますか!!」

「フィリベルト様 …… 僭越ではありますが、急ぎの書類が終わっていないのでは?」

「うぇー、アラノ。じゃあお前がお嬢さんをおもてなししてこい。」

「お、俺がですか? いいんでしょうか。 その、それじゃもし良かったら、好きな甘いものがあれば――」


「……図々しい。」

「あっレミヒオくん。」


 騎士主従に声を掛けられたり。


「スサーナさん」

「なんでしょう、レミヒオくん」

「『彼』ですけど、下町の宿に泊まらせています。多分鳥の民の船でそのうち島を出るでしょうが、その前に一度顔を合わせておきますか」

「できたら……お願いしたいです。」

「ええ。まだ少し気持ちが落ち着いていないみたいですけど、感触は悪くないので。」


 じわじわと影響は残っているようだった。




 ところで、この事件の波紋は長期的にはそればかりではなかった。

 これまたスサーナの、どころか島の平民たちの預かり知らぬところで様々な事態が動いており、政治的事情が変化しつつあった。


 領主兄勢力が事態を理由に強いイニシアチブを得る前に和解をすべし、と勧めた者がいた。他国の関与した反乱と王国に看做されることを恐れた領主弟はそれを受け入れる。

 ヤローク貴族を尻尾切りに、術式付与品の再装填をすべて彼の仕業として、表面上の領主後継の兄弟の和解。

 内心ではどうかと、恒久的かはともあれそれが成立したことで、領主次男は本土に戻る事となる。それによって貴族たちが島に居続ける理由はなくなった。

 年単位の期間をかけてではあるが、島の貴族たちは本土に順次戻っていくということになった。


 伝聞の化外の地という印象は薄れ、貴族たちとの関係は島に残ったものの、塔の諸島はこれでまた魔術師の手中の真珠の首飾に戻り、余人の手の入らぬその静けさを取り戻していくようだった。

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